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一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

2021年九州旅行・0「衝撃のシステム変更」

2021-10-02 23:16:53 | 旅行記・九州編
今日いちばん「笑った」話。
夜、出先で雷雨に遭った。しばし某施設内で時間を潰したが、埒が明かない。
近くにコンビニがあったのを思い出し、入店してビニール傘を買った。税込み601円也。
ところが傘をさして数秒、信号待ちをしている間に、雨が止んでしまった。
なんだよそれ!
昔の私だったら、傘代を惜しんで駅まで歩いていくところ。
だが駅まで徒歩10分だったことと、薄い頭に雨粒が落ちるのを嫌った。
私は年を取ってしまったのである。

   ◇

毎月1日は、長崎県川棚のあんでるせんファンにとって特別な日である。2ヶ月後のパフォーマンスを見るための電話予約の初日だからだ。私もきのう10月1日に「参戦」した。
午前10時に掛けた一発目は、やはり「話し中」。朝は何時から予約可能か知らないが、1日はみながカウンター席を狙うから、かくのごとく競争率が高い。私はその後も何度か掛けたが、同じだった。
あんでるせんは電話が2つあり、メインのほうは各ブログで紹介され、私もそちらに掛けている。そこでサブのほうを掛けてみた。すると、「防犯のため、会話を録音させていただきます」の説明音があり、呼び出し音が鳴った。だが私は怖くなり、3回鳴ったところでスマホを切った。
私はしばし掛けるのを諦め、夕方5時過ぎに掛ける。すると奇跡的に?繋がった。
「はい」
今回はマスターの声である。
「あ、あのう、そちらでコーヒーを飲みたい……マジックを見たいんですが」
私は12月18日(土)の予約をした。「12月18日(土)」は私が22年前、初めてあんでるせんを訪れた日だから、この日は外せなかった。
「カウンターは塞がってしまいました」
「それは構いません」
男1人の予約だから、何とかなった。だが今回は、これで話は終わらなかった。
「実はシステムがちょっと変わりました」
とマスター。「いままでは11時の入店でしたが、マジックは13時、午後1時からになります。その代わり、飲食の提供がなくなります」
「ええっ!?」
私は絶句した。
整理すると、マジックは13時から17時までの4時間。しかも入場料が1,000円かかるようになった。
そしてカレーライスやコーヒーなど、飲食の提供はなくなった。つまり「異次元パーラー」のパーラーがなくなってしまったわけだ。
これは結構なシステム変更である。そして客側としては、負の割合のほうが大きい。
確かにいままでは、入店してからマジックまでの時間が長かった。ざっと2時間半ぐらいかかっていたからだ。それはとりも直さず飲食の用意があったからだが、私はこの時間がマジックショーの重要なインターバルの気もして、嫌いではなかった。
そもそもマスターのマジックは、飲食後の余興という位置づけだった。だから私たちは実質「無料」でマジックのマスターを楽しめたわけである。
だが有料となると、ほかのマジックショーと同じ体裁となってしまう。これ、LPSA駒込サロンに例えるなら、指導対局後のジョナサンが楽しいから、ジョナ研を独立させてしまったようなものだ。
今回は1,000円だからそれでも破格だし、個人的には5,000円を出してもいい。
だが、マジックショー専門店に業態転換したことが、私には受け入れられないのである。
例えば、コーヒーのみを出す店にして、1杯1,500円とかじゃダメだったのかな、と思う。
……と、いろいろ書いたが、詰まるところ、私は12月18日を楽しみにしている。
(12月19日以降につづく)
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2020年・長崎旅行7

2021-01-28 00:32:26 | 旅行記・九州編
(25日のつづき)

そろそろ長崎駅に近づいてきたので、私はバス会社に電話をし、福岡行きの予約を取った。
長崎駅に着いた。この駅舎が洗練されたデザインで、九州の中で最も好きかもしれない。でも数年後に長崎新幹線が開通したとき、この駅舎はどうなるのだろう。







その反対側にあるバスターミナルに入る。チケットは2620円だった。ネット購入とかすればもっと安くなるのかもしれないが、その方法が分からなかった。
15時15分、スーパーノンストップ便に乗った。乗客は多くもなく少なくもなく、ソーシャルディスタンスは十分に取れている。
私は高速バスに乗ると一安心する。私の観光は誤算続きで失敗ばっかりだが、高速バスは別だ。目的地に着くまで明らかに「プラス」であり、マイナス要素はほとんどない。
匠寛堂でいただいたカステラを食べる。底のザラメがサクサクして、美味い。ああ、これはここで食べないで、親に味見してもらうほうがよかった。
17時20分、バスは天神バスターミナルに着いた。今年は博多どんたくが中止になったので、福岡は初上陸だ。
とりあえず、福岡市役所西側ふれあい広場の「TENJIN CHRISTMAS MARKET」に向かう。まだ日が暮れてないので雰囲気が出ていないが、今年もここに来られたことの僥倖を感じる。とりあえず入場は後回しだ。
小腹が空いたので、何か入れたい。ウエストのうどんが食べたくなったので辺りを散策する。いつもはぶらぶらしているとどこかで目に入るのだが、こういう時は見つからない。
やたら規模が大きいうどん屋があったので、妥協してそこにする。が、そこがウエストだった。
ごぼ天うどん(390円)を頼む。天かす無料で、ネギはかけ放題。うどんはやわらかくて、コシのある讃岐うどんとは対照的だが、これはこれで美味い。
大いに満足して表へ出ると、すっかり夜の帳が下りていた。が、便意を催してきた。
とあるデパートに入りトイレに駆け込むと、なんと子供用の便器があった。こんな小さな便器を見たのは初めてで、その配慮に大いに感心した。





そのデパート前のストリートでは、ここでも定番のクリスマスイベントをやっていた。
私は改めて、市役所前のクリスマスマーケットに行く。現在ゲートの前には列ができている。コロナ禍なので入退場を別々にしているため、この渋滞が生じた。
私も入場したが、中は簡易的な酒場なので、私のような下戸はおよびでない。装飾を愛でながら、早々に退場した。
しかし……。この程度の滞在なら東京と長崎の往復でもいいが、福岡に来ないと九州に来た気がしないのだ。ただ、来年あたりは決断するべきかもしれない。











市役所前から博多駅前行きの100円バスがあり、たまたま次のバス時刻が近かったので、それに乗った。ただこのバスが予想以上に迂回して、博多駅までだいぶ時間を要してしまった。多少の時間はかかるのは構わないが、車内は途中から満員になり、気分が悪くなってしまった。
博多駅前に着いた。今度は「HAKATA CHRISTMAS MARKET」である。例年と同じライトアップで、懐かしい。人出は覚悟したほどではなく、コロナの影響もあったのだろう。
いまは博多駅ビルの大スクリーンに地上の観光客が映っている。ある箇所に留まるとそこにいる人が映るらしく、そこも列を作っていた。
飲食スペースは柵が張られ、入退場が1ヶ所に限定されていた。ふだんはアーティストが歌うステージも、今年はないようだ。













周りではグッズが売られているが興味はないので、時間をつぶせない。ここも何十分もいられるわけではなく、私は駅構内のHAKATA Daitosに行ってみる。
ここでは昨年「能古うどん」を食べたが、今年はその辺りがすべてラーメン屋になっていた。
少し場所を移すと因幡うどんがあった。ここのうどんも美味いので、入る。さっきはごぼ天だったので、今回は丸天うどんだ。今日はうどん3食目だが、何を食べようと私の勝手なので、構わない。
若干満腹感はあったが、丸天うどんも美味しくいただいた。
帰りの飛行機はANA274便・福岡発21時25分である。ちょっと早いが、19時50分の地下鉄で、空港に向かった。
しかし福岡空港の土産物売り場は20時で閉店だった。手荷物検査場を抜けたところはまだ営業していたので、適当なお土産を買う。
274便は座席ごとに順番に搭乗する形だった。私は14Aだったので、一番手に搭乗だ。
だがその席は、脱出用非常口の隣だった。あまり飛行機に乗った気はしないが、前方は広い。そしてANAも機内誌は置いていなかった。でも、機内オーディオは機能しているだろう。私はいただいたイヤホンを用い、音楽を楽しんだ。

かくして1泊2日の長崎旅行は、これにて無事に終わったわけだが、翌日私は、大変な間違いをしていたことに気付く。ANA搭乗券の半券を見たら、座席が「18A」になっていたのだ!
いけねぇ、行きが14Aだったからそれが頭にあり、違う席に座っていた。14と15の席は、もし非常脱出があった際に協力しなければならず、搭乗時にその誓約をする。しかしいま思えば、客室乗務員が私にそれを説明するとき、ややブランクがあった。
14Aは空席という情報だったのに、おかしなオッサンが着席していたので、怪訝に思ったのかもしれない。
旅も妙に慣れてくると、飛行機の座席番号すら確認しなくなる。こうしたミスは、あらゆる状況で起こりそうである。自戒したい。
(おわり)
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2020年・長崎旅行6

2021-01-25 00:53:35 | 旅行記・九州編
眼鏡橋は黒色の石が使われ、威風堂々としていた。川面まで降りていけるが、いまは飛び石の上に女性がおり、こちらの女性に向けてポーズを取っている。
川沿いの石塀には、どこかにハートマークの石が埋め込まれていたはずだ。それを探したいものだが、旅行者がほうぼうから写真を撮っており、私のようなオッサンがその視界に入っていくのはためらわれる。
その先に目を転じると、匠寛堂があった。こんな近くにあったのか! いまも店の女性が「申し訳ありません」とか言ってお客さんをお見送りしていた。





私も入店し、何となく店の女性に話し掛ける。
「ここ、以前テレビで紹介されてましたよね」
「はあ、どこでしょう? いくつも取材を受けているので……」
どうも、こちらは私の想像以上に有名な店だったようだ。とりあえずカステラを所望すると、当日販売分はなく、いまから注文すると1月3日の配送になるとのことだった。
カステラの味などどこでも同じだと思うが、こちらの最高級品は桐箱入りで、皇室献上らしい。それでも、けっこう購入する客がいるという。私は畏れ多くて口にしようとは思わないが、それに準じるカステラは味わってみたい。
それで、「献上五三焼・佳好帝良」(2200円+税)と「はちみつかすてら」(1750円+税)をそれぞれ1斤購入した。これに配送料がかかるから割高だが、前夜に入手した地域振興クーポン(1,000円分)が使えたからよかった。
会計時に個包装のカステラをお詫びにくれた。ありがたい配慮である。損して得取れで、また次回も利用する気になるではないか。
観光案内版を見ると、この先に商店街があるようだ。ぶらぶら行くとアーケード街が見え、「ベルナード観光通り」といった。私は長崎県に何回も訪れているが、さっきの諏訪神社同様、この商店街もまったく知らなかった。
ベルナード観光通りは、有名なカステラ処等もあったが、地元密着のような気がした。微妙に人通りも増え、私は複雑な気分になる。
アーケードを外れたところに、吉宗、という見事な和風建築の食事処があった。もう開店しているようだが、何となく怖気づいて、入れない。
アーケード街に戻り、ゴールインしたあとさらに進むと、聖寿山崇福寺に着いた。これも立派な観光名所なのだろうが、有料だったので入園はせず、引き返す。
さっきのアーケード街の外側は、味のある路地裏になっていた。ドラマのロケに使えそうな気がした。
このあたりにラムネを売る店があるらしいのだが、どこにあるのかさっぱり分からず、右往左往する。
結局アーケード街に戻ると、一隅にピアノが置かれていた。この類は札幌の地下街にあったが、要するに一般客が自由に弾いていいというアレである。いまも腕自慢の青年が見事な音を奏でていた。
朝から何も食べていないので腹が減った。和菓子屋の店頭でオニイサンが試食をやっていたので、ひとついただく。となったら、購入しないといけないだろう。チョコ饅頭が美味そうだったので1個購入するが、220円はやや予算オーバーだった。
ニューヨーク堂、という店ではアイス各種を売っていた。アイスモナカは1個130円也。1個購入したが、冷えすぎていて、固かった。でも美味かった。
その先には「讃岐うどん茶屋 麺夢」があった。通常800円の天丼セットが750円である。昼食はここに決めた。
天丼は野菜が中心で、カラッと揚がっていて美味い。讃岐うどんもコシがあって美味かった。これで750円は安い。
さてこれからどうしようか。むかし長崎駅近くのユースホステルに泊まったとき、「第2眼鏡橋」を教えてもらったが、ここからはちょっと離れているので、行く気がしない。
再び眼鏡橋に戻り、中島川をぶらぶらする。便意を催してきたが、幸い立派な公衆便所があった。こうした便所で用を足すと、優雅な気分になるから不思議だ。
川では鯉が泳いでいた。それほどこの水は綺麗だということだ。





















私はめがね橋電停から5系統に乗った。次は大浦天主堂に行く。ここもいまさらの感じだが、意外に堂内は見学していない。
タイム14分で、大浦天主堂電停に着いた。そこから坂を登ると、その中途に大浦天主堂があった。日本に現存するキリスト教関係の最古の建築物である。国宝でもあるが、世界文化遺産でもあるらしい。
大浦天主堂の魅力、それはいかにも「教会」というデザインで、この前で記念写真を撮れば、それで観光完了の趣もある。でも今回は入園する。入場料1000円は目玉が飛び出たが、中で1円も使わなければよい。
天主堂内部は荘厳な雰囲気だ。長椅子に着席することはできるが、堂内は撮影禁止。正面のステンドグラスが美しい。天井のカーブのデザインも優美だ。
中では音声案内がひっきりなしに流れている。この教会は1597年、長崎で十字架にかけられた日本二十六聖人に捧げられたものだという。同記念碑はこの山の上の西坂公園にあり、私も観光したことがあるが、恥ずかしながら両者にそんな関係があるとは知らなかった。
敷地内の旧羅典神学校、旧長崎大司教館も見学可能だ。前者は、一見アパートのような2階建て。壁が白いのは、漆喰のようだ。
旧長崎大司教館は、これも茶色の煉瓦が美しい3階建ての建物だ。入室すると、コロナ禍の影響で、一部閉鎖があった。
各部屋にはキリスト教布教の苦境や大浦天主堂建立までの苦労が、豊富な資料や写真で展示されていた。大浦天主堂は1864年の完成で、当時の写真を見ると、周りに建物はほとんどなく、段々畑が広がっているばかりだ。昔の写真は束の間のタイムスリップだ。私は当時の長崎に迷い込んだ気がして、不思議な気持ちになった。
出口付近にショップがあったが、ここでは何も購入しなかった。











電停に戻るとちょうど電車が到着していたが、時間が中途半端なので、歩いていく。
若干道に迷いながら、出島に着いた。出島も何度も通っているが、有料なので敬遠していた。入場すれば見応えがあるのは知っているのだが、外観の鑑賞で事足りるところがあるのだ。そして今回は、時間的に厳しくなってしまった。入口には門番が2人いたが、私は見て見ぬふりをして、その場を失礼した。





(28日につづく)
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2020年・長崎旅行5

2021-01-24 00:11:42 | 旅行記・九州編
(22日のつづき)

川棚駅に入ると、次の長崎行きは18時49分だった。まだ駅員氏がいたので、両替を申し出る。だが年配の駅員氏は、「そのまま列車に乗ってください」と言った。
「え? でも中に整理券とかあります?」
「なくても大丈夫ですよ。下車駅で、川棚から乗ったと言ってくれれば」
「はあ……」
それから少しおしゃべりをする。私の話すことといえば、毎年この時期にあんでるせんに来ていること、この駅の券売機でオレンジカードが使いにくいこと、である。「ホントは駅の向こうにあるホテルクレールに泊まりたかったんですけど……」
いま、そちらの方角にあるであろうホテルは真っ暗だ。
「今年の春ごろまでは営業していましたが、いまは暗いですなあ」
駅員さんは事務所に戻り、千円札5枚を持って来てくれた。手提げ金庫でも開けてくれたのだろうか。ともあれこれで切符が買えて、堂々と列車に乗れることになった。
2分遅れで長崎行きが到着した。しかしその正面は豆電球がギンギラギンに光っており、遊園地の豆電車みたいだ。JR九州、また斬新な列車を投入したか!
車内も斬新なデザインだった。また水戸岡鋭治氏によるものだろうか。
だが車内はトイレスペースがやたら大きく、座席数は意外に少ない。私は立つよりなかった。
列車は定刻を3分遅れ、19時35分、諫早に到着した。



この列車は長崎本線の長与経由になり時間がかかるので、ここで乗り換えとなる。川棚の駅員さんは「特急に乗り換えれば長崎に早く着く」と言ったが、特急列車はよほどのことがない限り、利用しない。次の普通列車で十分である。それは定刻を4分遅れの19時44分に着き、私はそれに乗った。
ようやく座れたので、私は今晩のホテルの検索をした。現在GoToなので、楽天トラベルはホテルの宿泊料金が割引になっていた。その中で宿代が安く、評価も高い「ビジネスホテル ニュートップ」にした(このときなぜ、東横インのHPを検索しなかったのか不明。すっかり失念していた)。通常4,600円のところ、GoToが利いて、2,990円。これに1,000円分の地域共通クーポンが付くようだ。
定刻を2分遅れの20時12分、浦上着。駅前は市電が走っていた。むかしこの近くにユースホステルがあり、英語の堪能なペアレントさんがいた。そこでのんびりする時間が心地よかった。別の年の朝は、同じひとり旅の女性と、この浦上電停で記念写真を撮り合ったものだ。むかしはユースホステルが、男女の出会いの場でもあった。
さて、晩飯である。旅先ではこれが楽しみなのだが、浦上は意外にビジネス街で、これという店がない。市民病院電停の近くに、ラーメン屋「一麺亭」があった。もうここに入り、「GoToセット」を頼む。これは地域共通クーポン専用ということではなく、1,000円ピッタリ、ということだ。私は醤油ラーメン、ご飯、餃子7個のセットにした。
雰囲気的にはご飯分だけ得している感じだ。食欲はなかったが、美味しくいただいた。



ニュートップにチェックインする。と、フロント氏が非接触体温計をかざした。いまはこれが常識になっているに違いない。
入室して、一安心である。今日は疲れたので、旅行日誌を付けぬまま、シャワーを浴びたらすぐに寝た。

翌20日(日)である。
私にとってビジネスホテルは寝るだけだから多くの設備は要らないが、ここは室内が暗い、テレビが小さい、バスタブが小さい、ボディソープやシャンプーが携帯用だった、使い捨てカミソリの切れが悪い、などなど、いくつか不満点があった。だがフロント前のPCが無料で使えたのは大きかった。本日分のブログネタはすでに記してあるが、現在私のスマホでは、なぜかブログにログインできないのだ。毎日更新を期している私は最悪、日中にネットカフェ入店も考えていたので、この設備は大きかった。
私は身支度を整えるとフロントに降り、PCでブログを更新した。
さて今日は福岡空港から帰京することだけ決まっているが、あとはフリーだ。しかし1ヶ所だけ行くところを決めている。「匠寛堂(しょうかんどう)」だ。今回の旅行の際、手帳を見たら20日の欄に「匠寛堂」と朱書されていた。まったく記憶にないのでネットで調べたら、そこはカステラ専門店だった。以前テレビでこの店が紹介されたとき、私がメモしたのだろう。
実はこれと同じパターンが以前あって、やっぱりどこかのカステラ屋を訪ねたことがある。しかしそのときは休業だった。今回は日曜の営業も確認済である。よほどのことがない限り、入手できるだろう。
チャックアウトして、市民病院電停から、蛍茶屋行きの市電に乗った。以前は一律120円だったが、現在130円である。1日乗車券は500円据え置きなので4回乗れば得をするが、たぶんそこまで乗らないので、乗車時にはSuicaをカードリーダーにタッチした。
匠寛堂の最寄りはめがね橋電停だ。今さら眼鏡橋もないが、たまには鉄板の観光地に行くのもいい。しかし電車はめがね橋に行く雰囲気でない。と、美味そうなうどん屋があったので、新中川町で降りた。あれ? 新中川町?
路線図を見ると、このひとつ先が終点蛍茶屋である。我が市電は3系統で、眼鏡橋に行くには、この手前の市民会館で4系統か5系統に乗り換えねばならなかった。



まあ急ぐ旅ではないから、歩いていけばいい。そして、さっきのうどん屋「嘉助うどん」は11時の開店だった。まだ9時18分である。私は諏訪神社電停まで戻ることにした。
諏訪神社は山の中腹にあり、下から望むと鳥居がいくつも連なっていた。これは私の想像以上に由緒ある神社に違いない。そろそろと上がっていくと、鳥居のあるごとに道路が走り、クルマが通れるほど広かった。
途中で振り返ると、いい景色だ。私が事前の予習をしっかりして眼鏡橋に直行していたら、この諏訪神社には来ていなかった。ここが旅の面白さである。
やっと上ったと思ったら、拝殿までまだ30段近くある。やっと登ると、拝殿は切妻屋根とでもいうのか、威風堂々の造りで、これだけでもうご利益がありそうだった。5円を投じて参拝する。
狛犬の脇にはさざれ石が祀られていた。国歌「君が代」に出てくる、あのさざれ石である。さざれ石は細かい石の集まりで、要するに小さな力でもいっぱい集まれば大きな力になるということだ。













下に降りると社務所がある。その手前には神馬像があり、勇壮だ。私はご朱印状をいただきたいが、朱印帳を携行しなかったので、紙でいただくことにする。
ご朱印は何種類かあり、1枚500円だった。宮崎県の青嶋神社のように2種類600円のセットはあったが、500円はけっこうな額だ。これは福岡県柳川・日吉神社に続き2度目と記憶する。しかしその分ご利益も多そうなので、ありがたく所望した。
ご朱印は奇をてらわぬ平凡なものだったが、特製の栞が付いていた。
改めて眼鏡橋に向かう。大通りをぶらぶら歩くと、市電がひっきりなしに行き来する。東京にももっと都電が残っていたら、また別の情緒が醸し出されただろう。美濃部都知事が都電をことごとく廃止したのは、大失敗だった。
私はどこか道を一本奥に入ってしまい、いつの間にかめがね橋電停近くに来ていたようだ。地元の女性に聞くと、1本中に入った川沿いに眼鏡橋はあるとのことだった。いよいよである。
(つづく)
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2020年・長崎旅行4

2021-01-22 00:46:45 | 旅行記・九州編
だいぶマジックが続いたので、マスターの指示で、みなで両腕をぐるぐる回す。体が硬直したので、柔軟体操である。
「そろそろ疲れてきましたもんね。私も疲れました。でもカウンターの皆さんはまだいいですよ。座ってるから。だけど後ろの人はねぇ、ずぅっと立ち放しで。早くマジックを終わらせろ、なんて思ってるかもしれませんね」
これもマスター鉄板のジョークである。
続いて左手とピストルの形、右手をグーにして、それを交互に逆の形にする。一見簡単そうだが、なかなか難しい。
マジックに戻り、お次はルービックキューブである。1秒で6面を揃えるなどいつものマジックが披露された。だが、メインは次だった。「今日は、世界初のことをやりますよ」。
マスターは、任意の男性がバラバラの色にしたキューブを、キューブに心得のある女性に渡した。そしてマスターは目をつぶったまま、キューブの動きを指示する。そう、マスターがこのまま6面を揃えるということだ。
マスターはごちゃごちゃやっているうち、6面を揃えてしまった。私たちはあんぐりするばかりである。
お次は血液型当てである。任意の男女が4人選ばれ、マスターはすべての血液型を当ててしまった。
そして、旅館の前で宿泊客がパン、パン、とやる例の話。さらに「10年経った自分を想像してみる。そうすれば、いまの自分は何をすべきかが見えてくる」と、お馴染みの話になった。
私はこれを21年前から聞いていた。だが、全然身になっていなかった。ただただマジックを愉しんだだけのバカだった。でもこの日本には、マスターの言葉に感化されて、人生を有意義にした人もいるのだ。
マジックは終盤に入り、いよいよコインマジックである。やはりこれが白眉だ。しかし私の左の夫婦は、さっきからゴソゴソやっている。
すでにコインは何種類も出されている。私も出せたが、この位置からでは放れなかった。せめて2列目だったら、腕を伸ばせて出せたのだが……。
「マスターすみません、飛行機の時間があるので、私たちはこれで……」
と左の女性が言った。これも「あんでるせんあるある」で、飲食とマジックの時間を計り間違え、中途退出するケースも少なくない。かくいう私もだいぶ昔、終列車に間に合わない事態になり、たぶん20分くらい早く退いたことがある。マジックが1日2回制だったときのことだ。
「それは残念。でもこれだけ見ていってください」
マスターは千円札に50円玉をスーッと入れ、それをお札の中で泳がせた。私はすでに21回見ているが、このマジックが最も衝撃度が高い。カウンターの女性は「ぎえー!!」と叫び、目を白黒させた。間近で見るマジックは大変な迫力だろう。夫婦は満足して、店を後にした。
コインマジックはこれからが本番だ。続いてはマスターが掌の上で、100円玉をペロン、と曲げてしまった。これは元に戻さず男性に返したので、彼のお宝になった。
