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八幡

2019年08月08日 | 歴史街道



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3 コメント

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「息長氏は秋永氏である。」の顛末記 さん へ (iina)
2019-08-09 09:08:04
> 院内~安心院~由布院~別府~大分こそ「邪馬臺国」・「邪馬壹國」であろうと考えられます。
耶馬渓は、頼山陽が命名したものですから、後世の新しい地名ですから、果たして如何なものでしょうか・・・

宇佐は、国東半島のつけ根にあり、瀬戸内を船で通ると休憩やら食料などの補給に便利な位置して地の利があったと思えます。

宇佐神宮には、2度お参りしました。
                 4万社余りの八幡神社の総本宮です。好きな神社のひとつです。

宇佐の大分県立歴史博物館でも、神仏混合の歴史を学んでまいりました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/b11f33e208120d63cfb4eaf19512f4c0

   * 顛末記さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。


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(武) さん へ (iina)
2019-08-09 09:14:23
宇佐神宮には、興味を惹かれる社ですから2度お参りしています。

ここの拝礼作法は、「二礼・四拍手・一礼」です。普通は二礼・ニ拍手・一礼なのです。
この作法は、宇佐神宮と出雲大社と鹿島神宮だけといわれています。

ハイ、出雲大社へも「もののはじめ」に触れていますから旅してきました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/02a552b46e6750577e0b7d54add77aff

 *  (武)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。

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EEKの紀行 春夏秋冬 さん へ (iina)
2019-08-09 09:31:45
> なぜこんな田舎に、これほどの規模のものがあるのか。また、全国八幡宮の総本山となった理由は何か。
宇佐神宮の八幡神が、「われは誉田天皇」だと宮廷に近寄り、仏教が盛んになると「自分は昔インドの霊神」と託宣し、新時代に調和しました。

大仏を東大寺を建立するとき、お節介にもわざわざ八幡神は自ら賛同の託宣をしたと聖武天皇を喜ばせました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5a49f2f0f673dde220c70383ffd76375

 *  (春夏秋冬)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上(iina)に置きました。

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