ICANまにらブログ~第二巻~

日本のNGOアイキャンまにら事務所の日記。

戦闘のない遠いところ

2008年09月26日 | 紛争地の子どもたち
ゆきよ@ピキット



ミンダナオ島では、今日も紛争が続いている。特にICANのピキット事業地がある北コタバト州では、今年の8月以降治安が不安定になっている。

今日、私はピキットの村のひとつタケパンにある避難所で、ある家族と話をしていた。子ども3人がいるこの家族は、歩いて30分先にあるシティオ・オチョ(8番地区)と呼ばれる村に家と小さな畑を持っている。8月はじめに起きた戦闘で死亡者が出ている地域だ。

「すぐ近くに住んでいた人が犠牲になったの。怖くてまだ家に帰れない。うちは小さな子どももいるし。心配で。」



母親は子どもたちを見ながら語っていた。上のふたりの子どもたちは水疱瘡の後がまだ体に残っている。

この同じ地区には、戦闘の直後には260あまりの家族が避難してきていたが、戦闘が落ち着いたため半数が家にもどり、現在は120家族がビニールシートの屋根の下で暮らしている。

避難所暮らしは今回がはじめてではない。2003年にも戦闘があって恐ろしさの中逃げてきた。




「もしも俺たちにお金があったら、こんなところは出て、ずっと遠くに行きたいよ。遠くの戦闘のないところへ行きたい。」

父親の強い口調で言っていた言葉が印象に残っている。いつ情勢が落ち着くのか、人々はフラストレーションを積もらせている一方、予断を許さないような情報が飛び交っている。

ICANでは、このタケパンなどこのたびの戦闘の影響を受けた地区の緊急・復興支援をすすめるため、ミンダナオ平和基金をつくり、紛争の被害にあった人々の栄養改善や平和教育を実施している。今日の家族をはじめ、一人でも多くの人々に、平和を求める人々の声が届くように、ICANができることは大きいと感じている。



人災と自然災害に呪われるラマダン時期のミンダナオ島。

2008年09月19日 | 紛争地の子どもたち
ゆきも@まにら。

現在ミンダナオ島北コタバト州では、武力衝突などの人の業でつくられる「人的災害」が人々の生活から静けさを奪っているだけではなく、フィリピン各地で起きる雨季や台風時の大水により、特に身体の弱い高齢者や子どもたちが二重苦を味わっています。

ICANがバライ(現地のカウンターパート)と事業を実施してきたピキットの川沿いの7集落(タリタイ・バドイングド・ブロル・ブリオク・バロンギス。ロド、カバサラン村)でも、大変な被害が報告されています。

先日17日には、ICANのピキット事業地に近いリグアサン湿地帯(Liguasan Marshland)で、水害を逃れようとしていた家族と一緒にいた生まれたばかりの赤ちゃんが水の被害に耐えられずに短い一生を閉じました。病院にかけつけようとも、洪水時に移動できる手段もなく、治療に至ることなく、亡くなったのです。

この家族のほかにも周辺にある河リオ・グランデ(地域ではプランギ河とも呼ばれる)が氾濫し、少なくとも700家族が洪水の影響を受けた、と言われています。

この地域の子どもたちは、雨季や降雨量の多い時期には、徒歩ではなく、乗合小舟のような移動手段で通学します。少し川が増水するぐらいなら小舟での友達との通学を楽しめますが、今回の水害では完全に家や学校や畑、モスクなど生活スペース全体が水没してしまい、人々の生計に大きな爪痕を残しています。

自然資源も文化も豊かなミンダナオ島が、この度の継続的な豪雨により「災害大国フィリピン」を象徴する状態に陥っています。水と戦火とあちこちでふりかかる暴力の手から、一日でも人々が解放されますように。

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関連ニュース
http://www.mindanews.com/index.php?option=com_content&task=view&id=5171&Itemid=50

避難所で子どもたちは今。

2008年09月18日 | 紛争地の子どもたち
ゆきも@まにら





現地に駐在しているICANスタッフ(ICANとBALAYが事業を実施する北コタバト州ピキットの川沿い7集落の出身者)から届いた、避難所の子どもの様子のレポートです。

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避難所の子どもたちは、日々の空腹や水やトイレがないなど決して快適ではない避難所生活の中でも、楽しいことを見つけて生活している場面もあるようです。例えばある子は、外から避難所の調査や救援物資の配給を目的として訪れる人々を心待ちにしています。また、避難所には、複数の周辺地域から来た子どもたちが集まり生活しているので、新しい友だちが出来て喜んでいる子どももいるようです。



