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一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

第2回 大いちょう寄席(後編)

2018-10-31 00:29:56 | 落語
木村家べんご志(木村晋介)が高座に上がった。べんご志の本業は弁護士で、かつ将棋ペンクラブの会長でもある。しかし私にはもはや、べんご志が将棋好きの落語家にしか見えない。
「皆様ようこそお越しくださいました。(だいぶ時間も経ちましたが)もう少しの辛抱でございます」
と、早くも笑いを取る。べんご志といえば前回の「片棒」が抱腹絶倒の名演だったが、観客はあれ以上の笑いを求めるわけで、今回のハードルは高い。
べんご志は何気ないマクラから義太夫を唄う。
「ところが専門家に言わせると、『アンタのは義太夫じゃない』らしいですナ」
また私たちがクスリと笑う。この辺の誘導はさすがである。今回の演目は「寝床」。
ある大家の旦那は義太夫が好きで、すぐヒトに語りたかるが、下手クソで人気がない。旦那はある日義太夫の会を催し、丁稚の定吉に、ほうぼうに呼びに行かせた。
ところが長屋の店子は何やかやと理屈をつけて、義太夫行きを断る。その他知り合いも同様である。
話はまだまだ続くのだが、べんご志の落語では、多くの客が来て当然とする旦那と、店子連中の意を察し苦悩する定吉とのやりとりにフォーカスを当てる。
途中、長照寺の若住職も登場する。昨年もやったが、これが「長照寺バージョン」で、観客もよろこぶわけだ。
べんご志は声が力強く通る。落語家の玄人と素人の違いはいろいろあるが、私は声の出し方だと思う。同じ声量でも、玄人のそれは腹に響くように力強い。べんご志にはそれに近いものがある。今回も身振り手振りを交えて、熱演である。
25分ほど演ったあと、後続のあらすじをサラッと述べて、終わりとなった。今回も前回に劣らぬ出来で、私は大いに感心した。ここまで上り詰めるのに、相当稽古を積んだのであろう。改めて思う。べんご志の本業は、なんなのだろう。
時刻は16時を過ぎた。ここからは別室で懇親会である。さらに長照寺の前の家では芋煮を振る舞われるそうで、これは私も昨年いただいたが、品のよい味で美味かった。こちらは無料だから、ケチな私としては、懇親会をパスして芋煮だけいただく手もあった。
と思ったのも、懇親会場は、知己がひとりもいなかったからである。まあこれは将棋ペンクラブとは何の関係もないので、当然そうなる。
部屋の隅でチョコンと待っていると、徐々にヒトが集まってきた。その入りは定員の七分くらいだろうか。その一隅に木村会長、美馬和夫氏を認めたので、そちらに移らせていただいた。
すると美馬氏の前に、どこかで見たような人がいた。
「ひょっとして、武者野先生ですか?」
昼に美馬氏から、昨年、武者野七段が来席していたことを教えられていたのだ。
私が言うと、白髪の男性がチョコンと頭を下げた。まさに、武者野勝巳七段だった。
「あ、大沢さんは初めて……」
と美馬氏。
「はい、私はまだお会いしたことがなくて」
「ああそう。……先生、こちらが大沢さん、将棋が強い人で」
そんな紹介のされ方は、ちょっと恥ずかしい。
湯川博士氏も合流し、私の周りは豪華なメンバーとなった。将棋の集まりに顔を出す時、周りが有名人ばかりで圧倒されることがある。私が将棋を知らなければおよそ会えなかった方々で、自分がここにいていいのかと困惑することもある。
乾杯。前にいるのは木村氏である。
「先生、お疲れ様でした。昨年にも増して、いい出来でした。あの噺はどこかで演られたんですか」
「うん、おととい演った。来月の3日も演る。あと12月もひとつ入ってるよ」
「……」
先生、それじゃマジで、落語家が本業じゃねぇスか。「でも今年の噺は最後で唐突に終わった感じがするんですけど……」
