ICANまにらブログ~第二巻~

日本のNGOアイキャンまにら事務所の日記。

はじめまして。あつし@まにら。

2008年06月30日 | スタッフとオフィス
あつし@まにら。

ICANのパートナーの皆様、このブログをご覧の方々、はじめまして。この6月よりマニラ事務所でボランティアとして働いているあつしです。先日ゆきよ@まにらさんから紹介していただいたように、現在のマニラ事務所では唯一の日本男児です。

唐突ですが、僕は今の大学の前にも他大学に通っており、そこで英語を専攻しつつ(全く勉強していませんでしたが)、環境問題と国際協力にアプローチするサークルに所属したり、学生向けのスタディツアーをコーディネートする団体に所属していました。後者の団体の活動の中でベトナムとカンボジアに訪問し、「国際協力でメシを食っていこう!」と決意を新たにしました。

その後大学を移り、今度は開発協力を専攻し、都市社会学・開発社会学を扱うゼミに入りました。そのゼミの先生の勧めもあり、現在フィリピン国立大学ディリマン校に留学しています。

こちらでの専攻はコミュニティ開発ですが、授業で主に使われる言語はフィリピン語。。まだフィリピノ語を使いこなせない僕は「??」という状況です。。。しかも日本の大学では理論一辺倒だったのに比べて、こちらでは学生たちの体験に基づいた実践についてのディスカッションが頻繁に行われるため、最後までついていけるか不安です。

また、専攻分野とは別に環境問題にも関心を持っています。特に、ICANの事業地であるパヤタスと深い関連のある廃棄物処理に注目しています。それでここフィリピンでは(実際に執筆するのは来年度ですが)卒業論文のための資料収集も並行して行うつもりです。その過程で得られた知識をICANに還元できれば良いのですが・・・

「開発途上」といわれている国の環境問題に関心が及んだのは、近年の地球温暖化問題に触発されたという面もありますが、小学校時代からボーイスカウト活動の中でゴミ拾いをしたり、中学校時代には資源回収活動を行い、高校時代には近所の山中でキャンプして自然に親しんだことが影響しているのかもしれません。マニラの景色を見ていると、どうしても路上に散乱したゴミだとか、垂れ流しの下水だとか、そこらじゅうに落ちている犬のフンだとかが視界に入ってしまいます。そこに住んでいる人が気にしていなければ良いじゃないかという考えもあるかもしれませんけど、でもそれだとあまりにも地球に対して敬意がなさ過ぎるという考えは日本人的でしょうか・・・

ICANの活動面ではDOTSなど、パヤタスでの活動に主に関わることになりそうです。
以前読んだ佐藤寛さんの「開発援助の社会学」でDOTSについて多少なりとも知識を仕入れていたつもりでしたが、まだまだ勉強不足のようなので、活動を通して学んでいく予定です。

あ、それとやはり男性が少ないので力仕事は率先して取り組むようにしたいですね(笑)。

これからよろしくお願いいたします。



ボランティアの力 -最近のまにら事務所

2008年06月27日 | スタッフとオフィス
ゆきよ@まにら。

ICANまにら事務所の有給スタッフは、日本人が2人、フィリピン人が5人のみですが、この人数で各事業をまわしていけているのは、無給で自分の時間や能力を提供しているボランティアやインターンの存在があるからです。

現在、4人のボランティアさん、2人のインターンさんが、まにら事務所で事業運営を支えてくれています。

彼・彼女らの顔ぶれは多彩です。年齢は21歳から30歳まで。うち現在フィリピン大学に留学している学生さんが3人いますが、2人は日本の大学に籍をおいている学部生さんで、1人は日本での社会人経験を経てこのたび修士課程に入ったばかりの方。また、家族の仕事の都合でフィリピンに来られた駐在員家族でもともと開発の勉強をしていた方、フィリピンの企業で働いていたが以前から関心のあったNGOの仕事の経験を積みたいからと仕事を辞めて応募してくれた方、そして、もうひとりはプロのカメラマン。6人中男性はただひとりで、圧倒的に女性パワーがみなぎっています。そういえば、スタディツアーや研修を企画すると、参加者は大多数が女性でした。なぜなんでしょうか。。。

