一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

下蒲刈島へ行く(前編)

2009-05-02 22:55:44 | 旅行記・G.W.編
5月2日(土)、今夜は呉のビジネスホテルから書き込みをします。

このブログは原則的に将棋の話題に絞っているので、今回の表題を訝しく思われた方もおられよう。下蒲刈島は「しもかまがりじま」と読むのだが、実はここ、日本女子プロ協会(LPSA)に所属している松尾香織女流初段の出身地なのである。
今回の私の旅行は29日にJRで東京を出発し鈍行を乗り継ぎ、2日に広島・三次(みよし)にて馴染みのユースホステル(YH)に泊まり、翌3日に「広島フラワーフェスティバル」、4日に「博多どんたく港まつり」を楽しみ、6日に鹿児島・指宿の砂風呂でフィニッシュ、という行程だった。
ところが三次のYHが現在休館中ということで、予定が狂った。30日の岡山の宿(カプセルホテル)はすでに予約してあるのでキャンセルはできない。いや正確にはできるのだが、男は一度決めた予定は、よほどのことがない限り、それを簡単に翻すものではない。たとえば誰かに何がしかの仕事を任せたら、私利私欲のために、それを別の誰かに変更してもいけない。だから岡山での宿泊は外せないのだ。
ともかくそんなわけで1日、2日の新たな行程を作る羽目になった。しかしそれはそれで楽しい。旅行は計画を立てている時がいちばん楽しいのだ。
検討の結果、中国地方の内陸部観光をやめ、四国に渡ることにした。愛媛県には西日本髄一の名峰、石槌山があり、一度訪れたいと思っていた。バスとロープウェイで行けるところまで行って引き返し、そこから船で本州(広島)へ戻る、という行程はなかなかに面白い。
そこで時刻表の日本地図を眺めていると、四国からは広島に向けていくつも船やバスが出ており、その中途で立ち寄る瀬戸内海の島々の中に「下蒲刈島」の名前を見つけたのだった。私は松尾初段の出身地であるこの島を、無性に訪れてみたくなった。
だから言うまでもないことだが、今回の旅行は、最初に松尾初段のふるさとを訪ねる、という目的ありきだったったわけではない。極めて自然な流れから今回の下蒲刈島訪問を決めたのだ。
ただ、いくら出身地を訪ねるといっても、同じLPSAの中井広恵女流六段の稚内市や、島井咲緒里女流初段の高知県(南国市)と較べると、ローカルな小島を訪ねる今回の図は、かなりマニアックであることは否めない。松尾初段から見れば、自分の庭に無断で踏み込まれるような気味の悪さがあるのではないだろうか。
だがこのブログは将棋ファンには知られていないし、私が誰にも言わなければそれで済むことである。だから堂々と旅行の行程に組み入れたわけだ。
メーデーの1日は石槌山を瞥見したのち、今治のビジネスホテルに泊まった。この港から、下蒲刈島の隣りに位置する上蒲刈島付近へ向かう高速船(せと観光ボート)が出ているのだ。ただ便数は1日3本しかなく、第1便の6時05分を逃すと次は13時30分の出発になってしまう。また下蒲刈島から本州へは橋を渡って行けるが、広島バスセンターまで行くバス便も1日4本しかなかった。センター到着最終時間は16時52分となっていた。
正直、下蒲刈島から本州へ出るのに、そんなに不便だとは思わなかった。
だが交通の便の悪い場所ほど、乗り物マニアの血が騒ぐというものである。夜、今治の大通りを労組団体が行進しているのを横目に、私は静かな商店街を徘徊し、オシャレな喫茶店を見つけて定番のケーキセットを食す。特別企画前夜の、至福の時間であった。
翌2日早朝。乗るべきは当然第1便である。早暁に起床してチェックアウトし、港に横付けされていた高速船に早々と乗りこむと、定刻6時05分、船はいよいよ下蒲刈島方面へ向けて出航した。
まず上蒲刈島のふたつ隣りにある大崎下島の大長港(だいちょうこう、ではなく、おおちょうこう、と読む)で下船する。ここで下りないと、船は方向を変えて本州方面へ向かってしまうからだ。
ここから「せとうちバス」に乗り継ぎ、上蒲刈島へ入る。しばらく走ると「恋ヶ浜」というバス停があったので、下車する。扉近くに時刻表が置いてあったので、1枚ありがたく頂戴しておく。ちなみにここで下りたのは、このまま下蒲刈島へ行くのでは時間が早すぎて味が悪いのと、上蒲刈島も観光したかったこと、なにより停留所の名前がロマンチックだったことによる。ここが一人旅の自由さである。
恋ヶ浜バス停から観音様がある舗装道路を登り、自然道を下ってくると、ネイチャーセンターがあった。ここで上蒲刈島の地図をあらためて見たのだが、いま自分が島の根っこあたりに居ると思っていたら、とんでもなかった。このまま瀬戸内海を左に見て海岸線を時計廻りに歩くのと、その反対側を歩くのとでは、距離に倍ぐらいの差があったのだ。
ここでは当然「時計廻り」を選ぶ。潮の香りと瀬戸内海の景色を十分に満喫して1時間余、ついに蒲刈大橋(1979年開通)の袂に着いた。ここを渡れば、ついに松尾女流初段の出身地だ。私は逸る心を抑えて、ゆっくりと歩を進めた。
(つづく)
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