ICANまにらブログ~第二巻~

日本のNGOアイキャンまにら事務所の日記。

母乳は赤ちゃんのためお母さんのため環境のため?!

2008年07月31日 | ひとりごと
ちぇろ@まにら。

8月1日~7日は「世界母乳育児週間」です。
WHO(世界保健機構)は、生後6ヶ月までは母乳だけで育てること(完全母乳)を推奨していますが、フィリピンでは完全母乳の期間が平均1ヶ月未満となっているようです。

母乳は赤ちゃんへの一番最初の「予防接種」となり、身体の免疫力を高めます。さらに、お母さんとのつながりも強めます。産まれたばかりの赤ちゃんをお母さんの胸元にのせると、赤ちゃんは45分以内に自分からお母さんのおっぱいを飲みにいくのだそうです。フィリピン保健省ではこういった映像をビデオにして、ヘルス・ワーカーやお母さん方に機会あるごとに見せて、母乳をあげることの大切さを広めています。

カトリック教会では避妊をすることを中絶と同様にとらえるため、教会は自然避妊法以外の避妊方法を認めていません。完全母乳で育てるとお母さんが次の赤ちゃんを妊娠するまでしばらく間隔をおくことができるので、人工的な方法を避けた自然避妊にもつながるのです。

もし母乳ではなく市販の「ミルク」で赤ちゃんを育てるとすると、1ヶ月あたり3千ペソ(約2500円))かかると言われています。かなりの出費です。ミルクはこちらでは大きな缶で売られているので、ミルクを買えば缶のゴミがでて環境にやさしくありません。また、哺乳瓶などを洗うのに安全な水や洗剤、熱湯などを使って殺菌する作業も必要になります。経済的にも環境配慮のためにも、母乳は良いのです。

ちなみに、赤ちゃんが哺乳瓶を吸うことに慣れると、お母さんのおっぱいを吸うのを面倒くさがってしまうそうです。ミルク、もしくは母乳でも、衛生面も考慮して哺乳瓶よりコップであげることをWHOは推奨しています。しかし、哺乳瓶から飲むよりお母さんのおっぱいから飲む方が赤ちゃんの口の筋肉が鍛えられるという効果もあり、やはり母乳が理想的です。

ICANでも月2回の助産師による検診やアウトリーチの際、あるいは保健教育の母親教室で、積極的に母乳を勧めています。事業地ではなにより経済的だからということで、母乳で育てる人が少なくないのですが、それが具体的にどんなによいかは、知らない人が多いそうです。ですから、母乳が出にくいとすぐにあきらめて粉ミルクにしてしまうこともあるといいます。私自身、まだ実際に事業地でお母さん方とお話する機会をあまりもてていないのですが、世間話などを通じて「母乳のよさ」を広めたいと思っています。母乳で育つと、IQもあがるそうですよ。その昔、ミルク会社のCMで、「ミルクで赤ちゃんを育てるほうが頭が良くなる!」というのがあったそうですが、赤ちゃんの成長のために母乳に代わるものはありません。

ぼくも参加!サバイタヨキッズによる大掃除

2008年07月30日 | ごみ処分場の子どもたち
あつし@まにら

先日、パヤタスのコミュニティケアセンターで大掃除が行われました。

大掃除、と言っても普段使っている本や道具を整理して、いつもより目の届かない所もちょっと掃除をするといった具合でしたが・・・。ぼくは忘れられた部屋の四隅がどうしても気になってしまい、つい写真に収めてしまいました。



気になった原因はすぐに判明しました。やはりどんなにキレイにしていても害虫の一匹二匹は入ってきてしまうもの。そんなわけで掃除の最中に出てきました、・・・・○キブリが。

それでもフィリピンの子どもたちなら○キブリぐらい何てことないだろう、と思っていたら、すでに子どもたちは大パニックになっていました。誰一人として処理しようとしません。僕はしばらく様子を見ていたのですが、最終的にはOキブリ嫌いな僕が処理しました・・・。





床拭きをして、最後には窓もキレイにして掃除は終了です。こうやって大掃除という特別な日以外にも、日々子どもたちがちゃんと掃除して大事に施設を使ってくれるのを見ていると、長く使ってもらえるのだろうなと思います。