これから、ボランティアパワーについても、ブログで紹介していきたいと思います。




洗車の仕事でサバイバル -ジェンサンキッズ

2008年06月25日 | ジェネラルサントスの子どもたち
ゆきよ@まにら。



【ブライアンくん】

ICANのジェンサン奨学生であるブライアンくん(仮名)は、高校4年生。これまで課題提出のための金銭的余裕がなく落第しそうになったこともありましたが、やっと来年3月に卒業予定です。彼の母親は家を出てしまい、現在父親と兄と暮らしています。ブライアンくんは、自分たちを捨てた母への怒りが今もぬぐいきれないでいます。

お父さんは大工ですが、収入はごく不安定。ブライアンくんは、毎日なんとか食べていくために、下校後に洗車の仕事をしています。1台洗車すると10ペソもらえます。彼は5台分つまり50ペソを稼いだら家に帰るのだそうです。50ペソでます米を半キロ買います。米の価格は高騰しており、半キロだけ買っても23ペソかかります。そして5ペソで、できあいのおかずを買います。残り22ペソ。蚊が多くて眠れないので、蚊取り線香を2つ買います。フィリピンではなんでもばら売りしているので、タバコも蚊取り線香も1つずつ買えるのです。蚊取り線香は1つが2ペソ、2つで4ペソ。あと残りの18ペソが、翌日の朝食のおかずと、自分のお弁当代になります。自分は登校しますが、家に残る父親の昼食のおかずのために、お金を渡すこともあります。

ICANではジェンサンキッズの学校経費や通学交通費などを負担していますが、生活費はそれぞれの保護者がみることになっています。しかし実際日々の食の糧も捻出できない保護者も少なくなく、子どもたち自身がこうして稼ぎ、生活のために闘っているケースも見られます。


【ワークショップで班ごとに発表しているブライアンくん】

先週末行われた高校生のジェンサンキッズ18人が参加したワークショップで、私たちは彼らの闘いを改めて実感しました。ICANはすべての子どもたちが闘わないでいいように「救う」ことはできません。しかし、闘う力を一緒に高めていけるように、これからも子どもたちの声に耳を傾けていきたいと思います。



【ワークショップ参加のICANジェンサンキッズの高校生たち】



SPNPのお母さんたちと共にある結婚式~ひろみ@まにらの結婚報告

2008年06月24日 | フェアトレード
ひろみ@まにら



約一年前、夫の急な赴任に伴い、役所に入籍届だけを出して、慌ただしく来たフィリピン。

先月、ようやくマニラでの生活も落ち着いたところで、日本で結婚式を挙げることができました。

何かと慌ただしかったこの一年、今や、私のフィリピンでの生活はICANの活動に携わること抜きには、語ることが出来なくなりました。

そんなこんなで、もちろん私たちの結婚式には、パヤタスのSPNPのお母さんたちが作ってくれたウェディングベア、そしてしろくまちゃん達がお目見え




【新郎のくまちゃんはフィリピンの正装・バロンタガログを着ています】

親戚だけのささやかな披露宴でしたが、ゲスト一人一人をお出迎えしたSPNP特注のウェディングくまちゃん達には、親戚の小さい子ども達だけでなく、大人のゲストにも大好評




後日、伯父の一人から、「二人の名前入りが入ったしまくまのぬいぐるみ、玄関に飾って、毎日出かける時や帰った時に見ています。」というメッセージをもらった時は、とても嬉しかったです



【フィリピンの果物(マンゴーやパパイヤ、etc…)を使ったウェディングケーキ】

このしろくまちゃん達やウェディングベアを通じて、皆さんがフィリピンやパヤタスの現状について、少しでも関心を持ってもらえたら、と願っています。
 
 このかわいいSPNPのウェディングベア・しろくまちゃん達はすごく好評だったので、今度、11月の私の友人の結婚式にもプレゼントしようと思っています。
皆さんも、ご自身やお友達の結婚式に、パヤタスのお母さん達と共にあるウェディングベアやしろくまちゃん達、ぜひぜひいかがですか
 →ICANフェアトレードについてはこちら 