しかし、長引く避難生活の中で、子どもたちは学校に通うことができないでいます。緊急災害(人災)時に、教科書や絵本など子どもが教育的な遊びに時間を費やせるような活動は見落とされがちです。空腹を満たすことと、子どもを緊急時にも教育を受ける機会に近づける取り組みは、人々の「衣・食・住」に直結するニーズと並行して取り組まれなければいけません。

ICANは、避難所での経験が子どもたちにとって将来「異宗教・異文化を持つ他者を恨む」理由となるのではなく、「暴力に頼った平和」の間違いに気づき、この経験を豊かに活かして成長していってほしいと願っています。

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ICANはこの度のミンダナオ島北コタバト州での紛争再開において、現地カウンターパート団体バライとともに緊急人道支援事業(ピキット避難民、集落への帰還民と「ともに」行う平和構築活動)を実施することを決定いたしました。
現在、避難民・帰還民の現状調査と治安状況を見極めながら、事業開始の準備にとりかかっています。

事業内容の詳細はこちらを。
http://blog.goo.ne.jp/icanmanilaoffice/e/4a0725d4279ee56821a8347cb16889b6

ミンダナオ平和使節団、首都を去った後は。。

2008年09月15日 | 紛争地の子どもたち
ゆきも@まにら

先日、マニラを訪れていたミンダナオ平和使節団(Bakwit sa Syhudad)とアロヨ大統領の面会の席で、同大統領は「ラマダン中の空からのマシンガンや爆弾を使った攻撃を見合わせる」との約束を交わしました。

その後、空からのヘリコプターや飛行機での攻撃を伝える報道はありませんが、各地で小規模な衝突が続いていると現地からの知らせが入ってきています。

メディアでは、今月8日朝にマギンダナオ州ダトゥ・ピアン(Datu Piang)の村で起きた「小型ボートで避難途中であった家族への空爆」の報道に一部’間違い’があったことが取り上げられました。事件当初は、「一連の武力衝突と暴力を組織したとするMILFの一部の指揮官を標的とした攻撃で、不幸にも市民が犠牲になった」と報道されていました。しかし、11日になって、「あの攻撃は、小舟からヘリコプターへ武装した市民による銃攻撃があり、それを受けての正当防衛だ。」と政府当局(AFP)が当日の事実の把握に誤解があった、というコメントを出しました。

この事件では、2艘の小舟で避難していた妊婦(4か月後に出産を控えていた18歳)1名と、その兄弟姉妹4名(9歳、7歳、5歳、2歳児)が政府軍のヘリコプターによる空からの爆撃により殺されました。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/9c/9c02d80126877985f479f4ee56a70493.jpg
【関連ニュース】

先日、平和使節団として来ていた北コタバト州ピキット・タリタイ村出身(ICAN事業地)のSamira C.Usmanさんは、

「昔、タリタイ村に住んでいる時(2001年当時)に私たちも生まれたばかりの子どもを連れて必至に逃げた。雨が多いときはわたしたちの村の周辺の集落では道がなくなるので、小舟で逃げるんです。5人乗ったらいっぱいになって川に落ちてしまいそうなエンジン付きの小型ボートです。前にある岸にたどり着くのに必死なのよ。」と語ってくれました。

サミラ(Samira)さんは、4人の子どもがいますが、長女以外は、みんな避難所で出産した、といいます。避難所には、一緒に逃げてきた産婆さんや村の保健委員さんが何人がいて、出産を介助してくれたそうです。

「わたしの子どもたちも今は8歳、6歳、4歳、2歳になりました。生まれた時も避難所。今暮らしているのも避難所です。私たちは家族みんな一緒にいて幸せだけど、ダトゥ・ピアンで犠牲になった子どもたちの死を嘆く母親のことを思うと、かわいそうでなりません」と語ってくれました。

昨日14日の日曜日、平和使節団は首都を後にミンダナオへと帰っていきました。
現在また政府とMILF(モロ・イスラム解放戦線)の2者間でのMOA-AD(先祖代々土地永続権の合意覚え書)和平交渉が暗礁に乗り上げていることを匂わす報道が後を絶ちません。

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ICANはこの度のミンダナオ島北コタバト州での紛争再開において、現地カウンターパート団体バライとともに緊急人道支援事業(ピキット避難民、集落への帰還民と「ともに」行う平和構築活動)を実施することを決定いたしました。
現在、避難民・帰還民の現状調査と治安状況を見極めながら、事業開始の準備にとりかかっています。

