ICANまにらブログ~第二巻~

日本のNGOアイキャンまにら事務所の日記。

ICAN 設立20周年

2014年04月15日 | ひとりごと
4月1日(火)【特別版】English below

2014年4月1日。それは、アイキャンが設立されて、ちょうど20年目にあたる。(写真は1996年頃のミンダナオの学校給食開始時)



1993年一人の会社員がフィリピンを訪れ、そこで出会った子どもたちに「何かできること」はないかと思い、翌1994年4月1日、友人と数万円を持ち寄り、アイキャンという団体を作った。その団体名には、「一人ひとりの『できること(ICAN)』」を持ち寄って活動を進めていく、という想いが込められている。

当初、無給のボランティアが中心となり、事務所もない状態で数名のミンダナオ島の子どもに奨学金を提供してきたが、20年後、多くの会員の方々や寄付者、賛同者の皆さまのおかげで、日本とフィリピンで、約60名の有給職員と何百名ものボランティアが、11の拠点・事務所で、毎年何万人もの人々の生活を向上できるようにまで成長することができた。活動も、子どもたちの「ために」、何かをあげるというものから、そこに住む人々「ともに」地域をよくしていく活動に変わっていった。

でも変わらないものもある。それは、例えば、活動や会計の情報公開の徹底であったり、倹約の精神であったり、住民と話し合い、そこから全ての活動を開始することであったり、困ったときも常に笑顔を忘れないことだったりする。これらは、全て財産とも言える。

過去20年間、多くのことを成し遂げられた一方、能力や資金、知識、そして創造力等が足りないことで、解決できない社会の課題がたくさんあった。自分たちの能力や知識がもっと高く、活動資金があり、創造力を働かせることができていれば、苦しまなくてよかった子どもたちがたくさんいる。これが悔しくてたまらない。

次の20年間、もっと努力し、成長したい。もっと多くの社会の課題を解決し、この世から貧困や紛争、自然災害で苦しむ子どもたちがいなくなるようにしたい。悔しい想いはもうしたくない。

【過去の団体情報】
過去の団体情報は、以下のページにあります。(必見↓↓)
http://www.ican.or.jp/j/feature/past_info.html
【HP・募金のページ】
http://www.ican.or.jp/disasters2013.html

It is the 20th anniversary of ICAN today. ( The picture was taken in 1996 when a school feeding project started in Mindanao.)

One employee visited a slum community in the Philippines in 1993 and imaged what he could do for the children. In April 1, 1994, he created an organization called ICAN with 10 thousand pesos he and his friends had as a starting capital. The name “ICAN” implies a belief that activities are carried out based on individual “ICAN(what I can)”.

At first, non-paid volunteers without any office had provided scholarship in Mindanao. 20 years later, thanks to many people who have understood the importance of this movement, more than 60 staffs with hundreds of volunteers in 11 offices in the Philippines and Japan are working to uplift living conditions of more than 10,000 children. Activities “for the children” have changed to “with” the children and adults to build better communities.

There are also things never changed. For instance, high accountability of activities and finance, a habit of thrift, planning with people in communities, and also never forgetting smiles in whatever hardship we may have. These are all our assets.

For 20 years, there are many things accomplished, while there are also many issues not yet solved due to lack of our capacity, fund, knowledge and creativity. If only we had had these, many children would not have suffered. This is what we always regret.

Next 20 years, with more efforts, we would like to develop ourselves. We would like to solve more social issues and see a society where children are far from any kind of violence such as poverty, conflict and natural calamity. We do not want to regret anymore.

Please donate and share this.
ICAN (International Children's Action Network) with experiences of development projects and emergency relief operations for 20 years in the Philippines.
BPI heart center branch 4251-006984
Contact for donation and media: manage@ican.or.jp

困窮の中の生きる力

2010年04月13日 | ひとりごと
ゆきよ@まにら

 日本の春はスタディツアーや研修受け入れなどで、事業地に日本の人々を案内する機会が増えます。訪問者の方々には、パヤタス地区や路上教育の事業地の現状の一部を見てもらい、感じてもらい、そこから学んでいただきます。ごみ山で働いている家庭を訪れて、その家族の一日の生活のスケジュールや子どもの教育状況、経済状況、どこから来たのか、これまでで嬉しかったこと、大変だったこと、将来の夢など、いろいろ教えてもらいます。そしてパヤタス地区について、アイキャンの活動についてもスタッフや現地の人々が説明します。

 そのような訪問の最後に、訪問者から出てくる感想は様々です。ときおり「思ったより全くだいじょうぶなんですね。」「人々や子どもたちが明るかったからびっくりしました。」などという感想も出てきます。日本ではメディアを通してセンセーショナルにごみ山近くで生活する人々の悲惨さが強調されているからでしょうか。人々はその悲惨な「貧困さ」が見られることを期待しているのでしょうか。

 しかしいわゆる「悲惨な貧困」の中にある人々の生活は、実際「あふれる活力」を感じるものだったりします。物質的に足りない生活のなかにある「豊かさ」さえ感じられたりもします。経済的な困難の中でも笑顔を忘れず、たくましく乗り越えている人々の生きる力。日々食べていくのがやっとの生活の中でも、家族そろってすごす時間が「幸せです」と言える人々の豊かさ。アイキャンの事業地で出会う人々は、人間がそもそも持っている力の大きさに感動せずにはいられない魅力にあふれています。

 もちろん経済的な困窮が実際にあることは事実です。そこには実際「悲惨で」やるせない状況が横たわっています。小学校しか終えられなかった自分とは違って、少しでも高い生活力を子どもに持たせたいと願う親が、子どもの学費を工面できずみすみす子どもに落第させるしかない悔しさや、病院代が工面できず家族が病気で命を落としたしまったときの痛み、また日々炎天下あるいは雨の中、ごみの山の上でリサイクルになるものを探す仕事をする苦労や、自分の通学費を稼ぎ出すために路上でもの売りをする子どものしんどさ。私たちはこれらをどれだけ理解できるでしょうか。しょせん1日3食べることのできる私たちの想像を超える痛みや辛さがそこにあります。どんなに私たちが理解しようとしてもしきれない絶望的とも思える断絶が私たちと事業地の人々の間にあります。

 だからこそ私たちは事業地の人々のたくましい生きる力を伝えたいと思っています。いわゆる「南の国」の悲惨な状況の前に多くの日本人は「この可哀そうな人々を助けてあげなければ」と感じます。でも実はそんな大変な状況の中にある人々から、私たちが学べることはたくさんあります。私たちアイキャンが訪問者の方々、そして日本の人々に伝えたいのは、「この可哀そうな人々を助けてください。」ということではありません。「この大変な状況の中でも頑張っている人たちがいます。みなさんも一緒に頑張りませんか。」ということです。

 アイキャンは現地の頑張っている人たちがいるからこそ、そこで活動することができています。私たち日本人にとっても事業地の人々が抱えている問題は人ごとではありません。同じ地球に住む私たちの問題がそこにあります。その問題を解決するために自分のそれぞれできることを持ち寄って一緒に頑張りませんか。そうして絶望的な断絶を一緒に超えていきませんか。そんなメッセージをこめて、私たちは今日も活動しています。

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●危機的状況に置かれた子どもたちの全国キャラバン
http://blog.goo.ne.jp/icanmanilaoffice/e/0aed3a651beabf625aef2d507bac2e4d

●「書き損じはがき」を大募集中しています。
感謝を伝えるブログ「いっしょにご飯をたべよう」★
http://blog.goo.ne.jp/atsumeyou
●路上の子どもが幸せに成長できるように、会員になっていただける方を募集しています。
http://www.ican.or.jp/street.html
●ご寄附の受付はこちらとなります。
(認定NPOのため、5,000円以上の寄付は税制優遇の対象となります。)
http://www.ican.or.jp/members.html
●エコポイントをアイキャンに寄付することにより、「環境xフェアトレード」を盛り上げることができます。
*詳細:エコポイントカタログ⇒「環境活動を行っている団体への寄附」⇒「 b.リサイクル廃棄物対策」⇒「K35アイキャン」へ
●インターン募集中
http://www.ican.or.jp/intern.html
●その他、アイキャンに関する情報はアイキャンのHPへ
http://www.ican.or.jp/

新学期がスタート

2009年06月01日 | ひとりごと
ゆきよ@まにら。(写真は路上の子どもたちの活動のひとまく)

6月1日。フィリピンの公立学校は、今日から新学期がはじまりました。今日私は朝6時前に自宅を出ましたが、自宅前の道を、すぐ近くの公立小学校の制服を着た生徒がひとり早々と登校していました。朝礼が始まるのは6時半すぎからのはずなのに。。。新学期の初日に新しい文具などを揃えて学校に行くのが待ち切れず、家を早く出たのでしょうか。

ICANの事業地、ジェンサンやサンイシロや、また路上で働いていた子どもたちも、ICANの奨学生として今日から登校しています。サバイタヨ(青少年活動)に集まるパヤタスの子どもたちや、ジェンサンの山奥の給食校の子どもたちも今日から1年進級して、新たな気持ちで学校に通い始めました。

マニラ事務所ではしばらくブログ更新ができないでいましたが、この6月からの新学期を機に勉強をはじめた子どもたちに負けないように、私たちもがんばって継続更新していきたいと思っています。

ICANではここ2,3カ月で日本人フィリピン人両方のスタッフも増え、ますますパワーアップして事業を進めています。先月はICAN事業地の路上の子どものひとりが、ジープにひかれる悲しい出来事もありました。人懐っこい14歳の女の子でした。病院に運ばれた時には回復の見込みもなくほとんど治療もされず、はかなく亡くなってしまいました。以前もパヤタスの子どもにも死なれましたが、事業地の子どもたちもスタッフたちにも大きなショックでした。新たに「死」の危険ととても近いところに子どもたちがいることを感じています。ずっと悲しんでいても次の日は必ず来て、私たちは前に進んでいかなければなりません。この新学期から亡くなった子の妹がICANの奨学生となりました。みんなで痛みを乗り越えて、また新しく出発していきたいと思います。



