気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

今日は石鼎忌

2017-12-20 09:27:50 | 日記
最低気温は-1.3℃と庭の小畑の野菜も霜でしおれ

春日奥山端から雲一つない空に太陽が昇りました。

今日は「石鼎忌」、奈良県吉野地方に縁のある俳人・
原石鼎(はらせきてい)の忌日。
美術人名辞典によれば、
島根県生。名は鼎。高浜虚子に師事する。
豊かな感性と高朗な調子で独自の句境を開いた。
俳誌『鹿火屋(かびや)』を創刊、主宰した。
画も能くする。昭和26年(1951)歿、65才
辞世の句は
「松朽ち葉かゝらぬ五百木無かりけり」

放浪や奥吉野の鷲家村での山中生活があったことが、
俳人としての豊かな感性が育くまれたようで、
この時期に優句が詠まれたといわれております。

万葉集2265にも詠まれた鹿火屋(かひや)
『朝霞 鹿火屋が下に 鳴くかはづ 
      声だに聞かば 我れ恋ひめやも』
*「鹿火屋」とは、季語としては秋で
  蚊火屋とも書き、田畑を鹿や猪などから守るために
  火をたく番小屋。蚊やり火をたく小屋とも。

自ら俳誌「鹿火屋」を主宰され、
『淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守』
             大正2年
俳誌名・結社名でもあり、この名吟から取られたもので、
この淋しさを一生忘れまいとして名付けたといわれる。

50歳を前にして、
雪に来て美事な鳥のだまり居る
             昭和9年
歳時記に載るほどの名句とされますが、
見事な鳥」と良く似た「美しき鳥」で
このような句も詠まれております。
美しき鳥来といへど障子内
        昭和7年9月
寒さをこらえて障子をあけなかった石鼎に比べ

相方に”椿に鳥が来ていますよ”と言ったら、
開けにいった障子・・・”そこではないですよ”


あれほどまでに咲いていた侘助椿も、使える蕾は少しだけ
自宅稽古も次の週の二回だけですから・・・