 
ウェディングベアやしろくまちゃん達が持っているハートにはお二人の名前、日付を入れることができますよ

台風6号(現地名’フランク’)の事業地への影響につきまして。

2008年06月23日 | お知らせ
ゆきも@まにら

日本の国内のメディアでも報道されたようですが、21日夜から猛威をふるっている大型の台風6号(現地名;フランク)は、ミンドロ島、ミンダナオ島、マニラ首都圏のあるルソン島南部で大きな被害を出しています。この台風により、21日にはシブヤン島沖でフェリーが沈没事故を起こし、乗客や乗組員など計800人以上が行方不明のままです。

多くの方から、台風による事業地への住民の影響、ボランティア・インターン、スタッフへの安否をご心配いただく声をいただきました。ありがとうございます。
停電や一部断水、道路冠水、電話不通などの影響は出たものの、レイテ島南部を除く事業地以外の住民はとりあえず無事が確認できております。

ICANが災害管理事業を実施したレイテ島は、この度の台風フランクによる被害の最も深刻な地域としてフィリピン気象庁が「警告3」として警戒を強めていました。現在も南部のセントバーナード地区の住民と現在も連絡が取れておりません。安否が確認でき次第、ご報告いたします。

レイテ島をはじめ、現在も各地で行方不明の方や、家や愛する家族を洪水に巻き込まれ途方にくれている人々が多くいます。その中には、前回の災害からの復興途中のコミュニティも含まれています。

一日でも早く行方不明者のもとに救助の手が届きますように。そして、人々が再び、復興への希望をもてる日が来ますように。




子どもの家の休日 -ブストス事業地

2008年06月20日 | 路上の子どもたち
ゆきよ@まにら。

6月12日の祭日が振り替えられて、9日の月曜日が休日となっていました。その日のブストス事業地の子どもの家の様子をお届けします。この子どもの家には約60人の子どもたちが住んでいます。彼らは、かつて路上に暮らしていた子、路上で働いていた子、そのほか家族が機能していないために保護された子どもたちです。ICANはそのうち10人の子どもたちの通学を支援しています。



6月から新学期がはじまったばかり。制服に学校の校章ワッペンを縫い付けているのは、高校2年生(日本の中学2年生)のジョンくん(仮名、写真左)。彼もICANキッズのひとりです。「縫い物できるのー?」と覗き込む私に、「もちろん!」

ジョンくんは、路上生活を生き延びるためにギャングの一味に加わって盗みも覚えた過去を持っています。ギャングの関わる生々しい犯罪のニュースをよく聞きますが、あのままいたらジョンくんも恐ろしい犯罪を犯してしまっていたかもしれない。彼は路上にいたころ「誰にも省みられず、自分は価値のない存在だと思っていた」ので、犯罪に走ってしまった可能性はおおいにあったと思われます。ジョンくんのように、一人でも多くの子どもがこんな平安な生活に移ってこれることを望まずにいられません。



たらいと洗濯板を使って、ごしごし洗濯している子もいます。




こちらは、のんびり昼寝中。




一方、訪問グループを迎えて、楽器の演奏をしている子どもたちも。ギターを弾いているレオくん(仮名)もICANキッズ。ときどきこちらを見て、ニコッと白い歯を覗かせます。彼も、マニラの市場で夜中中、重い野菜を運ぶ仕事をしていた子です。父はなく、母はとてもレオくんを学校に通わせられる余裕がなく、彼の労働力に結局頼ってしまいます。それで彼は今この子どもの家から学校に通っています。




訪問者たちに演劇も披露。

現在このブストス事業地の子どもたちの通学を応援するパートナーさんが足りていません。路上にいた経験は子どもたちの心に大きな重荷を残しており、彼らの成長はすくすくと簡単にはいかないようです。そんな子どもたちと悩みながらも一緒に「路上の子どもたち」の問題にコミットしてくださる方キッズパートナーを求めています。みなさまの参加をお待ちしています。

http://www.ican.or.jp/kidspartner.html



「月刊!プロジェクトマネジャーの一日」

2008年06月16日 | ごみ処分場の子どもたち
ゆきも@まにら

http://www.jica.go.jp/partner/kusanone/monthly/detail/39.html
【プロジェクトマネージャーの1日】

ICANのパヤタスでの社会開発事業は、昨年11月からJICAの草の根技術協力事業(パートナー型)の案件(「パヤタス地区における地域型保健事業および生計向上事業~ごみ処分場閉鎖対策として~」)として行っています。

