気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

東大寺の鴟尾で

2017-12-03 20:07:06 | お稽古
一休寺と松尾寺の月釜がぶつかり、松尾寺に伺う予定が、
月に一度の大先生のお稽古と重なり、台子とのこと。
やはり自分の稽古が大事ですもの・・・。
小春日和で紅葉も終盤を迎えた奈良市内、南都八景の一つ
雲井坂の雨」の晴れた雲井坂にさしかかります。
  
遠目に若草山そして東大寺大仏殿の鴟尾も、
  
この鴟尾、邪悪を避ける鰭が頂部をめぐる百済様式と
頂部で途切れる初唐様式の二つに大分されます。
昔の奈良では第一級の寺としては金銅製の金色の鴟尾が
輝いていたとされており、金色の大仏と金色の鴟尾が
あっても不思議ではないのでしょう。

南都七大寺は、東大寺、西大寺、大安寺、元興寺、薬師寺
興福寺の六寺に、法隆寺か唐招提寺いずれかが加わります。
奈良新公会堂の前に鴟尾の庭が、そこには旧公会堂の鴟尾の
展示だそうで、これも明治22年に唐招提寺の鴟尾を模して
造られたものだそうで、金色ではありません。
   
このように東大寺創建時は鳥衾(とりぶすま)瓦=鬼瓦だった
ともされており、1181年(治承4年)と1567年(永禄10年)の
戦火で焼失し、今の建物は1709年に3分の2に縮小、落慶され
たもので、創建の鴟尾の形が判る資料はなく、唐招提寺金堂の
鴟尾の形を真似られ、さらに金色にされたと言われます。

奈良の昔は本当はどうだったのでしょうか?

一山の鴟尾の金色天高し
         佐藤信 


話が変な方向へ・・・
お稽古に伺いますと、台子が長板にと変更になりました。
でも嬉しいことに初炭をさせて頂き、お濃茶、お薄と
後炭に。昼の休憩の後、長板で花月と濃い内容でした。
帰り着くと、もう夕日のさす若草山が見えました。

昨日の孫二人の誕生会の片付けもしなくては。