ICANまにらブログ~第二巻~

日本のNGOアイキャンまにら事務所の日記。

住民によるオリジナル地図作り

2008年03月31日 | ごみ処分場の子どもたち
まい@まにら。

先のCHV(コミュニティヘルスボランティア)のラグナでの研修で開始された、コミュニティマッピング(地図作り)の続きに参加してきました。

CHVらが研修中に作成した大まかな目印などが記された地域の地図を元に、実際にメンバーたちがコミュニティを歩きながら地図の完成に向けて作業しました。

CHVメンバーが3人づつペアになって各区画を家庭訪問しながら世帯主の名前、家族構成、乳幼児の有無を紙に書いていきました。私たちのグループは、9つの区画を担当しました。2時間かけて50世帯の家を訪問しました。看護師のマデットも一緒になり、住民の健康相談や、子どもの虫下しや予防接種の有無についても情報を集めていきました。



【メインロードとキーポイントが記してあるオリジナルマップ。ここから、家庭訪問した各家の名前と位置を追記していきます。】



【家庭訪問から帰ってきて各担当区画を確認する作業】


【それを全グループが組み合わせます】



【このようになるはず…。最終的に清書します。】

中には子どもが予防接種をした後、副作用で発熱してしまい、その後、こわくなって子どもに予防接種をするのをやめたというお母さんや、あと数日と出産日が迫っているのに誰に出産を介助してもらうか(助産師)が決まっていない妊婦さんなども多くいました。

これまで、クリニックの患者さんや急患がでた場合など、家庭訪問するためにすごく時間を要していたのですが、今後、この地図を元に患者さんの場所や住居環境を特定するのが目的です。また、CHVらは、自分たちの居場所を記して、住民が身近に助けを求められるような情報ツールとして活用できる地図作りを目指しています。

本当は、一日で完成する予定だったのですが、地形と世帯数の関係で予想以上に時間を要したこと、そして初めての地図作りで各グループが最後に組み合わせた地図の記載方法が違っていたことなどから、この日は一部しか終えることができませんでした。ただし、今回の経験を元に、CHVのメンバーからも「こうやると効率がいいんじゃないか」、「家のサイズはこれくらいにしよう」と改善案も出てきていました。

少し余談になりますが、女性へのインタビューで子どもの数を聞く際に「生存している子どもの数ですか?死んでしまった子も含めるの?」と聞き返されることが多かったこと、そして出産時および幼いうちに先天性の病気や、はしかなどで亡くなっている子どもが多かったことに衝撃を覚えました。国連児童基金(ユニセフ)はつい先日、フィリピンは5歳未満児死亡率が高く厳重に監視する必要のある60カ国に含まれていることを明らかにしました。

以前友人から、フィリピンでは子どもが生まれたら○○ヶ月Birthdayと、毎月、家族で祝うんだということを聞きました。そして、1歳の誕生日は日本の成人式並みに親戚や友人みんなで盛大に祝います。その背景には、こういう現実があったんだと、改めて考えさせられる一日でした。パヤタスでも、一人でも多くの子ども達が無事に誕生日を迎えるため、今回のCHVによる地図作りも、その取り組みに役立つツールになるのではないかと思います。

こどものこえ ―南レイテ島地すべり被災地②

2008年03月28日 | 災害の影響を受けた子どもたち
まい@まにら。

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避難所での生活はあまりハッピーじゃないわ。だってお腹が空くんですもの。友だちもあまりいないわ。え?もちろんここは子どもの数は多いわ。ほかのバランガイの子も住んでるから。セントラル小学校もすごいたくさんいるわ。

でも、本当の友達じゃないの。わたしたちのこと、彼らは "Bakwit(ビサヤ語で避難民の意)" って呼ぶのよ。この前、学校のフェンスが壊れたの。そしたら "Bakwtiがやった!"っていうのよ。なんでそんなこというのかわたし分からないわ。寂しいわ。え?怒ってるわけじゃないけど、とにかく、寂しいのよ。だって、わたしたち壊してないもの。何も言い返さないわ。アヤハグ小学校の時は、みんな仲良かったわ。だってわたしたち "Bakwit"じゃなかったから。それに、あの頃はみんな山で育った子どもだし、そんなの当たり前だから馬鹿にされなかったわ。早く村に帰りたいわ。でも帰っちゃ駄目だって。お父さんは仕事があるから帰ってるわ。ほかの子どもも帰ってる子いるのにね。お父さんは夜はここに帰ってくるのよ。他の人の畑で仕事してるの。


【子ども達が描いた絵。左側が以前暮らしていた村、右側は避難所の生活】



新しい家?行ったことあるわ。でも、新しい家でも、あまり嬉しくないわ。わたしは村に帰りたいの。新しい家も、今と同じように道路が近いからうるさいと思うわ。静かなところがいいの。



そして、ここみたいに狭くないしね。新しい家に引っ越しても、畑がないから、お父さんは農家でいられるかどうか分からないって言ってたわ。もう家は決まってるのよ。くじ引きで決めたの。いつ引っ越すかって?分からないわ。


わたしの夢は看護師さんになることよ。え?看護師の仕事ってどんなのかって?そんなのよく分からないけど、きっとお医者さんを助ける仕事よ。一度病院にいったときに、看護師さんが白い服着てたの。先生から看護師さんの仕事の話を聞いたこともあるわ。患者さんのおうちを訪ねることもあるのよ。小学校を卒業したら、私立の高校に通いたいわ。なんで看護師かって?だって、白い服を着るからよ。白好きなのわたし。わたしは以前は健康だったわ。でもここに来てから、わたしもきょうだいも、肌にブツブツができるようになったの。なんでか分からないわ。かゆいし、すごい熱くなるのよ。お医者さんは水が原因かもしれないって言ってたわ。薬塗ってもよくならないの。村に帰ったら治ると思うわ。