マスターからの「プレゼント」はいくつかあるが、この変形コインが一番だと思う。ちなみに私は「ペロンの500円玉」を2枚所有している(1枚はどこかに行ってしまったのだが……)。
マスターが、別の100円玉をかじる。それは3分の1ほどなくなった。あり得ない光景に、また室内が沸く。マスターがフッと息を吹きかけると、それはもとの100円玉に戻った。再びびっくりである。
マスターが千円札にボールペンをぶっ刺す。そのボールペンが、お札の中を上下した。混乱している私たちを尻目に、
「おカネは固いと思うからいけないのです」
と言い、500円玉を紙で包む。「これは豆腐です」。
マスターは男性に爪楊枝を渡すと、その「豆腐」を刺すように言った。男性が刺すと、爪楊枝はズブズブと紙を貫通していく。そのまま抜くと、500円玉に小さな穴が開いていた。
瓶の中に10円玉を入れたいが、その口の直径より10円玉のほうが大きい。そこでマスターは10円玉を小さくし、瓶の中に入れてしまった。カウンターの女性は大混乱である。彼女らは、一生忘れられない日になるであろう。
「来年の2月5日まで、カウンターは満席になっています」
とマスター。
現在は毎月1日より、2ヶ月先の1ヶ月分を電話予約できる。例えば4月10日の観戦希望なら、2月1日に予約できる(第1、第3日曜日は休み)。ところが、この予約が1日の一日しかできないとの噂が拡まって、困っているという。この話は昨年も聞いた。もちろん予約は何日でもできるし、運がよければ前日の予約でも大丈夫だ。実は私も1、2回危ないときがあったが、私は最初からここに来るイメージができているので、問題ない。
今度はマスターが任意の女性に、空き缶と100円玉を渡す。イメージすれば缶の底から100円玉を通すことができるらしい。女性は果敢にチャレンジするが、無理だ。だが何となく、そのまま続ければできそうな雰囲気がある。マスターは「いまのは1回入ったけど出てきちゃいましたよ」「行けます! 行けますよ!」と、いつになく必死だ。「それっ!!」
あっ、入った!!
100円玉はなくなり、缶の中でカラカラ音がした。これはマスターのマジックなのか、彼女の潜在能力を引き出したのか。いずれにしてもマスターは、ヒトにもマジックをやらせるところがすごいのだ。
長かったマジックも、これで終わりとなった。時刻は18時19分。何と、3時間40分の長丁場だった。いままでは最長でも2時間半くらいだったから、大幅な記録更新だ。仮に、3分に1回マジックをやったとして、約75種もやったことになる。マジックの時間を長くしてもマスターにメリットはないのに、ありがたいことだ。
だが残念なこともあった。あんでるせん訪問22回目にして、私はついに、1回も棒が当たらなかった。
まあ昨年も誕生日当てのところで当たったものの、「あなたは何回かやったから……」と別の人に移った。よって今年も私は蚊帳の外だった可能性があるが、私が潜在的に拒否していたのかもしれない。
これで散会だが、お客は去りがたい感じだ。だが300円のぐにゃぐにゃスプーンやフォークが用意され、みなはこれを購入しつつ、マスターと一言かわすのが儀式となっている。
私も列に並び、私の番がきた。
「マスター、楽しかったです」
「おう、今年も来てくれてありがとう」
やはり私ことはバレていたか。
いつもはここで握手してくれるのだが、コロナ禍なのでそれはナシだ。そして「気」の注入も前述の通り、ない。
「いえいえ、全然成長がなくて」
私は自嘲気味につぶやく。私は今後結婚ができるのか、就職はできるのか、聞きたいことは山ほどあるのだが、「それは21年前から、生き方を説いていたでしょう?」となるはずだ。私は1999年からマスターのマジックを拝見していながら、それを充実した生き方のヒントにできなかった。
「いやいや、いいオーラが出ていますよ」
マスターは客に悪いことは言わないからな……。私はスプーンを所望した。ポケットにはちょうど、100円玉2枚と50円玉2枚がある。
私は深くお辞儀をして、あんでるせんを後にした。
(24日につづく)
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