「バイオガス排出削減事業」に係わるジェイさんのお話。

2008年07月29日 | ごみ処分場の子どもたち
ゆきも@まにら

まずは、こちらをご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/icanmanilaoffice/e/a748897ba9bb5c5dd9aa053d2b1cafaf

7月22日のPangea Green Energy(パンジェア・グリーン・エナジー:パヤタスでメタンガスをエネルギーに再生する事業を出資する会社)への調査訪問では、事業開始の前の段階から、携わってきた職員の方(仮名:ジェイさん)の想いや悩みを聞くことも出来ました。





この事業は、元々はPNOC(フィリピン国策石油会社)がリードして調査・開発を進めてきました。ごみ山の地中に今も尚眠る有毒ガスを抽出してエネルギー化するというフィリピン国内でも初めての画期的な試みには、日本の銀行などの企業も出資しました。2000年のごみ山崩落事故以降、ごみ山の安全管理を担うPOG(パヤタス・オペレーション・グループ)との協働事業が予定されていましたが、途中で、PNOCに代わってPangea Green Energyが事業を引き継ぎ、頓挫しかけたこの事業を立て直し実施まで漕ぎ付けたという経緯があったそうです。


【ごみ山の上から設備を見下ろす。】

ジェイさんによると、初めて事業の成果により、暗い夜道が街灯で照らされたとき、「実現した!やはり素晴らしい事業だった!」と嬉しくなったと言います。これまで日が沈むと暗闇の中で遊んでいた子どもが、街灯で照らされた路上にいるのを見て、「この事業に関わり続けてきて本当によかった。」と思ったそうです。

一方、パヤタスには、家に電気が灯っていない家庭が多くあります。中には、ジェイさんの元に、「うちは夜になったら、真っ暗だ。私たちの地区の家屋にも電線を付けてくれないか。」と問い合わせに来る人もいるそうです。確かに、古いごみ山にパイプが埋め込まれたり、事業の開始が目に見えるようになってから、住民の間では、「近い将来は、きっと、あのごみ山からの電気でパヤタスのすべての家庭に電気が灯るかもしれない!」と期待が膨み続けています。



しかし、パヤタス全域の人口と電気の使用量を考慮した場合、電気を無償で供給することは現実的ではありません。10年間という事業期間が終われば、Pangea Green Energyはこの全設備をケソン市へと引き渡します。その後のメタンガスの埋蔵量・管理費を考えると、むやみに「貧しい家庭に電気を!」と‘慈善事業’にしてしまうことに果たして意味があるのか、とジェイさんは語ってくれました。

ジェイさんによると、ごみ山周辺に住む人々は、鉄の棒で地中深く穴を掘って、パイプを通し、なんとそこから出るガスを使って調理していたと言います。このようにガスを‘公共資源’として無償で使っていた人々にとっては、「大規模な事業により、資源が独占され有料化された」と批判的に見ている人もいるかもしれません。

「事業を公共の福祉のために最大限活かしたいと常に願っている。設備建設の時にも、少しは雇用機会の創出には役立ったと思う。とても特殊な技術や知識を要する事業だから、パヤタス出身の人は結局一人しか雇われなかったけど、でも、色んな人の想いが詰まっている事業だと思うわ。」と、ジェイさんの言葉には、住民の期待に100%添えないもどかしさが混じっていました。

環境問題に取り組み目に見える成果を出す事業に携わるジェイのような立場の人も、目の前に住む住民の希望や期待を「現実」と認識していることを実感できた一日でした。


新素材ターポリンに挑戦中!~SPNPでの一コマより~

2008年07月28日 | フェアトレード
ひろみ@まにら

先週土曜日、パヤタスのSPNP(パヤタスで生計向上のためにがんばるお母さんたち)に二人の来訪客がありました。お二人は、名古屋に親会社を持つ印刷広告会社のご担当者で、マニラでの新規事業開拓のため、今年4月に日本から赴任されてきた方々です。彼らによって立ち上げられたSPPという会社は、フィリピンで積極的にCSRに取り組んでおられ、ICANの事業地でも毎月ボランティア活動に来てくださることになりました。

この日、お二人は初めてパヤタスを訪問。目的は、パヤタス事業地について知ること、そして、これまでに展開されている広告事業で、廃棄物として出るターポリンを使い、エコバックなどに再生できないかという試みについて検討することでした。この日実際にSPNPのお母さん達が試作したサンプルを確認し、商品開発の可能性について打ち合わせすることができました。

(注:ターポリンとは垂れ幕広告などに良く使用される素材で、ポリエステル素材に塩化ビニール等の合成樹脂を合わせた素材です。)

これまで、お母さん達は、綿やリネンといった一般的な縫製生地や、ティナラックというアバカ麻の生地を商品を作ってきましたが、今回のように、主に広告素材として産業用向けに使用されるターポリンでバックを製作することは、初めての試みでした。そのため、お母さん達は『今回はとても難しかったわ。針も何度も折れるし。生地が厚いから、端をきちんと揃えて縫うのに苦労したわ。』と口々に言っていました。

出来上がった試作品を確認すると、お母さん達の苦心の形跡が見られ、確かに折り返しのところで、ところどころ糸が飛び出したりしていましたが、強度も良く、総じてとても良い仕上がりで、お二人も納得の様子でした。

 
【写真1:ターポリンでのバック縫製中】


【写真2:ターポリンでのバック縫製中 その2】

本格受注はまだ先のことになりそうですが、今回、ご依頼いただいたこのターポリンエコバックは、CSR活動の一環として、主にお客さんへの粗品として使用される予定とのことです。


【写真3:担当者の方にSPSPについて説明中】
 

今回の受注を仲介するあたり、私たちICANではSPNPのアドバイザーとして、CSR活動の一環として、これまで皆さんにお届けした各種フェアトレード商品同様の品質管理を十分に行っていくことを相互に確認しました。

フェアトレードを活動の一つの柱とする私たちにとって、フェアトレードとは第一義的にはパヤタスのような経済的な貧困地域のお母さん達、取り巻く住民の皆さんや家族の皆さんの生計向上に寄与すること、また少しでも皆さんに、南北間格差に関心を持ってもらい、相互理解を深めることを目標としています。

しかし、私たちは、ただ安易に商品を作り販売するだけでなく、お母さん達が真心を込めて作った商品を手に取った一人一人のお客様が質・内容とも満足いただく商品づくり、品質管理のあり方を探っています。それによって、お母さん達の技術も向上し、商品を手に取ってくださったお客様と相互にwin-winな関係であるように願っています。

今回、ご依頼いただいた経緯は、共に名古屋に本部と置く組織という地縁からのご縁でしたが、これからもこうしたアイデアを各所からいただき、持続的な活動につなげていきたいと考えています。


【写真4:サンプル第一号!】

マニラから出たゴミの行方

2008年07月25日 | ごみ処分場の子どもたち
あつし@まにら。

昨日、私たちICANスタッフは、パヤタスの古いごみ山にて、パヤタスオペレーショングループというケソン市の機関と、パヤタスで環境事業を実施するフィリピン企業を調査訪問し、現在行われているメタンガス再生プロジェクトについて学ぶ機会を得ました。

パヤタスには二つのごみ山がありますが、一つは現在もごみ処分場として稼働中、もう一つは2000年の崩落事故の後に閉鎖され、現在はそこからガスを抽出してエネルギーへ換える事業が行われています。その事業名は「BIOGAS EMISSION REDUCTION PROJECT」です。日本語に訳すと「バイオガス排出削減事業」といったところでしょうか。この事業はフィリピン国内の民間企業が中心となって行われています。

ところで、皆さんは「京都議定書」についてご存じでしょうか? この日、事業説明では、この事業は京都議定書で謳われている環境対策に沿って計画・実施されています。温暖化の原因となるガスの排出を削減して地球温暖化の勢いを緩めようという意図があるそうです。

しかし、これは僕個人の率直な見解ですがそこにゴミが山のように(もはや「ように」ではありませんが。)積まれている、そして周辺住民がそれ(人体に有害なガス)により健康被害を受けているという問題のすぐ横で、「我々は地球環境の改善に貢献している」と語るのは疑問に感じました。

話は戻りまして、この事業ではゴミ山の地中に眠るメタンガスを抽出します。そのために多数のパイプが埋設されているのですが、造りはとてもシンプルです。



たくさんのパイプが埋められている様子は、ごみにストローが刺さっているという感じでした。次に、汲み上げられたガスはパイプを通して一か所に集められていきます。



こうして集められたガスは発電機が置いてある場所で、燃焼され、その熱を利用して発電します。
↓この塔のような施設でガスが燃焼されます。



このように既に排出されてしまったゴミを、どうにかして有効に利用するというのは重要かもしれません。しかし、既に述べたように、プロジェクトが進められる一方で、周辺住民に対しての配慮に欠けているという現状も感じました。地域には実際に、この事業により生まれたエネルギーで、街頭に火がともるなど目に見える成果も見られます。しかし、その一方で、依然としてゴミは増え続け、新たな「ごみ山」ができつつあり、健康被害に苦しむ現実はあり続けています。



