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一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

湯川邸落語ネタおろし・1

2019-02-26 00:08:48 | 落語
先週、私のスマホに珍しく電話が入っていた。折り返し掛けると、将棋ペンクラブの湯川恵子さんからだった。私は電話番号をお教えしていないが、そこはA氏に聞いたらしい。
内容は、24日(日)に和光市の湯川邸で落語のネタおろし会があり、落語好きの私にも聞いてもらいたい、というものだった。
私はそこまで落語好きではないが、湯川一門のそれは味があって好きである。私は喜んで参加させていただくことにした。

24日。当日は買物もあったので、早めに自宅を出た。あっ……午後9時からのドラマのビデオ予約をするのを忘れた。まあ、9時までには自宅に戻るだろう。
山手線から東武東上線に乗り換え、和光市駅に着く。現在正午。集合は1時で、そこからネタおろし会、続いて懇親会という流れである。
北口を出たところに蕎麦屋があり、迷ったのだが、軽く入れていくことにした。
店は半立ち食い蕎麦屋だった。私は大もり(500円)を頼む。出されたそれは信州長野のそば粉を使っていて、なかなかに美味だった。
店内が狭いのが難点だが、蕎麦好きは一度味わってみるといいだろう。
湯川邸までは歩いていく。前回の新年会は武者野勝巳七段、詩吟のIri氏と一緒に向かったが、道を間違えて、大変なロスタイムとなった。今回は冷静に道を判断する。
湯川邸前には無事に着いたので、時間調整をしてお邪魔した。
邸内には見知った顔が揃っており、先月の新年会と同じ雰囲気だ。玄関脇の和室には、美味しそうな食事が配膳されていた。もちろん懇親会用で、今日も朝早くから恵子さんが腕によりをかけたのだろう。
さらに10分ほど経って蝶谷夫妻が到着し、すべての客が揃った。
今回の演者は、湯川博士(仏家シャベル)、恵子(仏家小丸)夫妻に、参遊亭遊鈴の三氏。要するにCIハイツ落語会と同じメンバーだ。いずれも夫婦の情に絡めた噺で、早くも来年のCIハイツ用のネタである。
高座は座敷奥の部屋に設えられていた。後方には「轉褐為福 きく江書」の掛軸が掛かっている。災い転じて福と為す、と読めばいいのだろうか。
左手鴨居には「ふれあい寄席」の提灯。これだけでもう小屋の趣がある。
早速ネタおろし会の開始である。湯川氏「今日はお運びいただきまして、ありがとうございます。今日はネタおろしで、夫婦の噺をします。前座の小丸は『ぞろぞろ』。今まで持ちネタは『桃太郎』『平林』だけでしたが、増やしました。遊鈴は『厩火事』。そしてワタシは、『心眼』。たっぷりお楽しみください」
音楽担当の永田氏が流す出囃子のもと、まずは小丸が高座に上がった。
「はぁー、落語やるのは、ラクです」
早くも笑いを取る。これは「落語は簡単だ」という意味ではもちろんない。かつて大山康晴十五世名人が「(ふだんの雑事に比べれば)将棋を指しているほうがラクですよ」と言ったが、小丸さんもこれと似た心境と思う。「本日は埼玉のダウンタウンまでお越しいただき、ありがとうございました」
客は横2列で座っていたが、小丸さんが、新顔のKob氏をみなに紹介した。唯一地元の方で、骨董屋を開いているという。
その後になぜか私が紹介された。「将棋好き、落語好きの方で……」。
完全に私は落語好きで認識されたようである。
「先月のCIハイツ、遊鈴さんの子別れ、感動しました」
あれは本当にいい出来だった。「湯川さんが糖尿をやってから、食後は近くの午王山(ごぼうやま)へ、30分かけてお散歩に行くのが日課になっています」
ここまでが巧妙なマクラで、やがて本題に入った。

浅草・太郎稲荷神社の門前で茶店を営む老夫婦。生活は苦しく、おじいさんは不満を漏らす。そこでおばあさんが、お稲荷様にお参りに行ってはどうですか、と提案した。
早速おじいさんは実行したが、帰宅して間もなく、雨が降り出した。愚痴るおじいさんにおばあさんは、雨に濡れなくてよかったじゃないですか、と諭した。
そこへ珍しくお客が現れ、茶を1杯飲んだ後(金六文)、このぬかるみで草鞋をダメにしたとかで、唯一売れ残っていた一束の草鞋を買っていった(金八文)。
久しぶりの売り上げに喜ぶ夫婦。そこに新たな客が現れ、やはり草履を所望する。しかし草履はもう売り切れ……と思いきや、なぜか天井から草履がぶら下がっていた。
その後も客が現れ、草履を所望する。なぜか草履も現れる。何と、なくなるたびに新たな草履が、ぞろぞろと下りてきていたのだ。
その噂を聞いた茶店の向かいの床屋の主人。彼もお稲荷様にお参りをし、御利益にあずかろうとするのだが……。
床屋の主人が出て来た時点で、私たちは「花咲かじいさん」と同じ構造だな、と推測する。ならば下げはどうなるのだろう、と期待するのだ。
「ぞろぞろ」は夫婦の会話が主になっているからか、小丸さんの噺は自然で、私たちは引き込まれる。しかも演者と客席の間が狭いので、私たちは素の話を聞いている錯覚に陥るのだ。
「その話を聞きつけて、夫婦の家から大阪まで行列が並びましてね」
私たちが笑うと、「大阪、はオーバーですよね。でも脚本にそう書いてあるので……」
アドリブが出るくらいだから、小丸さんも余裕が出てきたのだろう。
下げも綺麗に決まって、これは小丸さん、会心の初陣となった。

続いては遊鈴が高座に上がる。今日は鴇色の、春らしいきものである。開口一番、小丸さんを見て、「……面白かった…!」。
小丸さんは猛練習派である。この一言で、小丸さんのここまでの苦労が報われたと思う。
「今回はこの席にお呼びいただき、ありがとうございます。これも『縁』ですね。袖すり合うも他生の縁、つまずく石も縁の端、と申します。
よく、結婚する人同士は、こう赤い糸で繋がっていると申しますね。糸が見えればそれを手繰り寄せて分かりやすいんですが、実際は見えない。途中でこんがらがったりしましてね」
そこから噺に入っていく。小丸さんに続き、この導入も絶妙だった。
(つづく)
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湯川邸新年会(後編)

2019-01-24 00:06:31 | 落語
私はそのまま、皆さんの話を楽しんでいた。
蝶谷氏といえば酒で、将棋ペン倶楽部や将棋専門誌にもその類のエッセイがあった。今回もその一端が披露される。たとえば、日本酒の熱さの中に「人肌燗」というのがあるが、その下は何というか。これを「日向燗(ひなたかん)」というらしい。温度は5度ごとに呼び名が変わるそうで、蝶谷氏はそれを諳んじる。
ほかにもいい日本酒を出す店の見分け方など、ちょっとした講義を聴いているようである。武者野勝巳七段、Iri氏、私は、湯川邸へ来るさい道に迷ったことを白状する。しかしIri氏は登山の経験があるとかで、まったく危機感はなかったらしい。
だがそのIri氏もかつて、登山中に友人とはぐれ、ひと騒動になったことがあるそうだ。
Iri氏には詩吟のリクエストが飛ぶが、それは後のお楽しみのようだ。
テーブルには揚げたてのエビフライが並ぶ。ボールには山盛りの千切りキャベツとミニトマトである。
エビフライはサクサクして、美味い。これがどんどん出てくる。食べても食べても減らないどころか、逆に増えてくる。恵子さんはどれだけ揚げているのだ?
Iri氏は料理人もしていたことがあるそうで、料理が残るのがイヤらしい。それで私にエビフライを勧めてくれるのだが、私のお腹も膨れてきた。
「それにしてもこの家はいい雰囲気ですねえ。2階はあるんですか?」
私は湯川氏に聞く。
「もちろんあるよ。2階が主生活場かな。ここは生活感ないでしょ?」
「ああそうですか。いえウチも昔は平屋だったもので……。釘は使ってるんですか」
「それはもちろん使ってるよ」
「ああそうですか。いや、ウチは使ってないもので……」
なんだか、妙な会話になってしまった。
そういえば湯川氏は4年半前、「開運!なんでも鑑定団」に小笠原桑の座卓と碁笥を出品したことがある。
「ふたつで450万だったかな」
あれはお宝を預けて、1ヶ月くらい戻ってこなかったらしい。
ここらで参遊亭遊鈴さんら3人が退席。遊鈴さんの噺がまた聞ければうれしい。
食べ物はまだ出てくる。恵子さんは乾杯の時以外は、台所につきっきりだ。
岡松さんは、元は別の名前を命名される予定だったが、同時期に生まれた親戚がちょうどその名前を使ってしまい、現在の名前になったそうだ。ここで左奥の男性も退席した。私もすぐに帰れる用意はしていないといけない。
「東映フライヤーズ」とかいう球団名が聞こえる。昔のプロ野球球団の話になったらしい。「ぶすじま」と蝶谷初男氏が言う。「毒の島と書いて毒島」。
私は今こそプロ野球は見なくなったが、昔は夢中になってナイター中継を観たものだ。
「毒島章一ですね。三塁打王の。三塁打通算106本」
つい私が口を滑らすと、みなが「えっ!?」と私を見た。「こいつは意外なところから声が出たねえ」
「白仁天、大杉、尾崎……。東映にはいっぱいスターがいましたよねえ」
「ええー? 何で知ってんの? アンタ昭和10年代生まれ?」
「ハイ」
私はなおも、「トンボ……高橋ユニオンズ……トンボには佐々木信也がいましたね」と、薄い知識をひけらかす(後の調べで、トンボユニオンズと高橋ユニオンズは同チーム。佐々木信也は高橋名義の時に入団したことが分かった)。
これには永田氏がすっかりハシャイでしまい、子供のころ好きだった歌手を聞かれて焦ってしまった。私の年代だと、花の中3トリオからピンクレディー、になってしまう。
国鉄スワローズ、を永田氏が知らなかったのは意外だった。
「ええ国鉄って、今のJRでしょ? それが球団持ってたんですか」
私たちは、そうです、と答えるよりない。
「昔は映画会社がプロ野球球団を持ってたし、その時代時代にカネがある業種がそうなってたよね」
と湯川氏が言った。
しばらく経って、私は蝶谷氏に改めて御礼を言う。私が「将棋ペン倶楽部」への投稿を始めたのは、ある年に会費を納めた時、振替用紙の通信欄に「私も投稿してみようかな」と書いたら、後日蝶谷氏から、原稿募集のハガキが来たことによる。当時は一般会員の投稿も少なく、幹事だった蝶谷氏は、新たな書き手の発掘に必死だったのだ。
だが蝶谷氏は記憶にないふうだった。まあ、送った側は忘却した、というケースはよくある。
「蝶谷先生は、女流名人戦の観戦記はですます調、それ以外はである調でしたよね」
「うんそうだね。文体は3つ用意してた」
「あ、そうなんですか」
さすがに専門家は違う。
「うん。だけど女流名人戦の時も、番勝負の時はである調だったね」
本当はこういう話をもっと拝聴したいのだが、こういう場ではそうもいかぬ。
奥様は日本酒の何かの免状を持っているらしいのだが、それが、セミナーを受講すると、誰でも獲れる仕組みなのだという。蝶谷氏はその体質が気に入らないという。
「ところがその免状を獲って店内に飾ってあると、何も知らない客は、その店がいい酒を出すと思うじゃない。大間違いだよね」
酒に一家言ある蝶谷氏らしい警鐘だった。
私は永田氏にずいぶん気に入られたようで、名刺をいただく。私も返したいところだが、情けないことに無職の身である。前の工場の時のものを渡させていただいた。
時刻は8時を過ぎたろうか。失礼することにすると、永田氏が表まで見送りに出てくれた。
最近他者との交流がなかったので、今回はいいリフレッシュができた。湯川氏夫妻、および出席者の方に、改めて御礼を申し上げたい。
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湯川邸新年会(前編)

2019-01-23 01:03:17 | 落語
CIハイツ新春落語会のあとは、湯川邸で新年会がある。しかし将棋ペンクラブ一般会員の参加は少なそうで、私は若干躊躇している。
中二階の踊り場にいると、恵子さんが現れた。私の参加の是非を問うと、恵子さんは私に委ねるふうだった。私は迷ったが、参加することにした。
辺りを見ると初老の男性がおり、それが武者野勝巳七段だった。そこに、行きでいっしょになった男性が加わる。湯川氏一行は出発までまだまだ時間がかかるらしい。お二方は新年会の参加組で、散歩も兼ねて湯川邸まで歩いていくとのこと。それで、私もお供に加わらせていただいた。
男性氏は「Iriyamaです」と武者野七段に挨拶した。ただ、武者野七段を棋士とは認識していなかったようだ。
「将棋は引退しました。相撲の親方みたいなもんです」
和光市駅前まで来た。湯川邸は長照寺方面なので路線バスが通じているが、私たちは初志貫徹で、そのまま歩いていく。私も前回、長照寺まで歩いていったので、道は分かっている。
だが高速道路入口の手前まで来て、前回は左折したのだが、そのあとぐるっと戻った記憶もあり、私は「ここはまっすぐ行きましょう」とお二人を促した。お二人も湯川邸の常連で、異論はないようだった。
だがすぐに、道の両隣が高層マンション群になった。こんな光景は見たことがなく、明らかに道を間違えている。しかしお二人は堂々と歩を進めている。これは……?
まさかと思うが、3人が3人とも、誰かが正しい道に導いてくれている、と考えているのだろうか?
だとしたらこれ、迷子になっているぞ!?
Iri氏が、道行く人に道を聞いた。やはり、Iri氏も間違いを認識していたのだ。
私たちは道を左側に軌道修正し、その後も何人かに道を尋ねる。しばらく行くと、長照寺に出た。これで知っている道に出た。私たちはほっと一息である。
湯川邸は、とある公園の反対側にあった。純和風の佇まいで、味がある。中からは湯川夫妻が出迎えてくれた。
「あんまり遅いんで、ケータイに連絡を入れたんだよ」
と湯川氏。しかしオフにしていたりして、誰も出なかったのだ。私たち3人は、似た者同士だったかもしれない。
すでに新年会の用意はできていて、私たち3人はテーブルのいちばん奥に配された。
予想通り、中も純和風で、古民家の風情さえ漂う。なおこれは最大級の賛辞で、今は古民家に住みたくても住めない時代である。
湯川氏がみなに、私を紹介してくれた。私のみが新参者だったので、これはありがたかった。
Iri氏は詩吟界の重鎮で、前回の「おくのほそ道」でも参戦されていた。私はすっかり記憶が飛んでいた。
そのIri氏が私に、「あの女性はショーヤさん?」と聞く。ちょうや、という男性観戦記者は存じているので、「ちょうやです」と答えておく。……うん? ということは、蝶谷初男氏も来ているのだろうか?
「どういう字書くの?」
「蝶ツガイに谷で」
しばらくして、蝶谷氏を確認した。私が「将棋ペン倶楽部」に投稿したキッカケは、蝶谷氏からの激励のハガキだった。今回は図らずも、感激?の対面となったわけだ。
では改めて、席の配置を記しておこう。

   女性 年配の男性 永田 蝶谷 小川 蝶谷夫人
岡松
恵子                           武者野
   博士 遊鈴の女友達 遊鈴 Iriyama 一公

永田氏は将棋ペンクラブ大賞贈呈式などで音楽を担当している。小川さんは表紙担当のデザイナー。岡松さんはフォトグラファーで、幹事。いずれも湯川夫妻と懇意にしており、こうしてみると改めて「将棋ペン倶楽部」は、湯川氏あってのものだと思う。
遊鈴さんの女友達は、高校の同窓生。ということは、湯川氏も合わせて、同窓生が3人揃ったことになる。
テーブルには美味しそうな料理が並ぶ。お赤飯以外は恵子さんのお手製で、なかなか手が込んでいる。
とりあえず乾杯。私は酒は飲まないが、最初の1杯は美味いと思う。
恵子さんはすぐに台所に立つ。アシストは岡松さんである。これから続々と料理が出てくるようだ。
蝶谷夫人から反時計回りに自己紹介を行っていくが、脱線続きでなかなか先に進まない。だけどそれが楽しいのだ。
卵焼きが出てきた。岡松さんがみなに取り分けていく。私も頬張るが、出汁が利いていて、美味だ。分かった。恵子さんは料理好きなのだ。これは湯川氏、いい伴侶を得たものだ。ただ、それがどんなに素晴らしいことか、湯川氏当人は気付いていないに違いない。
「今日はみんなありがとう」
と湯川氏。「今年もCIハイツで落語ができて、今年はひとつのテーマに絞ることもやってみたんだけれども、それも成功に終わってよかった。また来年もやれればうれしい」
「来年もやるって関係者が言ってなかった?」
と誰かが言う。これは確認するまでもなく、来年もやるだろう。
「おおそうか。今回も恵子とかよく練習してたけど、マクラ、マクラの部分は工夫しろ、と言ってきたんだ。俺たちゃあアマチュアなんだから、逆に言えばマクラを大切にしなきゃいけねぇんだよ」
そういえば、出演のお三方とも、マクラの部分はとくに面白かった気がする。
武者野七段は、焼酎の氷割りでチビチビやっている。その武者野七段に、羽生善治九段復冠の可能性を聞いてみる。
「それはすぐ獲るでしょう」
即答した。「あと10数期は獲るでしょう」
タイトルは獲るが、それでも10数期なのか――。ちょっとさみしい気もした。
「あ、先生は大山(康晴)先生と指したことありますよね? たしか1981年あたりの王位戦リーグで」
「うん、ある」
「どうでしたか? 大山先生のカンジは」
「すごかった。受けの先生かと思ったんだけどね、終盤で猛然と攻めてこられて、ビックリした」
こういう昔話を聞くのは楽しい。

「遊鈴さん、遊鈴さんの参遊亭は、なぜ数字の三じゃないんです?」
と、今度は遊鈴さんに聞く。
「アマチュアなんで」
アマチュアが「三遊亭」を名乗るのはおこがましい(制度上無理?)。そこで、一部の字を変えているのだった。そういえばこれ、以前もどこかで聞いた気がする。
(つづく)
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CIハイツ新春落語会(後編)

2019-01-20 00:23:31 | 落語
神田堅大工町に住む熊五郎は、腕のいい大工。しかし惜しむらくは酒癖が悪い。女房のお光もこらえていたが、熊五郎に女郎の自慢話まで出ては、もうお光も我慢ならぬ。ついに愛想を尽かし、息子の亀坊の手を引いて、家を出ることにした。その際亀坊に、父親は腕のいい大工だったと教えるため、金槌を懐に忍ばせた。
ハタと目が覚めた熊五郎は心を入れ替え、マジメに働く。そんな2年後のある日、熊五郎は道でバッタリ、亀坊に会う。再会をよろこぶ熊五郎は、亀坊に五十銭の小遣いをやり、「今日会ったことはおっかさんには内緒だよ、明日鰻を食おう」と再会を約束して別れた。
この辺の参遊亭遊鈴の語りが微笑ましい。女性なので、子供の声がよく映えるのだ。

その夜、お光と亀坊の家である。お光はきものの仕立て中。遊鈴は手ぬぐいをきものの生地に見立て、縫う仕種をする。ここでも万能手ぬぐいの威力が発揮された。

結局、亀坊はお光に五十銭を見つかってしまう。お光は亀坊を問い詰めるが、父との約束がある亀坊は、口をつぐむのだ。
しかしお光は逆上する。「このおカネをどこから盗んできたんだいッ! お前をこんな子に育てた覚えはないよッ!! そんな子はおっかさんがこの金槌で頭をたたき割ってやるッ! これはおっかさんじゃない、おとっつぁんが叱るんだよッ!!」
「いやだいやだ、わーーーん!!」
この母子のやりとりが、子別れ最大の見せ場である。遊鈴も臨場感たっぷりに演じ、観客からも「ああ……」という嗚咽が漏れる。何と私たちは寄席から、親子の修羅場の世界にワープしてしまったのだ。遊鈴の力量、恐るべしである。
結局亀坊は父との再会を白状し、合点がいったお光は熊五郎との再会を果たし、元の鞘に収まる。遊鈴の下げもうまく決まり、これは正月から泣き笑いの一席となった。

ここでお中入りである。私は妙に喉が渇いたが、席を外せなかった。
トリは仏家シャベル「火事息子」である。私の右の人はこの落語会の常連らしく、シャベルの風貌を右隣の人に話している。
シャベルが登壇した。シャベル、一時は体調不良で痩せたが今はすっかり恢復し、精悍ささえあふれている。
聞けば昨年は教育委員会の招待で、江戸の歴史の講話に落語を絡めた話をやったという。
たしかにシャベルの噺には、江戸講義の趣がある。昨秋、長照寺で聞いた「黄金餅」などはそのいい例で、私たちは落語を愉しみながら、江戸の街並みを学習できるのだ。

神田の質屋の大店「伊勢屋」の若旦那は、火事が大好き。それが高じて、勘当されてしまう。
「今はこの制度はなくなりましたが、むかしは勘当というものがありました。その勘当には2つあって、一つはナイサイ勘当。これは言葉上の軽いものです。
もう一つは久離勘当。これは人別帳から名前を外す、重たいものです。だから久離勘当をした後に復縁を考えようものなら、お役所に莫大なおカネを渡すなどして、大変な労力が要った」
シャベルの講義に、私たちはウンウンと頷く。
「勘当された若旦那は臥煙、いわゆる定火消しになった。旗本は徳川の直参で、彼らは江戸城の守りをしていたんです。
江戸では火事が多かったですな。火事になるってぇと、町人が俺ん家まで燃えろ燃えろと言う。当時の江戸は長屋などの借家住まいが多かったですから、火事で焼けて新しい家が建ったほうが嬉しいんですな」
これは初めて聞いた説だった。
そんなある日、伊勢屋の近所で火事があった。店のものは、右も左も分からず大わらわ。そこ臥煙の若者が現れ、火消しの手助けをする。それが若旦那だったのだ。幸い、火は大事にならずに消える。図らずも若旦那と両親は数年ぶりに再会し、嬉しい対面を果たすのであった。
「勘当から復縁したいんですが、勘当してからでは面倒だから、奉行所には届を出さず、人別帳に札だけ貼る措置を取ってもらうこともあった。これなら復縁の時、この札をはがせはいいだけの話です。この時の札が『札付きのワル』の語源になったと言われています」
シャベルは親子の再会を客観的に描写し、最後はサラリとした形で幕となった。