「あれは大家が義太夫を開くことになって、そこでまたいろいろあるんだけど、長くなるよね。私たちアマチュアは25分前後で終わらせたいところがあって、要はどこの部分を話すか、だよね。それで、今回は大家と定吉とのやりとりを取り上げた、というわけ」
なるほど、と思う。
「武者野先生は、千日手規約を変えた方ですもんね」
私は武者野七段に話を振る。
将棋の千日手は現在「同一局面4回出現」だが、昔は「同一手順3回」だった。だが後者のルールだと、例えば途中に「銀成」と「銀不成」を混ぜることで、半永久的に別手順が出来上がってしまう。
実際1983年のA級順位戦・▲米長邦雄二冠VS△谷川浩司八段戦は、終盤で9回も同一局面が現れたが、手順の相違で千日手にはならなかった。
また1979年の十段戦、▲大山康晴十五世名人と△加藤一二三九段との一戦でも、終盤で似た局面が延々と進行した。これら2局は結着が着いたのだが、負けた谷川八段はプレーオフを戦う羽目になり、大山十五世名人は最終的に十段リーグを陥落した。
これらの不備を一掃したのが武者野七段の提案だったわけだ。
「あの提案はね、理事会を1ヶ月半くらいで通過しました」
それくらいのスピード可決ということは、理事会も改良案の良さを認めたのだ。
武者野七段は美馬氏と語り合っている。しかし私の耳では、武者野七段の声が聞えない。私の長年の聴力検査では、人の話し声程度は聞こえるはずなのだが、おかしい。私の耳鳴りが大きいのと、武者野七段のポソポソしゃべりが、それを阻害しているのだろうか。
「先生は、どういう経緯で観戦記者になられたんですか?」
自分で聞いときながら、私は武者野七段の声がほとんど聞き取れない。で、私はかねてからの禁断の質問をしてみた。
「以前、(読売新聞文化部の)山田(史生)さんに、武者野先生の原稿が遅いって聞いたんですけど……」
すると武者野七段がコクリと頷いたので、私は大笑いしてしまった。
バトルロイヤル風間氏が来る。
「いやバトルさん、今回もお見事でした。あれは素晴らしい企画でしたねえ」
「あれは老人ホームで、50年前の似顔絵を描いたら好評で、湯川さんに勧められて始めたんだ」
「そうですか。とくに2人目の人、スリムにしたアゴのあたりなんか、私は見たことないけど、そっくりだと思いましたよ。天才ですねぇ……天才」
そう褒められて、バトル氏も満更ではないふうだった。
その向かいに和光市市長が来て、ふつうの「似顔絵描き」が始まった。
私はバトル氏の横にいるから、浦沢直樹の「漫勉」じゃないけれど、その「制作過程」が手に取るように見えた。現在、眉毛と目と鼻が出来上がっている。ここだけでもう、市長とそっくりなのだ。バトル氏は「勝った」と思っているはずだ。
「眉毛から描くなんて、さいとう・たかをみたいじゃないですか!」
ちなみに私の場合は、鼻筋を描き、右目、左目、左眉、右眉……と描いていく。
市長の似顔絵が出来上がった。もちろんそっくりだった。
私は東京在住なので、一足早く失礼させていただく。表へ出ると、真っ暗だった。昨年は帰ろうとしたところでどなたから芋煮に誘われたのだが、今年はいない。私も早く帰宅したかったので、そのまま駅に向かった。
さてこの大いちょう寄席、来年に第3回もあるのだろうが、そこに行くようでは、私も本当にヤバい。
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第2回 大いちょう寄席(中編)

2018-10-30 00:27:52 | 落語
吟者氏はシャキッと背筋を伸ばし、
「一家に。芭蕉。ひとつやに~~~」
と、艶のある声で吟じだした。私は志村けんのコントを見るかのようで、口あんぐりである。
歌が終わると、氏はまた背筋を丸めて、席に戻った。私は今、幻を見たのだろうか。
桂歌丸は酸素吸入器を手放せない時も、高座にのぼればハリのある声で演ったというが、なるほどそういう例は世に数多あるのだろう。
後半11句が読まれ、終了。ナレーターは昨年に続き、森田美風さんだった。いや、いいみちのく紀行を味わわせてもらいました。
「お仲入りーー」