ところで、フィリピンでは何を買っても大体袋に入れられます。僕はこれ以上ごみ山を大きくしたくないので、頑なに袋に入れることを拒否していますが、さてそれでどれほど効果があるのでしょうか・・・。

インターンちぇろの「私にできること」

2008年07月24日 | スタッフとオフィス
ちぇろ@まにら

初めまして、先月からインターンとして活動していますちぇろです。
ボランティアの力にてご紹介いただいた通り、日本での社会人経験を経て、今年6月からフィリピン大学(UP)の修士課程にて勉強しています。専攻は保健医療政策学なので、ICANでも主に保健事業において「私のできること」を実現していきたいと思っています。

保健医療に関する知識はまだまだこれから勉強していくところなのですが、例えば看護師・マデットが栄養改善活動や保健医療サービスを受けた人数をカウントして表におとしているので、ここから事業による効果を‘エビデンス’として残すにはどうしたら良いかということを考えています。‘エビデンス’はとても大事で、政策(小さなものから大きなものまで)を変える力にもなり得ます。そこで、コミュニティケアセンターで実際に住民のケアをしている、医師・助産師・看護師・コミュニティヘルスボランティアの女性達の活動を、データという形で残し、事業の今後に、パヤタスの人々の健康に生かすことができたら、と思っています。

現在、授業や課題に追われていることもあり、なかなか足を運べていないのですが、引き続き「私のできること」を考えていき、ICANの「人々とともに」行う開発にコミットメントし続けていきたいです。

個人的には出産・育児(私自身はまだまだ先ですが…)・母子栄養などについて考えるのが好きなので、パヤタスのお母さん達と色々お話できたらと思っています。もっとも、私より若いお母さんも多いのですが…

「卒業したい!」 -ジェンサン・プログレスレポート発送

2008年07月23日 | ジェネラルサントスの子どもたち
ゆきよ@まにら。

昨日、ジェネラルサントスの子どもたちのプログレスレポートを日本のパートナーさんへ向けて発送しました。ジェンサン・キッズパートナーの方々、どうぞ楽しみに待っていてくださいね。

今回は、子どもたちの「家族」をテーマに作成しています。家族構成とともに、子どもたちにとって家族のなかで一番「こわいのは?」一番「仲良しなのは?」誰なのかなどがわかるようになっています。

「家族について、どんな夢がありますか?」の質問には、判を押したように同じ答えが書いてありました。「なんとか自分が卒業して家族を助けたい。」

子どもたちの勉強を終えたいという熱い思い。それをみんなで達成すべく、私たちは働いています。日ごろ、さまざまな問題のなかで沈むことがあっても、こんな子どもたちの純粋な「勉強したい」「卒業したい」という思いによって、また元気づけられることもあります。

コミュニティケアセンターのある風景~DOTS

2008年07月22日 | ごみ処分場の子どもたち
ひろみ@まにら

今回は、パヤタスのコミュニティ・ケア・センターでの日常的な風景をご紹介します。

現在、パヤタスのコミュニティ・ケア・センターでは13人の成人結核、また同じく13人の小児結核の患者さんをモニタリングしています。今日も一人の結核患者さんがコミュニティ・ケア・センターに足を運んできました。

ICANでは保健・医療活動の一環として、DOTSを中心とした結核対策を行っています。DOTSとは、Directly Observed Treatment, Short-courseの頭文字を取ったもの。日本語では、「直接監視下短期化学療法」と訳されています。通常、結核は半年から9カ月間程度、毎日決められた量の薬を正しく服用することで完治に向かいます。しかしながら、薬を飲み続けて1ヶ月~2ヶ月程経過すると、症状が軽減するために、服用を中断したり、そのことで返って結核に対しての耐性ができ、症状が悪化したり、治癒まで更に長い期間を要することも見られます。