事業内容の詳細はこちらを。
http://blog.goo.ne.jp/icanmanilaoffice/e/4a0725d4279ee56821a8347cb16889b6

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【関連ニュース】
http://zamboangajournal.blogspot.com/2008/09/killed-civilians-are-victims-of-air.html


ミンダナオ平和使節団@大統領府での約束。

2008年09月13日 | 紛争地の子どもたち
ゆきも@まにら

昨日、マラカニアン宮殿での大統領との面会を控えた午前中、ミンダナオ平和使節団の一員でBantay Ceasefire:「市民の停戦監視団」のメンバーでもあるBapa Jose Akmadさんに出逢いました。以下、Akmadさんからミンダナオの外で生きる私たちへのメッセージをお届けましす。

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「わたしたちは、避難民の声を届けるためにここ(首都)に来た。実際に空襲やいつ起こるか分からない焼き討ちや、銃撃戦に身を震わせて暮らしている人々の気持ちでは、そこに生きる人にしか分からない。フィリピンの外から来たあなたたち(日本人)には、わたしたちの住むミンダナオ島の紛争がどのように伝えられているのか私には分からない。でも、ミンダナオ島の人々すべてが戦いを望んでいる訳ではないし、私たちのような大多数は、毎朝、安心して自分の家で目を覚ます平和が来ることを望んでいることを知ってほしい。外国の政府にも、フィリピン国内で何が起きているのか監視し続けてほしい。そして、これ以上自国の政府により殺されるフィリピン人が増えることに歯止めをかけるように協力してほしい。」

最後にAkmadさんは、「でも、今わたしが一番恐れていることは、爆撃よりも、子どもや母親を殺されたモロの人々が政府や罪のないキリスト教徒への怒りや憎悪を自制することができなくなり、同じ過ちを繰り返して、怒りの油に火を注ぐことだ。理性を完全に失い感情が爆発してコントロールが効かなることがもっとも恐ろしいことだ。わたしも感情的にならないように必至なんだ。」と付け加えました。



昨日の午後2時間半に及ぶミンダナオ平和使節団とアロヨ大統領の対談の中で、同大統領は、「ラマダン(断食月)が明けるまでは、空爆は繰り返さない」、と約束を交わしました。

「平和を望む大多数の人々が避難民となり、少数の戦闘の継続に火を付けた人びとは、安全な水を飲めるだけでなく、冷たく冷えたサンミグ(フィリピンのビール)を飲んでいる。(避難所では安全な飲み水がない。)」との言葉が印象に残りました。

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ICANはこの度のミンダナオ島北コタバト州での紛争再開において、現地カウンターパート団体バライとともに緊急人道支援事業(ピキット避難民、集落への帰還民と「ともに」行う平和構築活動)を実施することを決定いたしました。
現在、避難民・帰還民の現状調査と治安状況を見極めながら、事業開始の準備にとりかかっています。

事業内容の詳細はこちらを。
http://blog.goo.ne.jp/icanmanilaoffice/e/4a0725d4279ee56821a8347cb16889b6


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関連ニュース
http://www.mindanews.com/index.php?option=com_content&task=view&id=5153&Itemid=50



ミンダナオ島避難民による平和使節団到着!

2008年09月11日 | 紛争地の子どもたち
ゆきも@まにら



本日午前10時、ケソン市で記者会見が行われました。各テレビ局のカメラやレポーター、記者に囲まれスポットライトを浴びたのは、昨日ミンダナオ島からルソン島(首都メトロマニラがある)へやってきたばかりの平和使節団です。今回の首都への渡航の唯一の目的は、アロヨ大統領に平和的な紛争解決に向けて指揮を執るように要求するためです。

ミンダナオ島北コタバト州ピキット郊外の集落バランガイ・ブリオク(MILF:モロ・イスラム解放戦線の主要基地がある)を舞台に繰り広げられた2003年のミンダナオ紛争の悪夢から5年、いま再びそこに生きる人々の命が暴力にさらされています。つい先日からは、フィリピン政府軍の掃討作戦の一環として空爆攻撃が始まり、多くの罪のない市民が殺され続けています。

この状況を受けて、北コタバト州、マギンダナオ州、ラナオ・デル・ノルテ州(今回の紛争の激戦地)の住民は使節団を組み、「市民の声」をミンダナオ島の外へ届けよう、と行動を起こしたのです。この避難民で構成する平和使節団の団員は、Suara Kalilintad(‘平和の声’‘避難民のパワー=Bakwet Power’と訳される。)や、GINAPALADTAKA(ピキット北部の7集落内では暴力を許さない、と平和を宣言。)や、Bantay Ceasefire (市民による停戦監視団)や、先住民族がらの組織のメンバーから構成されています。

