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一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

第3回 大いちょう寄席(中編)

2019-10-28 12:34:17 | 落語
羽織姿の仏家シャベルは存在感十分で、本職の噺家に見える。
「最近は足腰も弱くなりまして、難儀しています。まごまごして高座から落ちると、ラクゴシャ! なんて言われたりしてね」
身体の衰えも笑いに変える、この自虐性がいかにも落語っぽい。
マクラは例の白内障の話である。
「どうも目の調子がおかしくなって、まあ片眼が見えなくなったって片眼で見えりゃいいってほっといたんですが、ある日家内と散歩に行ったときのこと、今日は随分霧が深いねえと言ったら、霧なんて出てないわヨと言う。それで知り合いの眼医者へ行ったら、手術の必要があるって言われた。
だけど医者は、血糖値が高くて手術が出来ないって言う。それで近くに午王山がありますわね、そこに3度の食事のあと、家内と30分かけて散歩に行った。これをひと月やりました。90回ですナ。あと3日と1回で100回になる。これから演る噺そのものです。
そしたら血糖値が下がった、それで手術できることになったが、それでも成功は難しいって言う。
このままじゃアンタ、めくらになりますよ。そりゃ困る、何とかしてくれ。じゃあ何とかしましょう、てな具合でね」
この辺りのやりとりが妙に可笑しく、これだけでもう1本の噺ができるほど、上質なマクラだ。
その流れで「心眼」に入る。実に自然である。
シャベルが梅喜になりきり、巧みに噺を進める。これは1月にも聞いているが、ますます洗練された感じだ。あれから稽古を重ね、修正点を改善したのだ。
信心の甲斐あって、梅喜の目が開いた。しかし通りを歩くと、いろいろ障害物がある。
「目が開いているとあぶない」
これはある種の真理であろう。
ちょっと切ない下げが終わり、拍手喝采である。シャベル、心眼を自分のものにしたな、と感じた。
ここで5分間のお仲入りである。もう、私を訪ねる人はいなかった。画家の小川敦子さんや、BGM担当の永田氏を視認しているが、私は挨拶に行かなかった。私はこういうところ、非礼なのである。
再開後、小柊が登場した。ちなみに昨年はこの時間、バトルロイヤル風間氏の「似顔絵ショー」だった。
その小柊が、凄まじい美人なのでビックリした。
プログラムには、「画家、大学講師、高校教師」とある。しかも銀座で毎年、個展を開いているという。三味線は趣味らしいが、大変な才能の持ち主ではないか。
「長唄三味線の奏者をやっている、ヨシズミ小柊と申します」
ちょっと鼻にかかった声が魅力的だ。お顔は鹿野圭生女流二段に似ている。そこに谷口由紀女流二段をまぶした感じで、まさかこの女流棋士2人が、同じ線上にあるとは思わなかった。ああそういえば、2人は同じ系統の顔である。
しかしこんな美人がどういう縁で、この落語会に出演することになったのだろう。
小柊が、オペラ「蝶々夫人」で使われた曲を奏でる。実に美しい歌声だ。
続いて「新土佐節」。長唄の対極にある「端唄」で、江利チエミがよく唄っていたという。
しかし小柊の様子がおかしい。
「アッ、緊張してて、弦の調律を忘れました」
私は三味線がよく分からないが、1曲ごとに調律の必要があるらしい。
「新土佐節は唄の途中に、『そうじゃそうじゃまったくだ~』というところがあります。ここを皆さんでご唱和いただきたいのです」
私はこういうのが苦手である。小柊の唄が始まったが、この歌詞のところに来ると、みなはしっかり発声する。でも私はダンマリである。しかし一度で終わりと思いきや、何度も繰り返される。3度目には私も、つぶやいてしまった。
3曲目は、虫の音をBGMに1曲。そうだ、今の季節は秋なのだ。このところの災害続きで、私はすっかり忘れていた。
4曲目は「うめぼし 水づくし」。水が落ちる様をしっとりと聞かせた。
最終5曲目は「ひあり」(だったと思う)。
「唄の途中で、『えんりゃー、ヨイ』という掛け声があります。これは音域は関係ないので、どなたでも大丈夫です。こちらもご唱和いただけませんか」
もはや完全に小柊ペースである。これも私は、つぶやいた。
大きな拍手で小柊は終了。小柊はとにかく美人で、これほどの美形を拝見するのは、谷口女流二段以来ではなかろうか。
ああそうか、私はこの系統を美人と認識するのだと思った。
小柊さんの再登場を期待します。
トリは木村家べんご志である。小柊の出囃子で登場した。
(つづく)
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第3回 大いちょう寄席(前編)