そこで、DOTSという治療法では、家族や医師、コミュニティ・ヘルス・ボランティア(CHV)といった患者さんにとってキーパーソンが、各々の患者さんが直接、薬を服用するのを確認し、完治するまでの経過をモニタリングすることが重要になってきます。パヤタスのコミュニティ・ケア・センターでも、CHVのお母さん達やDOTSにより結核が治癒した元患者さん達がこうした役割を担っています。


【CHV(コミュニティ・ヘルス・ボランティア)のお母さん達による薬の管理】



【写真2:患者さん一人一人に対して、薬を管理しています】


【写真3:薬の服用を管理するDOTSシート】


【写真4:薬を服用する患者さん】

フィリピン保健省・WHO(世界保健機関)によると、フィリピンは結核罹患率が世界で9番目、かつフィリピン国内において毎日結核によって、75人もの人々が亡くなっているそうです。その中でも、私たちICANの事業地パヤタスは、ごみ山から排出される有害物質など劣悪な住環境や貧困など様々な要因によって、結核罹患率が極めて高い地域です。

これまで、ICANでは、DOTSの実施により、結核治癒に対して、着実な成果を挙げてきました。今後もパヤタスのコミュニティ住民の皆さんがより健康な生活を送れるよう、関係機関やスタッフ、住民の皆さんと力を合わせて取り組んでいきます。



路上にいた子どもたちにとっての「子どもの権利」ワークショップ③~再会~

2008年07月21日 | 路上の子どもたち
ゆきも@まにら

まずは、こちらをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/icanmanilaoffice/e/f932041a770a6387ef2c89eda31aa658

http://blog.goo.ne.jp/icanmanilaoffice/e/5ef98b2e4f34b61c8e1d097c02f43aab

6月の末にパヤタスのケアセンターを舞台に行われた、路上にいた子どもたちのパヤタス滞在のいち場面です。ブストス事業地の子どもたちは、念願が叶ってパヤタスでの(!)、サバイタヨの子どもたちとの再会を果たしました。





初日の夜、外が暗くなってから会場に到着した子どもたちは、「いつになったらごみ山に上れるの?!」「一番上まで歩いて上るの?遠いの?」と、ごみ山が気になって仕方ない様子。今回の目的はあくまで、ワークショップを通して自分や仲間の経験を言葉や絵を通して再体験しながら、権利と関連付けて考えてみることです。ごみ山には上りません。



そこでこの日は特別に、普段は安全のため閉鎖しているケアセンターの屋上に上がりました。



屋上に上ると聞いてサバイタヨの年長組の子どもたちも大はしゃぎ。たかが3階建ての建物の屋上ですが、あまり高い建物に上る機会がない子どもにとって、屋上に上って景色を眺めることは特別なことのようです。

「あ、山の上に人がいる!ダンプカーも走ってる。ぼくらもあそこに行ける?」「あそこにいるのは、大人だけ?子どももいるの?」など、ブストス事業地の子どもたちから質問が飛び交います。昔路上でサバイバルしていたある年長の女の子は、「スモーキー(マウンテン)も昔は、あんな感じだったわ。」と幼い頃の記憶を蘇らせて、子どもたちやスタッフに教えてくれました。パヤタスの外でサバイタヨの子どもたちから聞くだけでは見えなかった自分との共通点を見つけて、懐かしそうにスタッフに語り出す子どももいました。



今回のワークショップの主役は、ブストス事業地の子どもたちでしたが、この学びの機会に、サバイタヨキッズたちが積極的に参加する頼もしい姿が見られたことは、大きな収穫となりました。

大人の言葉を介してではなく、子どもから子どもへ、子どもから大人へ、体験に裏付けられた透き通った声がそのまま歪められず聞ける場所。子どもが「自分の声で伝える」というこの一見何でもないこの場面こそ、子どもたちが自分自身の「開発」の主役となる第一歩になると信じて、ICANは今後も子どもの声を大きくする活動に参加します。

路上にいた子どもにとっての「子どもの権利」②

2008年07月18日 | 路上の子どもたち
ゆきよ@まにら。

先日の続き。



子どもたちは自分たちの両手をかたどって、そのひとつひとつの指に、自分の大切だと思う「子どもの権利」を描いていきました。思い思いのデザインで飾られたいろんな手ができあがりました。そしてその手を見せながら、自分の書いたこと、描いたことを説明していきます。

