goo blog サービス終了のお知らせ 

一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

天童の美女(後編)

2020-02-12 00:14:24 | 将棋ペンクラブ
いま私は旭川にいる。12日の行程は、頑張って5時半起きにするか、寝坊して楽な行程にするか、難しいところ。

(きのうのつづき)
いまはどうか知らぬが、当時は将棋道場が併設されていて、入館者名簿に名前を記入すれば、無料で指せるシステムになっていた。あとで天童市のパンフレットを見ると、入館料は300円とあったが、このときはおカネを払った記憶がない。さすがは将棋の町天童、駅で将棋が指せるとは…と感心したことを憶えている。
私も名簿に記入し、そばにいたオッチャンと一局指すことにした。するとしばらくして、先ほどの女性が入ってきたので、私は驚いた。彼女は道場の存在を知ってか知らずか、名前を記入すると、私の斜め向かいに座り、やはり人間将棋を見終わったと思しき青年と、将棋を指し始めた。
どうやら彼女の将棋好きは本物のようである。ややあって、今度は屋敷九段と橋本七段がふらりと入ってきたので、私はまたまたビックリした。
もちろん翌日の人間将棋出演のためで、山形新幹線でたったいま到着したのだろう。
「屋敷先生!」
と思わず声を上げるが、ふたりは私を知らないので、無反応だった。
まあそれよりも、いまは彼女の将棋である。
青年の振り飛車に、彼女は天守閣美濃で対抗していた。
彼女はやはり、一通りの囲いや定跡は、頭の中に入れていたようだった。その手つきも相変わらず豪快だ。ただ何というか、形を覚えているだけで、実戦は不十分という印象を持った。対局も彼女が負けたが、それでもアマ二段は十分にあると思った。
私は彼女が、何かの将棋大会に出たことはあるのだろうか、と考えた。あっても女性のみの大会だろうが、それでも棋戦の絶対数は少ないし、地方在住の不利もある。
やはり参加はしていないだろうな、と思う。しかし彼女の将棋に対する熱意はタダモノではない。私は彼女にいよいよ興味を持った。
「あのう…何という名前ですか? 記念に教えていただけませんか?」
私は彼女に問う。ナンパ、というわけではないが、彼女の名前を覚えておいて損はない、と思ったのだ。
しかし彼女は静かに笑うだけだった。
彼女も私も、同じ相手と2局目を始め、終わったころは閉館の時間になっていた。
帰り際に先ほどの入館者名簿を見ると、彼女の名前が載っていたが、これは記憶しないのがマナーだと思った。
私は後ろ髪を引かれつつも奥羽本線の各駅停車で福島まで戻り、そこから新幹線で帰京したのだった。

その2年後の2010年5月――。毎日コミュニケーションズは、第4期マイナビ女子オープンで、アマチュアが参加できる「チャレンジマッチ」を催した。
これは7月に東京で行われる一斉予選対局の予備予選に当たるもので、全国のアマチュア女性にも女流棋界の頂点に立てる道を拓いた、画期的な企画であった。
私は山田女流三段似の彼女が参加するのでは、と期待した。むろん女性アマ棋戦には女流アマ名人戦や女流アマ女王戦があるが、それよりも女流公式戦の舞台のほうが、彼女にはふさわしいと思ったからだ。
しかし5月の参加者の中に、彼女はいなかったようである。顔を確認したわけではないが、そんな確信があった。
そして先ごろ毎コミは、今年の第5期マイナビ女子オープンでも、前年に引き続き、チャレンジマッチを行うことを決定した。対局は5月14日(土)だという。
私は今度こそ、彼女に参戦してほしいと思う。彼女があのころの熱意を持続して将棋に勤しんでいれば、必ずチャレンジマッチは通過できると信じるからだ。
そして7月の一斉予選対局で、あの迫力ある指し手を、再びこの目で見てみたい。そのときは喜んで、懸賞スポンサーになろうと思う。
(終)


あれから12年が経つが、「天童の美女」は誰だったのか、いまでも分からない。顔も忘れてしまったし、その後の活躍も不明である。ただ、もし彼女が東京在住だったら地の利を生かし各種の大会に出場し、入賞を果たしていたと思う。
彼女の活躍を見たかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする