気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

大和文華館「特別展 没後300年 画僧古磵」

2017-06-08 19:17:18 | 大和文華館
今日は平日で、古磵(こかん)展の大和文華館の前は静か、
 
『明誉古磵』(1653~1717)は、尾形光琳さんと同時代を生き
浄土宗僧侶として江戸時代前半の有名な画僧で、京都や奈良で
活躍されたのに、時代を経てすっかり忘れ去れておりましたが、
晩年逗留され、多くの所蔵作のある薬師寺、執事大谷徹奘さんの
熱意もあり、5月23日の命日が没後300年ということで、
初めての特別展として「没後300年 画僧古磵」が開かれています。
本館前から展示室内を覗くと
 
中央に4X2.4mの大きな薬師浄土曼荼羅(1714年)が伺えます。
さあ今日は、古川攝一学芸員さんに説明していただけます。

奈良という説もあったが、研究で1653年京都に生まれ、
古磵さんの位牌の後ろには略歴が書かれており、それは
閲覧室に入ってすぐの右側に置かれておりました。
15歳頃には浄土宗僧侶になられているそうで、
東京芝の増上寺で修業し、報恩寺15代住職になりその後、
西岸寺、薬師寺そして浄福寺(京都)におられ、
享保2年5月23日(旧暦)に数え65歳で亡くなられたと。
絵は、10歳頃からで京都国立博物館であった海北友松の息子
友雪(1598-1677)や狩野益信(1625-1694)に師事されたと

今回の見所として五つ挙げられており
①画僧古磵を紹介する初めての展覧会!
②?古磵さんの研究が進んだ
③白隠さん、仙厓さんと同様、親しみのある愛しい画風!
④大画面で本格的な仏画の数々!
⑤長い絵巻物作例の数々!
全てに渡り、愛らしさと親しみのある作品の数々で、
古磵さんが得意としたのは巨大な涅槃図と大黒天図になり、
特に絶筆の泉涌寺のとてつもなく大きな涅槃図(15×7.6m)を
スライドで示され、座って見る人の目線で描かれていますよ。
薬師浄土曼荼羅、薬師寺
大経曼荼羅図(1712年淨国寺)
大経曼荼羅図
そして法隆寺と報恩寺の同じ構図の当麻曼荼羅を示し、
七つの版木で下絵を描くという工房での手法を用いたのでは、
そして下部の絵は往生を9つのランクで右から左へ下がっており、
小学生はこれを見て、結婚式と。笑い・・・
さらに裏を見ると多数の寄進者の名前も書かれていますと
そしてもう一つ、二千点以上も及ぶ愛らしく漫画チック、
餅つきや船を漕いだりされている大黒天図になります。
「海北」の「龍」に対して「古磵」の「大黒さん」です。
大黒天図、画僧古磵研究会
大黒天図 宇賀志屋文庫蔵
大黒天図

長ーい絵巻物や風俗画も同様に柔らかい筆遣いで、
社寺縁起絵巻では大仏殿虹梁木曳図や浪速一心寺縁起絵巻
大仏殿虹梁木曳図
古磵の描き方の定型は、山水・人物でも「愛らしさ」があり
師の師の海北友松が描いた牧牛図と同様に、
四季耕作図(奈良県立美術館)も墨を入れ面を作っています。
四季耕作図
でも、特に富嶽図襖絵(1714年、薬師寺)は大きくて構図は
素晴らしいのですが、たらしこみの技法はやや雑だそうです。

霊獣・神像では、雲龍図屏風(薬師寺)や
正八幡尊像(1704年薬園八幡社)
正八幡尊像

本当に埋もれていたとは、驚きですね。