と恵子さんが歌い、休憩。そういえば今年は、恵子さんの出番がなかった。ぜひ来年は……と言いたいところだが、さすがに私は、来年はここに来られない。
私は後ろの人のことを考えて胡坐で聞いていたが、足を開くので結構きつい。これはいい休憩になった。
第2部は本日のメインの、落語である。
トップバッターは三遊亭遊鈴(ゆうりん)の「背なで老いてる唐獅子牡丹」。遊鈴は昨年に続いての登場である。
「今の日本はどこででも、後継者がいないという問題があるようでございます。任侠の世界でもそういうことがあるようでして……」
今回の噺も立派な落語で、桂文枝の創作である。ある組の親分が自分の島を荒らされているという情報を聞き、親分は報復のために若い組員を呼ぶ。ところが組員はおしなべて高齢化し引退者が続出、現在は4人しかいない。しかもタマを取るにも、「この歳で刑務所に入りたくない」と尻ごみするばかり。
そこで親分は、「流れ者の銀二」に仕事を依頼することにする。しかし銀二も高齢になり、今は老人ホームに入っていた……。
落語では老人ホームでの2人のやり取りがおもしろく描かれる。そして襲撃当日、標的の身に意外なことが起こるのだが……。
遊鈴のように女性落語家は珍しいが、ソプラノの丁寧な語り口は女性らしく、とても聞きやすい。
噺の終盤で、高倉健「唐獅子牡丹」の替え歌が出てくる。これは著作権の関係で、CDその他には収録されず、高座でしか聴けないものだ。
遊鈴はソプラノの美声でなめらかに歌う。下げも見事に決まって、いい出来だった。
続くは仏家シャベル(湯川博士)の「黄金餅」。これは7月に両国で行われた、「あっち亭こっち勉強会」でも演られたものだが、まさか同じネタを聞くことになるとは思わなかった。
だがしかし、両方の寄席に出席している私のほうがおかしいのだ。それに同じネタでも、毎回違ったおもしろさがあるものだ。
「今年の大勢のお運び、ありがとうございます。先ほどまで空き地(空席)が多かったので気が気でなかったんですが、お陰さまで落語が始まるころには、満員になりました……」
シャベルは昨年病を得たがいまは全快して、顔色もよい。「先日の台風はすごかったですナ。ワタシその翌日に長照寺に行きましたら、銀杏の実がビッシリと落ちておりました。それを拾い集めましたらバケツ20杯分!」
それを丁寧に洗い、今回記念品として私たちが戴いたわけだった。
噺に入った。黄金餅は、シャベルの十八番なのだろう。オリジナルの話に自身の質素?な生活をまぶし、笑いを取る。
そして白眉はやはり、下谷山崎町から麻布「木蓮寺」までの街並みの描写である。両国の時より地名が2、3増量され、私たちはさらに克明にタイムスリップができた。
最後は、現在も存在する黄金餅の由来を述べ、終了。今回も安定した、いい出来だった。
ここで再び休憩が入る。
再開後は、バトルロイヤル風間氏の「似顔絵ショー・五十年前のあなた」である。バトル氏が登場し説明するに、この企画は湯川博士氏プロデュースで、被写体の50年前の似顔絵を、想像で描いちゃおうというものだった。まさに前代未聞、斬新な新手があったものだ。
幸い会場は、50年前の似顔絵にも耐えられる方ばかりである。早速希望者を募ったが、皆さん尻込みして挙手しない。そこでバトルさんが女性を指名し、半強制的に出てもらった。
50年前ということは1968年(昭和43年)。東京オリンピックと大阪万博の間で、バトル氏は女性にインタビューをしながら、色紙にマジックを走らせる。
「お綺麗ですね、女優かモデルでもされてたんですか?」
「いえいえそんな」
「50年前はどちらにいらしたんですか?」
「大森です」
「ほう。何かお仕事をされてたんですか?」
「それはちょっと」
「おお、言えない?」
「金融関係のほうで……かわいく描いてくださいね」
「今かわいく描いてますからね」
このあたりのバトルさんのトーク力が巧みというか、ゲストの情報をどんどん引き出してしまう。またその会話が可笑しいのである。
似顔絵が出来上がったようで、実物と似顔絵を並んで見せる。これがよく似ている!