世界各国でJICAとNGOが連携して行う草の根案件を数多くの人に知っていただけるように現場に日々携わるスタッフの視点で活動を紹介する「月刊!プロジェクトマネジャーの1日」という企画。

今月はICANの活動がJICAホームページに掲載されています。

みなさんも是非、ご一読ください。

***「プロまね」を支える仲間たち。***


第一線で働くコミュニティナース(地域の看護師)ICANスタッフのマデット。


遊んでいるときに釘を踏んでしまった子どもの足を消毒するCHV(コミュニティヘルスボランティア)。


保健所の助産師が月2回の妊産婦検診をリードする。


患者さんの多くは、幼い子どもたち。CHVが問診の中で子ども、そして親から必要な情報を聞き出し、医師による診療へつなぐ。

アメとムチのバナナ農園

2008年06月14日 | 先住民ブラアンの子どもたち
ゆきよ@まにら。

ジェンサン市内から、ICANの事業地であるブラアンの村の小学校へ向かう途中に、広大なバナナ農園が広がっている。バナナの房は水色の袋に包まれて、育てられている。



このバナナ農園を運営する企業が、この土地を借り上げる際に、この地域の役人と契約を交わし、誰でも農園のバナナを採って食べてよいことになった。その場で食べられる分だけ採って食べていいが、たくさん採って持ち帰ってはいけない、ということになっているそうだ。おかげでおなかをすかせた子どもが登校途中に、採って食べることができるようになったと、小学校の先生は話していた。

この農園で働く人々の手取りは、200ペソ弱(500円弱)。保険や年金も入っていて、パヤタスのごみ山で廃品回収するよりも稼ぎはよい。しかし、殺虫剤や防腐剤のために体調を崩す人もいるとのことだ。

バナナにはいろいろな種類があるが、この農園で作っているのは、キャベンディッシュという種類。日本のスーパーマーケットに並んでいるのが、このキャベンディッシュだ。長くてきれいな黄色のバナナ。でも、フィリピンの人たちがたいてい食べるのは、ラカタンやラトゥンダンと呼ばれているもっと小ぶりの少し黒ずんだバナナだ。こちらのほうが甘みが強く、栄養価も高いとか。ラカタンはカリウムが豊富で、ラトゥンダンは消化を助ける作用があるという。実際、キャベンディッシュよりも、ラカタンやラトウンダンのほうがおいしいと感じるのは、前者が輸出用として美しく商品化するために化学物質漬けになってないからかもしれない。バナナプランテーションの土壌は、化学肥料や殺虫剤などの影響で痛んでしまうらしい。「あの農園のバナナが育っているのは、すでに土壌の力なのではなくて、化学肥料のためなんだよ。」と話す先生もいた。



これがラカタン。


うーん。そんなバナナが日本の食卓へと運ばれているのか。農園のおかげでその土地の人たちは、空腹からのがれられるかもしれないが、土壌と労働者の健康は犠牲になっているままである。




預かり保育 サマーコース修了式

2008年06月13日 | ごみ処分場の子どもたち
ゆきも@まにら



4月8日から開始したパヤタスコミュニティケアセンターでの預かり保育のサマークラスが5月30日をもって無事、修了しました。





午前のクラスに出席していた4歳~5歳の12名と、午後の6歳~7歳の16名の子どもたち計28名が保護者とともに修了式に参加しました。預かり保育の子どもたちがひとつの区切りを迎えるのは、これが初めて。式は、子どもの感謝の祈りと国歌斉唱からはじまり、クラスごとの詩の暗唱の発表会あり、子どもたちによるダンスや歌のお披露目あり。。。親御さんたちは誇らしそうに、前にでているわが子を見守っていました。ひとりのお母さんに後で聞いたところによると、この日のために父親と毎日1週間歌の練習をしたという男の子もいました。この子は、ちょっと大きめのズボンがずれないように、大またでマイクを握って歌っていたのが印象的だったとか。最後に保護者たちの負担による、スパゲティとマハブランカ(ババロアっぽいデザート)も出されました。

