神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

今日の昼は、ラーメンライス

2023年04月30日 22時17分53秒 | 料理を作る・食べる
カップ麺、乾麺、冷凍ラーメン、どれを食べても美味しい
ただ売っている以上、美味しいのは当たり前で、まずければだれも買わなくなる
「美味しい」とは単に「おいしい」だけで、味の素が「うまみ」と言われたように、「うまみ成分」が入っていれば、甘味、塩味などで失敗しない限りうまくなるのだ。

「おいしい」にもレベルがある、「いつまでも口の中に残るうまみ」「食感」も、おいしいの重要な基準だ
ラーメンも食感が重要で、冷凍ラーメンは具もついていて、スープも美味しいが麺の食感が少しぐしゃぐしゃ感がある
乾麺は茹で加減を間違えなければ、そこそこシャキシャキ感があって美味いが、なんだろう、いまいち物足りない
カップラーメンは、カップラーメン以上は望めない
結局、生めんが一番食感が良い、生めんにも細麺、太麺があって、私は細麺のちぢれ麺が好きだ、ということは醤油ラーメンが好きなのだ。

細麺はさっと1分程度しか茹でてはいけない、それ以上茹でるとぐちゃぐちゃになってしまう
余熱で伸びてしまうから、手早く作って手早く食べなければいけない
この写真のように、写真を撮っているとたちまち伸びて食感は劣化してしまう
だから写真を撮ったラーメンが旨かったことは、ほとんどない
麺はやはりやや硬めが旨い。

今日の昼に生めんでラーメンを作った、スープは市販だ、本当はさっぱりの醤油にしたかったが売り切れで、仕方なく豚骨醤油を買ってきた
麺は旨いのに、スープがダメだった、ラーメンも野球チームと同じで一人や二人名選手が居ても勝てない
それぞれが持ち味を最大に出してこそ勝てる、ラーメンもスープ、麺、茹で加減、トッピングなどが名選手なら超うまくなる

私の場合、麺だけが一流選手だが、あとは二流三流だ。そこが専門店との違い
だが三分の一の料金で食べられるのだから、少し劣っても仕方あるまい
それでもトッピングのポークソティはオリジナルで自信があるのだ。





昭和の日

2023年04月30日 14時27分44秒 | 時代検証
今の生活になり、月日、曜日に無頓着になった
日曜も旗日もほとんど関係なくなって、同じような毎日が繰り返すだけ

国民の休日を昔は「旗日」と言った
各家の軒先には日の丸の国旗が出されて、祝日を祝った
国旗が一般家庭で掲揚されなくなったのはいつごろだろうか?
たぶん東京オリンピックの頃がピークだったのではないだろうか(1964年)
あのオリンピックでは日の丸の旗が随分と振られたはずだ
WBCの日本大会で日本が無敗の活躍を見せたが、スタンドが日の丸で埋め尽くされる様子はなかった。
私も家や会社で国旗を掲揚しなくなったのは昭和40年代だった気がする
昭和天皇が崩御されたときに久しぶりに国旗を出して、半旗を捧げた。
それ以来、国旗は陽の目を見ない。

我々世代が子供の頃には、祝い事があると国旗の小旗を振って行進したものだ
小学生の時ローカル鉄道線開通で小旗を振って市内をパレードした記憶がある。

昭和天皇在位期間中(戦後)は4月29日は天皇誕生日であり、平成時代になって天皇がかわると「みどりの日」となった、意味がわからない
今は「昭和の日」となり、これはわかりやすい。

私は昭和25年生まれで、22年~24年生まれをいう「団塊世代」から一年遅れて生まれた。
日本は5年前までアメリカと中国、イギリスなどを相手に世界戦争を行っていたのだから、まだ戦争の臭いが田舎町にも残っていた。
その第一は兵隊から帰ったばかりの気の荒い父親をもったこと
どこの親父も怖かったから口答えなどすると、すぐにげんこつが飛んできた

昭和と令和・・・昭和は封建的だった だが・・・時代とは比べる意味はない
その時代に生きる人も変わるからだ
新しい時代が常に最新の新しい時代とは限らない、後退することもあるのだ

第二は近所には幾つも防空壕が残っていた、わが町は田舎ゆえ爆撃されることはなかったが、それでも国か町かの命令で作ったのだろう
今でいえば核シェルターだ、それを作らないのはまだ今は北朝鮮などに対して危機感は口で言うほど感じていないのだろう。

第三は、まだ戦中の海上機雷が海岸に流れ着く、不発爆弾が地中で発見されるなどあって、新潟県の上越地方の海岸で見つかった機雷が爆発して警官や小学生中心に100名前後が死んだ事件があった。

第四は、少年雑誌には必ず、戦争中の日本軍の勇ましい英雄伝や、ゼロ戦、戦艦大和などの勇ましい写真や物語が掲載されていた
それは全て勝ち戦の勇ましいものばかりであった、編集者もたぶん兵隊帰りかそれに準ずる人だったのだろう、
負け戦など書くのは悔しかったのだろうと思う、それを読んで私などは「日本は世界一強い」と胸を躍らせていたのだった。
日本の戦争の真実に触れたのはいつだろう? かなり後だったと思う
ずっと強い日本が好きだった・・が
それまで自分の祖父母が空襲で亡くなったことも認識していなかったのだ

昭和は64年間続いた、天皇陛下の在位期間としてもたぶん1位なんだろうと思う(神話に類する天皇は別として)
昭和元年が1926年だから2025年が昭和100年になるはずだ、きっと盛大な式典がおこなわれるんだろうな。

中世以前はともかく、近世になって日本が180度転換したことが二度ある
最初は武家政治から議会政治に転換した明治維新
もう一つは帝国主義から民主主義国家に変わった、日米戦争
前者は江戸時代から明治への転換、後者は昭和の中での転換

昭和の64年間はまさに「激動」
昭和元年から17年までは怖いもの知らず、政府も国民も自信に満ちたイケイケの時代、千島列島、樺太半分、朝鮮半島、台湾を領有し、グァム、サイパンなど南方諸島の統治権を持ち、中国東北地方に広大な満州国建設、傀儡政権を操る。
昭和18年から20年は国家存亡の危機、建国2600年、外国に侵されたことが無い日本が東京、大阪、名古屋、横浜をはじめ全国都市の大部分を焼き尽くされ
300万人以上の国民が死んだ、そして敗戦

昭和20年から27年 敗戦により主権国家としての日本は消滅、アメリカの占領統治下となり、独立国家の地位を失う
アメリカが作った新憲法発布、日本は永遠に軍隊を持たず、戦争放棄国家になった。 日本人が住む地域も明治維新当時の領土に戻った、但し固有の千島列島、小笠原列島、沖縄列島は連合国に接収される。

昭和27年から昭和40年代 主権国家としての独立を回復してから国勢回復の猛烈なスピード、「高度成長時代」わずか20年で一人当たりの所得も数十倍になった。 焼け野原の東京は戦後20年かからず新幹線が走り、オリンピックを開催するまでに復興した。
                  つづく