実は2003年の紛争後、フィリピン政府とMILF間で停戦協定が結ばれましたが、その過程に大きく貢献したのが平和使節団でした。2003年の当時、紛争により国内避難民となった住民は約40万人にも上りました。その避難民の経験と声と平和への希望を訴えたのが、17名の平和使節団だったのです。

2003年の停戦協定の破棄にも関わらず、希望と平和への執着心を捨てない平和使節団第2陣のメッセージに励まされました。



「わたしたちは平和を再び手にすることを諦めてはいけない。わたしたちのもとに最後に残された希望と、平和が取り戻せる!と信じる力だけは失ってはいけないのだ。

本日午後2時からマラカニアン宮殿(大統領官邸)でアロヨ大統領との会談が始まっています。

ICANはこの度のミンダナオ島北コタバト州での紛争再開において、現地カウンターパート団体バライとともに緊急人道支援事業(ピキット避難民、集落への帰還民と「ともに」行う平和構築活動)を実施することを決定いたしました。
現在、避難民・帰還民の現状調査と治安状況を見極めながら、事業開始の準備にとりかかっています。

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http://blog.goo.ne.jp/icanmanilaoffice/e/4a0725d4279ee56821a8347cb16889b6

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関連ニュース:
http://www.mindanews.com/index.php?option=com_content&task=view&id=5145&Itemid=190

再び日常化する人々の避難所生活。

2008年09月10日 | 紛争地の子どもたち
ゆきも@まにら

ミンダナオピキット駐在のICANスタッフより現地の情報が入ってきました。

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ピキット周辺に位置するバランガイ・プノルの避難所を訪れました。避難所の生活はとても過酷なもので、人々は時には朝・昼・晩と3度食事を取ることも出来ていない状態です。フィリピン福祉開発庁などからの救援物資の支給がありましたが、すべての家族に充分な食糧が行きわたることはありません。

小さな簡易テントで生活しているため、雨の日には、家から持ってきた生活用品などが濡れてしまいます。避難所生活を始めてしばらく経ってから人びとが口ぐちに言う問題は、「トイレ」です。バランガイ・プノルにある避難所のトイレの状況は他の場所と比べても最も悪く、私たちが訪問した時も、そこら中にひとや動物の排泄物がある状態でした。避難所では、安全な飲み水を手に入れることも難しく、子どもたちが、下痢や発熱、頭痛や皮膚病にかかってしまうのも、このような劣悪な住環境が大きくかかわっています。

2003年の紛争以降、村に戻った人々は、破壊された家や学校、畑を元に戻し、人間らしく生きられる日々を自分の手で取り戻しました。少し距離を移動すれば、安全な水も食べるものも、家もトイレも薬草もあるはずなのに。人びとが再び村に戻った時に、どのような光景が待っているのでしょうか。

避難生活が長引くにつれ、人々のストレスが多宗教の信者や、この状況をとめられない外部の他者に対する憎悪に変わっていきませんように。。

次回は、避難所での子どもの様子をお伝えします。

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ICANはこの度のミンダナオ島北コタバト州での紛争再開において、現地カウンターパート団体バライとともに緊急人道支援事業(ピキット避難民、集落への帰還民と「ともに」行う平和構築活動)を実施することを決定いたしました。
現在、避難民・帰還民の現状調査と治安状況を見極めながら、事業開始の準備にとりかかっています。

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ミンダナオ紛争:「掃討作戦」の行く末は。。

2008年09月09日 | 紛争地の子どもたち
ゆきも@まにら

ICANはこの度のミンダナオ島北コタバト州での紛争再開において、現地カウンターパート団体バライとともに緊急人道支援事業(ピキット避難民、集落への帰還民と「ともに」行う平和構築活動)を実施することを決定いたしました。現在も、避難民・帰還民の現状調査と治安状況を見極めながら、事業開始の準備にとりかかっています。

事業内容の詳細はこちらを。
http://blog.goo.ne.jp/icanmanilaoffice/e/4a0725d4279ee56821a8347cb16889b6

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9月1日から、イスラム教のラマダン(断食月)が始まりました。この時期、イスラム教徒は、妊婦や赤ちゃん、病人や高齢者など体力や健康が衰えている人々を除いて、日の出から日没にかけて食糧の摂取を中断します。