私たちが彼女の50年前の姿を知る由もないが、なるほど小ジワをなくせばその姿だったと納得できる。それより何より、ゲストの満足そうな表情がよかった。
2人目のゲストは男性の方。今度もインタビューをしながらサラサラと描いていく。
「50年前は何をされてました?」
「高校生でした、H高校です」
「ほう、そうですか。若乃花に似てますね」
誰かに似ている、というこの洞察力が大事なのだろう。だがバトル氏今回は「うーん……」と唸って、色紙を放り投げてしまった。
バトル氏も万能ではなく、時々失敗することがある。かつて、中倉宏美女流二段や船戸陽子女流二段を試みた時がそうだった。
2度目のチャレンジ。しかし今度も「ウ~ン描き直し」。どうも「現在」の似顔絵になっているようなのだ。
そこで50年前の容貌を深く聞く。ゲストは現在恰幅がいいが、50年前は痩せていたという。
今度はペンが快調に走っているようだ。「皆さんも不安でしょうが、私も不安です」。
以上を踏まえてできた似顔絵がこれだ!
「オオーーッ!!」
頬のこけ方が男子高校生そのもので、会場が一斉に唸った。バトル氏の眼力と線描化技術はまさに天才的で、神業だと思った。
さらに3人目である。バトル氏は和光市市長や鳥飼ガクショウ氏あたりを描きたいのだが、本人が「その時は生まれてなかったので……」とか固辞して出てこない。
そこで、3人目も上品なおばさまが登場した。バトル氏が
「神楽坂の方からお越しいただきました」
と茶化す。神楽坂、とは絶妙の譬えだ。
「あ、ようやく50年前の似顔絵の描き方が身に付いてきましたヨ」
さすがに要諦が分かってきたようで、今回は短時間で描きあげた。
これも50年前の容貌が再現?されており、会場から歓声が上がった。いやこれは、バトル氏に新たな持ちネタ?が加わった気がした。
再び落語に戻り、トリはお待ちかね、木村家べんご志(木村晋介)の登場である。
(つづく)
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第2回 大いちょう寄席(前編)

2018-10-29 12:32:49 | 落語
26日(金)は埼玉県和光市「長照寺」で、「第2回大いちょう寄席」があった。これは和光市在住の湯川博士・恵子夫妻が発起人になり、地元の人に笑いを届けようという趣旨のもと(たぶん)、昨年より始まったものである。なお「大いちょう」とは、敷地内にある樹齢700年のそれを指している。
今年は早々と6月に案内をいただいたのだが、昨年はともかく、今年は私も就職を決めているだろうから、寄席に参加するつもりは毛頭なかった。だから開催日も忘れていたくらいなのだが、就職活動はかくのごとくで、図らずも参加の運びになったのである。
池袋から東武東上線に乗り、和光市下車。まずはランチだが、昨年も入った「CoCo壱番屋」に再び入った。
こういう時、私はベーシックのカレーで十分なのだが、ビーフカレーが597円でちょいと高い。いろいろ迷ってスクランブルエッグカレー(638円)にしたのだが、後で見たらベーシックとして、ポークカレー(484円)がしっかり記載されていた。154円の追加出費は微妙に大きかったが、カレー自体は、抜群に美味かった。
昨年は長照寺までバスを利用したが、意外に近かった。よって今年は徒歩で行く。
長照寺には13時ジャストに着いた。開場ピッタリである。受付には昨年と同様、岡松三三さんがいた。昨年は受付にずいぶん時間がかかったが、今年は予め名簿が用意され、スムーズだ。木戸銭は500円、さらに任意で懇親会がある(1,000円)。これは迷ったが、とりあえずお金だけ払った。
