一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

大山の名局・10

2021-07-26 00:54:15 | 名局
日付変わってきょう7月26日は、大山康晴十五世名人の命日である。
今年も「私が勝手に思う大山十五世名人の名局」を紹介したいが、全譜を記すと、昨年のように「棋譜警察」から無言のコメントがくる。実は今年紹介したいのは王将戦だが、そもそも同棋戦は連盟HPにガイドラインを載せており、現状ではたとえ1手の紹介でも使用許諾を得ないといけない。ただ、私は過去に何度か連盟にメールを出したが、返事が来たためしがない。それに使用できても有料なので、もう王将戦は当ブログからは縁遠くなってしまった。
ともあれ進めよう。今年紹介するのは1982年3月30日・31日に行われた第31期王将戦第6局、対中原誠名人戦である。

大山十五世名人は1980年3月、第29期王将戦挑戦手合で加藤一二三王将から4勝2敗で奪取、18期目の王将を獲得した。
翌期は米長邦雄九段の挑戦を4勝1敗で退けた。そしてその翌期、つまり1982年初頭に、最強の挑戦者を迎えたわけである。
ここまで対中原戦のタイトル戦は、大山十五世名人の3勝15敗。前年の第22期王位戦でも中原王位に3勝4敗で負けていたが内容はよく、「内容だけなら大山の6勝1敗」という人もいた。
またその前年(1980年)の第28回王座戦では中原王座に2連勝で王座を奪取。準タイトル戦ながら、久しぶりに番勝負で勝っていた。よってこの七番勝負でも、大山王将が善戦すると見られていた。
七番勝負は大山王将の●○●●○と進み、前年の王位戦とまったく同じ星を辿った。そして第6局は千日手。ふたりの対局でこれは珍しく、ほかに1局あったかどうか。
11日後の指し直し局は大山王将が四間飛車に振り、中原名人は当時流行の天守閣美濃に構えた。
大山王将は△7一玉型で△6五の位を取ったがこの構想が秀逸で、これが藤井猛九段考案「藤井システム・対左美濃編」の原型になったとされる。
将棋は激戦になったが、大山王将が82手目、自陣に桂を据えたのが妙手。そしてこの桂を二段跳ねするという中原名人のお株を奪う桂使いで、結果は快勝したのであった。
大山王将は最終局も勝ち、1勝3敗からの3連勝で逆転防衛。実に20期目の王将位で、通算タイトルも80期。時に大山59歳。底知れぬ強さに、棋士も将棋ファンも唸ったのだった。
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