今日5月15日は沖縄復帰50年の節目の日。1972年のこの日に沖縄は日本に復帰。
1945年3月末から始まった米軍の沖縄上陸作戦。
6月23日、日本軍の組織的戦闘が終了するまでの間、沖縄県民50万人を巻き込む地上戦が展開。
多大な住民の犠牲者が。1945年8月15日の敗戦。以後27年間、沖縄は米軍支配の下に。
戦後の米ソ冷戦の下、沖縄は米軍の最前線基地として強化され、
「基地の中に沖縄がある」と言われたほど。
「基地のない平和な沖縄」を目指した沖縄県民の祖国復帰運動の高まりの中、
日本への復帰が実現。しかし、その内実は「県民の望んでいた基地のない沖縄」ではなく、
日米秘密協定の下、米軍基地温存、核持ち込みも認めるもの。
以後、今日までの粘り強い党派を超えた、保革を超えた「オール沖縄」闘いの継続へとつながることになる。
沖縄の闘いは日米安保条約廃棄、平和中立の日本を目指す私たちの闘いそのものでもある。
沖縄辺野古新基地建設反対支援行動をかねて沖縄の戦跡を訪ねる。
初めて見た東シナ海の海岸。沖縄北部大宜味で。
1945年3月末から始まった米軍の沖縄上陸作戦。
6月23日、日本軍の組織的戦闘が終了するまでの間、沖縄県民50万人を巻き込む地上戦が展開。
多大な住民の犠牲者が。1945年8月15日の敗戦。以後27年間、沖縄は米軍支配の下に。
戦後の米ソ冷戦の下、沖縄は米軍の最前線基地として強化され、
「基地の中に沖縄がある」と言われたほど。
「基地のない平和な沖縄」を目指した沖縄県民の祖国復帰運動の高まりの中、
日本への復帰が実現。しかし、その内実は「県民の望んでいた基地のない沖縄」ではなく、
日米秘密協定の下、米軍基地温存、核持ち込みも認めるもの。
以後、今日までの粘り強い党派を超えた、保革を超えた「オール沖縄」闘いの継続へとつながることになる。
沖縄の闘いは日米安保条約廃棄、平和中立の日本を目指す私たちの闘いそのものでもある。
沖縄辺野古新基地建設反対支援行動をかねて沖縄の戦跡を訪ねる。
初めて見た東シナ海の海岸。沖縄北部大宜味で。
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