2019-10-27 00:53:43 | 落語
大野教室の「女流棋士の指導対局会・飯野愛女流初段の巻」を一時中座して、私は和光市に向かった。こちらは湯川博士氏プロデュースの「大いちょう寄席」である。今年で3回目で、今回はたまたま日曜日になったが、過去2回は平日の開催だった。ところが私は求職中で、どちらも参加できた。
今年は年初に恵子さんから、8月には博士氏から案内をいただいていた。かようなわけで参加が微妙だったが、ここまで来たら行くしかない。
川口から京浜東北線で南浦和まで行き、武蔵野線に乗り換える。車内ではRadikoでミスDJを聴こうと思ったが、さっきの飯野女流初段との将棋が浮かんでくる。すると、投了の局面で飯野女流初段側に受けがあり、私は考えてしまった。
北朝霞で下車、いったん改札を出て東武東上線に乗り換える。と、東武線駅舎脇に小諸そばがあった。空腹なので食したいが、ここで時間を食うわけには行かぬ。寄席は13時20分開演で、すでに遅刻は確定しているから、1分でも早く着かねばならない。
東武線は駅名が朝霞台に変わる。各駅停車に乗り、タイム5分で和光市に到着した。
駅前には美味い蕎麦を食わせる立ち食い蕎麦屋があるが、ここでも入るわけには行かない。
駅前からは路線バスが通じているが、長照寺方面のバスは13時50分である。現在39分で、11分待つくらいなら、歩いていったほうがいい。
途中の公園で、トイレを済ました。歩きは歩きなりに利点がある。
しかし長照寺近くまで行って、道に迷ってしまった。もう2回行っているから道は分かっていたつもりが、寺行きの岐れ道が分からない。
近くのオバチャンに道を聞き向かうと、かなたに大いちょうが見えた。バトルロイヤル風間氏の手による案内には「境内の大いちょうは樹齢750年」と書いてあり、いつの間にか、樹齢が50年伸びていた(追記:「推定700年」の札が立てられてから50年は経ったから、と博士氏の証言があった)。
寺に入った時は14時08分だった。湯川邸で見た知己さんに木戸銭(500円)を渡し、客殿に入る。なおお土産は、いつもの銀杏と飾り箸だった。
座敷は満席を予想していたが、やや空きがあった。やはり皆さん、「即位礼正殿の儀」を観ているのだろう。
現在は構成吟「正岡子規の世界」をやっていた。昨年までは「松尾芭蕉・奥のほそ道」だったから、今年から新シリーズというわけだ。
鳥飼岳菘(ガクシュウ)氏が吟じる。

