立春の奈良の最低気温は-2.8℃、
玄関を出るとちょうど春日山からの陽が射し始め、
おもわず、頭を垂れました。
日陰の椿は、寒さで凍りついておりますが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1a/52/e80830adfd0875cd56a4476d793125fe_s.jpg)
『真冬日にして立春の日差しなる』
野沢しの武
庭の小松菜の葉にも立派な霜が降り
日向は立春の陽射しで溶け、小さな水滴に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6b/a3/5c4ad3aa1323f351b3457ac5a2024a8b_s.jpg)
陽の強さは、もう春で、旅に出たくなりますが・・・
何かと忙しくてそれもかないませんね。
先日の京都散策で、知らなかったことが、
三条大橋の付近、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/17/c3/1fa5b97a5d81a1364604af63c7001ea7_s.jpg)
カモメが舞っています。
この鳥は、『ユリカモメ』
『名にしおわば いざ事問はむ 都鳥
わが想う人は 在りや亡しやと』
(在原業平 伊勢物語 第九段)
隅田川のほとりで詠まれており、
ミヤコドリとユリカモメどちらなのかの論争があり、
「都鳥」はユリカモメを指す説が強いそうです。
なお旧都、京都で見かけるようになったのは1974年からで、
平安の世の鴨川の河原、どんな鳥が舞っていたのかな。
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そして今はカップルが並んで座っている
三条河原は平安の世から江戸時代まで
処刑場やさらし場というのは知っていましたが、
高野山で切腹した豊臣秀次一族39人処刑の塚が
河堤改修で、見つかり、
今は直ぐ近くの『瑞泉寺』で祀られていることです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/59/53/dd59074d440a5593baff0f73c9003928_s.jpg)
山門に掲げられた「漸到確境」の扁額。 意味は
「漸(ようやく)確かな悟りの境地に到った人々の霊位が眠る」
「蠟梅」・・が冬の終わりを告げておりますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2b/0c/518b8f06468b4a4194b94e541371903d_s.jpg)
また1601年(慶長6年)に徳川家康によって定められた
東海道五十三次の西の起点なんだそうで、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4e/64/8f87d39dba90ffc800f253dc48d57dfe_s.jpg)
1994年に、弥次喜多像が建てられており、
像の側にある「なで石」を撫でられ、
旅の安全の祈願もできるそうです。
玄関を出るとちょうど春日山からの陽が射し始め、
おもわず、頭を垂れました。
日陰の椿は、寒さで凍りついておりますが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1a/52/e80830adfd0875cd56a4476d793125fe_s.jpg)
『真冬日にして立春の日差しなる』
野沢しの武
庭の小松菜の葉にも立派な霜が降り
日向は立春の陽射しで溶け、小さな水滴に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/10/72/d15e49bbf9f6d5a59b93e70d6d1211c3_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6b/a3/5c4ad3aa1323f351b3457ac5a2024a8b_s.jpg)
陽の強さは、もう春で、旅に出たくなりますが・・・
何かと忙しくてそれもかないませんね。
先日の京都散策で、知らなかったことが、
三条大橋の付近、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/17/c3/1fa5b97a5d81a1364604af63c7001ea7_s.jpg)
カモメが舞っています。
この鳥は、『ユリカモメ』
『名にしおわば いざ事問はむ 都鳥
わが想う人は 在りや亡しやと』
(在原業平 伊勢物語 第九段)
隅田川のほとりで詠まれており、
ミヤコドリとユリカモメどちらなのかの論争があり、
「都鳥」はユリカモメを指す説が強いそうです。
なお旧都、京都で見かけるようになったのは1974年からで、
平安の世の鴨川の河原、どんな鳥が舞っていたのかな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/25/6e/f010367916afb21c7e9fc3c93f571129_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0b/35/6c434203931786ea19d240525adb50e0_s.jpg)
そして今はカップルが並んで座っている
三条河原は平安の世から江戸時代まで
処刑場やさらし場というのは知っていましたが、
高野山で切腹した豊臣秀次一族39人処刑の塚が
河堤改修で、見つかり、
今は直ぐ近くの『瑞泉寺』で祀られていることです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/23/82/4e6080e0756fd729f307566cc87701cc_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6e/e8/c5b438aba4fccf102acd5428a4a6af14_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/59/53/dd59074d440a5593baff0f73c9003928_s.jpg)
山門に掲げられた「漸到確境」の扁額。 意味は
「漸(ようやく)確かな悟りの境地に到った人々の霊位が眠る」
「蠟梅」・・が冬の終わりを告げておりますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2b/0c/518b8f06468b4a4194b94e541371903d_s.jpg)
また1601年(慶長6年)に徳川家康によって定められた
東海道五十三次の西の起点なんだそうで、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4e/64/8f87d39dba90ffc800f253dc48d57dfe_s.jpg)
1994年に、弥次喜多像が建てられており、
像の側にある「なで石」を撫でられ、
旅の安全の祈願もできるそうです。