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浅草寺五重塔跡

2019年02月09日 | 東京エリア
江戸時代(寛永)の浅草寺境内図には、本堂の東側に五重塔、西側に三重塔が建ち、境内に二つの塔が並存していた。焼失後、慶安元年(1648)に再建するも三重塔は復興されずにいる。

以降、何回か失われては建て直された。
現在の塔以前は、本堂に向かって右側にこのように建っていた。  < 江戸名所図会 ↓ >

それが東京大空襲で焼失したので、その跡地に標石した。
冒頭の2008年03月撮影の標石が、いまでは立派な石柱に直っている。






今の五重塔は昭和48年に建てられたもの。

東京大空襲の悲惨さをイチョウの焼け焦げ跡が、いまに伝える。→

   追
    済の五重塔跡を、古い跡と新しい跡を1本にまとめた。

   

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4 コメント

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(ウォーク更家) さん へ (iina)
2019-02-22 08:54:50
お城にも、さまざまな遍歴がありますが、小峰城もそのひとつのモデルですね。

江戸時代に天守閣が許されなかったそうですが、奥州関門の名城にふさわしいメンツを保った外観に見えます。

いま、インスタグラムのコミュニティに参加して、浅草界隈を採り上げています。その編集でいろいろとおさらいさせてもらっています。
江戸時代の浅草寺境内図に、本堂の東に五重塔、西に三重塔が建っていたのです。

   (ウォーク更家)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上の(iina)URLに置きました。

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気付きませんでした (ウォーク更家)
2019-02-21 21:47:04
浅草寺には、何度も行っていますが、旧五重塔跡の碑と、大空襲のイチョウの焼け焦げ跡については、これまで気付きませんでした。

細部までちゃんと見物しているつもりなのに、意外と見ていないものですね。
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(よたろう) さん へ (iina)
2019-02-10 08:01:35
 冒頭写真は、インスタグラムを多用する「らくらくコミュニティ」に参加して得たテクニックです。



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二つの塔 (よたろう)
2019-02-09 17:01:04
とうとう三重塔を建てず仕舞いになってしまいましたか・・・。
本堂と塔跡だけでは、文字が読み難いですから、うまいレイアウトです。

浅草寺に二つの塔があったんですねぇ。

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