子どもたちの語った「権利」のなかに、「名前がある権利」というのがありました。日本では子どもの出生後、役所に届けるのはごく当たり前のことですが、フィリピンではそれができていない、つまり出生証明書がない、あるいは出生証明書の内容が正確でないということが少なくありません。

この「名前がある権利」をあげたジェームスくん(仮名)は、ちゃんとした出生証明書がない子どもでした。「だから僕は、僕は○○出身の××ジェームスです、と自分で言っていても、それを証明できるものがないんだ。」と、その状況がいかに心もとないものか語っていました。



彼は幼いころ父親の暴力から逃れて、路上で暮らすようになりました。「路上にいたころは、batang kalye(路上の子)とか、sira ulo(頭おかしい)とか呼ばれることもあった。侮辱だよね。僕は名前のない子だったんだ。」

長年のわだかまりを越えて、近年親と和解して、今は長期の休みのときは、実家に帰ることもあります。「この間帰ったときに、出生証明書の話をしたんだ。親が手続きをしなおしてくれるって言ってくれた。」




子どもの権利条約の第7条では、「児童は、出生の後直ちに登録される。児童は、出生の時から氏名を有する権利及び国籍を取得する権利を有するものとし、また、できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する。」とあります。そしてその権利の実現を国が確保するように言っています。

これは、あまりにも当たり前のことのように思っていました。自分がどこの誰か不確かであることが、どんな自分の存在を脅かすように思えるか、ジェームスくんの語りを聞くまで、私は想像したことがありませんでした。


大量注文!

2008年07月17日 | ごみ処分場の子どもたち
めい@まにら

現在テディベアの大量注文を日本のお客様から頂いています。(私たちにとって大量とは300とか200とかのレベルですが。)テディベアに限らず、商品は全てSPNPのQC(Quality Check:検品)のあと、ICANも検品して、販売できると認められたものだけがマニラ事務所に届き、そこから日本へ送られます。

大量注文の来たとき、特に納期が近く急いでたくさんの数を作らなければならない場合、以前なら縫い目が粗かったり、左右対称でないものがあったりしてリジェクト(検査に通らない商品)になる商品も多かったのですが、今回受け取ったときは以前よりリジェクトが少なくなったようです。




以前にマスターピース(各商品の規格となるサンプル)を作成したおかげかもしれません。まだ完璧に同じ商品を作ることにお母さんたちは馴れていないようですが、マスターピースを作ったことで、商品の規格が同じでなければならないという意識が強くなったのだと思います。

マスターピース作成には私もSPNPも苦労したので、マスターピースのおかげで商品の改善につながったのなら嬉しいです。 







元気いっぱいの子どもたち

2008年07月16日 | ごみ処分場の子どもたち
あつし@まにら

パヤタスのコミュティケアセンターには、毎週土曜日sabay tayoサバイタヨの子どもたちが80人くらい集まります。サバイタヨは「一緒にしようよ」という意味のフィリピン語で、ICANの青少年活動の名前になっています。





僕はまだまだフィリピン語を話すことができないので、主に子どもたちの写真を撮影したり、遊び相手になったりしています。先週は4歳から8歳くらいの子どもの担当をしました。日本の子どもたちは遊びの中で自然とルールを作り、それを守ることを学んでいく傾向があるように思います。しかし、先日はsabay tayoサバイタヨの先輩たち、16,7歳の子たちが面白そうな遊びを教えたのですが、まだまだ自分の好き勝手に遊びたい低年齢の子どもたちにとっては先輩たちの考えたルールでは飽き足らずに、わちゃわちゃに。。。


【カードを探します】


【箱が壊れて落ちてしまいました】

ソーシャルワーカーのスタッフによると、もちろんルールを守ることを子どもたちに活動のなかで教えていくのですが、一度に子どもがおりこうになるのは難しく、少しずつ教えていかないと、とのこと。


【もみくちゃー】

もっと小さい子どもがみんな一斉に僕に集まって来るときもあります。僕が「isa! isa!」(「一人ずつ!!」)と言ってもお構いなしです。もみくちゃにされ、ボロ雑巾のようになっても、僕は翌週の土曜日が待ち遠しかったりします。