ヘチマ咲いて~~~ 痰のつまりし~ 仏かな~~~
 たんのつまりし~~ ほとけかな~~~~

痰一斗~~~ ヘチマの水も~  間に合わず~~~
 ヘチマのみずも~~ まにあわず~~~~

残念、これで詩吟は終わりである。最後は吟者が勢ぞろいして、ごあいさつ。ここで10分の休憩である。
恵子さんが椅子を置いて回っている。皆さん正座やあぐらはキツいようだ。私は恵子さんに挨拶だけさせていただいた。
後ろから、肩をポン、と叩かれた。振り返ると星野氏である。今日は将棋ペンクラブの面々も多く来ているかもしれない。あえて探さないけれど。
私は改めてプログラムを見る。
第1部は詩吟のほかに、鳥飼八五良・実行委員会代表のご挨拶、寺元俊篤・長照寺若住職の講話があった。
そしてこれから始まる第2部は「落語と音曲」で、落語は参遊亭遊鈴、仏家シャベル、木村家べんご志とお馴染みの面々。「音曲」の小柊さんが正体不明で、何をやってくれるのだろう。
第2部開始である。開口一番は参遊亭遊鈴「くもんもん式学習塾」。桂文枝の創作落語である。
「参遊亭遊鈴でございます。今年もお呼びいただき、ありがとうございます。
今日は即位の礼がありまして、本当ならテレビの前で正座してキチンと拝見しないといけないんですが、ワタシがここで正座をしております」
ここでドッと笑いが起こる。
ヤクザの世界も経営が厳しくなり、親分は子分を集めて、学習塾を経営すると宣言した。肝心の講師に心当たりがないが、親分は子分のトメに命じると、トメは現在服役中のリュウジを推した。リュウジは大学出の「インテリア(インテリ)」である。
リュウジはめでたく出所し、早速英語の講義が始まったのだが……。
「今日は命令文を勉強するぞ。命令文は動詞から始めるんじゃ。You must go to school at once. これは、お前らはとっとと学校へ行かねばならぬ、となる。これが命令文になると、Go to school at once! 直ちに学校へ行きさらせ! となるんじゃ!
この形を覚えとけば、いろいろ応用が利くな。run awayは逃げる、という意味じゃ。Run away at once! これは、すぐにずらかれ! じゃ!
far awayは遠くへ、じゃ。Far away at once! これは、高飛びせい!」
私たちはゲラゲラ笑う。ここは英語の発音がしっかりしていること、すなわちリアリティがあることが肝要なのだが、遊鈴のそれは滑らかだ。
「Cut your finger at once! は、直ちに指を詰めい! じゃ!」
リュウジの力任せの講義に生徒は震えあがり、家でも自習するようになる。結果、生徒の学力もぐんぐん上がり、父兄の評判も上々となった。
「先生、ウチの子はどこに入れますでしょうか?」
「そうですなあ、堺、府中、網走……最近は松山の評判がいいですなあ」
「お…おやっさん、それは刑務所ですぜ…」
生徒は恐ろしさでガタガタ震えているのに、それを知らない親が無邪気によろこんでいる様が可笑しく、それを遊鈴はたくみな話術で笑わせる。
親分は、翌週にフケイ参観があると言う。子分は、この調子ならフケイ参観は大丈夫だと太鼓判を押す。だが親分は……。
ヤクザがカタギの職業に就く、という設定は浅田次郎の「プリズンホテル」が有名だが、桂文枝の発表はもちろんそれより早い。プリズンホテルは何度も映像化されたが、「くもんもん」もスペシャルドラマくらいにはなりそうである。
遊鈴の噺は軽快で、内容も分かりやすく、面白かった。私が言うのもアレだが、遊鈴はますます腕を上げたように思う。
お次は仏家シャベルが登場した。噺はもちろん、「心眼」である。
(つづく)
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湯川邸落語ネタおろし・4

