神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

私と音楽 3

2023年04月11日 09時36分32秒 | 音楽

 創立7年でプロ野球選手を5人ほど輩出した(一軍実績を残したのは一人だけ)野球部をはじめ、スポーツ優先の硬派校だったから(私は硬派ではなかったが)校則で丸刈りだった、当時最先端のビートルズのマッシュルームカットを目指す我々は髪型でまず挫折感を味わったのだ、まさに「青春デケデケデン」の世界だった
普通科高は長髪OK!だったから、そんな理由だけで普通高へ行けばよかったと思ったくらいだった。
私の高校時代にはエレキバンド(エレキギターは最初電気ギターと言っていた)かフォークギターのどちらかをやる子が結構いた。
学校へギターを持って行って昼休みに弾くと、男女何人か集まって一緒に歌った

 エレキの校内演奏はもちろん、持ち込みも禁止という「ガチ頭」の校長だったが、まだ24歳くらいだった美人教師と正義感強い若手美術教師が運動してくれて、文化祭で演奏できることになった,
それで美人教師に片思いの恋をしてしまった
ところが学校の教室でバンド7組が上記2教師の前でリハーサルまでやったのに一週間くらい前になって校長に潰されてしまった。

 血気さかんなわがバンドのリーダーは校長に掛け合いに行ったが中止は覆せなかった。 それで頭を使って運動会の時にクラス対抗仮装大会を利用して、サーカス団の楽団という「合法的名目」で学校創立以来初めて学校のグラウンドの真ん中でエレキギターが鳴り響いた、アンプまで200mもコードをひっぱった努力の結晶だった、さすがの校長も何も言えなかった

 結局素人学生バンドは一時の気まぐれで終わった、演奏者としては下の下の腕前だったから未練はなかった。
 我らの同世代には、南こうせつ、小田和正、寺尾聡、武田鉄矢、上田正樹、つのだひろ、矢沢永吉、堀内孝雄、松崎しげる、萩原健一、岡本信、森山良子、財津和夫、泉谷しげる、沢田研二、井上陽水、谷村新司、細野晴臣、坂本龍一、南義孝、ばんばひろふみ、白鳥恵美子、舘ひろし、イルカ、昭和23年~25年生まれのロック、ポップス系、フォーク系だけでも主だったところこれだけいる、田舎坊主の我々でさえやっていたのだから底辺は広かった
演歌でも今や大御所と呼ばれる歌手も続々誕生した、細川たかし、八代亜紀、都はるみ、和田アキ子、梅沢富美男など、まだまだ書ききれない。
戦後派の登場で音楽スタイルががらりと変わったのだった。

 洋楽ではビートルズを代表にリバプールサウンズとかブリテッシュロックとかで60年代前半まで席巻していたアメリカンポップスをイギリス勢が追い越してしまった
この他にも私が特に夢中になったのはイタリアのカンツォーネで、チンクエッティやボビーソロが特に好きだった、またフランスではシルビィバルタンが好きだった。

 ビートルズは60年代中盤からステージ公演を辞めて、スタジオ録音に徹するようになり、曲のスタイルががらりと変わった
前期のシャウトスタイルから変わり、クラシックスタイル、トリップ、オーケストラ、複雑なキー進行と音源を複雑に組み合わせた音、マニアックで美しい曲になった。
多くの人が後期のビートルズの曲を芸術だ、クラシックだと讃える
だが私はビートルズの単調なロックンロールから進歩することが出来なかったので、続々と出て来た爆発前の62年頃のクラブでの演奏とかハンブルグ公演テープからの編集レコードとか、トニーシェリダンのバックコーラスの曲とか、そんなのばかり集めるようになった
「Let It Be」を買った後、ビートルズレコードは買っていないし、ソロアルバムもポールの「Ram」を買っただけだ。