年末のマニラオフィス

2008年12月19日 | ひとりごと
まい@まにら

今年もあと半月をきりましたが、マニラオフィスではニュースレターの発送準備とクリスマスの準備に追われています。ちなみに現在、マニラは朝方には20度を下回る寒さ。例年になく涼しい日々が続いています。

さて、マニラオフィスでは、長年定位置についていたデスクたちを全て部屋の中央に移動し、オフィス内の模様替えをしました。



気分一新!写真は夕方の多忙時に撮影したのでみんなお仕事に集中モードになっていますが、こっちのほうがコミュニケーションもはかどり、和気あいあいとした感じ。ちなみに、水色の服を着ている新しい会計担当エドさんはカモテキュー(大学イモ)が好きなようで、机の中央にはよく大学イモが置いてあります・・・。

現在は12月中に路上&ジェネラルサントス&ピキット会員さんにニュースレターをお届けするために、最終段階の発送準備に取り掛かっています。現在マニラ出張中の日本事務局スタッフも、この作業を手伝っています。路上&ジェネラルサントスはキッズ達が描いたカードと写真も入っていますので楽しみにしてくださいね。お手元に届くまで、もうしばらくお待ちください。



2階ではクリスマスのプレゼントの仕分け作業&ラッピングを行っています。



写真はソーシャルワーカーのマイエン。パヤタスの子ども達へ届けるプレゼントを準備しています。ICANでは、普段はコミュニティでモノを配ることはしませんが、フィリピン最大イベントであるクリスマス時期には、皆様からいただいた寄付(文房具や衣服など)をクリスマスパーティ時のささやかなプレゼントとして使わせていただいています。子どもたちの喜ぶ顔が楽しみです。

母乳は赤ちゃんのためお母さんのため環境のため?!

2008年07月31日 | ひとりごと
ちぇろ@まにら。

8月1日~7日は「世界母乳育児週間」です。
WHO(世界保健機構)は、生後6ヶ月までは母乳だけで育てること(完全母乳)を推奨していますが、フィリピンでは完全母乳の期間が平均1ヶ月未満となっているようです。

母乳は赤ちゃんへの一番最初の「予防接種」となり、身体の免疫力を高めます。さらに、お母さんとのつながりも強めます。産まれたばかりの赤ちゃんをお母さんの胸元にのせると、赤ちゃんは45分以内に自分からお母さんのおっぱいを飲みにいくのだそうです。フィリピン保健省ではこういった映像をビデオにして、ヘルス・ワーカーやお母さん方に機会あるごとに見せて、母乳をあげることの大切さを広めています。

カトリック教会では避妊をすることを中絶と同様にとらえるため、教会は自然避妊法以外の避妊方法を認めていません。完全母乳で育てるとお母さんが次の赤ちゃんを妊娠するまでしばらく間隔をおくことができるので、人工的な方法を避けた自然避妊にもつながるのです。

もし母乳ではなく市販の「ミルク」で赤ちゃんを育てるとすると、1ヶ月あたり3千ペソ(約2500円))かかると言われています。かなりの出費です。ミルクはこちらでは大きな缶で売られているので、ミルクを買えば缶のゴミがでて環境にやさしくありません。また、哺乳瓶などを洗うのに安全な水や洗剤、熱湯などを使って殺菌する作業も必要になります。経済的にも環境配慮のためにも、母乳は良いのです。

ちなみに、赤ちゃんが哺乳瓶を吸うことに慣れると、お母さんのおっぱいを吸うのを面倒くさがってしまうそうです。ミルク、もしくは母乳でも、衛生面も考慮して哺乳瓶よりコップであげることをWHOは推奨しています。しかし、哺乳瓶から飲むよりお母さんのおっぱいから飲む方が赤ちゃんの口の筋肉が鍛えられるという効果もあり、やはり母乳が理想的です。

ICANでも月2回の助産師による検診やアウトリーチの際、あるいは保健教育の母親教室で、積極的に母乳を勧めています。事業地ではなにより経済的だからということで、母乳で育てる人が少なくないのですが、それが具体的にどんなによいかは、知らない人が多いそうです。ですから、母乳が出にくいとすぐにあきらめて粉ミルクにしてしまうこともあるといいます。私自身、まだ実際に事業地でお母さん方とお話する機会をあまりもてていないのですが、世間話などを通じて「母乳のよさ」を広めたいと思っています。母乳で育つと、IQもあがるそうですよ。その昔、ミルク会社のCMで、「ミルクで赤ちゃんを育てるほうが頭が良くなる!」というのがあったそうですが、赤ちゃんの成長のために母乳に代わるものはありません。

雷雨のあとの陽気さ。

2008年06月12日 | ひとりごと
ゆきも@まにら

午後からの憂鬱な雷雨が静まった昨夜、ICANがとてもお世話になっている仲間のご家族のお通夜に参列した。何の罪もない人たち5人が、先日、残虐極まりない犯罪の犠牲者となり亡くなられたのだ。事件のあった10日は新学期が始まる日。フィリピン中の多くの子どもたちが、この日のために用意した服に腕を通し、愛する家族に囲まれながらとびきりはしゃいで一日を過ごしたことだろう。