以上、3本すべての演目が終わり、最後はお三人が高座の脇に登場し、改めて拍手を浴びた。3人に改めてインタビュー。ここはシャベルが司会進行になり、仏家小丸と遊鈴から巧みに言葉を引き出した。
まず、小丸のピンクのメガネは、掛け忘れて高座に上がったものらしい。むろん後で気づいて掛けたわけだが、小丸の「顔が地味だから」の一言が入ったので、私は演出と信じて疑っていなかった。
子別れの母子ケンカについて、遊鈴は語る。「これはね、○○(落語家名)がうまいんですよ。男性が女性を演じているのに、艶っぽい」
いやどうしてどうして、遊鈴の噺も真に迫っていて、引き込まれてしまった。
シャベルは例によって、知り合いに案内を出し、集客に努めたとのこと。シャベルが筆まめなのは、拙宅に複数の案内が来たことからも明らかである。
また、落語ではテーマが重なることを「被る」といって嫌うそうで、今回のようにテーマを絞ってのそれは珍しい、とのことだった。私は、慣例に拘らず、おもしろい噺をしてくれればそれでいいと思う。
なお私個人的には、落語以外の出し物がもう1本あると、なお厚みが出てよかったと思う。
井上会長以下関係者も大満足だったようで、その場で、来春の落語会開催を約束してくれた。
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CIハイツ新春落語会(前編)

2019-01-19 00:34:00 | 落語
金曜夜10時からNHKテレビで始まった「トクサツガガガ」は、何だか知らないが、おもしろかった。来週以降も楽しみである。

