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気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

第13回大和郡山 盆梅展に

2016-02-09 11:47:58 | 散策
昨日のお昼から、40年来のお友達と、そのお友達、
一度お会いしたことがあり、
ご一緒に城下町に春の訪れを告げる
「第13回大和郡山 盆梅展」にお邪魔しました。
大和郡山城跡の一角、復元された追手門や渡り廊下を隔て
追手門向櫓・多門櫓が盆梅展の会場となっております。

なおこの内部を観覧できるのは、この時期だけで、
一足早い春の訪れを実感しに会場内へ向かいました。
齢百・二百の盛り盆梅展』 
               改正節夫
会場内には、市内愛好家が丹精込められた盆梅が、
所狭しと並べられ、その数約120鉢、その樹齢は
なんと150年から200年にも及ぶそうで、
春まだ早く、3分咲き程度ですが、
白い漆喰の壁の櫓内に、思っていたより立派な梅が
雪のような真っ白から深紅までの花と、
ほのかに甘い香りでいっぱいでした。
夜来香と言うように、暗闇の中でも香りで梅が咲き始めたと・・・
淡々斎好みの梅月棗が浮かびました。
そういえば、林和靖の詩の一句
「暗香浮動月黄昏」の書付があるそうですね。
梅の香がするような棗ですよね。

もちろん、盆梅の形も様々で、それぞれの世界があり、
その風情を感じ取れる名前も付けられております。
一部を紹介いたします。
信玄  飛天
悠紀と名付けられた盆梅が、今は三分咲き
悠紀
昨年の盆梅展で満開の様子

やはり、満開の梅の木も華やかで素晴らしく、
もう一度、訪れてみたくなりました。
違うお気に入りの一鉢が見つかるかもしれません。

帰りに、こんな素敵なお土産を頂きました。
 
刺繍のお上手なお方で、プロ顔負けの腕前
素敵な再会に感謝です。

課題は、大炉と八炉

2016-02-08 10:26:49 | お稽古
奈良の最低気温は-4℃
10時を過ぎても、氷が
馬酔木やヒイラギ南天の蕾は、
 

この土日、二日続けてのお稽古に伺い、
昨日の課題は大炉と八炉でした。
午前中に大炉での、初炭、濃茶、薄茶、後炭と、
前日のおさらいができました。
ところが、大炉薄茶点前をさせていただくことになり、
逆勝手に、筒茶碗の扱い、その上、
準備していただいた薄器は平棗です。
気のゆるみは禁物、緊張の連続となり
終わった後は、いつもの三倍くらい疲れました。
これだけ集中してお薄を点てたのは、
近年になく、覚えがありません。
頭の刺激には、とても良いお点前で、
特に、三冬の季節には、頭も体も熱くなる
大炉でのお点前は欠かせないものですね。
『大炉炭いこるほどよきありがたさ』
               愚句
午後からは、向切りと台目の出炉で、
今日はここまでにさせてください。
隅炉は、楽しみにとっておきます。
フー、お疲れさまでした。

参考)茶道公式テキストより

八炉は、
四畳半本勝手、台目切本勝手、向切本勝手、隅炉本勝手、
四畳半逆勝手、台目切逆勝手、向切逆勝手、隅炉逆勝手
になります。
茶事の場の変化と考えれば、楽しい演出が可能ですね。

ヒヤシンスの和名は「飛信子」

2016-02-07 08:05:35 | 季節の花々
『 ヒヤシンス 薄紫に 咲きにけり 
       はじめて心 顫(ふる)ひそめし日 』

北原白秋の、心が震えた初恋を現す、すぐれた叙情歌ですが、
誰にでも一度は、こんな青春(とき)が訪れますよね。

このヒアシンスを二週間前に、
胡蝶蘭と一緒に頂きましたが、
その時は、わずかに青紫色の蕾が覗いておりました。

『いたづらに 葉を結びあり ヒヤシンス』
               高浜 虚子
肉厚で長く、ツヤツヤとした緑色の葉が、
重なり合って結ばれているヒアシンスの特徴が詠まれ
まだ来ぬ春?を待ち望んでいるのでしょうか。
 