記念品の、銀杏の実をいただく。銀杏はもちろん、境内の大いちょうから獲れたものだ。
客殿に入ると、恵子さんがいた。
「あらあ、今年は来ないと思ってた。ブログ読んだけど」
「……」
それは私の求職が長引いているからで、返す言葉がない。
二間ぶち抜きの和室の中央には、見慣れぬゆるキャラがいた。その名も「わこうっち」で、関係者と記念写真を撮っている。それはいいが、昨年はこの時間で満員だった。今年はずいぶん空席が目立つ。
博士氏にも会う。
「おおゥ、あそこに美馬君が来てるから、横に座ってよ」
見ると、客席の前から二番目の右端に、美馬和夫氏が座っていた。私ごときがアマ強豪の隣でいいのかと思うが、お言葉に甘えさせてもらう。
「今年は来ないかと思ってましたよ」
と美馬氏。
皆さん、当ブログを読んでくださっているのだが、私の行動をお見通しなのが不思議な気がする。
「この間の竜王戦第1局ね」
と美馬氏。「▲4九銀がいい手だったみたいですよ」
「おおそうですか。私なんかは、あそこに銀を打つようじゃダメだと思ったんですけど」
素人の読みはまったく当てにならない。「でも▲5九桂は変だったでしょう?」
「あれは予定変更だったらしいね。記録係は○○三段だったけど、羽生さんが慌てた感じで打ったって言ってた」
さすがにトップアマ強豪で、奨励会員とも交流があるようだ。それにしても、あまりにもマニアックな会話である。
その前後にも、美馬氏は前後の知己の人とおしゃべりをしている。どれだけ顔が広いんだ、と思う。
開演の13時半になった。本日も昨年同様、第1部が松尾芭蕉の構成吟「奥の細道」、第2部が落語である。司会は恵子さんが務める。
まずは寺元俊篤・若住職の法話。
「今年も大いちょう寄席を開くことができました。これは関係者の皆さん、落語家さんのひとりが欠けても、できませんでした。
本当は私たち、埼玉スーパーアリーナで、数万人規模でやりたいという目標はあるんですけども、なかなか難しいです。ましてや観客の人数が少ないから止めようなんて、とても言える状況ではありません。皆さんの一人ひとりの拍手が大事なのです」
先日の沢田研二の件を皮肉る、粋な法話?だった。
続いて鳥飼ガクショウ・実行委員会代表の挨拶。
「今回の松尾芭蕉構成吟は、奥の細道の後半です。山形から日本海を下り、新潟まで参ります」
要するに昨年が前半で、今年はその後半というわけだ。
いよいよ第1部・松尾芭蕉構成吟「奥の細道」後半の開演である。
ナレーターの女性の語りによって、松尾芭蕉の紀行の様子が語られる。一段落すると、吟者が吟じるのである。
「古池や。芭蕉。ふるいけやァ~~~ かわずこびこむ~ みずのおと~ かわずとびこむ みずのおと~~~」
再びナレーターの語り。「芭蕉の紀行は苦難を伴う時もあり、時には厩で寝泊まりすることもありました。しかし芭蕉はそれさえも軽快に詠みます」
吟者。「蚤虱。芭蕉。のみしらみ~~~ うまのばり(尿)する まくらもと~~……」
吟者は年配の方ばかりなのだが、実に若々しい声である。
ナレーター「最上川が流れる山形県大石田では、支援者の家に泊まることもありました……」
私は何年か前の冬にこの大石田を訪れ、雄大な最上川と手打ち蕎麦を堪能したものだ。この同じ景色を見て、芭蕉は詠んだ。
「さみだれを~~~ あつめてはやし~~ もがみがわ~~~」
私は、みちのくを紀行している気分になった。
構成吟も終盤に入ろうとしている。新たな吟者がマイクに向かう。しかし足元は覚束なく、いまにも前につんのめりそうに屈んでいる。大丈夫か、この方。
氏がマイクの前に立った。
……エッ!?