年に一度、世界中のイスラム教徒が唯一神アラーへの信仰を一斉に深める神聖な月ですが、ミンダナオ島の多くの人々にとって、宗教的義務だけに平穏な気持ちで臨んでいられない現実が続いています。フィリピン国軍内でも、ラマダン時期は、イスラム教徒であれば戦闘の第一線部隊には配置されない、など組織内のイスラム教徒への配慮はされています。一般的に「キリスト教V.Sイスラム教」の2大宗教間での争いと誤解されやすいミンダナオ紛争は、特にラマダンなど宗教的な行事月に、「宗教対立」の一言では片付けられない一面を見せます。

昨日8日月曜日に、マギンダナオ州にある町(Datu Piang)で国軍による空襲により、市民7名(5人の子どもと1名の妊婦を含む)が犠牲となりました。この家族は、小さいボートで戦火を逃れるため避難している途中で爆撃に遭いました。政府の「テロリスト掃討作戦」の名の下で、各地で暴力が繰り返されています。この作戦の目的は、MILFの数部隊の司令官を犯罪者として捕えることとされています。しかし、その目的を達成するまでにあと何名の市民が犠牲となるのか、「掃討作戦」の成功の先に人々の生活に安らぎが訪れるのか疑問です。

今回犠牲にあった妊婦や子どもたち信条や背景は分かりませんが、とにかく、まだイスラム教徒でも、キリスト教徒でもなく、ただこの世に生を受ける前の子どもの一生までもが次々にいとも簡単に消されている「掃討作戦」の現状にやるせない気持ちでいっぱいになります。



【写真:バライのスタッフが先月末ICAN事業地があるピキットの北部のタケパン町で、戦闘の犠牲になった夫婦と子どもを訪れました。このような人々のお別れの光景があちこちで見られます。】

関連ニュース:
http://www.mindanews.com/index.php?option=com_content&task=view&id=5131&Itemid=190

ジェンサン給食事業 ~給食ではお腹いっぱい食べれるの~

2008年09月05日 | 先住民ブラアンの子どもたち
まい@まにら。

先日お伝えしたように、着々と菜園が進んでいるダアン・バンワン小学校ですが、今日はそこで給食に参加している一年生の女の子、クリスティーンちゃんのストーリーをご紹介します。


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クリスティーンちゃんは細身で恥ずかしがり屋の女の子。6人きょうだいの5番目です。また、現在お母さんは妊娠していて、家で家事と育児をしています。お父さんは小作人として他の雇い主の畑で農業をしており、とうもろこしなどの野菜を作っています。

クリスティーンちゃんの家は竹で編んだ壁と床でできています。部屋は一部屋しかなく、この部屋が家族の寝食、遊びの場となります。家にトイレはなく、器に用を足したら近くの湖に流します。水浴びも、洗濯も、食器を洗うのも同じ湖で行っていますが、飲み水は他の湧き水を汲んできます。

普段はお母さんの手伝いをするために、家の周りの掃き掃除や水汲み、週末、学校がないときにはきょうだいの面倒を見ます。彼女も、きょうだいも自分の服というものはなく、下着も、ズボンもスカートもブラウスも全てきょうだいと共有しているそうです。そして、学校や教会に行くときだけきれいな服を着ます。

家では、たまに一日に二食お米を食べることもありますが、ほとんどは一日に一食朝か夜かどちらかしかお米を食べません。そしてお昼は大体バナナやサツマイモを蒸してお米の代わりに食べます。


クリスティーンちゃんは朝7時、学校の先生達が来る前に学校に到着します。質問されたらちゃんとみんなの前で発表をしたり、簡単なアルファベットの読み書きもできます。担任の先生によると、彼女は覚えるのに多少時間がかかりますが、全ての授業で一生懸命取り組んでいます。授業には毎日出席していますが、これまでに2度ほど家で食べるものがなく学校を欠席しました。




『鶏肉が食べれるのは給食だけだし、その他のおかずもおいしいので毎日給食があったらいいなぁと思います。そして何より給食ではいつもお腹いっぱい食べられるので嬉しいです。』


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このダアン・バワン小学校を含め、ICANが給食事業を行っているミンダナオの小学校では、クリスティーンちゃんのように家でも食べるものがなくて学校に行っても元気がなく、授業に集中できない子ども達も多くいます。また、それが原因で学校を休みがちになったり、辞めてしまう子もいます。ICANでは、給食授業を通して、子ども達の通学意欲を高め、ひとりでも多くの子どもたちが落第することなく卒業の日を迎えられるように目指しています。

ジェンサン学校菜園:野菜1~3号!