白昼の惨事は、フィリピンのネットワークNGO(財団のアソシエーション)で事務局長として働くオーマンさんの耳にどんなにか鈍く響いたことだろう。彼のご両親の家にいた3歳になる娘さん、そしてお母さん、お父さん、お手伝いさん3人を含む5人がギャングと見られる犯罪者たちにより身体を縛られ刺され、放火された。87歳になるお父さんだけがかろうじて生き残り、現在病院で24時間監視のもと治療が続いているそうだ。

フィリピンのお通夜の想像を絶する「陽気さ」に少したじろいだ。涙を見せてしまったのは日本人のわたしくらいだったかもしれない。日本人のわたしはまさに地獄を味わっている人を前にすると、こちらにも否定的な感情が湧きあがり、相手になんとか気の利いた「勇気づけ」のことばを、と思ってしまう。しかし、参列客にもまして、次から次へと現る参列客を前に近づき、あちこち顔を見つけては最高の笑顔を振りまく彼の姿を見て、我慢していた感情が溢れ涙が止まらなかった。結局、ひくひく言いながら涙目で近づく私は、ずっと考えていたのにどんな言葉を口にしたらいいのか分からないまま、ただオーマンさんにハグをしてもらい、こちらが慰められた感じだった。

オーマンさんは、フィリピンに数多くあるNGOを傘下に抱えネットワーキングやNGOの能力開発のために従事する団体の長として、日々、大変なプレッシャーと大きな責任感を持って仕事に臨んでおられる素晴らしい方だ。そんな家族思いで子煩悩の彼の身にこんな悲劇が訪れるなんて。持ち前とユーモアと人間性でその「凄さ」を隠せるオーマンさんは、絶望感まで隠せるのか、と思うと今でも言葉がない。

オーマンさんのお母様、娘さん、そして3人のお手伝いさんのご冥福を心からお祈り致します。そして、お父様が一日でも早く回復されますように。オーマンさんと残されたご家族がこれから平穏で癒しの日々を過ごされますように。

「パヤタス病」

2008年06月05日 | ひとりごと
ゆきも@まにら

ここ最近事務所の前の道路で、水道管と歩行者用舗道の設置のために大工事が行われている。もう数か月も続いているのだが、当初あったアスファルトの道路をすべて掘り起こすどころか、そこら中にセメントの山が作られ、立ち退きに遭い切り落とされた切り株などが無造作に置かれている。

道路の両側には、水道管工事のため深い穴がいくつも掘られ、特に、穴を塞いでいる訳ではないので、「落とし穴」以外の何物でもなく、危険なマニラの道路がますます危険さを増している。道路工事中の標識などもないので、すべての車両がいつもどおりひとつの道に突っ込み、大渋滞になり、埒が明かなくなっている光景をよく目にする。わたしは事務所から近距離に住んでいるが、この工事が始まってからというもの、粉塵や砂埃がいつもの排気ガスに混じり、事務所と自宅との2分の距離を歩くことがこれほどまでに苦痛だったことはない。

時にはブルドーザーを運転するお兄ちゃんとアイコンタクトを取り、「わたし、今からそこ通るから、ショベル振り回さないでね。」と眉毛を上下させて合図を送ってから、出勤していた。落とし穴だけならまだいいが、凶器を振り回されて頭にぶち当たった日にゃ、たまったもんじゃない。。

そこしか出勤路?がないので、諦めて出勤していたがそうこうしているうちに、身体が悲鳴をあげ、幼い頃の持病であった気管支疾患や発熱で、ついに入院してしまった。日々うがいや手洗いを心がけたが、今回は無理だった。退院後も、疲れるとすぐ熱が出たり身体がだるかったり、咳や涙が止まらなくなるなどの症状が続いていた。

パヤタスではCHV(コミュニティヘルスボランティア)のお母さんたちが気遣ってくれ、「ゆき2(=ゆきも@まにら)、暑いところや直射日光はだめよ。埃を吸わないようにハンカチを持ちなさい。」「パヤタスに住んでいないのに、いつもここに来てたからsakit ng payatas(パヤタス病)になっちゃったんだわ。かわいそうに、(吸入器を指さして)吸入していきなさいよ。」と口ぐちに心配してくれる。情けない。。 お母さんたちは、気管支疾患などパヤタスでもっとも頻度の多い疾患を「sakit ng payatas」という。わたしはそれにかかった、とお母さんたちは認識しているようだ。

この度日本へICAN講座第2弾(帰国報告会)のため2週間一時帰国させていただいた。
実家でも在宅勤務をしながら静養させていただいたお蔭で随分と元気になった。住み慣れた実家で食べなれた食事といつも以上の睡眠をとることは、薬漬けになるよりも断然効果があることに身をもって感じた。日本に「帰る場所」があるのはありがたいことだ。仕事で得るパワーとはまた別の活力を得て再びマニラに戻ってくることができた。

医者になるべく埃っぽいところは避けて安静に。」と言われたが、「パヤタス病」にかかったコミュニティの住民は、そんな選択肢もなく、ただ高すぎて買えない薬をどうにか購入して回復を祈るしかない。薬を飲まず栄養を取って安静にする、という贅沢な選択肢もない。

今も尚続く終わりなき道路工事を横目に、「いったいどこまで身体が持つのか。」と自分の身を身を案じながらも、更に過酷な環境で身体を酷使する同僚たちの体力と精神力の凄まじさ、そしてコミュニティのお母さんたちに励まされる今日この頃です。

割礼の季節?

2008年05月27日 | ひとりごと
まい@まにら

ICANブログでも、毎年パヤタスの割礼の話がブログで取り上げられてきていますが、(2006年2007年)パヤタスのクリニックでも今年は4月に2回にわたって割礼が行われました。

フィリピンでは、小学生高学年頃からハイスクールに入る年頃の男の子が夏休み(3月~5月)に行うのが一般的なようです。(術後、数日痛むので学校が休みの時期に行う)夏休みも終わりに近づいてくると、私の周りでも年頃の男の子の割礼の話がちらほらと出てきました。

「大人になる過程で必要」という意見では「割礼をして初めて女の子を口説く権利がある」というものから(極論すぎ・・・?)、隣に住んでいる小学校4年生の男の子の話によると、小学校では割礼を済ませたお兄ちゃん集団が「割礼をした人だけ一緒に遊んでやる」というグループ分けをしたりすると言います。

まだ割礼をしていない当の本人はというとそんな高学年たちに「そんなにいばり散らして、なんだい!」と思う反面、本音は「怖い」。その子もお母さんが夏休みのうちにと息子に勧めて、とうとう先日、割礼実行。(なぜ私が知っているかというと、「今日、○○さんちの息子さん、割礼にいくみたいよ」と当日、近所で噂になっている・・・)

「割礼をしないと衛生的によくない」という話もあるので、宗教的というより、文化的なものになってきているようです。あくまで、噂なのでこれらの割礼に対する意見は一般化はできませんが、割礼をした男の子が誇らしいのは確か。なんだか本人も急に大人になった雰囲気。

わが子も男の子。このまま行くと地元の学校に入れることになるのですが・・・。日本人の親としては割礼をさせる予定は今のところありません。でも、やっぱり悩む時期がくるのでしょうか・・・。

マルンガイパワー!

2008年05月09日 | ひとりごと
まい@まにら。

以前、長期にわたるICANのパートナーさんのひとりで日本在住の方にマルンガイ(野菜?)の効果について教えていただいたことがありました。

どこでも生えてて、ゆきも@まにらに言わせると、田舎のほうでは野菜やおかずが足りないときに子どもたちが採ってくるイメージや、私の中でも特に味もなく存在感の薄い野菜でした

でもでも、すっごい栄養量なんです。
みてくださいな。

□ ギャバ ⇒発芽玄米の30倍以上 ギャバロン茶の4倍
□ ポリフェノール ⇒赤ワインワイングラスの8倍以上(カカオの11倍)
□ ビタミンC⇒オレンジの7倍以上
□ ビタミンA⇒人参の4倍以上
□ 鉄分⇒ホウレンソウの3倍以上
□ カリウム⇒バナナの3倍以上
□ カルシウム⇒牛乳の4倍以上
□ タンパク質⇒牛乳の2倍以上     いづれも100g当たりだそうです。

すごくないですか?!!
全く知らなかったのですが、日本ではサプリメントになっているとか。

その上、生命力も強く成長するためには一般植物の20倍もの二酸化炭素を必要とするとか。マニラでもマルンガイに囲まれて暮らしてたら気持ちのよい空気が吸えるかしら??しかも市場では空芯菜(カンコン)並みの一束5ペソ(13円)とかなり安い

調理方法も、スープ以外にもココナッツで煮込んだり、カップケーキにしたりと色々あるそうです。しかも、産後に飲むと母乳の出もよくなるとかで、フィリピンのお母さん達はよく食べているそうです。(日本ではたまに、お餅を食べるとよいとも言われていましたが、フィリピンでは昔から産後にもち米を食べるのは厳禁とか。食べ過ぎると乳腺が詰まる可能性があるらしいです。)

高いお金を出してサプリメントを買うより、マルンガイ食べたほうが絶対いい!と思ったのですが妊娠中は採りすぎないほうがいいようです。サヤン。(残念!)

歯の異文化

2008年04月18日 | ひとりごと
ゆきよ@にほん

 フィリピンで入れてもらった「さし歯」がはずれてしまったので、日本に帰ってきて歯医者に行った。近所の歯医者さんはそのさし歯を見て「そりゃ、これは取れるよね」。日本だと、横の歯も4本分削って、もっと頑丈に取れない方法にするのだそうだ。確実で長期的な展望をもって対処する日本と、柔軟性は抜群でとりあえずなんとかなるけど不確実なフィリピンの違いが現れているような気がした。

 息子も虫歯があったので、治療してもらって、やさしい助手のお姉さんに歯磨きの仕方を教えてもらった。そしてその歯ブラシをいただいて帰り、それ以来はりきって、その歯ブラシでゴシゴシ磨いている。