預かり保育のセッションが始まって、毎日ともに暮らす家族の目にも明らかな成果が見え始めています。

近々再開する預かり保育までの時間、スタッフらと先生で家庭訪問を行っています。生計や家庭の状況について教えてもらうと同時に、今後もサービスを利用したいかなどを聞いて回ります。子どもが家で描いた絵がアルファベットの練習など、ノートを見せてくれるお母さんもいます。自分の先生が来たことを心待ちにしていた子どもは、覚えた歌を披露します。



どのお母さんも異口同音に「ICANのチャイルド・ケアに行き始めて、うちの子どもはみるみる変わっていく。」「学ぶことをとっても楽しんでるみたいで、それを見ているのが嬉しい。」「家や近所で、その日に習ったことを嬉しそうに話しているのを見て、他の子どもが勉強したいと言い出してるのよ。」など話してくれました。



そのお母さんの一人の話でスタッフみんなが笑ったのは、

「うちの子は、チャイルド・ケアの先生に、ang galing mo (=YOU ARE GOOD!!とても上手ね)と言われたそうで、次の日の朝、'わたし、ピッチャーに、ほめられたから、もう行かなくていいのよ。きょうはおうちにいるわ。」と。

ピッチャーとは、先生のこと。まだティーチャーと言えないので、先生の姿を見ると、「わたしのピッチャーだ」と叫ぶそうです。そうやってお休みしたその子も、その後、また先生にほめられたくて通っていました。う~ん、なんか自分の幼い頃を思い出す。。

日々、経済的な余裕がなくギリギリの生活をしていても、子どもが学ぶ姿、そして「ぼくも学びたい」という声に、保護者たちが必至に応えようとしていることがわかりました。子どもの成長の影に隠れる家族の努力に支えられて、預かり保育は来週、始業式を迎えます。







雷雨のあとの陽気さ。

2008年06月12日 | ひとりごと
ゆきも@まにら

午後からの憂鬱な雷雨が静まった昨夜、ICANがとてもお世話になっている仲間のご家族のお通夜に参列した。何の罪もない人たち5人が、先日、残虐極まりない犯罪の犠牲者となり亡くなられたのだ。事件のあった10日は新学期が始まる日。フィリピン中の多くの子どもたちが、この日のために用意した服に腕を通し、愛する家族に囲まれながらとびきりはしゃいで一日を過ごしたことだろう。

白昼の惨事は、フィリピンのネットワークNGO(財団のアソシエーション)で事務局長として働くオーマンさんの耳にどんなにか鈍く響いたことだろう。彼のご両親の家にいた3歳になる娘さん、そしてお母さん、お父さん、お手伝いさん3人を含む5人がギャングと見られる犯罪者たちにより身体を縛られ刺され、放火された。87歳になるお父さんだけがかろうじて生き残り、現在病院で24時間監視のもと治療が続いているそうだ。

フィリピンのお通夜の想像を絶する「陽気さ」に少したじろいだ。涙を見せてしまったのは日本人のわたしくらいだったかもしれない。日本人のわたしはまさに地獄を味わっている人を前にすると、こちらにも否定的な感情が湧きあがり、相手になんとか気の利いた「勇気づけ」のことばを、と思ってしまう。しかし、参列客にもまして、次から次へと現る参列客を前に近づき、あちこち顔を見つけては最高の笑顔を振りまく彼の姿を見て、我慢していた感情が溢れ涙が止まらなかった。結局、ひくひく言いながら涙目で近づく私は、ずっと考えていたのにどんな言葉を口にしたらいいのか分からないまま、ただオーマンさんにハグをしてもらい、こちらが慰められた感じだった。