一番嬉しかったことは、誕生日よ。いっぱい料理を準備するからよ。10月17日なの。去年はここでお誕生日やったけど、つまんなかったわ。鶏肉は食べられなかったの。今はお米がないこともあるんだから。鶏肉は高いのよ。でも、一番好きな食べ物よ。去年の誕生日は、救援物資の中にパスタとソースがあったから、それを食べたの。嬉しかったわ。今年の誕生日はスパゲティはできないわ。だって今はもう救援物資ないもん。寂しいわ。昔はいっぱいあったわ。缶詰とか色々よ。今は寂しいわ。

え?怒ってるかって?怒ってないけど、もうあまり人こなくなったわ。最後にたくさん人が来たのは2月17日の一周年祈念の時よ。だから、話するの楽しいわ。え?前にもインタビューされたかって?されてないわ。ギンサウゴンの子どもの方が犠牲者だからね。絵を描いたこと?一度だけあったわ。それも楽しかったわ。

一番辛かったことは、今回は成績優秀賞をもらえなかったことよ。1年生から5年生までいつもわたしはこの賞をもらってたのよ。え、なんで今年取れなかったかって?先生にはお気に入りの子がいるのよ。今回その賞をもらった子は、先生の娘よ。だからわたしは2番目だったのよ。ほんとに不公平よ。

アヤハグの小学校は今閉まってるって。いつ開くのかしら…。ここの学校は嫌だわ。昔は欠席することなんて絶対なかったのに、なんだか面倒な気がするわ。え?1分も歩かなくてもいいじゃんって?だって、今はすぐそこにあるけど、学校終わっても遊ぶところもないし、学校でもここの出身の子どもたちと仲良くできないんだもん。でも勉強は大好きよ。今は電気きたから、夜も本読んだり勉強できて嬉しいわ。

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新しい環境の中、子ども達は災害で失った仲間や「故郷」を想い続けながら、新たな差別や貧困と向き合っています。緊急支援活動が終わった後も、ローズちゃんのような災害に遭った子ども達が心の傷を乗り越え、再び夢に向かって生活していけるよう、応援していきたいと思います。

こどものこえ -南レイテ島地すべり被災地①

2008年03月27日 | 災害の影響を受けた子どもたち
ゆきも@まにら。

2006年4月から2007年の4月にかけてICANがCDRC(フィリピンNGO)と共同で行った「南レイテ島セントバーナード郡地すべり被災地コミュニティでの災害管理事業」で出会った子どものストーリーを数回に渡ってご紹介します。

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わたしはローズ。セントラル小学校の5年生。1年~2年はサグアンゴンで学校に行って、3年生の時はアヤハグ小学校に通ったわ。地すべりが起きたあの日はアヤハグ小学校にいたわ。当時は4年生だったの。休憩時間が終わって、みんな教室に戻ったところだったんだけど、5年生が「地滑りがおきたぞ!」と言ったからそれで初めて知ったの。

でも、何も音は聞こえなかったわ。地震もなかったの。そして、そのあとしばらくしてバランガイカウンセルマン(自治会の役員)が、何が起きたのか知らせてうれたのよ。わたしたちはみんなびっくりしてすぐ教室のドアに走ったけど、先生が外に出られないように、とおせんぼしたの。だって先生はただの嘘かと思って信じなかったんですもの。

でもわたしたちは家族が心配だったから、泣きながらみんなで先生を押したわ。ほかの子どもは教室にしばらく残ってたけど、わたしは、先生の脇をすり抜けて教室の外に出ることができたの。そのあとほかの生徒たちは、力ずくで先生を押して、外に出たわ。だって本当の話だったんだから。わたしはお母さん達がいるサグアンゴンも一緒に埋まったと思って泣いたわ。

大きな地すべりってそんなのここでは起きたことないし、どんなものか分からなかったけど、あの大きな山が崩れたら、きっとみんな生き埋めになるって想像したから恐ろしくなったのよ。一人泣き出すと、みんな泣き出したわ。家族が死んだと思ったのよ。

それからお父さんが迎えにきてくれたの。ダンプカーにのってアヤハグからセント・バーナードの体育館に向かったの。お母さんは二人の兄弟を連れてサグアンゴンからパトカーに乗って街まで下りてきたらしいけど、そんなの知らないから泣いたわ。夜になってやっと街の体育館で家族みんなに会ったの。弟や妹たちはサグアンゴンのデイケア(保育所)にいたのよ。それから、その日の夜にここ(アヤハグから離れた低地の避難所)に来たの。



【絵を描きながら当時の状況を説明してくれたローズちゃん達】

お母さんは地すべりが起きた時、ヘリコプターが通ったかと思ったんだって。それか、山から水がいっぱい滝みたいに流れてきたのかと思ったんだって。アヤハグの方が土地が低いから、わたしがもう埋まってしまったかと思って心配したって。今でも大きい音がしたら、わたしもお母さんも兄弟たちもみんなびっくりするのよ。泣くこともあるわ。あれから、わたしは、いつもいつも(以前住んでいた) 遠くなった山を見るようになったの。ほかの人も同じよ。昔も見てたけど、今はもっとよ。



この地すべりで20人以上のいとこや叔父、叔母が死んだわ。悲しかったわ。生き残った親戚もいるわ。新ギンサウゴン村に住んでるから、すぐそこよ。昔よりも近いんだから。え?今でもよく会いに行くかって?行かないわ。だって交通費がないんですもの。トライシクルだと片道で10ペソとか15ペソするのよ。遠くなった感じだわ。

むかし、お母さんは、お金がなくなると、縫い物の仕事するためにギンサウゴンに行ってたの。わたしもいとこと遊べるからついていくこともあったわ。カカオとか木に登って取るのよ。え?カカオのホットチョコレート飲んだことないの?ココナツミルクを入れてのむとおいしいのに。ここでは、もう飲めないわ。マイロのカカオはおいしくないんですもの。しかも高いし買えないわ。(註1)


あんなことが起こるなんて誰も思わなかったわ。小さい地滑りはいつも普通のことだったの。え?どのくらい?5メートルくらいの山がずれて落ちるの。でも誰も被害には遭わなかったわ。

え?なんで地滑りが起きると思うって?だって、山の木がいっぱい切られてなくなってたから。ギンサウゴンはひどかったのよ。サグアンゴンは自治会が禁止してたから、きる人いなかったみたいよ。(註2)

ギンサウゴンの木がなくなったし、雨がいっぱい降ってたからあんなことが起きたのよ。これは、自分の考えよ。人から聞いたことじゃないわ。


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()内のコメントは追記

註1)マイロはチョコレートドリンクMiloではなく、Tableaというカカオの飲み物の製品のこと。

註2) 家の建材に適した木の種類がサグアンゴンにはないため、切るニーズもなかった上、ギンサウゴンにはToog, nara, yakaなどの最適な木で高級な木が数多くあった。サグアンゴンの住民は他のバランガイで切る仕事を生計としていた人もいた。ただし、許可証を持つ人のみが伐採を許されていた。

CHV 1泊2日研修@ラグナ③

2008年03月26日 | ごみ処分場の子どもたち
ゆきも@まにら。

関連記事は、
①http://blog.goo.ne.jp/icanmanilaoffice/e/8a23bbce91302e43123ebb8649cd84fb

②http://blog.goo.ne.jp/icanmanilaoffice/e/b1d3c2f8f630e289e7a22d0ff6d9e569


をご覧ください。


2月16日~17日、1泊2日で開催された、CHV(コミュニティ・ヘルスボランティア)の女性たちの課外研修の最終日は、「ルールに従うこと」

6人のコアメンバーが2グループに分かれ、「課題」とそれを達成する為の「材料」が入った封筒を渡されます。

封筒の中には、色画用紙やはさみ、テープやのりなどの文房具が入れられており、その中にある材料を使って「課題」を作っていきます。

ルールは、①制限時間10分であること、②封筒の中のものだけを使って作ること、です。

「よ~い、スタート!」の合図と共に制限時間10分のアクティビティが開始しました。



まず、封筒を開けて、メンバーの1人が課題を読み上げます。

グループA「緑色のナースキャップ(看護師帽)と、黒い医療用白衣(ガウン)?と、赤い靴下」

グループB「茶色の救急サインと、両サイドに黄色い丸印、チームメイトの名前が付けられた救急車」

課題を聞いて、両チームとも少々混乱気味。。。

「なんでナースの帽子が緑色なのよ?白じゃなきゃダメよ!」

「ドクターが着るガウンは、黒なんて、おかしいわ。」

「赤い靴下?サンタかしら?」などと、トンチンカンな課題への感想を言い放ちます。

メンバーの中には、「「変でも、ルール通りにしなくちゃ。完成しないわ。」隣のグループを覗いて見ようかしら。」

となりを覗くと、ちょっとお借りしたい材料があるようで、ルールを忘れて交渉を始めます。両グループ共に材料交換する方がお互いの作品制作のために、有益であると思ったらしく、課題を出した講師に、「ほんとに材料を換えっこしちゃダメなの?ルールを変えた方がいいと思うんだけど。」と両グループが迫ります。

その結果、ルールを変更、材料を交換してもOKになりました。

課題通り、パッと見ると何だかよく分からない作品が出来上がりました。

 


緑の看護師帽をかぶりながら、みんなが「白ではないこと」以外で、特徴を捉えきれているか、など批評を始めました。そのうちに、「何で髪の毛を全部覆うわけではないのに、あんなに小さい帽子を頭に乗っけるのか。」など、みんなが常識と思っていたことが、実は、そんなに実用性とは関係ないのではないか、という意見も出されました。しかも、国によってサイズも違うとか。。

与えられたルールに従うことの大切さ、また既存のルールに従うことが腑に落ちない時は、どうすればいいのかの対処法を学んだようです。

今後、協同組合の重役として医療サービスの運営を背負うCHVらは、去年の末から年明けにかけて、協同組合の「定款」作りの中心的存在を担いました。地域の保健環境の改善と平行して、協同組合の経営者として、「ルールを作る側」になると、患者さんを含む多数の人々の立場に立ってものを見ることが求められます。

コミュニティには、「ニーズ」は尽きることがありません。ICANは、CHVらが限りある資源と時間の中で、対話を進めながら挑戦し続け、「緑のナースキャップ」でも、堂々と活躍できる知識と自信を養っていってくれる、と信じています。


ICANは「らいおん」か?-絵本「ラチとらいおん」より②

2008年03月25日 | ひとりごと
ゆきよ@まにら。

絵本「ラチとらいおん」は、ラチという子どもが、小さな赤いらいおんに励まされて、だんだん強くなっていく(エンパワーされる)お話しである。というか、ラチが自分の中にある強さに気づくプロセスを描いているともいえる。「らいんおんがついていなくても、ラチは強かったのです。」

このらいおんの役割は、ICANの開発事業の仕事にちょっと似ているところがある。社会的政治的経済的に「弱い」と信じられているコミュニティのお母さんたち、子どもたちに寄り添い、「いち にっ さん! いち にっ さん!」と一緒に訓練をする。訓練は、栄養について学ぶ保健教育セミナーだったり、表現力を高める演劇ワークショップだったり、売れるお菓子をつくる技術訓練だったり、いろいろな形がある。ICANの「地域開発プログラム」や「ノンフォーマル教育」は、らいおんのように「強くする」→エンパワーする場をコミュニティ住民や子どもたちに提供する仕事である。

「できない」と、しり込みする子どもに「じゃ、一緒にやってみよう」と誘いかける。「きっと君もできるよ」とはげます。すると、少しずつ「できること(ICAN)」が増えていく。ラチが、女の子を連れてこわい犬の前を通りすぎることができ、暗い部屋にクレヨンをとりに行くことができ、いすも持ち上げられることができるようになったように。そうしていつしか、ラチがらいおんとすもうをとって、とうとう勝ったように、私たちの想像を超えた力をコミュニティの人びとや子どもたちが発揮するようにもなる。

でも、ICANはらいおんに似ているけど、決してらいおんではない。だいたいらいおんのように、いきなり「どうだいぼくは強いだろう、君を強くしてやるよ」と言って現れない。気がついたら、そこにいて、さりげなく背中を押しているような形でないと、事業はうまくいかない。存在感が大きいといけない。それに、ICANはらいおんのようにかっこよくない。力をつけたラチに置手紙を書いて去っていくような、ICANはそんなドラマチックな英雄ではない。ICANとコミュニティあるいはICANと子どもたちの関係は、もっと相互的である。らいおんがラチに力を与え、ラチがそれを受け取るという一方的な関係ではなく、ICANもまた、コミュニティや子どもたちから力をもらっている。たくさん学んでいる。

らいおんはラチの「弱虫」という問題を解決するために現れたオタスケマンだが、ICANの場合、ラチの問題は、彼個人だけの問題ではなく、らいおん自身の問題でもある。コミュニティの問題、子どもたちの問題は、ICANの問題でもある。ICANにかかわる私たちひとりひとりの問題でもある。同じ地球上にいまここに存在するあなたの問題は、決してあなたひとりの問題ではない。私の問題でもある。あなたの問題は私につながっている。だから一緒に取り組もう。ラチとらいおんの間には共有された問題があり、それをともに解決するためにお互いに強くならなければならない。だから、ICANはらいおんではない。むしろICANもICANに関わる私たちひとりひとりも、ラチなのである。

私たちもまたらいおんのように強くなって、飛行士になれるだろうか。一緒に空をとべるだろうか。

―人びとの「ために」ではなく、人びとと「ともに」―

みなさんも子どもたちやICANと一緒にラチかららいおんになるプロセスに参加しませんか?

協同組合 職業・技術訓練③洗剤作り

2008年03月24日 | ごみ処分場の子どもたち
まい@まにら


2月29日に、パヤタスのコミュニティケアセンターで、布巾、お菓子作りと続き、職業・技術訓練の第3段として、協同組合の組合員を対象とした洗剤作りが行われました。洗剤作りには化学薬品を使用するため、講師にはPUP大学から薬品の専門家を招き、当日は組合員21人が参加しました。


この洗剤の売上金も、布巾やお菓子同様、協同組合の運営に充てられます。今回挑戦したのは食器洗い用の液体洗剤と、洗濯用の粉石けんの2種類。それぞれ、薬品を順番に混ぜていきます。


【混ぜ方にも回数や混ぜる向きなどの決まりがあるとか】


この日作った洗剤は、各10キロづつ。食器用洗剤は1リットル70ペソ、粉石けんは500グラム50ペソで販売される予定です。(市場やスーパーで一般に販売されている洗剤に比べると安めの値段が設定されています。)また、今後は、コミュニティセンターで販売する予定です。

「世界結核デー 08'」②

2008年03月21日 | スタッフとオフィス
すずき@まにら。

行政が行っているガイドラインに沿った結核対策と、NGOが実際にコミュニティに入って実施している結核対策では、違いが出てくるのは仕方がなく、また、こういった「違いを知る」という経験もお互いにとって必要なことなのではないでしょうか。

たまたまこの日参加していたケソン市保健局の結核対策従事者は、NGOがどのような活動をしているかあまり知らなかったようですが、このワークショップに参加している保健省やWHO(世界保健機構)で、フィリピンの国レベルで結核対策を行っている方たちは、「フィリピンの結核対策にはNGOの協力が不可欠だ」と言っています。さらに「医療サービスの手が届きにくい地域でこそ、結核対策にはNGOの存在が欠かせない」とも。だからこそ、今までお互いの活動をあまり知ることのなかった公的機関と私的機関が協力していこう、というのが、このワークショップの大きな目的なのです。



この日、マデットとテスは行政の人が考えている「結核対策」にがっかりした気持ちを隠しきれない様子でしたが、むしろ彼女たちにこそ、自信を持ってNGOが行っている結核対策を行政の人たちに伝える役割をして欲しいと思うのです。





2006年から正式に始まったパヤタス・コミュニティケアセンターでのDOTS(直接服薬確認療法)によって、既に多くの患者さんが結核治療を終えました。しかし、服薬を始めて一時的に症状が改善したために、治療を中断してしまう患者さんや、パヤタスのように人の流出入が多い地域では、引越しを機に治療を止めてしまう患者さんもいます。(引越しをして居住地域が変わった場合でも、「治療録カード」を持っていれば、引き続き移転先でも無料で治療を受けられる)そういう患者さんは「薬剤耐性結核」という、薬の効かない結核になり、その後の治療が大変困難な状態となります。

また、基本的に結核の治療は無料ですが、それを知らずに「お金がない」という理由で、治療を受けない患者さん、また小児結核は費用がかかるので治療を受けられずにいる子どもたちも沢山います。

こういった問題に取り組んでいくために、ICANではスタッフばかりではなく、CHVs(コミュニティ・ヘルス・ボランティア)が医療的知識や技術を身につけるべくトレーニングを受けています。結核対策にとって大変重要なことは、患者や住民自らが結核に対する正しい知識を身につけることなのです。


そして、今年の「世界結核デー」のテーマは「I’m stopping TB」。結核は誰かに治療してもらうものではありません。自らが確実な服薬を行ない、結核に立ち向かっていくことが必要です。

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関連リンク【結核ってどんな病気?

「世界結核デー 08'」①

2008年03月20日 | スタッフとオフィス
すずき@まにら

1882年3月24日、コッホ※が結核菌発見の発表をしたことに因んで、1997年に3月24日を「世界結核核デー」とし、毎年この日の前後に世界各地で結核に関するイベントが開催されています。

世界結核デーを間近に控えた3月11日、ICANのスタッフであるマデットとテスが、RIT/JATA Philippines, INC.(Research Institute of Tuberculosis / Japan Anti Tuberculosis Association)が主催するワークショップに参加してきました。RIT/JATAはフィリピンの結核対策の中核を担うNGOとして、昨年設立されたばかりの新しいNGOです。

このワークショップの目的は公的医療機関(保健省・公立病院・保健所)と、私的医療機関(私立病院・NGO・住民組織)が協力し、各機関や団体が持っている特性を活かし、医療サービスの手が届きにくい地域における結核対策を行っていこう、というものです。

今年度はマニラ市のトンド地域と、ケソン市のパヤタス地域に焦点をあてて実施していく予定で、ICANも実施団体の一つとなっており、この日のワークショップには各地域の政府関係者やNGOスタッフが約50名ほど集まりました。(ただ、、、この日はマニラ首都圏のバスとジプニーのストライキがあり、参加者が会場に辿り着けず、開始時間が遅れた上に、参加出来ない団体もいくつかありました。。)



ワークショップでは「マニラ市チーム」と「ケソン市チーム」に分かれ、それぞれの地域を管轄する行政の結核対策従事者(主に医師・看護師)と、NGOの関係者に分かれて行われました。今回は前述したストライキの影響もあってケソン市から参加したNGOはICANともう一団体だけで、しかもその団体は先に帰ってしまったため、途中からNGOはICANのみとなってしまいました。



ワークショップの最中、様子を見に行くとマデットもテスも難しい顔をしています。休憩時間になって、「ワーショップはどう?」と聞くと、2人ともぷんぷん怒っています。話を聞いてみると、「保健局の職員は型にはまった結核対策しか出来ない」とのこと。例えば、DOTSを実施するのはNGOではCHVs(コミュニティ・ヘルス・ボランティア)や住民が、看護師などに代わって患者さんの服薬管理を行いますが、保健局の人は「結核対策従事者は医師・看護師、それに保健師であるべき」と言い切った、とのこと。「もう!わからずやばっかり!」とテスは言います。

今回の参加者にNGOが少なく、意見が受け入れられづらい事もあったと思いますが、保健局の職員にとってNGOがどんな活動をしているのか、コミュニティに入って、どんな役割を果しているのか、まだ認識が薄いのかな、と思ったり、やはり行政はマニュアル通りの結核対策を行いたいのかな、と思ったり、私にとっては興味深かったのですが、マデットやテスにとっては歯がゆい1日だったようでした。

※ドイツの医学者。結核菌、コレラ病原菌を発見し、ツベルクリンの発見をし、ノーベル賞を受賞した。

ICANを指示?支持?するコミュニティの人々

2008年03月19日 | ごみ処分場の子どもたち
ゆきも@まにら

地区巡回診療や、マッピング(医療地図作り)などでスタッフとCHV(コミュニティ・ヘルスボランティア)が地域を廻っていると、顔見知りの住民や、ケアセンターで治療を受ける患者さん、子どもと栄養改善活動に参加する人など、たくさんの人が声をかけてくれます。「Suki ako ng ICAN (わたしは、ICANの常連なのよ)」とか「Gumaling ako sa ICAN(わたしはICANで病気を治したわ)」などなど。

この時、「ICAN」が指すものは、様々です。ICANという「団体」、コミュニティケアセンターという「場所」、ICANの「活動」、ICANで働く「スタッフ」、「CHVたち」、サバイタヨの「子どもたち」、パヤタスの外にあるICANの「事務所」などなど。CHVやフィーディングマザー、サバイタヨキッズなどは、時に、「ICAN kami(わたしたちはICANよ。)」と言うこともあります。

ケアセンターには、ICANの名前は書かれていません。なのに「ICAN」が地域で広く知れ渡っているということは、ICANのサービスが多くの人に認識され、その活動が住民の生活に溶け込める趣旨のものであった、(と主観的ですが)自己評価することができます。

これを、「ICANの活動はコミュニティで大きな支持を得ている」とさらっと言いたいところですが、「支持を得ている」というよりも「指示を得ている」と言い換えた方が適切な場合も実はかなり多いのです。

例えば、ある日、体重計とミルクを提げてコミュニティを廻りながらの体重測定(オペレーション・ティンバン)の時、子どもを体重計に乗せたお母さんが、「この子、食べさせても大きくならないのよ。寄生虫駆除またやってちょうだいよ」と看護師のマデットにリクエストしていました。その他、「もっと診療の待ち時間が短くなるようにできないのかしら。」と「卵管結さつ(Ligation避妊法のひとつ)の手術はいつから受けられるようになるの?」などサービス向上に関してのほか、CHVメンバーの仕事中の評価にまでコメントが及びます。リクエスト程度ならまだまだ序の口です。中には、すごい剣幕でCHVに指示をくだす患者さんもいます。

う~ん、「支持」か「指示」か。。。。。。

住民は、ボランティアという立場ではなくても、CHVを通して事業への提案・評価をしながら、間接的に、ケアセンターの運営に係わっているとも言えます。今後、住民の住民による住民のためのケアセンターとして、事業が引き継ぐことを考えると、住民からのコメントは、どれも貴重なものです。が、スタッフも厳しい目で観察されていると、ちょっと身が引き締まる思いがします。

「参加型開発事業」とは、事業ありきの参加のレベルであっても、外部者があらかじめ用意した枠組みに「住民を参加」させ続けるのではなく、住民からの「支持」や「指示」を通して、その枠組みに住民が調整を加えていき、外部者が「お払い箱」(前向きな意味で 笑)になるのが理想です。

今の「ICAN」は住民にとって「お払い箱にしたくてもできない権威者」の座に君臨している訳ではないようです。しばらくは「指示」を受けながら住民とともに活動を続けます。

ICANは「らいおん」か?-絵本「ラチとらいおん」より①

2008年03月18日 | ひとりごと
ゆきよ@まにら。

昨年、熊本にいる友人(かつICANの会員でもある!)から、素敵な絵本を何冊かいただきました。そのひとつが「ラチとらいおん」(福音館書店)。5歳になる下の息子は、このお話を読むと最後に悲しくなって泣いてしまうのですが、それがまたいいらしく(?)すっかりお気に入りで、寝る前の読み聞かせの常連の1冊になっています。1961年のハンガリーの絵本が、1965年に日本語訳されたもので、どうりで日本語がちょっと古風でまたそれが情緒深い趣をかもし出していると思います。これを読んでいて、ICANの仕事とちょっと似ているところがあるなと思いました。以下、ストーリーをご紹介します。

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ラチとらいおん    マレーク・ベロニカ ぶん/ とくながやすもと やく

このいえに、ラチというおとこのこがすんでいます。
ラチは、せかいじゅうで いちばん よわむしでした。

ラチは、ひこうしに なりたいと おもっていました。
でも、よわむしの ひこうしなんて いるでしょうか。

ラチは、 いぬをみると にげだします。
くらいへやには、こわくて はいれません。
おまけに、ともだちさえ こわいのです。だから みんなは、
ラチを ばかにして、あそんでくれませんでした。

ラチは、なかまはずれにされて、いつも ないていました。
そして、いちにちじゅう、えほんを みてばかりいました。

ラチは、このえが いちばん すきでした。
「ぼくに、こんな らいおんがいたら、なんにも こわくないんだけどなあ」

ところが、あるあさ、めをさましてみると、ベットのそばに、
ちいさな あかい らいおんが いるではありませんか!

でも、ラチは おおわらいしました。
「こんな ちっぽけな らいおんじゃ、 なんのやくにも たたないじゃないか」

らいおんは おこりました。

「きみ、よくみていたまえ!」
らいおんは そういうと、かたてで いすを もちあげてみせました。

それから、ラチに とびかかると、
えい、やっ と、 ゆかに おしたおしました。

「どうだい、ぼくは つよい らいおんだろう。きみも つよくなりたいなら、ぼくが つよくしてやるよ」

「つよくなるのには、まず たいそうを するんだよ。 こんなふうにね」

いち にっ さん! いち にっ さん!

それから ふたりは、まいあさ いっしょに たいそうを しました。
あるひ、ふたりは さんぽに でかけました。
そして、ないている おんなのこに であいました。


「どうして ないているの?」と、ラチがたずねました。
「だって、むこうに こわいいぬが いるんですもの」

ラチは、にげだそうとしました。でも そのとき、らいおんが いっしょにいることを おもいだしました。

「こわくなんかないぞ。ぼくには、らいおんが ついているんだから」
そして ラチは、おんなのこの てをひいて、いぬのそばをとおりぬけました。

ラチは、ポケットのなかの らいおんといっしょに、 うちへ かえりました。
うちで、えを かこうと おもったのです。

けしごむも、かみも、えんぴつも ありました。
でも、クレヨンが ありません。

クレヨンは、となりのへやに あるのです。けれども、となりのへやは まっくらで、おまけに、でんとうを つけようとおもっても、スイッチに てが とどきません。

「とりに いきたくないなあ」と、ラチは いいました。
「とりに いきたまえ」と、らいおんが いいました。
「いきたくないよ」と、ラチは いいました。
「じゃ、ぼくが ついていってあげよう」と、らいおんが いいました。
ラチは、クレヨンを とりにいって、ねるまで えを かきました。

こうして、ラチは、どんどん つよくなって、もう なんでも できるようになりました。
かたてで いすを もちあげることも できます。

さかだちも できます。

そして あるひ、らいおんと すもうをとって、 とうとうかちました!
そこで ラチは、 ともだちのところへ でかけていきました。

ところが、みんなは しょんぼりしています。
のっぽに、かいたてのボールを とられてしまったからです。
「きみなんか きたって、なんにもならないよ、よわむしだから」と、
みんなは いいました。

「ぼくは、よわむしじゃないよ」と、ラチは いいました。
「じゃ、ぼくたちの ボールを とりかえせるかい」

「とりかえせるとも!」 ラチは そういうと、のっぽをさがしに でかけました。
「こわくなんかないぞ。ぼくには、らいおんが ついてるんだから!」

ラチは のっぽをみつけました。
「まて!」

のっぽは びっくりしました。みんな のっぽを こわがっていたのに、
こわがらない こどもが でてきたからです。

「こいつは、ぼくより つよいらしいぞ。 にげたほうが よさそうだ!」
のっぽは あわてて にげだしました。

どっちへ にげたのでしょう・・・・?  (中略)

とうとう ラチは おいつきました!
のっぽは こわがって、ボールを ほうりだすと、
たかいきに よじのぼってしまいました。

そして、よるになるまで、おりてこようとはしませんでした。

みんな、おおよろこびしました。 ラチは、らいおんに おれいをいおうとおもって、ポケットに てを つっこみました。
ところが、ポケットのなかに なにがあったとおもいますか?

りんごです! らいおんが ついていなくても、ラチは つよかったのです。
ばんざい!ばんざい!ばんざい!
でも、らいおんは どこに いってしまったのでしょう?

ラチは、はしって うちへ かえりました。
うちには、てがみが おいてありました。

らいおんの てがみです。

「ラチくんへ
きみは、らいおんと おなじくらい つよくなったね。
もう、ぼくが いなくてもだいじょうぶだよ。 ぼくはこれから よわむしのこどもの ところへ いって、つよいこどもにしてやらなくちゃならないんだ。
ぼくを いつまでも わすれないでくれたまえ。 ぼくも、きみのことは わすれないよ。
じゃ、さよなら   
らいよんより」

らいおんは、ラチを じまんに おもっていることでしょう。
ラチは もう、なにも こわがりません。

だから ラチは、きっと ひこうしに なれるでしょう。

おしまい

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このお話が、なぜICANの活動に似ているのか。
次回のブログ②をご覧ください。

ジェンサン給食 アップデート ~病気に負けない!夢は学校の先生~

2008年03月17日 | 先住民ブラアンの子どもたち
まい@まにら。

今回はジェンサン給食事業の一つ、サンホセ小学校に通う小学校1年生のエリンちゃん(8歳:仮名)の近況をお届けします。

エリンちゃんは、7人家族、5人きょうだいの3番目です。お父さんはサンホセ内にあるバナナ農園で働いています。月給は6000ペソ(約14500円)。きょうだいのうち、エリンちゃんを含めて4人が学校に通っています。休みの日には家の手伝いをしたり、きょうだいや近所の子ども達と遊んだりします。

エリンちゃんは病気がちで、季節の変わり目や温度差が激しい時期には、頻繁に発熱および風邪の症状が出てくるそうです。そのたびに、学校も休みがちになり、体のだるさのために家にこもりがちになってしまいます。

エリンちゃんは体調が優れない日も授業に出席することがありますが、発熱やその他の病気のために、授業を欠席することも多いそうです。朝6時半に家を出発して、20分かけて歩いて通学します。担当の先生によると、エリンちゃんは他の子どもに比べると習ったことを習得するまでに少し時間がかかるようですが、これまでに落第点を取ったことはなく、今年度の試験も全て合格しました。また、授業中の発表や、学校行事にも積極的に参加しているようです。


給食について、「お腹いっぱいになるし、とてもおいしいよ!」


エリンちゃんと話をしていると、彼女の本当に強い勉強への熱意が伝わってきました。エリンちゃんの得意科目は国語(フィリピノ語)。将来の夢は学校の先生になることだそうです。

教育省の最新の統計によると、フィリピン全土でおよそ1,160万人が学校教育を受けていないといいます。このうちおよそ220万人が6歳から11歳、340万人が12歳から15歳、残りが16歳以上の子ども達となります。

ICANが給食事業を行っているジェンサンの小学校でも、栄養が足りず体が弱い子ども、空腹のために長距離を歩いて通学できないために勉強を諦めてしまう子ども達もいます。

夢に向かって通学を続けるエリンちゃんたちサンホセ小学校の子ども達。今後も、給食事業を通じて子ども達の夢を応援していきます。

協同組合 職業・技術訓練②ポルボロン(お菓子)作り ~新ブランド登場か?!~

2008年03月14日 | ごみ処分場の子どもたち
まい@まにら

2月28日、パヤタスのコミュニティケアセンターで、協同組合の組合員を対象とした、職業・技術訓練が行われました。前回のバサハン(布巾)に続き、この日はポルボロンと呼ばれるお菓子作りに挑戦しました。ポルボロン作りは組合員であるベルさん(仮名)が指導しました。また、訓練には18人が参加しました。





ポルボロンは、フィリピンでは、手軽なおやつ・食後のデザート(および口直し?)として親しまれており、学食や屋台などで、ばら売りされているのをよく見かけます。材料は、小麦粉、マーガリン、砂糖、牛乳を弱火で混ぜ合わせて型抜きしたものなのですが、(ラクガンのミルク味のような感じ?)栄養士でもあるスタッフのテスによると、ポルボロンにはカルシウムと炭水化物が含まれているということ。(スキムミルクではなくて、全乳を使うのがポイントだそうです


【材料を焦がさないように弱火で混ぜ混ぜ】


【仕上げの型抜き】

ちなみに、このポルボロンは、今後、大きいものが4ペソ、小さいものを2ペソでコミュニティケアセンターにて販売する予定です。売上金は協同組合の運営に充てられます。価格設定も、コストを考えて、協同組合で選出された「生計向上担当委員会」が中心となって行います。

ちなみに、この日作ったポルボロン144個は3月6日現在、全て完売。なかなかの売れ筋にお母さん達も手ごたえを感じている様子。自分達で作ったポルボロンに商品名を作ろうという声もあがっているとか。(ちなみに、現在の候補は『ベルさんのポルボロン』←ベルさんが作り方を教えてくれたから)



【完成

また、今回作ったのはピーナツと煎米が入ったスペシャルポルボロンでしたが、次回はピーナツ抜きのポルボロンも作り、一つ当たり1ペソでの販売も行ってみるとか。組合員からアイディアが次々と飛び出しています。

風邪薬を飲めば楽になれる?