寒い玄関に置いてありますが、花が咲きだしました。
 
花とともに、ほのかな香りが飛び始め、
玄関に漂っております。
それで、明治に当て字の和名が付けられており、
風信子」ハヤシンス
飛信子」ヒアシンス と
でも江戸時代には
「夜香蘭」ヤコウラン
「錦百合」ニシキユリ と呼ばれてたようですね。
でも日本に伝わったのは、1863年、
明治まであと5年しかないのですが・・・

青春も、懐かしく思いおこさせるヒアシンスですね。
二日続けての、お稽古に行ってまいります。

二月のお稽古は大炉で

2016-02-06 19:30:00 | お稽古
今日は、自分のお稽古日
道が混んでいたので、抜け道をと
奈良女子大学前を通っておりますと、
レトロな正門の向こうに、塔のあるレトロな建物が
 
奈良女子大学記念館で、木造二階建て
明治末期(1929年)に建てられており、
重要文化財に指定されております。

到着しました。
いつもは玄関先に打たれている水が?
日を間違えたのかと思いつつ、扉をあけると
履物が目に入りました。
奈良の最低気温、今朝は-0.8℃でしたが、
一番寒い時期のため、凍りついて転ばないようにと
配慮していただいたそうで、ありがとうございます。

お稽古は大炉、逆勝手ですね。
頭では理解しておりますが、手が・・・。
初炭、お濃茶、お薄、後炭と一連の点前が、
その後、私はお濃茶を点てさせていただきました。

二月の自宅稽古には、大炉をと考えていましたが、
なかなか準備をする時間が取れずにおりました。
せっかく、炉を切ったのですから
自宅に帰って早速、大炉に灰を入れてみました。

レンガを敷いたのですが、
これだけの灰で足りるでしょうか?。

ちゃんと計りました。

やはり、灰が足りません。

とりあえず、今月は使用しない炉から拝借し、

教本を見ながらになりましたが、完成です。

高屏風があれば、お軸が掛けられるのですが、残念

お稽古、待っておりますよ。
その前に、自主稽古に励まなければなりません。

参考)
自宅稽古では後炭点前はできないと思われ、
今後の参考のため、後炭の準備を書き留めます。
雪輪瓦の向こうに
輪胴、丸毬打(まるぎっちょ)、割毬打、
丸管炭、割管炭と枝炭三本を組みます。


炭斗は使わずに、炮烙(ほうらく)を、
右側に湿し灰、灰匙、練香、
左側には火箸、羽箒、組釜敷
手前は鐶を

明日の初午においなりさん(いなりずし)を

2016-02-05 14:48:06 | グルメ
立春もすぎ、
明日の六日はは最初の午の日で、
初午」、一年のうちで最も運気の高まる日だそうです。
「午(うま)」は方位の南を示し、
時間は正午、
太陽が最も高く上がり、一日のうちで
陽光の力が最も強まる時とされており、

初午の 聞へぬ山や 梅の花」 一茶

元は、農村での『田の神様』という稲作の神様への信仰で、
春になると山から下りられ秋になると山に帰っていかれる
田の神様を、春に迎える日が、初牛の日とも重なるため、
豊作、五穀豊穣を願い、盛大に盛り上がるそうです。

商売繁盛のお稲荷さんも、主祭神の「稲荷」という名が
「稲生(いなり)」を語源とし、五穀豊穣も司られており、
全国にある稲荷社では、初午際が行われますが、
京都伏見稲荷大社によると
和銅4年(711年)の2月の最初の午の日に、
祭神が稲荷山(伊奈利山)の三箇峰に降りたという
言い伝えから行われるようになったそうです。

今日は、油揚げの炊いたんを使った「おいなりさん」と
関西では呼ばれる「いなりずし」を作ってみました。

近くのスーパーでは油揚げを対角線に切る三角形ですが、
私の育った所では、俵型のお揚げさんで関東風、
具材は椎茸や人参などを入れる関西風とのコラボ、
「五目いなりずし」のできあがりです。
「所変われば品変わる」
いなりずしに目のない病み上がりの孫が、
うれしそうに頂いてくれました。
おいしかったですか、またね。

