「生きる権利が危うくなっている」・「無届けホーム1万5千人」

2016-05-04 11:08:31 | 日記

  「生きる権利が危うくなっている」・「無届けホーム1万5千人」

 

 「無届けホーム1万5千人」(5月2日・福島民報)という大見出しの地方新聞の記事を読み、同時に「入所者10人の死亡という高齢者福祉史上最大の惨劇」となった群馬県内の老人福祉施設「静養ホームたまゆら」(渋川市)の火災事件を思い出すことになった。

 「ホームたまゆら」は実質的な有料老人ホームでありながら無届け施設であった。そして建築基準法関連が定める構造をとっていなかったこと、入所者を管理しやすくするため自らの手で解除できない施錠をしていたことなどが上げられていた。それだけではない。高齢者介護施設の不十分のなかで、地域の待機者を収容するため行政がやむなく入所手続きをしていたことも明らかになっている。

 県警は、施設の運営にあたっていたNPO法人の経営者を「業務上過失致死容疑」で逮捕したが、その入所を介した行政の責任は問われなかった。確かに「待機者の実情を見るにみかねた対応」であったと言うのであろうがそれで済むのだろうか。それで行政の「社会的責任」は免れるのかと考えたことを記憶している。

 今般の記事によれば、入居者に介護や食事などのサービスを提供していながら自治体に届け出ていない『無届け有料老人ホーム』が、昨年度全国で少なくとも約1万5千人いたことが、1日の共同通信社の自治体への調査で分かった。また「無届けホームについては、厚生労働省が施設数を発表しているが、人数が明らかになるのは今回が初めてである」と報じている。そして「部屋の広さや防火設備など国が定めた基準を満たせない代わりに、安い利用料で、低所得や身寄りのない高齢者を受け入れている例が多い。また特別養護老人ホーム(特養)のような正規の施設に入れない人の受け皿になっている実態が浮かぶ」と書いている。

 「保育所落ちた」のブログが、大きな波紋を広げ政府をあわてさせた事例と併せて考えたとき、「ホームたゆまらの尊い犠牲」とその反省が生かされない高齢者福祉の実情に怒りを覚えるのは私だけであろうか。

 そして入所老人を突き落とし死亡させたと言われている事件もつい最近のことである。介護士の資質を問題にすることはたやすい。しかし、それだけでは済まないところにホームの実態がある。僅かな期間ではあったが、市内の特老施設の幾つかでボランテアをしたときの印象である。部屋内で奇声を上げる、あるいは介護士の手を強く払いのけるなどの光景を目にしている。そのような中で、夜間に制限された人数で看守る介護士の心情はいかばかりかと考えたことがしばしばあった。私は「その時は、身体拘束をしても良いよ」と身内に申し送っている。これを虐待というのであればその虐待は受容したいと思う。

 今回の実態は、共同通信社の自治体への調査で判明した。とするなら自治体は把握をしていながら放任をしていたということになる。それだけではない。その管理をかいくぐった無数の小規模施設があっても不思議ではないことが浮かび上がると考えるべきであろう。

 5月3日は「憲法記念日」。全国で多くの取り組みが実施された。私は言いたい。今ほど、憲法13条「個人の尊重・生命、自由、幸福追求の権利」。25条「健康で文化的な生活を営む権利」が危うくなっている時は無い。このことを確認する日が「5月3日)であると考えたい。それが「無届けホーム1万5千人」の記事であった。

 


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