2008年03月13日 | ひとりごと
ゆきよ@まにら。


2階建ての立派な豪邸の中を、着飾った太ったマダムが、忙しく歩いている。その家の広大な庭のゲートの外に、大勢の農民たちが押しかけて叫んでいる。「おお、そうか、お前たちも楽になりたいのか?」とマダムが2階のベランダから、なにかをばらまく。薬だ。この薬を飲めば、みんな楽になれる、というテレビの宣伝。


フィリピンはとくに田舎のほうでは、パトロンクライアント関係が残っている。パトロン・クライアント関係とは、封建的な主従関係で、地主などが自分の土地で働く農民たちの生活を保障するかわりに、農民たちは自分の地主に従順に従って働くという関係である。えてして、お金持ちの地主は搾取労働を農民に強いて、農民たちは最低限の生活をおくるのが日常となっている。少々の収入をえて、でもいざというときは地主に借金を頼めば、貸してくれるという関係だ。


ふだん、マニラに住んでいると、目の前でそんな関係をみることはないが、雇い主や地元の有力者と、従業員やその地の困窮者の間にそのような関係を感じることもある。ボスがおごって当たり前という感覚はあるし、葬式代の寄付を求めて政治家の家を訪ねるということも見られる。それで政治家がたった500ペソしかくれないと、これはどういうことだと憤慨していたりする。


でも、近代化のなかで、そのような関係はより民主的に変わっていくものであり、批判的に見られるようになるものであって、フィリピンでもそうなのだと私は思い込んでいた。そうしたら、先日、テレビのCMで、冒頭のまさに封建的主従制度が登場。テレビを見ている人々は、なにも違和感なくこの薬がほしいと思うのだろうか。。。これも、フィリピンのひとつの現実なんだと思うが、ちょっとびっくりしてしまった。




サバイタヨ・ユース 応急処置トレーニング ~スグレモノ三角巾!~

2008年03月12日 | ごみ処分場の子どもたち
ゆきも@まにら



先日3月7日にサバイタヨ(パヤタスの青少年活動)のユース(年長組)のメンバー12名が、応急処置トレーニングに参加しました。フィリピン赤十字の専門家を招いて1泊2日で行われた訓練の1日目は、三角巾による応急処置の方法を講義と実技を交えて行いました。



「三角巾」と聞くと、家庭科の授業や給食のおばちゃんを思い浮かべますが、このただの布は、身体のどの部分の負傷(傷の大きさや種類にも捉われない)にも対応できるかなりのスグレモノです。子どもたちは、2人1組になり、布の結び方、傷の覆い方、身体部分の固定の仕方、腕の吊り方などを、パートナーが負傷した設定で、何度も繰り返し練習していました。

  

ただ傷部分を覆って布を巻けばいいのでは、と思いきや、鎖骨に負傷した場合は、脇の下に三角巾をくぐらせ、骨への圧迫を避けるなど、ひとつひとつの行為に、意味があります。子どもたちは、なんで?なんで?とトレーナーのお兄さんに聞きながら納得して実技に真剣に励んでいました。この2日間のトレーニングは、最後に実技試験に合格すると、赤十字の発行する修了書が授与されるので、みんな必死です。



このような保健・医療に関するトレーニングに参加してきたのは、これまでCHV(コミュニティヘルスボランティア)の女性たちが主でした。しかし、今回、子どもたちが応急処置のスキルを覚えたい、と言いだした裏には、予期せぬ事故による仲間の死がありました。



子どもたちの中には、お母さんがCHVの子もいます。ケアセンターに行けば、いつも看護師のマデットや、週2回は医師だっています。でも、やはり、遊び仲間に何かあった時、「自分たちにできること」があったはず、という悔しい共通した体験を持つ子どもたちにとって、応急処置の知識を身につけることは、優先順位が高いものになったのでしょう。



ごみ山の周辺は、子どもがいとも簡単に命を落とす危険に満ち溢れています。それでも、子どもたちにとっては、貴重な遊び場であり、生活の場です。ICANでは、今後も、子どもたち自身の「できること」を増やす活動を応援していきます。

ジェンサン給食事業の最新一コマ

2008年03月11日 | 先住民ブラアンの子どもたち
まい@まにら。



ジェネラルサントスから、給食事業を行っているバンワン小学校の様子が届きました。四方を山に囲まれた小さな平地に、学校はあります。

  

通学路。子ども達はこの山道を毎日歩いて通学します。途中に小さな小川も流れており、それを渡って歩いていきます。





小学校一年生の教室。先生とボランティアのお母さんが配膳します。こんな僻地の学校の担当となった先生の中には、学校の予算が限られているので、自腹で子どもたちの文具を整えたりする生徒思いの先生もおられます。


「いっただきまーす!」

  
この日のメニューは鶏肉入りはるさめスープ。この小学校でも薪火を使って調理します。



この学校では、野菜農園にも取り組んでおり、農園にはとても立派なカボチャが育っています。


そして、このバンワン小学校でも、前回お伝えしたサンホセ小学校のヤギ飼育のような生計向上につながるような取り組みを今後、考えていこうと言う声もあがっています。