2019-03-02 01:01:59 | 落語
(2月28日のつづき)
しかし湯川恵子さんの隣の岡松さんは乗り気でないふうだ。恵子さんもかくし芸を始めず、また雑談となった。
今度は岡松さんが荒井由実の「卒業写真」を歌う。周りもそれを口遊む。70年代の飲み会はこんな感じなのかなと思った。
湯川博士氏が戻ってきた。私がビールを勧めると、「いや、いい」。
傍らには「糖質0」の缶ビールが置かれており、湯川氏はこれを専用に飲んでいた。こうした徹底した節制が、目の手術を可能にしたのだ。
永田氏は電子オルガンを傍らに、蝶谷氏と音楽談義。蝶谷氏は将棋観戦記者だが、酒への造詣も深い。そして音楽も詳しい。私のような凡人とは月とスッポンの才能の差で、いったいどれだけ引き出しを持っているのだろうと思う。
ところで「かくし芸」だが、私は、どうしてもと言われれば、出して出せないこともない芸はあった。そしてそれは確実にウケるのだが、どうしようか。私に順番が回ってきたら、披露するしかないと思った。
恵子さんが、「大沢さん、かくし芸やってよ!」と言う。しかし私は反射的に「恵子さんから」と返してしまった。だがこれは、隣の岡松さんがいい顔をしない。
結局、かくし芸はうやむやになってしまった。私のかくし芸はまたの機会、ということである。
このあたりでSuwさんが訪れた。前回の新年会にも参加したひとだ。彼女は今日もどこかで仕事があったそうで、お疲れ様である。休日出勤ほど尊い仕事はないと思う。
彼女は部屋の隅に静かに座った。あの位置が好きらしい。
湯川氏はカツオのたたきを食べ始めた。湯川氏の食べ方はお世辞にも綺麗とはいえないが、私はこれが食料摂取の正しいあり方と思っていて、個人的には好きである。
今度は蝶谷氏が「思い出の渚」を歌う。みなも歌詞を知っているから、いっしょに歌う。まさに70年代だ。でも私は一言も発しなかった。
湯川氏のビールのピッチは早い。ふと見ると、炭酸水を注いでいる。これ単独で飲んで、美味しいのだろうか。しかし何事にも節制である。
その湯川氏が、手ぬぐいをくれい、という。参遊亭遊鈴さんが落語用の手ぬぐいを差し出すと、湯川氏はそれを頭に巻いた。永田氏が何か伴奏をすると、湯川氏が何かを踊りだす。どうも、女性を演じているらしかった。私はただただ鑑賞するだけである。
踊りが終わると、「○○の演じる女性はよかった」と落語家の名人芸に思いを馳せる。遊鈴さんもそれに乗って、ひとしき論評となる。
落語好きには堪らないひとときで、これが棋士のそれなら私も参加できるのだが、悲しいかな、私は落語家に不案内だ。
なおも聞くと、湯川氏は小学生のころから寄席小屋に入り浸っていたという。棋士の主戦場が将棋会館なら、落語家のそれは小屋である。湯川氏は落語家の勝負の世界を体感していたわけで、これは大きい。
湯川氏も相当酔いが回ってきたようだ。
…あれっ? 今、ふつうのビールを自分で注がなかったか?
そこに炭酸水を注いで、薄いビールが出来上がる。湯川氏、節制よりも酔いが勝って、もう何でもよくなってしまったようだ。
湯川氏の箸は止まらない。遊鈴さんの手ぬぐいはおしぼり代わりになってしまい、私はハラハラするばかり。いや最もハラハラしているのは遊鈴さんだろう。
湯川氏の右手が泳ぐように、私の前にペタッと置かれた。見ると、湯川氏が舟を漕いでいる。こりゃあダメだと、みなが湯川氏をその場で横にし、毛布を掛けた。
「家に帰る……」と湯川氏がつぶやいたので、みなは顔を見合わせて爆笑する。
湯川氏、今日の為になんだかんだと準備をし、相当疲れがたまっていたのだろう。
私は当初から黙っているので、女性連中が私を呼び、何事かを聞いてくれる。しかし私は大して返せず、もとの席に戻ってしまう。不愛想で申し訳ないと思う。
湯川氏が「家に帰りたい……」と、また寝言を言う。酔っぱらいの寝言を久しぶりに聞いたが、これが人間の本来のあり方だと思った。
が、しばらくして湯川氏がスクッと起きた。ほんの15分ばかりの仮眠だが、これで十分回復したのだろう。
「私は明日で74歳です」
湯川氏が言う。
そうなんだ! 私は湯川氏がせいぜい60歳代だと思っていた。でも将棋ペンクラブの三上氏や星野氏が70歳代なのだから、そうなるか。私も歳を取るわけである。
……あれっ? ということは、遊鈴さんやTanさんも同い年ということか。皆さん若い!
湯川氏は高校1年生のとき身長が151cmだったそうで、Tanさんは湯川氏のおっかけをやっていたという。それから半世紀余、今でも顔を合わせているのだから、素晴らしい。
再び湯川氏の落語の話である。今度は「将棋寄席」のメンバーにも話がおよぶ。
「噺のマクラはありきたりのものじゃなく、オリジナル性を持たないかん」という持論も展開され、私は感心するばかり。
言っちゃあなんだが将棋より熱く、湯川氏がこんなに落語に傾倒しているとは思わなかった。これでは落語が上手くなるわけである。永田氏などは、「姐さん、今日の落語は上手かった! 師匠の落語も素晴らしかった!!」と手放しの褒めようだった。
私もほぼ同意見で、湯川夫妻、客を招いてのネタおろしは大成功だったのではなかろうか。

