2013-02-14 00:00:15 | 絵画鑑賞、創作

  晴れ時々雪。

 北朝鮮がまた性懲りも無く核実験を強行した。暴挙というよりは愚挙である。早いトコ爆撃機をずらっと並べて絨毯爆撃し、石器時代に戻してしまえばいいのだ。いちいち対応するのが面倒だし、そういう話題そのものが不愉快。

 不愉快と言えばグァムでも無差別殺傷事件が発生した。アホだよね。疲れるニュースばかり。

 疲れるニュースばかりの時はゆったりと読書し、絵を見ているのがいい。読書はジュール・ヴェルヌ著「月世界へ行く」を読み終わり、ジョゼ・サラマーゴ著「白の闇」を開始。ちなみに南総里見八犬伝再読は進捗していない(他にぽつらぽつらと別の本を読むため)。読書はゆったりでいいよ。

 続いて絵。画集を眺めていてふと思ったが、「号数が小さいけれど大きく見える絵」と、「号数は大きいが小さく見える絵」があると気付いた。鉄斎先生の絵は大も小も大きく見えるという不思議があるが、事近代においてはそういうのは希(と、いうか居ないか)。極最近眺めてたのでは、フリーダ・カーロの絵はなぜか大きく見える。技術的にはそうでもないのに、なぜだろう? 近代日本の洋画は最悪のレベルなので、事のほかそう思えるのかも。二百号とか描いてても、サムホールくらいにしか思えなかったりする。これがまことに不思議。絵に向きあう姿勢が根源的に違うのかも知れない。


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