(つづく)
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第17回 あっち亭こっち勉強会(後編)

2018-07-14 00:41:46 | 落語
仏家シャベル(湯川博士)の演目は「黄金餅(こがねもち)」。
「大勢のお越しでありがとうございます。今回この寄席に出ることになって、知り合い25人に手紙を出しました。全部手書き」
そのうちの一人が私だったというわけだ。
「この2日後(12日)に目の手術をすることになっておりまして」
ほう、と私たち。「でも手術をする先生が80(歳?)だっていうんだから、大丈夫かいな」
さすがにシャベル、何でもオチがあるのである。
「黄金餅といやぁ(5代目)志ん生が有名ですが、アタシは身の程知らずにそれをやっちゃう。お囃子も志ん生のを使わせていただきました」
「黄金餅」は、舞台は下谷山崎町。僧侶・西念が、あんころ餅に二分金と一分銀をくるみ、それを食べて死んでしまう。それを盗み見ていた行商・金兵衛は、西念の腹に入っているお金をくすねようと、あれこれ思案を巡らせる…。
この噺の白眉は、下谷山崎町から、火葬場のある木蓮寺までの街並みの描写だろう。
時代考証に精通しているシャベルは、その道中を細かく語る。私にも馴染みの場所なので、私はそれを江戸時代の街並みに変換する。まるでタイムスリップしたかのような、不思議な感覚に陥る。
上野広小路から東叡山寛永寺に至る川に3つの橋が架かっていたが、それが現在台東区にある甘味処「みはし」の由来とのことで、私は唸った。
シャベルの噺は滞りなく終わり、仲入りである。
休憩中、私の左に婦人が座った。そのまた左の男性と知り合いだったわけだが、例の文庫本の持ち主は、私の何列か前のご婦人3人組のものだった。
どうも彼ら5人が知り合いで、前のご婦人が気を利かせて?、席を占有したものらしい。
今年の4月、JR東北本線で、「次の駅から敬老者が16名乗車します(だから席を空けておいてください、の意)」と置き紙をした関係者が非難を浴びたが、それと同じニオイを感じた。

仲入り後は、ディープ太田による、ギター歌謡漫談「なぜか身に沁む心唄」である。
ディープ太田はあっち亭と大学の同級生。当会には昨年2月に初登場した。
まずは酒にまつわる歌を、4曲ピックアップする。最初は荒木一郎「空に星があるように」。2曲目は八代亜紀「舟唄」。ディープ太田のギターはうまい。さすがに弾き慣れている感じがする。
3曲目は美空ひばりの「悲しい酒」。これをやるのか、と思いきや、イントロが終わってさあ歌いだし、という時に
「ひじょうにむずかしい歌なんです!」
と歌うのを拒否してしまった。客は大笑いである。
4曲目は、藤山一郎の「酒は涙か溜息か」。これはキーが合っているのか、見事に歌う。私はテレビ東京の「演歌の花道」を見ている気分、来宮良子のナレーションを聴いている気分になった。
「この曲は昭和6年の発表でして、この頃、蓄音機の売り上げが4倍になったそうでございます」
私たちは、ほう、と頷く。「以上、はなはだ中途半端ではございますが、酒にまつわる曲を終わらせていただきます」
何だか知らないが、私たちは大笑いである。もう、普通の単語を並べているだけなのに、可笑しい。
その後もディープ太田は、美空ひばりの「悲しき口笛」を歌う。こちらは歌えるようだ。
「悲しき口笛が現代に発表されても、ヒットしたのではないでしょうか」
次はグループサウンズの歌である。タイガース、テンプターズ、ワイルドワンズなどのヒット曲を歌う。
さらにイーグルスの「ホテルカリフォルニア」。これは英語だが、歌えるのだろうか。
長いイントロが始まる。けっこうもったいつけている。…あれ? このオチは、おぼん・こぼんのアレではないだろうか。
「誰か(イントロを)止めて!」
お約束の下げであった。
最後はジョン・レノンの「イマジン」をマジメに歌い、幕。
普通の語りで、笑いを取る。なかなかに参考になる出し物だった。ディープ太田、憶えておこう。