時刻は夜7時を過ぎ、三々五々退席となる。なお、湯川氏の手ぬぐいは少しくたびれたものの、無事遊鈴さんのもとに戻った。面白い噺と旨い食事。湯川夫妻と遊鈴さんには改めて御礼を申し上げたい。
私は駅前まで歩く派で、Hiw氏と行くことになった。Hiw氏はSuwさんと同じグループに属し、長野県の何かの会で、湯川夫妻と知己になったという。こういう話を聞くと、湯川氏は人脈の拡げ方が本当にうまいと思う。
和光市駅に戻り、バスに乗るというHiw氏とはここでお別れ。入れ違い気味に、蝶谷夫妻、小川さん、永田氏と会った。4人はさっき私たちを通り越したバスに乗車していたのだ。
「私たちはこれから一杯やるんですが、いっしょにどうです?」
と永田氏。ごいっしょしたいのはヤマヤマだが、私は9時からのドラマを観なければならない。それを理由にできないので、適当に言い繕って、ここは失礼させていただいた。
だから私は友人ができないのだ。
(おわり)
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湯川邸落語ネタおろし・3

2019-02-28 00:15:28 | 落語
お竹が梅喜の首を絞める。仏家シャベルは自身の首に手をやり、熱演である。この噺はこんな激しいものだったのか!? 私は木村家べんご志の「片棒」を思い出した。
ようやく騒動も収まり、シャベルが下げる。芝浜の類のオチだったが、ちょっと虚しさも残るそれだった。
シャベルが高座から降りると、袖から、シャベルにプレゼントが渡された。シャベルは明日、2月25日が誕生日だったのだ。それはおめでとうございます。
これで第一部のネタおろしは終わり。参遊亭遊鈴はともかく、小丸、シャベルはこのネタが初演とは思えぬ完成度で、充実の三席だった。

このあとは懇親会である。参加者の中にはこれが楽しみの人もいたかもしれない。
テーブルを大振りのものに替えて、そこに料理を載せる。今日は弁当形式だ。参加者は全12人だが、全員の顔が見えたほうがいいだろうということで、2つの大テーブルに強引に詰め込んだ。
ではここで、席の配置を記しておく。座敷奥から時計回りに、Kob氏、湯川氏、遊鈴さん、Tanさん(博士氏らの同級生)、小川さん(イラストレーター)、蝶谷夫人、恵子さん、岡松さん、Hiw氏、蝶谷氏、永田氏、私。
テーブルには何種類ものアルコールが用意されているが、ほぼビールで乾杯となった。
私はほとんどアルコールは飲まないが、最初の1杯は美味いと思う。
「やっぱり落語は実際にやってみるもんだ」
と湯川氏がつぶやく。「ネタおろしがどのくらいの効果があるか分からなかったけど、客の反応が手に取るように分かった。ここでウケたのかとか、ここは静かなのかとか、修正箇所がいくらでも出てきた」
湯川氏はアマチュア落語家として、あっちこっちで落語をやっている。今後に向けて、少なからぬ収穫があったようだ。
私は弁当をつまむ。今日はふきのとうをはじめ、旬の野菜が並ぶ。裏の畑で取れたものもあるようだ。銀杏の煮物もあるが、これは長照寺で取れたものであろう。
私の左にはKob氏、右には永田氏がいる。Kob氏は骨董店を経営しているとのことだったので、その裏話は相当面白いはずだが、私は人見知りが激しいので、黙々と箸を動かすのみである。
ひとしきり、「心眼」の話になる。これは遊鈴さんも知らないネタだったらしい。湯川氏の知識は広く、さすがに「うんちく事典」を上梓するだけのことはある。
「今日は目の不自由な人を演ってるのに、目を開けてしまったことが何回かあった」
と湯川氏は悔やむ。それが尋常でない悔しがり方なので、意外だった。でも目が不自由だって、目を開けている人はいると思う。ただ、「目をつぶっている=目が不自由」の図は観客が分かりやすいわけで、ために湯川氏は、キチンとしたかったのだろう。
「これは『めくら』の噺だから、落語ではやりにくいんだよ。だからオレは『おめくら』と言ってね、『お』を付けて柔らかくした。扇子を杖にしてやる時もね、あまりリアリティを持っちゃうとマズイ。だから軽くトントンと叩く感じにしてね、そこはサラッとやった」
周りはウンウンと頷く。「梅喜の目が開くところもね、本にはとくに書いてないんだが、オレは手をパン、と叩いて、観客にもその瞬間が分かるようにした」
なるほど、脚本を忠実に憶えるのではなく、自分なりにアレンジを加えて自分なりの噺を創っていくのも、落語の醍醐味のようだ。
恵子さんは台所に向かった。先月の新年会もそうだったが、恵子さんは私たちが騒いでいる時も、ほとんどそこにつきっきりだ。ご本人が料理好きということもあるが、客人に出来立てを食べさせたい、という気遣いからであろう。
テーブル中央には鮭のハラスの山盛りがあった。この類の食べ物は塩気が強い、とのイメージがあるのだが、戴くとちょうどいい塩梅で、美味い。これを恵子さんが作ったのだとしたら、素晴らしい腕だ。
お弁当にもあった、牡蠣の煮物のお代わりも出される。これは遊鈴さんのお手製らしい。これもいい味付けで、美味かった。
一段落すると、Kob氏が中座した。自宅が近くなので、いったん帰ったのかもしれない。湯川氏もどこかへ行ってしまった。
永田氏が私にプリントを見せる。そこには70年代から80年代のヒット曲が羅列してあった。この曲のどれを歌いたいですか、と言う。永田氏が電子ピアノ?で演奏してくれるらしい。
だが私は歌わない主義なので、丁重にお断りした。
だがしばらく経って、Hiw氏「酒と泪と男と女」を歌いだした。なるほど歌好きの人は、こうした場でも歌えるのだと、妙に感心した。
カツオのタタキが出る。カツオは2~3切れ食べると飽きがくるのだが、湯川邸の煮汁に浸してあって食べやすい。玉ねぎとの相性もよく、いくらでも食べられる。
揚げたての天ぷらも出された。エビとふきのとうだ。一口齧ると、サクッといい音がした。この音はなかなか出ないものだ。
宴もたけなわになった頃、恵子さんが
「じゃあこれからかくし芸をやります。時計回りで、私からやるのはどうでしょう」
と、妙な提案をした。
(3月2日につづく)
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湯川邸落語ネタおろし・2

