「まる子の日記」・私の姓はオスプレイ、名は「まる子」

2016-04-20 08:57:22 | 日記

「まる子の日記」・私の姓はオスプレィ、名は「まる子」

 私の姓はオスプレイ、名は「まる子」。住所は沖縄県普天間飛行場です。しかし、いつでもそこにいるとは限りません。最近は岩国というところにも出かけています。そして日本の上空を限りなく広く飛びたいと思っています。しかし、「やれ騒音だ、危険だ」と嫌がられています。その理由の一つには私が「未亡人」であること、そして、私が自由に日本の空を飛び回ることは嫌いだと思われているからです。そうだと思います。自分の庭に、他人が自由に入ることを歓迎する人はいないでしょう。

 今回、九州の大きな地震で困っている皆さんに物資を運ぶことになりました。でも私の身体が大きくて、そして助走のためには広い空き地が必要なのです。他のお友達のように「狭いところから、すっと上がる」ことができないのです。しかし、力があるから荷物を沢山持つことができます。それだけに大きな音をたてます。そして大きな風を巻き起こします。そうそう昨年の5月でした。私はネパールに行きました。その時も地震災害の援助物資を持っての旅たちでした。しかし、山岳地帯であるため、私が降りるための広い空き地がありませんでした。さらに私が出す「ものすごい風」が家屋を吹き飛ばしかねません。現地からお断りを受けました。結局は役に立つことができませんでした。どうしてそんなところに私を行かせたのでしょうか。私は思いました。未亡人である私をお嫁にやりたくて、あちらの方に顔を見てもらおうとしたのだと。

 そして今度は九州の熊本に行くことになりました。行く先は熊本県南阿蘇村です。お友達と二人で行きます。結縄から直接ではなく広島県の岩国市へ立ち寄り、それから熊本県内の陸上自衛隊の基地へ。そこで物資をあずかり南阿蘇村という被災地に行きました。そこでも風が面倒を起こします。親切にも私が降りるところに、自衛隊の皆さんが散水し砂ほこりが舞い上がるのを阻止してくれました。多分大量の水が必要だったと思います。そして私たちが届けたのは水、食料、毛布などの救援物資で20トンでした。

 私は思いました。何故、私でなければならなかったのか。今回も「私の嫁入」の顔見せだったのでしょうか。広島から熊本へは200キロメート。この迂回コースはどうしてなのでしょうか。私の住所、沖縄では援助物資が積めこめなかったのでしょうか。私の大きな身体を使わなくても良かったはずです。日本には素晴らしい垂直上昇機(ヘリコプター)が沢山いらっしゃいます、そして熊本県には港(八代市)があります。そこに大型輸送船を寄港させればその甲板から運び出すこともできるでしょう。そうそう「大型客船」を停泊させ「病院船」として使うことも可能でしょう。そこに避難地の病弱者や高齢者を収容することもできます。八代市と熊本市は一般道路で1時間半の距離と聞きます。空輸ならあっという間の距離ではないでしょうか。

 私はもう「嫁入り先」は望みません。後で知ったことですが、輸送機が北海道や神奈川県から熊本の空港に飛んだということです。当然そこからの空輸は通常ヘリコプターで充分でしょう。

 これで、私・「まる子の日記」をお終いといたします。