いま今戸神社と石浜神社が祭なので、隅田川周辺をカメラ片手に散策してみた。
三囲神社(みめぐりじんじゃ)―狛犬と狐像もいる?
「伝説では中世の創建とされるが、この社殿は安政年間の建築とされる。分霊が祭祀されている。
三越を興した三井家の発祥は江戸初期に遡り、三重県松阪市にて武家の家柄であったとされ、かつて京都の呉服商「越後屋」である。なお、三越の店章のマークは、三囲神社に奉納されている茶釜の台石の紋章が由来となっている。
―三囲神社の三本足の鳥居―
日本で唯一の京都「蚕の社 木島神社」境内にある「三柱鳥居」と瓜二つの鳥居が鎮座。三本足鳥居はかつて三井家に祀られていたものを此処に移築したとか。
*石浜神社、橋場不動尊、今戸神社*
今戸神社 6月4日(土)大祭式の最中 新撰組・沖田総司終焉之地で幕府御典医・松本良順が看取った。 |
石浜神社・・・昨日の境内は、祭囃子をカセットで鳴らして閑散としていた。景色がひらけておりビルが視界を汚さないので気が晴れる。 富士遙拝所 :富士信仰・講の記念の一つ |
三囲神社(みめぐりじんじゃ)―狛犬と狐像もいる?
「伝説では中世の創建とされるが、この社殿は安政年間の建築とされる。分霊が祭祀されている。
三越を興した三井家の発祥は江戸初期に遡り、三重県松阪市にて武家の家柄であったとされ、かつて京都の呉服商「越後屋」である。なお、三越の店章のマークは、三囲神社に奉納されている茶釜の台石の紋章が由来となっている。
―三囲神社の三本足の鳥居―
日本で唯一の京都「蚕の社 木島神社」境内にある「三柱鳥居」と瓜二つの鳥居が鎮座。三本足鳥居はかつて三井家に祀られていたものを此処に移築したとか。
*石浜神社、橋場不動尊、今戸神社*
何時か、このblogを参考にして、同じ所を回ってみたいとおもいます。
楽しませていただきました。
「三井家は呉服屋だったので秦氏と関連がありそうです」…そう連想しますねえ。楽しい連想です。
「浅草界隈」の写真集は楽しみにしています。
私は、岐阜には小学校入学以前から東京の学校へ入るまで住んでいました。
「君が代」の「さざれいし」の分石(?)が、下総中山の法華寺にありますよ。岐阜の石だと書いてあります。
こちらは記事が深くて面白いですね。
この不思議なかたちの三本足鳥居、興味深いです。
こういった史跡、自分の足で巡ってみたくなりました。
私も浅草行きたい~!!と、よく友達にもらしてます/笑
私が学校帰りに乗る電車の終点が浅草なんですよ~。行きたい~!!
でも、高校生はお金がないんですね……;
冬休みに親に茨城の弘道館へ連れて行ってもらいましたvVとても楽しかったですvV
話変わってすみません……;
岐阜城のふもとに「君が代」の「さざれいし」が置いてありましたものね。
三囲神社の三本足の鳥居と三越の関係は、案外「三」に縁起かついだだけかも知れません。或いはピラミッドパワーの恩恵を受けようとしたというのは、飛躍しすぎですね。
②『伊勢志摩のスペイン村』fumihirogetsuki24さんへ
ガウディ設計の建物は味わいがありますね。
伊勢志摩のスペイン村に遊んだことがありますが、ガウディの建造物がいろいろありましたよ。
隅田川周辺の散策は、意外と水を見ることが少ないので気がまぎれますね。
③八千代さんへ
浅草が経由駅なら、ご案内の場所は総て無料ですから、お金をかけないで廻れます。
④しじゅうからさんへ
>元禄時代に隅田川には大川橋(吾妻橋)、両国橋、新大橋、永代橋(綱吉の長寿を祈願して名づけた)しかなかったそうです。
しじゅうからさんは橋に興味がおありなのですね。
iinaは吾妻橋を見て、
日本武尊が東征して浅草界隈にもあらわれたので、「弟橘姫」の死を悼んで「あづまはや」(ああ、わが妻よ)と嘆いたことに由来しているかと思っていました。
ところが、庶民で架けた橋であるのに、幕府が大川橋と名づけたので、反発して「東橋」とし、後に「吾妻橋」となったそうです。
江戸ではありませんが、
大阪にお住まいなので、詳細ご存知と思いますが、iinaの「一条戻橋」はいかがでしょうか?
http://iinad55.at.infoseek.co.jp/1.html
確か『古代ユダヤの刻印』という本にこの鳥居の
話が出ていたと思います。(著者は同じで違う
本だったかも)人によってはトンデモ本の部類に
感じるかもしれませんが、面白かったですよ。
旧blogの○ンコ・ビルの写真をiinaさんの写真に差し替えました。TBしておきましたので、よろしければ、ご覧ください。
勉強になりました!
iinaも大阪時代に京都を仕事で歩いてますが、下方↓は法要で訪ねたときの記事です。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/2cad7c3ff7eae9d7f02b4e43310668e3
更家さんは心斎橋にお勤めでしたか、iinaは長堀橋傍でした。すれ違ったかも知れませんよ。浅草にも勤めて、
隅田川界隈をよく歩きました。