

福野夜高祭は、富山県南砺市福野神明社の5月1日、2日の祭り。

慶安5年(1652)陰暦2月、大火で全戸が消失するという災害に見舞われた。そのため伊勢神宮から御分霊を勧請し氏神を祀ることになった。その帰り、県境の倶利伽藍峠あたりで日が暮れることを伝え聞いた人々が手に手に行燈を持ち迎えに出た。それが旧暦4月1日であったという。
自前の手提げ行燈に多少の工夫をしたのが始まりで、次第に優美に意匠を加え競って雄大さを誇り、これが夜高行燈を御神燈として、町内を練り回したのが起源と伝わる。

クライマックスは2日23時ごろからの引き合い(ケンカ)だ。神明社の主は喧嘩が大好きな女の神様であり、引き合いが激しいほどお悦びになると伝えられている。威勢のいい拍子木とともに行燈が動き、法被姿の若衆が赤々と燃える行燈の上で影絵のように踊り、すれ違う際に行燈を引きちぎり壊し合う。
祭は人出が多く交通混雑を思うと気が重いが、富山は首都圏と比べれば気にするほどではない。
富山市主催の8月の祭の一端を担う組織にiinaが前任者から引き継いだことから、県下の祭を見直す委員会を通して最初の福野の夜高祭に同道し美しさの内にも激しいケンカをする祭の体験が、『富山の祭』に興味を抱くキッカケになった。その後、会予定のほとんどの祭りに参加して、富山の主要な祭を見て歩くことにこだわりをもちつづけ、家族にとっても富山時代の柱になった。
なお、この夜高祭は県下に数多く見えるが元祖は此処 福野だ。
アンドン形式の祭の伝播は、能登半島のキリコが富山の夜高祭に伝わり、秋田の大掛かりなねぶたになったというドキュメンタリー番組を観たが果たして・・・?
また、夜高とは行灯を形容する言葉で、手に持つ小さく素朴な行灯は「とっぺ行灯(とっぺ:豆腐を指す方言)」あるいは「田楽行灯」と呼び、大型の行灯を「夜高行灯」と呼んでいた。これは、夜高行灯は夜にしか曳かれないことから、日が暮れた頃から曳き回され、水田の向こうに高くそびえる行灯が見えたので、夜鷹を文字って「夜高」「夜高行灯」と呼ばれたそうな。



360年も続く伝統的な福野神明社の夜高祭り、派手にやり合うようですね。
主祭神が、しかも女性の神様が喧嘩好きとは驚きです。
多分、全国的に見ても珍しいお祭りではないでしょうか?
残して欲しい伝統行事ですね。
夜鷹は、その昔の夜の町にたむろしたたらしい
バイバイ (^π^ゞ
高がというかも知れませんが大違いですね。
どことも、祭は派手ですね。
私が前に住んでいた姫路の地域では、実家に盆と正月に帰らなくても10月の祭に帰らないと村八分、ご馳走も祭の時が一番豪華というとんでもない所でした^^;
江戸時代の「夜鷹」と呼ばれる街娼は、大きめの白い手ぬぐいを姉さんかぶりにして顔を隠し、
ゴザを手に場所を決めずに商売をしていたことから、巣を作らず(草原などに卵を2個くらい産む鳥)
に夜動く夜鷹(ヨタカ目ヨタカ科の鳥)になぞらえたという説もゴザいます。
また、彼女達が客引きをする「ちょっとちょっと」の声が、夜鷹の「チョッチョッ」という鳴き声に
似ていることから夜鷹と呼ばれたという説もあります。
金沢に行き、寄りました。
木曽義仲が牛の角に松明をくくりつけて平家を攻めて勝った場所ですよね。
こんな祭があったとは知りませんでした。
お祭りもよいし、
冬も凄く閉鎖された雰囲気であこがれます・・・
紫の「苧環(おだまき)」の花は、もの静かなたたずまいです。
「しずやしず 賤(しず)のおだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな」は伊勢物語に
元歌があったのでしたか。( ..)φメモメモ
昨夜、テレビで長谷川一夫主演の映画「地獄門」を観ました。平家の栄えはじめを描いて
いましたが、なかなか善く出来た内容でした。
主人公が人妻に横恋慕して強引に言い寄り夫殺害の手引きまでさせられ挙句の果てに
夫の身代わりに殺されます。
この後始末は見事でした。遅まきながら改心して殺せと迫ると、妻を殺された夫は貴殿を
殺しても妻は生き返らぬといい、自分も生きて地獄の苦しみをと坊主になって彷徨うと
いうのが結末でした。
祭に対する習慣は根強いものがあるようです。それが結束すれば力強く頼りにもなりますが、
行き過ぎると差別につながります。古い歴史を経て、良くも悪くも習慣は息づいているようです。
源平合戦の倶利伽羅峠は狭く生々しい戦場だったのを実感しました。あの狭い峠に松明を
くくりつけた牛が押し寄せてきたら、大パニックになります。
高山祭は、春と秋祭があり、富山から2時間ほどで行けるのでよく行きました。高山祭を効果的
にたのしむ方法があります。
それは、いずれ教えます。
5月1日の高岡は、御車山です。こちらもからくり人形が動きます。
日本には、喧嘩好きな神もいれば、岩や山にも神が宿りますから、それらを含めて八百万の神
というのでしょう。
近場に住んでいれば毎年出かけたくなります。