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声明

2010年06月08日 | 雑感
声明しょうみょう公演を聴いてきた。実演は初体験。
タイトルは「大般若転読会(だいはんにゃてんどくえ)」で、大法要を催うする様に心身が洗われた。
薄明かりの中で、色鮮やかな袈裟をまとったお坊さんは11名が読経し 太鼓を7名で打ち荘重な法会だった。

聲明(しょうみょう)とは、元来はインドの古典語であるサンスクリットの文法学を意味する。
古代インドにおいて韻律に従って謡われたものが、中国に伝えられて変容し、やがて日本においても仏教の儀式の際、お経や「賛」に節をつけて謡われるようになった。これらは日本古典音楽の源流となる。

大般若は7世紀、唐の玄奘三蔵が艱難辛苦の末、インドから持ち帰った般若経を晩年に600巻に漢訳した大部の経典を指す。
かつて僧侶たちは、600巻もの経典を一巻ずつ読誦していたが、やがて一巻ずつの要所要所を唱えてすべてを読誦したことにする「転読」という方法も行われるようになり、公演ではその再現を行った。

転読する姿は、分厚い経をパラパラと流し落とし 読んだことにして大音声で誦す姿は、荒行しているようで荒々しく圧巻。法事で耳にするお経もあり、梵音、錫杖が加わり浪花節のような箇所があって、ラストは太鼓が打ち鳴らされる。
精神を洗ったかのような荘厳な1時間半ほどの公演だった。
聲明という音楽概念が確立したのは、昭和42年国立劇場記念公演からという。

公演後は、体内までもアルコール消毒して文字通りリフレッシュできた。

最近は、講演会や博物館巡りして後の飲み会がつづき疲れた。
きのうは、一日のんびりしてお酒を抜いた。


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます (ippu)
2010-06-08 06:00:00
最近「般若心経」に関心が強くなりました。
詩人 伊藤比呂美:読み解き「般若心経」を近くの書店へ買いに行きましたが在庫なしでした。
おはようございます (楽母)
2010-06-08 07:41:41
オペラ歌手顔負けのお坊さんたちの
美声、素晴らしかったでしょうね。
ええ、その後のアルコール消毒も(笑)
浄化されたことでしょう。
お経を (おくだっち)
2010-06-08 08:55:14
覚えている僧侶の方の記憶力に感心させられます。
日本語であればまだしも意味を解読するのも大変でしょう。
もっとも、こちらが判らないからお経を間違っ唱えていても気がつきませんが^^;
うん~ (まみ)
2010-06-08 12:53:34
公演でなんかお経を歌ってる?
不思議に思いました!
ショーみたいに見えるね 
でも~きっと素晴らしかったのでしょうね☆

お経ショー (鷲谷芝嵐)
2010-06-08 13:45:12
般若心経ショー、なんていったら罰があたりそうですが、まるっきりショーですね。
しょうでしょ。違いますか?

きょうばかりは、ありがたいお経を聞いてアルコールを抜き心と身体にいい一日を過ごしましたね。
お経 (656)
2010-06-08 15:28:35
般若経は600巻ですか、ボクの方が数が上です。
お経を聞くなんて、堅苦しそうですね。
いかがでした
Unknown (銭無のとっつあん)
2010-06-08 23:00:34
「声明公演」とは珍しいですね。
転読とは言え大般若経600巻とは素晴らしいです。
大般若経の声明公演に酔い、般若湯で身体を清めるとは、さぞかし「般若」が付いたことでしょう。

かって、般若心経の「空」について述べよという設問がありました。
悩まされた設問の一つでした。
コメントに 南無阿弥陀仏 (iina)
2010-06-09 09:15:54
(ippu) さん へ
川幅日本一とは、埼玉の意外な一面を知りました。
むかしは、台風のつど浸水するニュースが流れていましたが、いまは治水され
そんなことはありません。

求めた「般若心経」が売り切れとは、人気なのですね。心の平安を求めたら、
お経にたどりつくのかもしれません。



(楽母) さん へ
声明公演の前に寄り道して、紫陽花まつりを見ました。ちょうど太鼓ショーを
やっていたので、二重のイベント参加でした。

三室戸寺には、大阪時代に万福寺に行き、一駅ほどだからと歩きました。歩くと
立地環境が理解できた気になれるのですが、思いのほか遠かった。(^^ゞ



(おくだっち) さん へ
そろそろ梅雨入りの気配がただよってきました。
例年より遅めですが、明けるのはどうなるのでしょうか。
太ると食べるものがおいしく感じられぬこともあり、自分に適した体重を維持
していたいものです。食べるものは食べて夏ばてしないよう心がけます。

僧侶の身になるからには、心がけが違うのでお経は身体にしみついているかの
ようです。声明の場合は、合唱ですから、誤魔化しはききません。逆に、舞台で
気が動転しても周りに同調すれば、記憶が回復し思い出すことでしょう。
お経は、漢文ですから字面から或る程度までは我々にも意味を理解することも
できるように思えます。
m(__)m




(まみ) さん へ
画像掲示板への花々投稿を、ありがとうございます。
ご無沙汰していますが、iinaからも選んでアップします。m(__)m

会場で声明公演するのはショーじみてみえますが、れっきとした真言宗の本物の
声明儀式です。仏教には原始的な人の声音が癒しの効果が認められ音楽概念と
なった風です。




(鷲谷芝嵐) さん へ
別府は、晩年の親父が気に入って1週間単位で湯治にでかけていました。最晩年
にはふたりで温泉につかり懐かしいです。
もちろん地獄めぐりはツアー券を買って巡りした。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/a5186aac43369d0a4306b8ba0fdec444

>般若心経ショー、なんていったら罰があたりそうですが、まるっきりショーですね。
ショーがないですネ、芝嵐さんは。声明は、仏教上の儀式を寺院を離れて舞台で
演じたものです。総て、意味があり式次第に解説が提示されました。
演じられたのは、「入堂」「大般若」「神祇法楽」「退堂」でしたが、以下は
省略しますがそれぞれに仏門の声明項目を順次行いました。
それらを通じて、仏教のしきたりの妙というか約束事は釈迦の死後に宗教上の都合
からつくられたものだなぁと、意味深に考えてしまいました。



(656) さん へ
数は、たしかに600教典より656の方が上です。(^^ゞ
声明は、癒しに通じてメリハリの効いた効果が感じられたように思えます。



(銭無のとっつあん) へ
最近は、城についても科学的な立地環境等々の解説がなされてうれしいですね。
高台にあったように考えていた高槻城が、扇状地に築かれ海抜10m以下であった
とはメモメモしました。

この「声明公演」は、友人の出た大学が催した文化講座の一つで毎年演じられている
のだそうです。
お経等々を飽きさせなくちりばめられ、癒し効果満点でした。仏教に親しむための
ひとつの入口になればと思いました。

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