立春の陽射しで

2016-02-04 10:11:06 | 日記
立春の奈良の最低気温は-2.8℃、
玄関を出るとちょうど春日山からの陽が射し始め、
おもわず、頭を垂れました。
日陰の椿は、寒さで凍りついておりますが、

真冬日にして立春の日差しなる
                野沢しの武
庭の小松菜の葉にも立派な霜が降り
日向は立春の陽射しで溶け、小さな水滴に
 
陽の強さは、もう春で、旅に出たくなりますが・・・
何かと忙しくてそれもかないませんね。
先日の京都散策で、知らなかったことが、
三条大橋の付近、

カモメが舞っています。
この鳥は、『ユリカモメ
名にしおわば いざ事問はむ 都鳥 
       わが想う人は 在りや亡しやと

       (在原業平 伊勢物語 第九段)
隅田川のほとりで詠まれており、
ミヤコドリとユリカモメどちらなのかの論争があり、
「都鳥」はユリカモメを指す説が強いそうです。
なお旧都、京都で見かけるようになったのは1974年からで、
平安の世の鴨川の河原、どんな鳥が舞っていたのかな。
 クリックで拡大
そして今はカップルが並んで座っている
三条河原は平安の世から江戸時代まで
処刑場やさらし場というのは知っていましたが、
高野山で切腹した豊臣秀次一族39人処刑の塚が
河堤改修で、見つかり、
今は直ぐ近くの『瑞泉寺』で祀られていることです。
  
山門に掲げられた「漸到確境」の扁額。 意味は
「漸(ようやく)確かな悟りの境地に到った人々の霊位が眠る」
「蠟梅」・・が冬の終わりを告げておりますね。


また1601年(慶長6年)に徳川家康によって定められた
東海道五十三次の西の起点なんだそうで、

1994年に、弥次喜多像が建てられており、
像の側にある「なで石」を撫でられ、
旅の安全の祈願もできるそうです。

本能寺の鬼瓦は

2016-02-03 16:01:58 | 散策
先日京都にお邪魔した折、昼過ぎに着くので、
お昼ご飯をスマホで検索し 後幸町通りのお店へ、
捜しますが、そこは普通の町屋で工事中、残念。
そぐ近くに良く似た京町屋のお店がありました。
前に京野菜が置かれている「ここら屋」京都本店さん
「ここら」は京言葉の「ここらへん」からで、
ご近所という意味ですが、奈良でも結構使います。

外国からの方が多くお見えで、2階へ上がられました。
ここまでインバウンドの影響が

ほうじ茶がポットで、すぐ出てきました。
ランチはワンプレート(980円)では、こんなものですね。
ぶらぶらと、寺町通りを上がります。
こんなところに『本能寺』が、
由来は「本門八品相応能弘之寺」の言葉より
当初は本応寺、そして本能寺にと変わり、
また現在能という字を能に替えておられるのは、
五度も火災に遭い匕(火)を嫌い能の字にされたそうです。
実はこの場所は、日曜日1/31の大河ドラマで暗示されていた
「本能寺の変」の場所ではありません。
そこは四条西洞院の蛸薬師です。

当時の本能寺は、宮中に近くて、
守るのにも堅固な場所にあったそうです。
本能寺の変により焼け落ち、出土した鬼瓦は、
今の鬼瓦と比べ、非常に雅な印象をうけますね。
元本能寺現本堂
現在のお寺は、秀吉によりここへ移されており、
総門の横から、日蓮さんが