 その姿を見ながら、パヤタスの子どもたちの保健教育で、看護師のマデットたちが歯磨きの仕方を教えたのを思い出していた。歯磨きの大切さを学び、歯ブラシを配り、使い方を習った子どもたちは、歯ブラシを大切にするようにと言われて帰った。ホセくんは、その歯ブラシをきちんと保管して使っているようで、お母さんがその様子に驚いていた。トイレも各家庭にあるわけでなく、蛇口をひねれば水が出るという日本と違って、清潔な水の確保も簡単ではない住環境のパヤタス。衛生状態をよりよく保つのもなかなか難しいところで、ホセくんが学んだとおりに忠実にデンタルケアに励んでいる姿に希望を感じる。

 ホセくんたちは、ICANというNGO負担によるデンタルケアサービスを享受したわけだが、うちの息子は親が低所得なために、乳幼児医療費受給者となり、地方政府負担によるデンタルケアを受けた。(ほとんどタダでした。)親が低所得者でも、設備も十分にそろった歯科医の診療所でサービスを受けられて、なんて贅沢なことだと親の私はしみじみ感じていた。

虫の異文化

2008年04月14日 | ひとりごと
ゆきよ@にほん

 フィリピンの小学校の周りには、小さな出店が並んでいることが多い。お粥やソーセージやホットケーキ、青マンゴーにバゴーン(小えびの塩辛)をつけたものなどの軽食が売り出されていて、小銭を持たされた子どもたちが腹を満たしたしていたり、駄菓子屋さん、ヨーヨーやポケモンカードなどのおもちゃ屋さんに子どもたちが群がっていることもある。ときどき色のついた小鳥も売っていて、そういえば私の小学校時代にも派手な色のひよこが校門近くで売られていて、ほしくてしかたがなかったのを思い出したりする。

 そんな出店の中でも、日本では「ありえない」と思えるのは、小さなクモを売っていることだ。1匹5ペソ。フィリピンの子どもたち(主に男の子たち)は、クモを戦わせて遊ぶ。小さな木切れの両端から、自分のクモと友達のクモを登場させて真ん中に向かって走らせる。出会った2匹のクモが戦って、その木切れからビヨーンと落ちてしまった(といっても、クモの糸があるので、ぶら下がるだけですが)ほうが負けということだ。自分のクモをマッチ箱のような小さな入れ物に入れて、ペットとして飼っているのである。ICANキッズパートナーのみなさん、あなたのフィリピンのパートナーの子どもたちも間違いなくクモで遊んでいますよ。ちょっと、ありえないですよね。。。

 おかげで、うちの息子たちもクモが大好き。ペットのクモが家で卵を産んでしまったらしく、家中に埃のように小さなクモが大量に発生してしまい、ふわふわ飛んでいたこともある。(ありえん!)家の中でも外でもクモを見ると捕まえたがるので、いつか毒クモに刺されるのではないかと、こちらは気が気ではない。

 とくに下の息子は虫好きで、日本にたまに戻っても気になるのは、ムシらしい。じっと地面を観察していることが多い。カブトムシとかクワガタムシなら、私も納得できるのだが、とくにお気に入りはダンゴムシ。フィリピンではあまり見られず、触ると丸くなるのがやはり魅力なのか。。。日本に帰る前にうれしそうにしているので、「どうして日本に帰りたいの?」と尋ねると「ダンゴムシいるから。」日本の魅力はダンゴムシか。。。

トイレの異文化

2008年04月11日 | ひとりごと
ゆきよ@にほん

 久々に家族でフィリピンから日本の実家に帰省すると、トイレにタボが置いてあった。タボはフィリピンの風呂場やトイレで使う、水を汲む容器で、日本のひしゃくを大きくしたようなものだ。フィリピンでは、トイレの用を足したあとは、このタボを使って水で流し、石鹸でお尻をきれいにする。

 日本はティッシュで拭くんだよと言うと、乾いたティッシュで拭くだけだなんて、まだ「汚い」ではないか、とフィリピン人には言われてしまう。ちゃんと水で流してこそ、本当の「きれい」になるのだそうだ。日本人からすると、そんな水で流したり石鹸をつけたりするときに、手が汚れてしまって、そのほうが「汚い」ではないか、と言いたくなるが、結局何を「汚い」「きれい」と感じるかは文化なんだということだ。

 うちの日本の実家のトイレは、ウォシュレットなどどいうようなしゃれたものはなくて、ごくシンプルな洋式トイレ。半分フィリピン人の孫たちが帰ってくるので、おばあちゃんが気を利かせてタボを用意しておいてくれたというわけだ。実際、下の息子は、乾いたティッシュで拭くだけだと納得せず、まだ終わっていないと言い張る。これが日本のやり方だと何回説明してもだめ。わが子ながら、ほんまピノイなんだから。ばはらな(なるようになる)。。。


乾季真っ只中のぼやき。

2008年04月09日 | ひとりごと
ゆきも@まにら

毎日太陽がぎらぎらと照りつける乾季真っ只中のケソン市。先日のニュースには、以下のような記事が載っていました。

最近まで結構涼しく、事務所の中で扇風機をつけるとこ寒く感じる日もあったのに。。

裸の蛍光灯が二つついているだけの暗めの事務所に外から帰ってくると、光の量があまりにも違いすぎるために、目が慣れるのに時間がかかります。

暑さのせいで目がおかしくなっていると思ったのが、昨日ブログをあげているとき。ゆきも@まにら のぶろぐネームの前に、なぜか、小さな男が飛び跳ねている。。つけた覚えもないし、何度消しても、消えない。。