   ◇

昨年11月に、将棋ペンクラブ幹事の湯川博士氏から新春落語会の案内をいただいた。湯川氏のおひざ元である和光市の「CIハイツ」で、1月14日に行われるものだ。その後は湯川邸で新年会も行われるとのこと。今年に入ってから封書でもいただき、ここで参加の意を強くした。
だが落語会前日、地図が入っていた封書の紛失に気付き、慌てた。だがネット全盛の時代、目的地の名称が分かれば、何とかなる。
14日は午前11時20分ごろ起床した。私は無職のくせに、生意気にも世間の休日に合わせて寝坊するのだ。
ブランチを摂り、家を出た。池袋から東武東上線に乗り換える。開場は午後1時なので、ここまでは問題ない。
和光市駅に着き、スマホでCIハイツを調べた。が、中古マンションの物件が出てきたりして、よく分からない。どうも私が想像するよりはるかに規模が大きいようだ。
方角の当たりをつけて向かうと、マンション群が見えてきた。これ全体を「CIハイツ」というようだ。落語はこのどこかで行われるのだが、分からない。
マンション群の中心部に管理センターがあったので、聞くことにする。と、私の前にいた実年の男性が、先に聞いてくれた。
「さっきからこの案内ばかりしとるなあ」
と先方がボヤく。私たちと同じ手合いが多いようだ。
管理センターの先にある、2階建ての建物の2階が、落語会場だった。無事に入場したが、開演時間に間があるからか、先着80人に対して四分の入りというところ。将棋ペンクラブ会員の姿はなく、また場違い感を味わった。
私は後方でひっそり聞ければいいのだが、係の人に促され、前のほうに移動する。だが時間が経つにつれ後方に活気が出てきて、振り返らずとも満席になっていることが分かった。
開演の1時半になり、井上会長という男性と、タケムラという女性が現れた。
聞くと、これはCIハイツさわやか会と、すこやかネットの共催によるもので、昨年第1回が開かれた。それが好評だったため、今年も開催の運びとなった、とのことだった。
井上会長「年が明けて2週間が経ちましたが、まだ明けましておめでとうございます、でよろしいかな。月日の経つのは早いもので、今年もアッという間に終わっちゃうんでしょう。
ふだんの生活の中で、笑いがあるのはいいことです。皆さん今日は笑って、健康になりましょう」
今回は「親子の愛」がテーマで、仏家小丸「桃太郎」、参遊亭遊鈴「子別れ」、中入りを挟み、仏家シャベル「火事息子」と演じるとのこと。お囃子担当は将棋ペンクラブの永田氏。
まずは仏家小丸である。高座は舞台袖がないので、後方から登場となる。
「私は仏家シャベルの4番目の弟子になります。でも師匠とは半世紀近い付き合いになります……」
小丸とシャベルの関係はみなが知っているから、ここでクスリと笑いが漏れる。
「チラシのほうには『子丸』と書いてあったんですけど、正しくは『小丸』です。親子の話を演るもんだから、効果的に間違えちゃったのかしら」
スタッフの誤植も、大らかに笑いに変えてしまうのはさすがである。
「顔が地味なんで、メガネを掛けさせていただきます」
と、ピンクのメガネを掛けた。
「このあとに出る参遊亭遊鈴と仏家シャベルは高校の同級生なんです」
これは初耳である。
2人はある寄席でバッタリ会い意気投合、それから湯川氏主催の落語会に、遊鈴がたびたび招ばれるようになったという。
「CIハイツは1980年代に着工されたんですね。そのころ私たちは氷川神社の借家住まいでした。CIハイツは設計が竹中工務店、分譲担当が伊藤忠商事。
私たちは新倉に住んでいますが、そこの新築マンションとCIハイツの中古マンションの価格を調べてみたんですよ。そしたら4LDKでCIハイツの方が1,000万円も高かった。中古マンションですよ!? おばけ物件です。
これは管理が行き届いているからなんでしょうね。ここの宝は『信用』です。だからCIハイツの値は下がらないんですね」
マクラにしては少々長いが、客の中の何割かを占めるであろうCIハイツの住人も、ここまで褒められれば悪い気はすまい。CIハイツの紹介も兼ね、ここは小丸がよく話を練った。
いよいよ「桃太郎」である。ある家庭の父親が、息子に「桃太郎」を話して寝かそうとするが、利発な息子は桃太郎の話の矛盾を片っ端から指摘し、父親を呆れさせる。しかしその矛盾にも訳があり、息子はそのひとつひとつを論破していく。
だが、その話を子守歌代わりに、先に寝てしまったのは父親のほうだった……。
「桃太郎」は昨年秋の長照寺でも小丸が披露したので、もう十八番といえる。
落語はその身ひとつあればどこへ行ってもできるが、扇子と手ぬぐいがあればなおよい。この2つでかなりの物品が表せるからである。小丸は折りたたんだ手ぬぐいを縦位置にし、指をすべらせる。これで子供がスマホをいじる図になる。次は横位置にし、親指で押す仕種をした。今度はゲームボーイに変わった。ここは小丸の小道具の使い方が冴えた一幕だった。
小丸は実に堂々とした話しぶりで、笑いを随所に取る。途中、小丸に一瞬だけ焦りの色が浮かんだ気もするが、これは私の気のせいであろう。
下げもピッタリ決まって、前座としてはこれ以上ないスタートとなった。
2番手は参遊亭遊鈴である。噺は「子別れ」。人情噺の大定番で、将棋の矢倉みたいなものだ。
遊鈴が高座に上がる。
「このたびは昨年に続きお呼びいただきまして、誠にありがとうございます。同じ場所に呼んでいただけることは、とてもありがたいことです」
遊鈴は三遊亭遊三の弟子。「参遊亭」、と表記を変えているのは、何か意味があるのだろうか。
「今日演らせていただくのは『子別れ』です。これは噺が上下と分かれているんですが、上のほうはあまり面白くありません。下の方は『子は鎹(かすがい)』という名で、単独でも演ることがあります。鎹、というのは、金具がこうコの字型になっておりましてね、木材の2つを、こう挟んで繋ぐ役割をします。子供が鎹になって、両親を繋ぎ合わせるんですね。今日は下のほうを演らせていただきます」
遊鈴の噺が始まった。
(つづく)
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