本堂では、綿掛けを掛けられた日蓮さんにご挨拶を

そして信長公墓から「火伏のいちょう」を見ながら
思い出したことがあります。
信長の謀とも言われる浄土宗と日蓮宗(法華宗)の間の法論
安土宗論(1557年)にて、敗北したため、
布教の道が閉ざされてしまい、衰退した時期があります。
しかし、信長は宗論後も本能寺を始めとした法華宗の寺に
宿泊しており、不正をしていない傍証ではないでしょうか。
豊臣秀吉の時代になり、安土宗論が再検討され、
秀吉から布教を許す旨がかかれた手紙が出され、
それを京都中に知らせるため、扁額にしたお寺
頂妙寺』が、鴨川を挟んで仁王門通りにあることです。
京都国立近代美術館へ向かう通り道に建っており、
俵屋宗達筆の牛図(重文)でも有名なお寺です。
山門から
仁王門では通常、金剛力士像ですが、運慶作と伝えられている
多聞天(向かって左)と持国天(向かって(右)がおられます。
仁王門
そして門の真ん中に、『扁額』があります。

奥の本堂前に日蓮さまのやや固いお顔とともに、

白梅が咲き始めておりました。

床は大津絵の寒念仏で『福は内』

2016-02-02 20:30:37 | しつらえ
明日は節分、
昼からのお稽古で、
お軸は『福は内』で大徳寺派玉瀧寺住職、戸上明道師
大津絵画家の槇岡芦平さんによる
大津絵の寒念仏さんが描かれています。
  
鬼が僧衣をまとっている絵なのですが、
慈悲ある姿とは真逆の偽善者が書かれており、
鬼の住まいは人間の心の内にあるということです。
また描かれた鬼の角は、
佛様の教えである三毒(貧欲・瞋恚・愚痴)を示すそうで、
つまり、人は
自分の都合で考え、
自分の目でものを見、
自分にとって欲しいもの、利用できるもの、
自分により良いものと、
限りなく角を生やしますね。

福は内、鬼も内」という地域もあり、
痛くない豆をと考えて、
主菓子は、手作りの淡雪かんに
金沢西茶屋街の「甘納豆かわむら」の
甘納豆をトッピング
 
お味はいかがでしたか。

南側の四畳半、光あふれる中でお稽古となり、
極寒の季節、定番のお点前「絞り茶巾」を。
少しでも温かさを感じていただけたでしょうか。
筒茶碗はそのままでは、口当たりが冷たいですから、
予め温めておくのを忘れないで下さいね。

母衣(ぼろ)への回帰『志村ふくみ』展内覧会へ

2016-02-01 21:02:13 | 美術館・博物館
明日2月2日(火)から3月21日(月)まで開催される
文化勲章受章『志村ふくみ』母衣(ぼろ)への回帰展の、
特別内覧会へ京都、岡崎にある国立近代美術館に伺いました。

 
午後3時からなのですが、並んでおられます。
入館すると、華やかな着物の女性と男性もお二人、
なかなか着こなしの難しい陣羽織と青の紬、
後のファッションショーに出ておられ、お孫さんでした。
3階の展示会場、入り口にドーンと母衣曼荼羅が

やさしいお母様のお顔がと思えるような、
織で構成されており、圧倒されました。
会場内は、なかなかの熱気で最後まで
魅入ってしまいました。

開会式を告げる案内があり、1Fへ
残念ながら、志村ふくみ先生は体調不良で欠席
レセプションで、ワインとピンチョスを頂き
ファッションショーの始まりは、
なんとギタリストの村治佳織さんの登場、
バッハと戦場のメリークリスマス(坂本龍一)
高い天井に響きます。
ご病気される前より、繊細さの中に芯が感じられます。
ギターと朗読とのコラボの後、
先生の作品によるファッションショー、
出雲の阿国風の衣装から始まりました。
先生の素晴らしい作品が、
持っておられる方たちが、着られての登場
京都は勿論、東京からも、
40年前に手に入れられた沖縄の紅型も出されており
最後は女の子、孫にも着せたくなりますが、ムリ
堪能させていただき、それもあっという間でした。
図録と京都新聞などを頂き

夕闇が迫る中、会場を後にし、
向の京都市立美術館を見ながら帰途へ。

この3月からルノアールがきますよ!
疎水べりから近代美術館を眺めると
出席者の方々でで、記念撮影をされております。
 右端の背中は村治さんです
疎水の中では、
アオサギはじっとして獲物を狙っていました。

夕風や 水青鷺の 脛(はぎ)をうつ
               与謝蕪村