LPSAの事務所移転に伴い、装いも新たに開講した「LPSA麹町サロンin DIS」。私は「駒込金曜サロン」「芝浦サロン」ともにお世話になったので、このサロンにもお邪魔したかったが、1回の定員が最大4名と少ないこともあり、なかなか叶わなかった。
ところが4月9日の第2部・上川香織女流初段の回は、その週に差し掛かっても、まだ空きがあった。上川女流初段は、中倉宏美女流二段と並んで、私が好きな女流棋士である。あのぼんやりした癒し系の雰囲気は、相矢倉の▲6一角を思わせる。いまの私は心身ともに絶不調でとても将棋どころではないのだが、貴重な機会でもあり、申し込んだ。
当日9日。仕事を途中で切り上げ、麹町に向かう。麹町へはいろいろなアクセスがあるが、数年前に東京メトロの日比谷と有楽町が同一駅とみなされたので、地下鉄を乗り継いでいく。これで片道195円で済む。
麹町は、私が1994年10月から2001年3月まで働いていた会社の最寄り駅である。この会社――小さな広告代理店だったが、社長がとにかく魅力のない人で、いつも眉間にシワを寄せていた。室内の雰囲気も当然暗く、私語は一切なし。働いていても全然面白くなかった。
残業をしても手当は出ない。毎日遅くまで働いたが、出るのは基本給だけだった。休日出勤をしても、何も出なかった。有給休暇を取れば精勤手当が出なくなるから休むこともできない。お中元やお歳暮を贈る習慣がなかったので、いつも私は自腹を切ってクライアントに贈っていた。
それでいて昇給ペースは年数千円。上がらない年もあった。まあこれすべて、私の営業成績が悪かったからなのだろう。ということにしておこう。バカヤロ。
こんなわけだから、当時の私は、まったく蓄えが増えなかった。2001年に家の都合で退社となったのだが、この退社日ほど晴れ晴れとした気持ちになったことはなかった。私にとって、この会社での6年半は黒歴史だった。
その会社が、まだ麹町にある。だから私は麹町や四ッ谷を訪れるのがいまでもイヤなのだ。
地下鉄は麹町に着いた。しかし麹町駅を利用するのは15年ぶりで、浦島太郎の気分だ。
最初はどこを歩いているのか分からなかったが、ホームから長いエスカレーターを上っているうち、昔の記憶がかすかに蘇ってきた。この構内、見覚えがある!! あぁあああ、イヤだイヤだ!!
「麹町サロンin DIS」は、3番出口に隣接するビルの4階である。いわば直結だから、会社の連中とバッタリ会うこともない。
エレベーター前に来た。現在6時24分。サロンは6時半からだから、計算どおりである。
4階に上がる。ここは「ダイヤモンド囲碁サロン」というサロンがあり、その一角にLPSAが間借りしている形だった。駒込や芝浦と比べると泣けてくる形態だが、その辛さはLPSAのほうが何倍も感じているだろう。
ドアを開けると、左手がカウンターになっていた。将棋を指しに来た旨を告げると、奥を指された。
秘密の小部屋みたいなそこに、将棋スペースがあった。凹型にテーブルが並べられ、その中心に上川女流初段がいた。
「お久しぶりです」
と型通りの挨拶を交わす。上川女流初段は全然変わっておらず、魅力的だった。なのに私はといえば、頭は薄くなり、白髪も増え、お腹がたっぷり出ている。今回の指導対局が決まってから覚悟していたこととはいえ、うれしくも残酷な再会だった。
先客は2名いて、うち1局は、なぜか中盤戦に差し掛かっていた。定員は4人だから、もうひとり来るはずだ。
と、その4人目が現れた。ああっ、あなたは…!!
(つづく)
ところが4月9日の第2部・上川香織女流初段の回は、その週に差し掛かっても、まだ空きがあった。上川女流初段は、中倉宏美女流二段と並んで、私が好きな女流棋士である。あのぼんやりした癒し系の雰囲気は、相矢倉の▲6一角を思わせる。いまの私は心身ともに絶不調でとても将棋どころではないのだが、貴重な機会でもあり、申し込んだ。
当日9日。仕事を途中で切り上げ、麹町に向かう。麹町へはいろいろなアクセスがあるが、数年前に東京メトロの日比谷と有楽町が同一駅とみなされたので、地下鉄を乗り継いでいく。これで片道195円で済む。
麹町は、私が1994年10月から2001年3月まで働いていた会社の最寄り駅である。この会社――小さな広告代理店だったが、社長がとにかく魅力のない人で、いつも眉間にシワを寄せていた。室内の雰囲気も当然暗く、私語は一切なし。働いていても全然面白くなかった。
残業をしても手当は出ない。毎日遅くまで働いたが、出るのは基本給だけだった。休日出勤をしても、何も出なかった。有給休暇を取れば精勤手当が出なくなるから休むこともできない。お中元やお歳暮を贈る習慣がなかったので、いつも私は自腹を切ってクライアントに贈っていた。
それでいて昇給ペースは年数千円。上がらない年もあった。まあこれすべて、私の営業成績が悪かったからなのだろう。ということにしておこう。バカヤロ。
こんなわけだから、当時の私は、まったく蓄えが増えなかった。2001年に家の都合で退社となったのだが、この退社日ほど晴れ晴れとした気持ちになったことはなかった。私にとって、この会社での6年半は黒歴史だった。
その会社が、まだ麹町にある。だから私は麹町や四ッ谷を訪れるのがいまでもイヤなのだ。
地下鉄は麹町に着いた。しかし麹町駅を利用するのは15年ぶりで、浦島太郎の気分だ。
最初はどこを歩いているのか分からなかったが、ホームから長いエスカレーターを上っているうち、昔の記憶がかすかに蘇ってきた。この構内、見覚えがある!! あぁあああ、イヤだイヤだ!!
「麹町サロンin DIS」は、3番出口に隣接するビルの4階である。いわば直結だから、会社の連中とバッタリ会うこともない。
エレベーター前に来た。現在6時24分。サロンは6時半からだから、計算どおりである。
4階に上がる。ここは「ダイヤモンド囲碁サロン」というサロンがあり、その一角にLPSAが間借りしている形だった。駒込や芝浦と比べると泣けてくる形態だが、その辛さはLPSAのほうが何倍も感じているだろう。
ドアを開けると、左手がカウンターになっていた。将棋を指しに来た旨を告げると、奥を指された。
秘密の小部屋みたいなそこに、将棋スペースがあった。凹型にテーブルが並べられ、その中心に上川女流初段がいた。
「お久しぶりです」
と型通りの挨拶を交わす。上川女流初段は全然変わっておらず、魅力的だった。なのに私はといえば、頭は薄くなり、白髪も増え、お腹がたっぷり出ている。今回の指導対局が決まってから覚悟していたこととはいえ、うれしくも残酷な再会だった。
先客は2名いて、うち1局は、なぜか中盤戦に差し掛かっていた。定員は4人だから、もうひとり来るはずだ。
と、その4人目が現れた。ああっ、あなたは…!!
(つづく)