一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

8月23日の蕨将棋教室(後編)

2020-09-09 00:11:08 | 蕨将棋教室

第2図以下の指し手。△3四銀▲4四桂△6二玉▲3二桂成△4五銀▲2二成桂△4六桂▲6九金打△5八桂成▲同金上(第3図)

第2図で△3四銀と歩を払ったのが悪手。ここはふつうに△4四歩だった。実は本譜の▲4四桂を軽視していた。これを△同銀は▲同飛△同角▲同角で捌かれる。よって△5二玉と逃げたのだが、▲3二桂成以下1枚多く取られ、ヨリが戻ってしまった。
私は気を取り直して、△4六桂。これには▲5九金と面倒を見られるのがイヤだったが、Yos氏は▲6九金打。まあ、ここは無難に収めたくなるところであろう。
▲5八同金上に次の手もどうだったか。

第3図以下の指し手。△6六歩▲同歩△6五歩▲同歩△6六歩▲6四歩△同金▲5六桂△6五金▲6四歩(第4図)

第3図では平凡に△2九飛と下ろしておくくらいでよかった。
△6六歩も急所の攻めだが、2歩を渡すのがマイナスだ。
△6六歩と垂らした局面で植山悦行七段がトイレから戻ってきて、「(下手が)角を押さえられてますね」と言った。だが私は、見た目ほどの自信はなかった。
ここでYos氏は▲6四歩と打ち捨てたが、歩切れの私に歩を渡して疑問。▲5六桂にも手順に△6五金と進出して、この将棋は負けられないと思った。
ところが第4図で、私はココセを指す。

第4図以下の指し手。△3九飛▲1七角(途中図)

△3五歩▲3九角△5六銀左▲同歩△同銀▲3二飛△5二桂▲6三銀△7一玉▲5二飛成△6七銀打▲同金右△同歩成▲同金△同銀成▲同玉△5六金打▲5八玉△4七金打▲6九玉△6八歩▲7九玉(投了図)
まで、Yos氏の勝ち。

私は△3九飛と下ろして勝った気でいたが、Yos氏が角を手にしたのでどこに打つのかと思いきや1七に打ち、これが王手飛車だったので、飛び上がった(途中図)。
△4九飛は▲2七角を気にしていたが、この筋はうっかりしていた。まったく、こんな純粋な王手飛車を喰らったのは久し振りである。
ここで投了してもいいのだが、感想戦を始めたら植山七段に不審に思われるので、私は指し続ける。
▲6三銀に私は△7一玉と引いたが、まだ△5三玉だったか。これも▲5二飛成~▲5四竜がピッタリだが、まだ難しいところもあった。
△6七銀打には▲7九玉で負けだったが、Yos氏は▲同金右。私は希望を持ったが、それでも上手が負けていてクサッタ。
最後は▲7九玉に王手が続かず投了。植山七段は対角線で指していたので投了の声は聞こえなかったようで、私は感想戦の声だけ大きくした。これで私が勝ったと思われる。

「△3九飛には▲1七角があると思ってたんですよ。そしたら本当に打ってくれたので……」
とYos氏。私は腐るばかりである。まったく、上手とは思えない飛車打ちだった。
なお、中盤でYos氏が指し損ねた▲2二角成は、それがあっても上手が十分だった。それより、どこかで▲1二歩△同香▲2四桂の筋(金香取り)はあったと思う。

4人目氏と5人目氏も対局をしていたが、終わったようである。すぐに感想戦、というか、W氏を交え、居飛車対振り飛車の研究を始めた。私にも見解を聞かれたが、私は1週間前のKob戦で惨敗したので、モノを言える立場にない。
植山―Oku戦は難しい戦いだったが、植山七段が優勢に見えた。だが感想戦が始まったので見に行くと、植山七段が投了していたようだった。また負けたのか?
植山七段は「おかしいなあ、おかしいなあ」とつぶやいている。植山七段、私たちには強いのに、なぜOku氏には勝てないのだろう。
時刻は9時半になり、強制的にタイムアウト。このあとは食事である。くるるを出ると、植山七段が
「ボクは最近、将棋の勉強をよくしているよ。現役時代よりしているくらいだ。だけど将棋は弱くなったね」
と言った。
「将棋は弱くなってもらうほうがいいです。それで私たちとの棋力が近づきます」
と私は返した。
食事参加は、植山七段、W氏、Oku氏、Yos氏、私の5人となった。近くの中華料理屋に入ったが、私は初めての店である。
店内は広く、私はOku氏の対面に座るつもりだっただが、Oku氏が気を利かせ?席を離れ、代わりに植山七段が座った。
私は五目チャーハン(税別500円)と餃子(同220円)を頼んだ。チャーハンはお米がパラパラで、美味かった。
食後はゆんたくである。植山七段に夏子さんの話をしても詮無いのだが、固有名詞は伏せ、「私も20代のころに結婚のチャンスがあったかもしれません」と言った。
植山七段はしばらく考えたあと、「一局だよ」と言った。結婚する人生もしなかった人生も一局、ということだ。
植山七段は運命論者のところがあり、私が高校生のとき、私は某女子高校の文化祭で、植山四段から指導対局を受けている。そしてその27年後、LPSA駒込金曜サロンで再会したのだが、のちに植山七段はこのときのことを、「いつか再会する運命だった」と言ったものだ。
「でも私は、結婚して子供をもうけて、両親を安心させてやりたかったと思っています」
「……それもどうかなァ」
子供のいない生活も、やはり一局の人生、と捉えているふうだった。
あっちのグループは、将棋の話ばかりしている。W氏が中継係になって、私に
「山口恵梨子ちゃんは何年生まれだったっけ?」
「ひねり飛車の得意な棋士って誰だったっけ?」
とか聞く。私は
「1993年じゃない?」
「勝浦修九段かな」
と適当に答えた。しかし前者は1991年の誤り、後者はほかに適任者がいたと思う。
私と植山七段は、景気のいい話が出ない。
「このコロナには参ったねえ……出口が見えない」
「私も蕨にはビビりながら来ました。厳格にやられたら、東京から(こっち)はアウトですからね。就職はできないし……」
「でも大沢さんは若いでしょ。数年後にはボクは70だよ」
「それを言ったら私も数年後は還暦ですよ」
私はため息をつくばかりであった。
時刻は午後11時を過ぎ、散会となった。帰りはOku氏と駅まで一緒だったが、聞くと、植山七段との指導対局は、いずれもOku氏が後手だったという。
「植山先生に、君にも後手番の辛さを味わってもらいた、と言われまして……」
「……」
つまりさっきの感想戦の図は、こういう先後になる。

ま、まああれだ、ゴキゲン中飛車とか横歩取らせとか、後手番で指したい戦法というのもある。植山七段はそれを欲していたのかもしれない。
またOku氏についてはW氏から、森内俊之九段に平手の指導対局で勝ったことも聞いていたので、確認した。
「ええ、勝たせていただきました。でもあれは十数人の多面指しで、森内先生の見落としがあったので……」
本人は謙遜したが、プロにポカがあってもふつうは勝てない。そこを勝ち切ったのはやはりすごい。
どうも、Oku氏も相当の将棋バカだ。彼とは近い将来、将棋談義をしそうな気がする。

帰宅後、蕨将棋教室は、事前の予約が必要になったことが分かった(蕨将棋教室の申し込み)。これならみんなに参加状況が分かるから、便利だ。今後の蕨将棋教室に期待したい。
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