昨日の記事の保健教育もサバイタヨの一環ですが、こちらも同じサバイタヨの違う一コマです。

子どもたちによる「分かる!」保健教育

2008年07月15日 | ごみ処分場の子どもたち
ゆきも@まにら



6月28日、サバイタヨ(毎週土曜日の青少年活動)の年長組による保健教育が行われました。年長組の子どもたちは、13歳から17歳の子どもたちで、10歳から13歳の年中組と手分けをして、毎週土曜日の活動をファシリテイトしています。

この日は、年長組の中でもリーダー格の4人が、看護師のマデットやCHVに代わって、幼い子どもたちに保健教育を行いました。




テーマは、「人間のからだ」について。最近の選挙で選ばれた4人(サバイタヨ代表、副代表、会計係、議事録係)が先生役です。それぞれは事前にマデットと説明の仕方や内容の確認など、打ち合わせやリハーサルを重ねて、この日に備えました。



そもそも、ポスターなどの市販の視覚教材を特別に準備する予定でした。しかし、スタッフの忙しそうな姿を見た子どもたちの提案により、子どもたちが独自に教材を作ることになりました。絵を描くのは苦手な子は、家でお父さんに手伝ってもらったり、家族の協力もあったようです。





咽頭部や呼吸器の機能や、皮膚の仕組みなどについて、子どもたちにも分かりやすい表現を使って説明します。みんなの前で、保健教育の講義なんて、緊張するのでは!?と思いきや、説明や言語が適切かどうかを知るために、子どもたちの反応を見て、質疑応答でその都度チェックが入ります。この日の保健教育の最後には、理解度を知るための小テストまで行われたため、子どもたちもかなり真剣な様子でした。

小テストは全部で27点満点、最高点は22点。中にはボーナス問題もあり、「最近、ICANに加わったお兄ちゃんと、お姉ちゃんたちの名前は?」とボランティアさんの名前を問うものもあったとか。

今回のようなトピックは、学校の保健の授業の中でも習う内容かもしれません。
しかし、実際にこの日「先生」として体の仕組みを説明した年長メンバーは、「昔、学校で習ったときはよくわからなかった。でも、こうして自分で絵に描いて、子どもたちがどうやったら分かりやすいかって考えて、絵を描いたり、説明することで、前よりももっと理解できるようになったわ」と振り返りました。

それにしても、子どもの反応を見ながら理解度チェックをして、幼い子どもたちと交流しながら講義を進められるなんて。。。学校の先生顔負けの活躍でした。学校で「分からない」っていう経験って、すごいパワーに変わっていくものだな、と感心してしまいました。

栄養・愛情・笑顔たっぷり料理~クッキングコンテストより

2008年07月14日 | ごみ処分場の子どもたち
ひろみ@まにら

先月末、コミュニティーケアセンターでは、パヤタスのお母さん達によるクッキングコンテストが行われました。このクッキングコンテストは三カ月に一度行われます。

このコンテストの目的は、ただ料理を作ることだけが目標ではなく、限られた僅かな予算内で、いかに栄養価が高く、かつ見た目も味も良い料理を作ることを目的としています。また、それだけではなく、お母さん達同士が協力し合って、効率よく創意工夫をしながら料理を作るかといったことも目的としています。

このお母さん達は、栄養改善活動に参加している低体重の子どもたちの母親です。協同組合や母親学級といった日頃の活動を通して、栄養に関する知識やチームワークについて学んでいます。このクッキングコンテストは日頃の活動の成果をお互いに見せ合う場でもあります。

この日、お母さん達は4チームに分かれ、それぞれのメンバーで話し合った創作料理を披露します。グループ1のお母さん達は、ひき肉を使ったトマトソース、グループ2のお母さん達は野菜たっぷりのベジタブルカレー、グループ3のお母さん達は、ひき肉とマルンガイという栄養価の高い青菜と人参をつかったハンバーグ。グループ4のお母さん達は空芯菜と鶏肉を使った中華風炒め。


【みんなで試食中。】


また、時を同じくして、別室では、それぞれの料理を審査中。審査のポイントは上記の通り、チームワーク、栄養価や見た目、コストパフォーマンスなどなど。この日の審査員はスタッフや今回料理づくりに携わっていないお母さん達。審査員同士も「これは見た目も良くておいしいわね。」「-でも、このチームはあまり協力していなかったわ。」「この見た目だと子どもはすごく喜ぶわね。」「豚肉より鶏肉の方がヘルシーなのでは?」等々、活発な意見を交わしていきます。ひろみ@まにらもそれぞれ試食させてもらいましたが、どれも甲乙つけ難く本当においしかったです☆