トリは再びあっち亭こっちに戻り、「青菜(あおな)」である。
まずはマクラ。
「さっき小丸さんが、シャベルは家じゃ落語の練習をしないって言ってたけれども、シャベルさんは練習しないほうがいいんですね。
落語ってぇのは、練習すればするほどヘタになる人がいる。結局最初の噺がいちばんうまかったってね。シャベルさんはそのタイプ」
「青菜」とは、隠居の家で仕事を終えた植木屋が、そこの家で食事をご馳走になる。鯉の洗いが旨かったが、ワサビが辛い。それで、口直しに青菜を出してくれることになった。しかし、あいにく青菜は切れていた。その時の隠居夫婦の会話が粋で、植木屋は、自分も女房とこんな会話をしてみたい、と思う。
ある日、長屋仲間が家に来た。これはいいチャンスだと、植木屋は例の会話を実行に移すのだが…。
聞いた話を実際にやってみると大違い、というのはよくあり、この辺のソゴがこの噺の面白さだ。「男はつらいよ・寅次郎恋歌」(第8作)で、博の父・颷一郎(ひょういちろう)の話に感銘を受けた寅次郎が、とらやのみんなに同じ話をするのだが、みんなは感動するでもないので寅次郎がイライラする、という場面がある。あれを思い出した。山田洋次監督は古典落語が好きらしいので、案外このあたりの噺にヒントを得ていたかもしれない。
あっち亭の噺は安定感があり、安心して聞ける。
噺が終わり、時間を見ると、3時30分。プログラムとピッタリ同じ時間だった。
次回第18回は、9月13日(木)に同所で行われる。
帰り道、道路沿いに「天かめ」という蕎麦屋があった。もり240円、大もり340円と、立ち食い蕎麦価格だ。ちょっと小腹がすいたので、表で大もり券を購入して、入る。
店内はセルフサービスだったが大きなテーブルがいくつもあり、普通の蕎麦屋と変わらなかった。
蕎麦もゆでたてで、しこしこしていて旨かった。
平日の昼下がり、落語を聞いて、もりをたぐる。とても働き盛りの男性がやることではなく、いつかバチが当たると思った。
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第17回 あっち亭こっち勉強会(前編)

2018-07-13 00:30:58 | 落語
6月中旬、将棋ペンクラブの湯川博士幹事から、落語会の案内をいただいた。日にちは7月10日(火)。平日なので一般ピープルは関係ないが、無職の私には行ける可能性がある。場所は確認しなかったが、埼玉県和光市の長照寺であろう。この案内が無駄になればと願ったが、7月の声を聞いても、私はまだ無職だった。
1日の社団戦の打ち上げの時、木村晋介会長とこの落語会の話をしたが、どうも話が噛みあわない。よく聞くと、木村会長は10日は不出場。15日(日)にどこかで演るらしかった。
それで後日、案内をよく見ると、10日のそれは両国のお江戸両国亭が舞台で、タイトルも「第17回 あっち亭こっち勉強会」だった。
あっち亭氏は(たぶん)将棋ペンクラブの幹事で、かつて年末に行われていた将棋寄席の1番バッター(開口一番)を務めていた。また、将棋ペンクラブ大賞贈呈式の司会でもお馴染みである。そのあっち亭氏がこのような会を、しかも17回も開いていたとは驚きである。今回はゲストで湯川氏、恵子さんが出席するため、湯川氏から案内が来たらしかった。
私は職探しの身分で落語もないのだが、こういう低空飛行の時こそ、笑いが必要である。当日、私は手早く昼食を摂り、両国に向かったのだった。
駅を降りて手紙の案内通りに行くと、両国亭はすぐに見つかった。駅から徒歩5分、京葉道路沿いにあるマンションの1階である。日本橋亭もそうだが、寄席の建物はこのパターンが多い。
入口受付には、あっち亭氏と、元ミス荒川放水路のMISAKOさんがいた。木戸銭の500円を出すべくまごまごしていると、あっち亭氏から、「まだ職探してんの?」と言われ恐縮した。
中に入ると、湯川氏がいた。まだほおがこけているが、落語に出るくらいだから大丈夫だろう。
湯川氏から新たな案内をもらう。用意されている席はほぼ満席で、この落語会の人気の高さが窺える。