オーマンさんは、フィリピンに数多くあるNGOを傘下に抱えネットワーキングやNGOの能力開発のために従事する団体の長として、日々、大変なプレッシャーと大きな責任感を持って仕事に臨んでおられる素晴らしい方だ。そんな家族思いで子煩悩の彼の身にこんな悲劇が訪れるなんて。持ち前とユーモアと人間性でその「凄さ」を隠せるオーマンさんは、絶望感まで隠せるのか、と思うと今でも言葉がない。

オーマンさんのお母様、娘さん、そして3人のお手伝いさんのご冥福を心からお祈り致します。そして、お父様が一日でも早く回復されますように。オーマンさんと残されたご家族がこれから平穏で癒しの日々を過ごされますように。

新たにヤギの赤ちゃん誕生 -ジェンサン給食校

2008年06月11日 | 先住民ブラアンの子どもたち
ゆきよ@まにら。

本日ジェンサンのスタッフから、新たに2匹のヤギが生まれたとの連絡がありました。ヤギ飼育は、学校給食を持続可能にするために行っている小学校の生計向上活動です。昨年7月に3匹のヤギを購入したのが、現在は全部で8匹となりました。


【きょうだいが増えてうれしいなー。め~♪】

ここサンホセ小学校の給食活動は、保護者や先生たちの大きなコミットメントにより、継続しています。



写真の後ろ右の男性が、ヤギ飼育担当。彼はもともと学校の用務員さんであるブラアン族の男性です。独身で、年齢は不詳。。。(聞くたびに年齢が変わります。)

学校に割り当てられている予算は十分でないので、このヤギ担当の用務員さんはごく薄給なのだそうです。そのかわりにと彼の昼食をいつも用意して持っていくのが、写真後ろ左の校長先生。教師暦30年のベテランです。毎日ふたつ弁当を用意するのをわが子に不審がられるのよ、と笑って話します。

写真前左の「うさぎ」のTシャツの女性が、給食担当の先生です。給食のための材料を調達してくるのも、彼女の仕事です。市内の市場で材料を購入して、モーターバイクを借り上げて、それに乗せて運んでくるのは、そんなに簡単なことではないと思われますが、華奢な彼女は、平気、平気と微笑みます。「鶏小屋をやっている保護者の家に、鶏肉を飼いに行くこともあるわ。」彼女の表現によると、給食の日は「子どもたちの目がたくさんの星をみたようにきらきらしている」から、やりがいがあるそうです。現在は小学1年生の100人のみが給食対象ですが、ヤギ飼育を成功させて、2年生以上の子どもたちにも給食ができるようにしたいと、先生たちは語っています。(ちなみに写真前右はICANマニラスタッフ。)

今週から、新学期がはじまりました。この学校も今頃は子どもたちであふれているでしょう。子どもたちも少しずつ手分けして、登校途中にヤギのえさとなる草を集め集め歩いてくるのだそうです。新鮮な草しか食べられないヤギの飼育に、子どもたちも大きな一役をかっています。



学校菜園は開墾作業から

2008年06月06日 | 先住民ブラアンの子どもたち
まい@まにら

6月2日から、ダアンバンワン小学校で菜園作りがはじまりました。
菜園作りの初日に参加したのは教師全員(校長先生と4人の先生)、お母さん24人、お父さん6人、そして土地をならす作業を手伝った子どもが6人。(そのほかに参加者の子どもで見物に来ていた子どもが8人いました)

菜園作りと聞いて、私は勝手に「種を植えて、水をやって・・・」という学校花壇のようなものをイメージをしてたのですが、実際は開墾作業から


【ずっと奥に見えるのは案内人の校長先生。このあたりを耕します。】


【カラバオ(水牛)もお手伝い】

現在の計画では学校の敷地内の使用していない土地を整え、およそ1へクタールの土地での菜園作りが予定されています。


【雑草を抜いていくお母さん&先生たち】

この畑で、ヘチマ、サヤインゲン、トマト、スイカ、なすび、オクラ、小豆が育てられます。来週からはいよいよ、種まきが始まります。


参加者の保護者の皆さんからは「これでもっと給食を提供することができて、子ども達も昼ごはんの心配をすることなく通学ができる」、「自分達が交代で畑仕事をして、絶対、この菜園を成功させてみせる!」という期待の声が多く出ていました。


