私は言う。
「大沢と申します。私は将棋ペンクラブには1993年に入会したと思います。初投稿は2003年でした。ブログと紙媒体でどちらも書いていますが、直しが利かないという点で、紙はブログの数倍の緊張感がありますね。
例えばブログで間違えたら、その場で直しちゃえば問題ありません。だけど印刷物はそうは行きません。次の号で訂正できればまだいいですが、その号しか持ってない人は、間違えた文章が載ったままです。だから印刷物に文章を書くのは、素晴らしくいいことなんですよ。
……もっとも私は、ブログに力を入れてますけど」
とりあえず下げたので、佳しとする。求職のウラ話はしなかった。
「ブログに食の名店の紹介をしてほしいな」
と、寺川俊篤住職が言った。
その気持ちは分かるが、私は旅に出ても牛丼チェーン店に入って満足しているクチなので、とても紹介はできない。ただ、ふらりと入った店で気に入ったところはあるので、それらの紹介はできそうだ。その店がいまも健在かどうかは別だが。
最後に石畑梅々氏。
「きのうは浅草で講談がありまして、今週も地方に行かなきゃならない。それで頭がいっぱいになっちゃいましてね、今日は失敗しちゃった」
永田氏もそうだが、実は梅々氏もさっきからこれを繰り返している。確かに高座のとき詰まった箇所があったが、客は演出と取り、何とも思っていなかった。しかし当事者は悔やむのだ。
これで長い自己紹介が終わり、また雑談が始まった。
私は酒が飲めないので、小川敦子さん、参遊亭遊鈴さんやTanさんは、時おりお茶を勧めてくれる。こうした配慮は女性ならではで、とてもありがたい。
その敦子さんと永田氏は、オシャレな関係にあるらしい。私は絶句してしまったが、なるほど昼に抱いた感触がズバリで、私の直感も満更ではないと思った。
湯川博士氏いわく、この4月は浜松で将棋ペンクラブ交流会があるという。浜松の企業で、スポンサーになってくれるところがあるらしい。博士氏は本当に人脈が広い。
「ところでキミは何者なんだい?」
また梅々氏に聞かれる。
ホントにその通りで、私以外は「先生」と呼ばれる方や一流企業に勤める方ばかり。私だけが何の取り柄もないのに、この新年会に参加している。場違いだと思う。
私は梅々氏の講談のラストの「男の花道とは――」のあとを忘れてしまい、そのセリフを改めてお聞きしたいのだが、何となく躊躇われる。将棋ペン倶楽部にその部分を載せたいのだが、このぶんだと、適当に創作せざるを得ない。
ここで恵子さんが詩吟を披露する。朗々と唄うそれは玄人はだしで、恵子さんは本当に多芸だ。博士氏ともども、理想的な第二の人生といえるだろう。
夜も更けてきて、三々五々散会となる。とりあえずタクシーを2台呼んだ。表は雨が降っていた。私がたまに外出するとこうだ。
タクシーには女性陣が中心に乗り、あと1台呼ぶことになった。
私は歩いて帰りたいのだが、恵子さんは「いっぺんにみんな帰っちゃうとさびしいから、残ってよ」と言う。それでタクシーは保留し、俊篤住職、Kan氏、永田氏、敦子さん、私の5人がしばし延長することになった。
「煮物、あまり出なかったね。来年は作るのをやめよう」
と恵子さん。
大根と人参の煮物が大皿にいっぱい残っている。これは私も食したかったのだが、テーブルの端にいるので、取れなかったのだ。
私はいまがチャンスと、煮物ばかりバクバク食べる。
恵子さんが「あ!」と頓狂な声を挙げた。「今日の落語、話し忘れたところがあった!」
それで披露してもらうと、
「まんじゅうをそんなに食べると、シャベルみたいに糖尿になっちゃうよ」「それで死んじゃったらどうするの?」「殺人罪にならないからいいんだよ」
だった。確かに可笑しい。
今日の小丸の落語、噺に破綻はないが、妙にアッサリしていると思ったのだ。なるほどこれが、小丸のカスタマイズだったか。
演者は今回の出来でも素晴らしかったのに、もっといい笑いを提供できた、いい演舞を披露することができたと、自責の念にかられるのだ。
ただその思いがあるから、さらに芸が上達するとも云える。
私の横では、すっかり酔い潰れた博士氏が、頭を垂れてブツブツつぶやいている。もう限界のようで、布団をかぶせて寝てもらった。
さて、さすがに帰ることとする。博士氏、恵子さんには今年もお世話になりました。恵子さんの手料理は美味かった。ごちそうさまでした。
来年もこの席にいられればありがたいが、それは無職を意味する。そんなのはイヤだ。
恵子さんがタクシーを呼んだが、私のタクシー嫌いを察してか、恵子さんが「タクシー代はKanさんが払ってよ」とか言っている。
永田氏と敦子さんも帰りたいふうだが、恵子さんは泊まってもらいたいようだ。
結局、タクシーはKan氏と私だけが乗った。聞けばKan氏は、行きは美馬和夫氏とタクシーで来たという。じゃあ皆さんは相当、早く着いたのだ。私の遅刻は、ホントに罪が重かった。
「行きは美馬さんにタクシー代を出してもらったんで、ここはボクに出させてよ」
とKan氏。それじゃあ私が惨めすぎるので、ほんの気持ちだけ負担させていただいた。