【審査中の様子】


最終的に今回の優勝を勝ち取ったのは、グループ3のマルンガイと人参を使ったハンバーグ。このクッキングコンテストで優勝したチームのメニューは、子ども達の栄養改善のための給食事業のメニューの案に採用されることも。



【優勝チームの料理】


今回の参加チームには、それぞれご寄付でいただいた洋服を賞品とさせていただきました。ご寄付いただいた皆様、本当にありがとうございます。ICANでは、皆様から頂いたご寄付の一部をこうした形でも活用させていただきながら、お母さん達のエンパワー、私たち自身のエンパワーにつなげていきたいと考えています。





ジュライ・テン 事故から8年

2008年07月11日 | ごみ処分場の子どもたち
ゆきよ@まにら。

昨日は7月10日。死者200人以上を出したパヤタスごみ山崩壊の悲劇から8年だった。崩れたごみ山のふもとに作られた慰霊碑のところで朝から、事故を覚え追悼する式典とミサ(カトリックの礼拝)が行われた。子ども、孫、甥っ子姪っ子たち10人を失った住民のミンダさん(仮名)は、「記念式典に参列する人も今年は減っていて、礼拝で慰められるよりも、ますます悲しい気持ちになってしまったよ。」と語っていた。(かつてはこの記念式典にアロヨ大統領も参列したこともあった。)

あの悲劇を思い出して、ICANのCHV(コミュニティヘルスボランティア)のエミーさん(仮名)も、当日の様子を話してくれた。彼女は、もともと伝統的お産婆さんでもあり、パヤタスコミュニティ内で自宅での出産介護の仕事をしている。仕事といっても、ここでは十分に「お礼」を払えない家も多いようだ。「本当にないところから、もらうわけにはいかないから、またいつか払えるときに払ってねと言うしかないのよね。お金じゃなくて、代わりにモノで払ってくれる人もいるわ。」彼女も病弱な夫を抱えて生活は決して楽ではなく、お産のお礼も十分払えない家とほぼ変わらない生活レベルのはずなのだが、このような「お人よしな」お産婆さんが、パヤタスのようなコミュニティにおける「出産」を支えている。同じく産婆さんであった自分の祖母から、お産を習ったという彼女は、収入を得るための職業としてお産介助をしているというより、そこに生まれて来ようとする命があるから、乞われるならばそこに赴くという自分の使命としてお産婆さんをしている感じがする。(このような人がいるから、私たちもここで頑張っていけるのだ。)

「あの日は、私ももう少しで危なかったんだよ。朝からお産の予定が入ってたの。自宅を出てそのお産がある家に向かう途中で、ルガオ(おかゆ)を食べていたのよ。そのルガオが熱かったせいで私は助かった。顔見知りのルガオ売りが『エミーさん、今からお産介助かい。朝から大変だね。ルガオ食べてからいきなよ。』って声をかけてくれたんだ。それでそのルガオが熱くて食べるのに時間がかかって。。。それであの事故。私が向かうはずだったお産を控えた家は、ごみ山の下敷きになって、家族みんな亡くなったんだよ。私が家を出るときに夫が、お産が終わったらすぐ帰るように言ったのよね。お産が終わったらもちろんさっさと帰るつもりだから、なんでそんなこと言うのかしらと思ったのだけど、あれは、なにか虫の知らせのようなものがあって、夫はなにか悪い予感がしたのよ、きっと。私の身に危険が近づいているような予感があったんじゃないかしらね。。。」

崩れたごみの波は、まさにお産を控えた妊婦さんをも死においやったのだ。その事故のあと、ごみ山は閉鎖された。でもまもなく、その横にまたごみは捨てられるようになり、もうひとつの大きなごみ山が形成された。現在パヤタスには大きなふたつのごみ山がそびえている。ごみ山崩壊後にできた新しいごみ山はケソン市当局によって、「コントロール」されるようになった。ごみと一緒に土砂も混ぜ、山の斜面は急にならないようにブルドーザーでならされて、崩れないように「コントロール」されている。現在、ICANのケアセンター側から見えるごみ山は土で覆われて「美しく」たたずんでいる。旧ごみ山のふもとには発見できなかったたくさんの行方不明者が今も眠っていることは、外部の者には見えにくくなった。でも、ここの人々はその事実を忘れることはない。