【作業を見物中の児童。楽しみだなぁ~】

子どもたちの間でも「種まきが終わったら暑さなどで枯れてしまわないよう、水やりをしようよ」、「授業がないときは雑草抜きをしよう」という声があがっていました。子ども達の中には、家でも自分達の野菜を育てている家庭があり、「自分で面倒見て育てた野菜を収穫し、お母さんが料理してくれた時は本当にうれしかった!」と他の子ども達に話す場面も見られました。

「パヤタス病」

2008年06月05日 | ひとりごと
ゆきも@まにら

ここ最近事務所の前の道路で、水道管と歩行者用舗道の設置のために大工事が行われている。もう数か月も続いているのだが、当初あったアスファルトの道路をすべて掘り起こすどころか、そこら中にセメントの山が作られ、立ち退きに遭い切り落とされた切り株などが無造作に置かれている。

道路の両側には、水道管工事のため深い穴がいくつも掘られ、特に、穴を塞いでいる訳ではないので、「落とし穴」以外の何物でもなく、危険なマニラの道路がますます危険さを増している。道路工事中の標識などもないので、すべての車両がいつもどおりひとつの道に突っ込み、大渋滞になり、埒が明かなくなっている光景をよく目にする。わたしは事務所から近距離に住んでいるが、この工事が始まってからというもの、粉塵や砂埃がいつもの排気ガスに混じり、事務所と自宅との2分の距離を歩くことがこれほどまでに苦痛だったことはない。

時にはブルドーザーを運転するお兄ちゃんとアイコンタクトを取り、「わたし、今からそこ通るから、ショベル振り回さないでね。」と眉毛を上下させて合図を送ってから、出勤していた。落とし穴だけならまだいいが、凶器を振り回されて頭にぶち当たった日にゃ、たまったもんじゃない。。

そこしか出勤路?がないので、諦めて出勤していたがそうこうしているうちに、身体が悲鳴をあげ、幼い頃の持病であった気管支疾患や発熱で、ついに入院してしまった。日々うがいや手洗いを心がけたが、今回は無理だった。退院後も、疲れるとすぐ熱が出たり身体がだるかったり、咳や涙が止まらなくなるなどの症状が続いていた。

パヤタスではCHV(コミュニティヘルスボランティア)のお母さんたちが気遣ってくれ、「ゆき2(=ゆきも@まにら)、暑いところや直射日光はだめよ。埃を吸わないようにハンカチを持ちなさい。」「パヤタスに住んでいないのに、いつもここに来てたからsakit ng payatas(パヤタス病)になっちゃったんだわ。かわいそうに、(吸入器を指さして)吸入していきなさいよ。」と口ぐちに心配してくれる。情けない。。 お母さんたちは、気管支疾患などパヤタスでもっとも頻度の多い疾患を「sakit ng payatas」という。わたしはそれにかかった、とお母さんたちは認識しているようだ。

この度日本へICAN講座第2弾(帰国報告会)のため2週間一時帰国させていただいた。
実家でも在宅勤務をしながら静養させていただいたお蔭で随分と元気になった。住み慣れた実家で食べなれた食事といつも以上の睡眠をとることは、薬漬けになるよりも断然効果があることに身をもって感じた。日本に「帰る場所」があるのはありがたいことだ。仕事で得るパワーとはまた別の活力を得て再びマニラに戻ってくることができた。

医者になるべく埃っぽいところは避けて安静に。」と言われたが、「パヤタス病」にかかったコミュニティの住民は、そんな選択肢もなく、ただ高すぎて買えない薬をどうにか購入して回復を祈るしかない。薬を飲まず栄養を取って安静にする、という贅沢な選択肢もない。

今も尚続く終わりなき道路工事を横目に、「いったいどこまで身体が持つのか。」と自分の身を身を案じながらも、更に過酷な環境で身体を酷使する同僚たちの体力と精神力の凄まじさ、そしてコミュニティのお母さんたちに励まされる今日この頃です。