2019-02-27 00:23:44 | 落語
髪結いのお崎は働き者だが、亭主は働きもせず昼間から酒ばかり飲んでいる。お崎はたまらず、仲人に相談を持ち掛けた。
仲人はお崎の迫力に押され、なら別れちまえ、と吐き捨てるのだが、そう言われたら却って離縁もしにくくなるというもの。
すると仲人は、唐土の孔子の故事を話しだした。ある時、孔子の弟子の不手際で厩が火事になり、愛馬が焼け死んだ。
ところが孔子は弟子を責めるどころか、弟子の体を心配した。弟子は感激し、今以上に孔子への信奉を高めたのだった。
また別の話もする。ある武士の家では、亭主が妻より瀬戸物を大事にした。このため妻がへそを曲げ、家庭が崩壊してしまった。
この二題で言わんとしていることは何か。世の中で本当に大切なものは何かということだ。
仲人はお崎に、瀬戸物の件は実行可能だから、実際にやってみて、亭主の反応で対処の方針を決めたらどうか、とアドバイスした。
帰宅したお崎は、早速瀬戸物を割るのだが……。

参遊亭遊鈴演じるお崎は弁舌滑らかで、まるでお崎が乗り移ったかのよう。仲人が逆ギレして、「別れちめえ、別れろ、別れろ、別れるんだ、別れた方がいい、別れろ!……」と畳みかけるさまも威勢よく演じて、可笑しい。
白眉は厩が火事になった時の白馬のいななきで、「ブヒヒーン!」と叫ぶ遊鈴のソプラノが美しい。果たして、我に返った遊鈴が「馬のいななき、ウマいでしょう!?」と自画自賛した。これには私たちもゲラゲラ笑うばかり。いやはやこれも、フランクな場での愛嬌ある脱線というべきか。
下げも見事に決まって、綺麗な幕となった。さすがセミプロの至芸だった。