(おわり)
「大沢と申します。私は将棋ペンクラブには1993年に入会したと思います。初投稿は2003年でした。ブログと紙媒体でどちらも書いていますが、直しが利かないという点で、紙はブログの数倍の緊張感がありますね。
例えばブログで間違えたら、その場で直しちゃえば問題ありません。だけど印刷物はそうは行きません。次の号で訂正できればまだいいですが、その号しか持ってない人は、間違えた文章が載ったままです。だから印刷物に文章を書くのは、素晴らしくいいことなんですよ。
……もっとも私は、ブログに力を入れてますけど」
とりあえず下げたので、佳しとする。求職のウラ話はしなかった。
「ブログに食の名店の紹介をしてほしいな」
と、寺川俊篤住職が言った。
その気持ちは分かるが、私は旅に出ても牛丼チェーン店に入って満足しているクチなので、とても紹介はできない。ただ、ふらりと入った店で気に入ったところはあるので、それらの紹介はできそうだ。その店がいまも健在かどうかは別だが。
最後に石畑梅々氏。
「きのうは浅草で講談がありまして、今週も地方に行かなきゃならない。それで頭がいっぱいになっちゃいましてね、今日は失敗しちゃった」
永田氏もそうだが、実は梅々氏もさっきからこれを繰り返している。確かに高座のとき詰まった箇所があったが、客は演出と取り、何とも思っていなかった。しかし当事者は悔やむのだ。
これで長い自己紹介が終わり、また雑談が始まった。
私は酒が飲めないので、小川敦子さん、参遊亭遊鈴さんやTanさんは、時おりお茶を勧めてくれる。こうした配慮は女性ならではで、とてもありがたい。
その敦子さんと永田氏は、オシャレな関係にあるらしい。私は絶句してしまったが、なるほど昼に抱いた感触がズバリで、私の直感も満更ではないと思った。
湯川博士氏いわく、この4月は浜松で将棋ペンクラブ交流会があるという。浜松の企業で、スポンサーになってくれるところがあるらしい。博士氏は本当に人脈が広い。
「ところでキミは何者なんだい?」
また梅々氏に聞かれる。
ホントにその通りで、私以外は「先生」と呼ばれる方や一流企業に勤める方ばかり。私だけが何の取り柄もないのに、この新年会に参加している。場違いだと思う。
私は梅々氏の講談のラストの「男の花道とは――」のあとを忘れてしまい、そのセリフを改めてお聞きしたいのだが、何となく躊躇われる。将棋ペン倶楽部にその部分を載せたいのだが、このぶんだと、適当に創作せざるを得ない。
ここで恵子さんが詩吟を披露する。朗々と唄うそれは玄人はだしで、恵子さんは本当に多芸だ。博士氏ともども、理想的な第二の人生といえるだろう。
夜も更けてきて、三々五々散会となる。とりあえずタクシーを2台呼んだ。表は雨が降っていた。私がたまに外出するとこうだ。
タクシーには女性陣が中心に乗り、あと1台呼ぶことになった。
私は歩いて帰りたいのだが、恵子さんは「いっぺんにみんな帰っちゃうとさびしいから、残ってよ」と言う。それでタクシーは保留し、俊篤住職、Kan氏、永田氏、敦子さん、私の5人がしばし延長することになった。
「煮物、あまり出なかったね。来年は作るのをやめよう」
と恵子さん。
大根と人参の煮物が大皿にいっぱい残っている。これは私も食したかったのだが、テーブルの端にいるので、取れなかったのだ。
私はいまがチャンスと、煮物ばかりバクバク食べる。
恵子さんが「あ!」と頓狂な声を挙げた。「今日の落語、話し忘れたところがあった!」
それで披露してもらうと、
「まんじゅうをそんなに食べると、シャベルみたいに糖尿になっちゃうよ」「それで死んじゃったらどうするの?」「殺人罪にならないからいいんだよ」
だった。確かに可笑しい。
今日の小丸の落語、噺に破綻はないが、妙にアッサリしていると思ったのだ。なるほどこれが、小丸のカスタマイズだったか。
演者は今回の出来でも素晴らしかったのに、もっといい笑いを提供できた、いい演舞を披露することができたと、自責の念にかられるのだ。
ただその思いがあるから、さらに芸が上達するとも云える。
私の横では、すっかり酔い潰れた博士氏が、頭を垂れてブツブツつぶやいている。もう限界のようで、布団をかぶせて寝てもらった。
さて、さすがに帰ることとする。博士氏、恵子さんには今年もお世話になりました。恵子さんの手料理は美味かった。ごちそうさまでした。
来年もこの席にいられればありがたいが、それは無職を意味する。そんなのはイヤだ。
恵子さんがタクシーを呼んだが、私のタクシー嫌いを察してか、恵子さんが「タクシー代はKanさんが払ってよ」とか言っている。
永田氏と敦子さんも帰りたいふうだが、恵子さんは泊まってもらいたいようだ。
結局、タクシーはKan氏と私だけが乗った。聞けばKan氏は、行きは美馬和夫氏とタクシーで来たという。じゃあ皆さんは相当、早く着いたのだ。私の遅刻は、ホントに罪が重かった。
「行きは美馬さんにタクシー代を出してもらったんで、ここはボクに出させてよ」
とKan氏。それじゃあ私が惨めすぎるので、ほんの気持ちだけ負担させていただいた。
(おわり)