史跡相模国分寺跡は、海老名駅の東側約500メートルの台地上にある。
全国に国分寺が造られたのは、天平13(741)年の聖武天皇の詔による。
相模国分寺でもこの詔を受けて建立され、8世紀中頃には創建されていたと考えられる。
伽藍配置
国分寺の主要伽藍(建物)配置は、奈良県にある法隆寺と同じ、東側に金堂・西側に塔、北側中心部に講堂を配し周囲を中門・回廊で囲む「法隆寺式」という配置をとっている。
全国の国分寺では大変珍しい配置で数例しか確認されていない。
七重塔跡で高さが65メートルもあったとされる。 相模国分寺跡の石碑
七重塔模型 海老名駅前に1/3のスケールで建つ
逆川(さかさがわ)は、奈良時代に造られた人工の水路といわれ、相模国分寺を建立する際、資材を運ぶために目久尻川から水を引き、「運河」として利用されたと伝えられる。
船着き場とみられる場所からは階段跡が見つかっている。
全国に国分寺が造られたのは、天平13(741)年の聖武天皇の詔による。
相模国分寺でもこの詔を受けて建立され、8世紀中頃には創建されていたと考えられる。
伽藍配置
国分寺の主要伽藍(建物)配置は、奈良県にある法隆寺と同じ、東側に金堂・西側に塔、北側中心部に講堂を配し周囲を中門・回廊で囲む「法隆寺式」という配置をとっている。
全国の国分寺では大変珍しい配置で数例しか確認されていない。
七重塔跡で高さが65メートルもあったとされる。 相模国分寺跡の石碑
七重塔模型 海老名駅前に1/3のスケールで建つ
逆川(さかさがわ)は、奈良時代に造られた人工の水路といわれ、相模国分寺を建立する際、資材を運ぶために目久尻川から水を引き、「運河」として利用されたと伝えられる。
船着き場とみられる場所からは階段跡が見つかっている。
敷地が広いです。
ブログ を意識して 撮ってまいりました。
当方は、海老名おわらなど いくつかのイベントで訪ねました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/73f3fa36d30e7b89fe6dbf20efa94a87
当方は、映画「ゴジラ」を見た後に相模国分寺跡を訪ねました。
国分寺跡を何度かクルマで訪ねてますが、撮影ははじめてでした。
人工の水路は江戸時代と思っていましたが、奈良時代に国分寺建立の資材を運ぶため人工の水路(逆川)が造られた、というのには驚きました。
時の権力者の考えそうな陰謀です。
そんなことより「兼六園」茶屋の御膳が、色彩も豊かに豪華です。^^
> 奈良時代に国分寺建立の資材を運ぶため人工の水路(逆川)が造られた、というのには驚きました。
クルマで逆川の石碑辺りを通るので、国分寺史蹟だと思っていたところ、運河の史蹟だったのでした。