なんか神様か誰かがわたしを励ましてくれているのだろうか、それとも暑いのに、絵を消せなくてイライラしている私を笑っているのかな。はぁ。どうやら身内の嫌がらせでもないようだし。。笑

今後、ひょっとして、毎日そこで飛び跳ねるつもりじゃないでしょうね、と思って、消してみるが、だめなのです。。。

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◆首都圏で今年一番の暑さ

 6日、マニラ首都圏ケソン市ディリマンの気温が36.3度に達し、今年最高を記
録した。(Manila Bulletin)

ICANは「らいおん」か?-絵本「ラチとらいおん」より②

2008年03月25日 | ひとりごと
ゆきよ@まにら。

絵本「ラチとらいおん」は、ラチという子どもが、小さな赤いらいおんに励まされて、だんだん強くなっていく(エンパワーされる)お話しである。というか、ラチが自分の中にある強さに気づくプロセスを描いているともいえる。「らいんおんがついていなくても、ラチは強かったのです。」

このらいおんの役割は、ICANの開発事業の仕事にちょっと似ているところがある。社会的政治的経済的に「弱い」と信じられているコミュニティのお母さんたち、子どもたちに寄り添い、「いち にっ さん! いち にっ さん!」と一緒に訓練をする。訓練は、栄養について学ぶ保健教育セミナーだったり、表現力を高める演劇ワークショップだったり、売れるお菓子をつくる技術訓練だったり、いろいろな形がある。ICANの「地域開発プログラム」や「ノンフォーマル教育」は、らいおんのように「強くする」→エンパワーする場をコミュニティ住民や子どもたちに提供する仕事である。

「できない」と、しり込みする子どもに「じゃ、一緒にやってみよう」と誘いかける。「きっと君もできるよ」とはげます。すると、少しずつ「できること(ICAN)」が増えていく。ラチが、女の子を連れてこわい犬の前を通りすぎることができ、暗い部屋にクレヨンをとりに行くことができ、いすも持ち上げられることができるようになったように。そうしていつしか、ラチがらいおんとすもうをとって、とうとう勝ったように、私たちの想像を超えた力をコミュニティの人びとや子どもたちが発揮するようにもなる。

でも、ICANはらいおんに似ているけど、決してらいおんではない。だいたいらいおんのように、いきなり「どうだいぼくは強いだろう、君を強くしてやるよ」と言って現れない。気がついたら、そこにいて、さりげなく背中を押しているような形でないと、事業はうまくいかない。存在感が大きいといけない。それに、ICANはらいおんのようにかっこよくない。力をつけたラチに置手紙を書いて去っていくような、ICANはそんなドラマチックな英雄ではない。ICANとコミュニティあるいはICANと子どもたちの関係は、もっと相互的である。らいおんがラチに力を与え、ラチがそれを受け取るという一方的な関係ではなく、ICANもまた、コミュニティや子どもたちから力をもらっている。たくさん学んでいる。

らいおんはラチの「弱虫」という問題を解決するために現れたオタスケマンだが、ICANの場合、ラチの問題は、彼個人だけの問題ではなく、らいおん自身の問題でもある。コミュニティの問題、子どもたちの問題は、ICANの問題でもある。ICANにかかわる私たちひとりひとりの問題でもある。同じ地球上にいまここに存在するあなたの問題は、決してあなたひとりの問題ではない。私の問題でもある。あなたの問題は私につながっている。だから一緒に取り組もう。ラチとらいおんの間には共有された問題があり、それをともに解決するためにお互いに強くならなければならない。だから、ICANはらいおんではない。むしろICANもICANに関わる私たちひとりひとりも、ラチなのである。

私たちもまたらいおんのように強くなって、飛行士になれるだろうか。一緒に空をとべるだろうか。

―人びとの「ために」ではなく、人びとと「ともに」―

みなさんも子どもたちやICANと一緒にラチかららいおんになるプロセスに参加しませんか?

ICANは「らいおん」か?-絵本「ラチとらいおん」より①

2008年03月18日 | ひとりごと
ゆきよ@まにら。

昨年、熊本にいる友人(かつICANの会員でもある!)から、素敵な絵本を何冊かいただきました。そのひとつが「ラチとらいおん」(福音館書店)。5歳になる下の息子は、このお話を読むと最後に悲しくなって泣いてしまうのですが、それがまたいいらしく(?)すっかりお気に入りで、寝る前の読み聞かせの常連の1冊になっています。1961年のハンガリーの絵本が、1965年に日本語訳されたもので、どうりで日本語がちょっと古風でまたそれが情緒深い趣をかもし出していると思います。これを読んでいて、ICANの仕事とちょっと似ているところがあるなと思いました。以下、ストーリーをご紹介します。

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ラチとらいおん    マレーク・ベロニカ ぶん/ とくながやすもと やく

このいえに、ラチというおとこのこがすんでいます。
ラチは、せかいじゅうで いちばん よわむしでした。

ラチは、ひこうしに なりたいと おもっていました。
でも、よわむしの ひこうしなんて いるでしょうか。

ラチは、 いぬをみると にげだします。
くらいへやには、こわくて はいれません。
おまけに、ともだちさえ こわいのです。だから みんなは、
ラチを ばかにして、あそんでくれませんでした。

ラチは、なかまはずれにされて、いつも ないていました。
そして、いちにちじゅう、えほんを みてばかりいました。

ラチは、このえが いちばん すきでした。
「ぼくに、こんな らいおんがいたら、なんにも こわくないんだけどなあ」

ところが、あるあさ、めをさましてみると、ベットのそばに、
ちいさな あかい らいおんが いるではありませんか!