私は空いている席を見つけ、座る。左の席には文庫本が置かれていて人はいないが、トイレにでも行っているのだろうか。
さっきの案内は、これこそ和光市長照寺の「第2回 大いちょう寄席」だった。開催日は10月26日(金)。これはさすがに参加できまい。と思いつつ、その時期に私が働いているイメージがないのが恐ろしかった。
また今回のプログラムには、あっち亭氏は近年定年退職し、現在求職中とあった。表向きは私と同じ肩書だが、内実は全然違う。こっちは必死、あっちは余裕だ。
今回あっち亭は、仲入りを挟んで2席演る。定刻の午後1時になり、開演である。
一番手は仏家小丸こと、湯川恵子さんである。演目は「桃太郎」。まずはマクラである。
「私の師匠は仏家シャベル(湯川)なんです。シャベルの師匠があっち亭こっちさん。私は孫弟子になるんですね」
あっち亭氏が湯川氏を落語の世界に引っ張り込んだとは、知らなかった。
あっち亭氏には4人の弟子がおり、仏家ジャズー、仏家シャガールなどがいるという。
「『小丸』は、シャベルが2~3分考えて付けたんです。小丸なんて、こまるわ」
私たちはにこにこしながら聞く。
「シャベルが、小丸が出世したら、読み方を変えるっていうんですよ」
みんな次の言葉を待つ。「おまるって、いうんです」。
みんなゲラゲラ笑う。これは鉄板のマクラだ。
落語「桃太郎」は、ある家で父親が息子に、昔話の桃太郎を話して寝かしつけようとする。が、この息子が理屈っぽく、桃太郎の話に難癖をつけてくる。やがて息子なりの解釈を、父親が聞かされる羽目になるのだが…。
小丸版では、この息子が孫になって登場する。小丸さんの語りは女性らしく穏やかだ。
私の左はまだ空いている。案内人が空席を探しにきたが、文庫本を見て他に行ってしまう。
むかし私が旅行に出た時、始発の新幹線の自由席で、私の隣のシートに荷物を置いたまま、どこかに行っている乗客がいた。
ところが新たな乗客が、この荷物はあなた(私のこと)のですか? と何人も聞いてくるので、閉口したものだった。
今回この文庫本も、ヘタしたら私のモノと疑われている。誰のだか知らないが、この文庫本は人一人分もする高価なものなのか? 極めて不愉快である。
小丸さんは1、2回沈黙の箇所があったが、それも小丸さんの味である。下げも見事に決まり、開口一番としては見事な出来だった。
続いてあっち亭の登場である。演目は「近日息子」。
マクラ代わりに湯川氏の容体に触れる。「ちょっと痩せちゃったねえ」。これだけ堂々としゃべってりゃ、湯川氏は快復しつつあるのだろう。
知り合いが遅れて席に着いたようだ。あっち亭がその客としゃべる。客をサカナにするなんざぁ、初代林家三平のようだ。
客は柏から来たという。するとあっち亭が、「かしわ(柱)のキィズはおととォしのォ~」と歌いだした。見事な機転と言うべきで、私は笑うより先に、感心してしまった。
あっち亭がメガネを外し、落語が始まった。
「近日息子」とは、父親と粗忽者の息子の話。ある日息子が、中座(劇場のこと)で新しい芝居があるというので、父親は翌日、弁当をこさえて中座に行った。すると芝居はまだで、「近日より」とあった。息子は「近日」をいちばん近い日、すなわち明日、と勘違いしたのだ。
そんな息子が、父親の「頭が痛い」という言葉を真に受けて、医者を呼び、棺桶まで用意してしまった。「物事はつねに先を読め」という父親の教えを実行したのだ。
そして忌中札にも、息子の手で、ある一言が書いてあったのだが…。
あっち亭の語りはさらっとしていて、とても聞きやすい。…のだが、マイクが利いてなかったので、若干話が遠かった。
そもそも、私自身に睡魔が襲っている。無駄に時間があるのに宵っ張りなのがよくないのだ。もっとも前のオッサンも、さっきから舟を漕いでいる。
お次は前半のメイン、仏家シャベルこと、湯川博士氏の登場である。
(つづく)
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