「買い物」という課外授業

2008年06月04日 | 先住民ドゥマガットの子どもたち
ゆきよ@まにら。

去る5月28日、サンイシロ事業地のドゥマガットの血をひく子どもたち4人と一緒に、来月の新学期に必要な学用品や運動靴を購入しました。サンイシロに一番近い「町」アンティポロの市場で、子どもたちが十分に時間をかけて自分たちの使うものを選ぶことができました。これまでは必要なものをリストにしておいて、靴以外はICANスタッフが購入して子どもたちに渡していたのですが、ノートやカバンなども子どもたちが選ぶのは初めての試みでした。



スタッフは、子どもたちが一番近い町のことをもっと知っているかと思っていましたが、なかなか山の中の村サンイシロから降りてくることは多くないので、想像以上に子どもたちは何も知りませんでした。ものめずらしくキョロキョロして、歩く足取りもゆっくりです。

当然、購入する学用品にはある程度の予算がつけられています。特にカバンや靴などは、1年間たつ前に壊れてしまっても意味がないので、「安かろう悪かろう」のものは買わないようにと言ってありました。しかし、普段質素に暮らしている子どもたちは、「贅沢をしない」という習慣が身についているらしく、「安いもの」を求める傾向があって、こちらが注意しないといけないくらいでした。人のお金だから高いものを買ってしまおうというような擦れた考えは持ってない、素朴な子どもたちです。

「ポケットのたくさんついたカバンが欲しいの・・・」3軒もお店を回ってやっと子どもたちが決めたカバンはみんなお揃い。自分で好きなものをそれぞれ選んでもいいと言っているのに、結局みんな同じものを選んでいました。ただしノートは、自分のお気に入りのデザインのものにこだわりがあるようでした。

1日1本しかない乗り合いジープで、村へ帰ります。その日ジープは満席で、ゆっくり買い物した子どもたちは、全員は席が確保できず、友達のひざの上にすわらないといけない子もいました。以前は、席がないときは、ジープの屋根の上に座っていましたが、危険だということで、今は禁止されています。ぎゅうぎゅうのジープでしたが、子どもたちは自分たちで選んだ学用品を抱えて、ニコニコ顔で帰途についていました。

あと、制服は現在パヤタス事業地のSPNP(フェアトレ商品生産グループ)が縫ってくれているところ。

現在、このような先住民族の子どもたちの通学を支えてくださるパートナーさんを募集しております。高校卒業まで簡単な道のりではありません。それをご一緒に体験していただけないでしょうか?

キッズパートナーについて






身をまもるための武器

2008年06月03日 | 紛争地の子どもたち
ゆきよ@まにら。

通勤に使う長距離バスには、たいていテレビがついている。たまにドラえもんのフィリピン語版とかも流れているが、たいていDVDの映画が放映されている。昨日の朝は、アメリカで製作された何かの戦争映画をやっていて、朝っぱらから、目の前で人がたくさん死ぬ映像を見せられた。前を見ずに横の田園風景を眺めるように努めていても、どうしても目の前の映像が目に入ってきてしまう。一般市民、子どもたちも、炎のなかに投げ入れられたり、軍靴で踏みつけられたり、撃たれたり、刺されたりしていた。心静かにバスに座っていたいだけなのに、こんなのを意思に反して見せられて、不快になりながら、でも、実際の戦争・内紛はもっとひどいんだろうなと思う。自分の家族や自分の家や自分の地域がこんなひどいことになって、残された人々にどれだけ深い傷を残すことか。

日本に留学中のミンダナオ・ピキット近郊の出身のフィリピン人が、武器にたいして怖がる日本人の友人の様子に、武器にたいする文化がまったく違うことを実感したという。内紛の舞台となったピキットやその周辺の子どもたちにとって、家に武器があることはごくあたりまえのことである。

ICANがパートナーNGOと行っているピキット事業のなかで、武器をもたないように子どもたちを教育できないか考えたことがあった。でも武器イコール護身である現在の環境のなかで、武器を手放すようにとの言説は、それ自体が危険らしい。ミンダナオの和平交渉がなかなか前進しないなか、一般市民のあいだでも武器が不必要になる日はかなり遠いようだ。