トリは仏家シャベルである。遊鈴と入れ替わり、高座に上がる。
「厩火事、良かったですナ。ワタシもサラリーマン生活を辞めて、無職になったことがあります」
ホウ、と私たち。「その時は恵子がいて、子供も2人、それに母もいました。ワタシは母のところに相談に行ったんですが、髪結いの亭主になるからやめておくれ、と言われました。
つらかったのはですねえ……」
そこでシャベルが沈黙する。私たちは「……」にシャベルの苦衷を察し、また苦笑するのである。しかしその後のシャベルの活躍は関係者が知っての通り。まさに掛軸の「轉褐為福」だ。
「今回は新たに落語を憶えたんですが、15年くらい前は、2ヶ月に一度、新ネタを憶えられたものです。でも今はダメですね。年に一つがやっと。
ワタシは糖尿をやった関係で、左目はほとんど見えない。まあ片目だけ見えてりゃいいやって放っといたんですがね。
食後に散歩をしてるんですが、今日はずいぶん霧が濃いねえ、と言ったら、恵子は全然霧なんか出てないって言う」
シャベルは重度の白内障を患っていたのだ。「だけど医者に診てもらったら、血糖値が高くて手術ができないっていうんですね。437もある。それで、1ヶ月で99に減らした。この間、薬なんか飲んでませんよ。そしたら医者が驚いてねえ……」
ウソかホントか分からぬが、ともあれシャベルの驚異的節制で、無事手術に臨めることになった。
手術は両国の名医によって行われ、その時の模様、医師の会話がまた生々しいのだが、シャベルはユーモアを交え、軽快に語る。先崎学九段もそうだが、物書きはおのが危機を冷徹に視る観察眼があるのだ。
幸い目の手術は成功し、シャベルの両目とも快復、裸眼でも無理なく生活できるようになった。
「これから演ります『心眼』は、三遊亭圓朝が創った噺。それを(八代目)桂文楽が16年かかって拵えたものです」
心眼……。およそ落語らしからぬ題だが、有名なのだろうか。
「ワタシが今の仕事をするようになって、岡山に行ったことがあった。その三次会で、そこの支部長と同席する機会がありました。支部長、当時50代だったが、目が不自由だった。で奥さんが20代でね、これが物凄い美人だった。
その頃、別の目の不自由な方々とも会ったんですが、皆さん、奥さんが美人でした」
この壮大なマクラは、いかにも心眼にふさわしそうではないか。
シャベルはそれなりに多忙なので、心眼の練習はほとんどできなかったらしい。先日の散歩の際、ようやく通しでしゃべったのだが、それが最初で最後だったという。だが私は、シャベル一世一代の噺を聞けそうな気がした。

時は明治時代。目の不自由な梅喜(ばいき)は、按摩をしていた。自宅のある浅草・馬道から横浜まで営業に行ったが不首尾に終わり、おカネもないので歩いて帰ってきた。
女房のお竹に心配されると、梅喜は泣き崩れた。実は弟の金さんに無心に行ったところ、すげなく追い返されたのだった。
そこで梅喜は茅場町の薬師様に願掛けに行くことにした。茶断ち塩断ちし、3×7=21日目の満願の日、梅喜は薬師様で会った上総屋の旦那に言われ、おのが目が開いたことに気付いた。
梅喜が初めて見る明治の光景はどれもこれも素晴らしかった。しかし上総屋は、「女房のお竹は『人三化け七』、いや『人無し化け十』の醜女だ」とイヤなことを言う。対して梅喜のマスクは、歌舞伎役者ばりのいい男だった。
こうなると周りもほおっておかず、梅喜は東京一の人気美人芸者・小春に見初められる。
二人は待合(ラブホテル)にしけこみ、梅喜は小春を女房にすると誓ってしまう。
ところがそこに、お竹が現れる。逆上したお竹は梅喜の首を絞め……。

冒頭、シャベルが軽く目を閉じ、梅喜の嘆き節を語る。その様は異様な迫力があり、私は聞き入ってしまった。自身が白内障を患い、私もかなりの近眼なので、目のことはほかの誰より、心に響くのだ。いや周りの客だって、私と大同小異ではなかったか。
シャベルが扇子をトントンとやる。これが杖を表している。
そうか……と思った。古典落語とは、江戸時代や近代の生活に根付いた風習、言い伝えを面白おかしく演じるものである。だから小道具の扇子も煙管や箸など無難なものが多いのだが、これが盲人用杖を表すと、ちょっと生々しくなってしまうのだ。
むろん身体障がい者が登場しても自然なことではあるが、21世紀の現代は、それを拒絶する。「心眼」がマイナーな位置づけなのも、納得できる気がした。
(つづく)
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