でも、ラチは おおわらいしました。
「こんな ちっぽけな らいおんじゃ、 なんのやくにも たたないじゃないか」

らいおんは おこりました。

「きみ、よくみていたまえ!」
らいおんは そういうと、かたてで いすを もちあげてみせました。

それから、ラチに とびかかると、
えい、やっ と、 ゆかに おしたおしました。

「どうだい、ぼくは つよい らいおんだろう。きみも つよくなりたいなら、ぼくが つよくしてやるよ」

「つよくなるのには、まず たいそうを するんだよ。 こんなふうにね」

いち にっ さん! いち にっ さん!

それから ふたりは、まいあさ いっしょに たいそうを しました。
あるひ、ふたりは さんぽに でかけました。
そして、ないている おんなのこに であいました。


「どうして ないているの?」と、ラチがたずねました。
「だって、むこうに こわいいぬが いるんですもの」

ラチは、にげだそうとしました。でも そのとき、らいおんが いっしょにいることを おもいだしました。

「こわくなんかないぞ。ぼくには、らいおんが ついているんだから」
そして ラチは、おんなのこの てをひいて、いぬのそばをとおりぬけました。

ラチは、ポケットのなかの らいおんといっしょに、 うちへ かえりました。
うちで、えを かこうと おもったのです。

けしごむも、かみも、えんぴつも ありました。
でも、クレヨンが ありません。

クレヨンは、となりのへやに あるのです。けれども、となりのへやは まっくらで、おまけに、でんとうを つけようとおもっても、スイッチに てが とどきません。

「とりに いきたくないなあ」と、ラチは いいました。
「とりに いきたまえ」と、らいおんが いいました。
「いきたくないよ」と、ラチは いいました。
「じゃ、ぼくが ついていってあげよう」と、らいおんが いいました。
ラチは、クレヨンを とりにいって、ねるまで えを かきました。

こうして、ラチは、どんどん つよくなって、もう なんでも できるようになりました。
かたてで いすを もちあげることも できます。

さかだちも できます。

そして あるひ、らいおんと すもうをとって、 とうとうかちました!
そこで ラチは、 ともだちのところへ でかけていきました。

ところが、みんなは しょんぼりしています。
のっぽに、かいたてのボールを とられてしまったからです。
「きみなんか きたって、なんにもならないよ、よわむしだから」と、
みんなは いいました。

「ぼくは、よわむしじゃないよ」と、ラチは いいました。
「じゃ、ぼくたちの ボールを とりかえせるかい」

「とりかえせるとも!」 ラチは そういうと、のっぽをさがしに でかけました。
「こわくなんかないぞ。ぼくには、らいおんが ついてるんだから!」

ラチは のっぽをみつけました。
「まて!」

のっぽは びっくりしました。みんな のっぽを こわがっていたのに、
こわがらない こどもが でてきたからです。

「こいつは、ぼくより つよいらしいぞ。 にげたほうが よさそうだ!」
のっぽは あわてて にげだしました。

どっちへ にげたのでしょう・・・・?  (中略)

とうとう ラチは おいつきました!
のっぽは こわがって、ボールを ほうりだすと、
たかいきに よじのぼってしまいました。

そして、よるになるまで、おりてこようとはしませんでした。

みんな、おおよろこびしました。 ラチは、らいおんに おれいをいおうとおもって、ポケットに てを つっこみました。
ところが、ポケットのなかに なにがあったとおもいますか?

りんごです! らいおんが ついていなくても、ラチは つよかったのです。
ばんざい!ばんざい!ばんざい!
でも、らいおんは どこに いってしまったのでしょう?

ラチは、はしって うちへ かえりました。
うちには、てがみが おいてありました。

らいおんの てがみです。

「ラチくんへ
きみは、らいおんと おなじくらい つよくなったね。
もう、ぼくが いなくてもだいじょうぶだよ。 ぼくはこれから よわむしのこどもの ところへ いって、つよいこどもにしてやらなくちゃならないんだ。
ぼくを いつまでも わすれないでくれたまえ。 ぼくも、きみのことは わすれないよ。
じゃ、さよなら   
らいよんより」

らいおんは、ラチを じまんに おもっていることでしょう。
ラチは もう、なにも こわがりません。

だから ラチは、きっと ひこうしに なれるでしょう。

おしまい

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このお話が、なぜICANの活動に似ているのか。
次回のブログ②をご覧ください。