2008年09月03日 | 先住民ブラアンの子どもたち
まい@まにら

ICANが給食事業を行っているミンダナオ島のダアン・バンワン小学校では、自分達の力で持続的に給食を続けていくために、この6月から学校菜園が始まりました。

そして、PTAや生徒の皆さんが力を合わせて開墾した学校菜園の野菜がとうとう姿を現してきました。開墾前には草がボウボウだった土地ですが・・・。




つるがどんどん伸びている・・・。

さて、これはなんでしょう?



こっちではスープや煮浸しのようにして、葉っぱもお花も食べます。
答えはカボチャでした。

学校菜園の野菜第二号、三号。

これはシタウ(豆:十六ささげ)なのですが、実はこの下にはサツマイモが植えてあります。



イモの葉っぱやツルもスープなどで一緒に食べます。
この日の給食のため、料理担当のお母さんも笑顔で収穫。




畑でとれた野菜は台所へ直行


まだまだたくさんの野菜が成長中。
続きはまた後日・・・。

私たちの理想の学校

2008年09月01日 | ごみ処分場の子どもたち
まい@まにら

8月9日午後、パヤタスのケアセンター2階でサバイタヨの子ども達のワークショップが行われました。小学校高学年から高校生(ただしフィリピンは小学校6年のあとすぐ高校4年という教育システム)の子ども達が、3つに分かれて「理想の学校」について考えました。



ワークショップの初めはまず各グループの名前を決めます。
意外と早く決まった様子・・・。

① OKグループ 
② ミッキーグループ 
③ エンジェル グループ 

しかも、全グループ名前+ジェスチャー付きで元気な雰囲気で始まりました。

テーマは「理想の学校」。自分達が考える理想の学校を話し合って描きます。
どのチームも書き出しは行き詰っている様子でしたが、気がつくと「どんな校舎がいいか、どんな教室がいいか、学校の周りには何があったほうがいいか」など時間ギリギリまでたくさんアイデアが出てきました。


20分後、みんなの前で発表。




①OK学校 一番左
中央には高い山があります。山に登っているのは、夢に向かって歩いている自分達の様子。飛行機は、スチワーデスになりたいという夢を持つチャッキー(仮名)ちゃんが書きました。木々にはマンゴー、りんご、バナナがたくさん実をつけています。

②ミッキー学校 中央
高くてきれいな校舎がいい。きれいなトイレに、コンピュータルーム。図書室にはたくさんの本が並んでいます。そして学校の外には動物がいて、自然もある。屋上にはサテライトまで?!学校の門を出ると川が流れており、放課後には橋を渡って反対側の木々の元で座って話ができます。

③エンジェル学校 一番右
丸い校舎の真ん中には花畑。色とりどりの草花が咲いています。うさぎもいます。
校舎を出ると横には海があります。

3つのグループにはたくさんの共通点がありました。
全部の絵に共通していたもの。
国旗、バスケットコート、色んな種類の教室、木々、海、山、川などの自然。出来上がった学校の絵には、どれもゆったりした雰囲気が漂っていました。

この子ども達が通っている学校はマンモス校です。教室も生徒で密集しており、校舎を出ても子ども達がゆっくり語り合えるような自然やスペースはありません。「学校の周りに海があったらPeacefulで気持ちよさそう」、「この木陰に座って放課後友達とお話するの」、「川で泳いでる人がいるでしょう」、「動物がいたほうがいいわ」。子ども達は、目を輝かして発表します。

また、聞いている子ども達も「あれは何?」「なんでそんなのがあるの?」と質問が飛び交います。「わー、素敵だね!」と他のチームの発表に賛同する姿も見られました。

中でも特徴的だった共通点はトイレでした。
子ども達が通っている学校は1教室50人近くも生徒数がいるにも関わらず、トイレは学校に2つしかなく、休憩時間にはいつも生徒がトイレの前に列を作っているそうです。また、衛生面でも清掃が行き届いていないため匂いや汚れが目立っており、子ども達からは「トイレがもっとたくさんあったらあんなに並ばなくていいのに」、「きれいなトイレがほしい」という声が上がっていました。



そして、何よりも一番の共通点は人物。
全ての絵には勉強をする子ども達が描かれていました。

自分達が描いた「理想の学校」で勉強できるように願う気持ち、夢を抱き続けてそれに向けて自分達ができることを考えることが大切であると、再確認したワークショップでした。