気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

円照寺「山村御流いけばな展」へ

2017-06-05 16:18:10 | 美術館・博物館
澄み切った青空で気持ちの良い朝を迎え、早々に

近鉄百貨店奈良店六階近鉄奈良ホールで開催中の
円照寺「山村御流いけばな展」へ出かけました。
 
「円照寺」は中宮寺、法華寺と共に大和三門跡寺院の一つで、
通常は非公開になっており、奈良駅から若草山沿いを南へ向い、
高円山の麓を過ぎた山村の地にあり、別名「山村御殿」とも
山門に続く長い道を往くだけでも・・・(心が静まります)
円照寺は後水尾天皇の第1皇女、大通文智尼が京都の修学院に
1641年開かれた草庵が始まりで、修学院離宮造営のため、
山村の地に近い八嶋に1665年に移転後、1669年現在地に。
道脇に歌碑がひっそりと佇んでいます。
『あしひきの山に行きけむ山人の心も知らず山人や誰れ』
            万葉集 巻20 4294 舎人親王

さあ6階EVホール前には子供の背程の大きさの花が。
 
展示室内に、楚々と花の種類も少なく、
山芍薬だけとか・・・、
花器も素晴らしく、最良のマッチングで、敷板も古材などが。
茶花に通じた活け方で、勉強させていただきました。

帰って調べますと、
円照寺は、『山村御流』のお家元ですが、大通文智尼さまが、
自然の美をそのままに「花は野にあるように」との心で
後代のために規短を制定されております。
1.山居の家風は一花一葉の心となり相(すがた)となる。
2.一花一葉の姿は目立たぬ中に静かな心の美しい相を秘める。

利休居士の言葉等を11代玄々斎(1810-1877年)が纏められた
とされる「利休百首」と同時期の『利休七則』にも
花は野にあるように」(裏千家HP)または
花は野の花のように」(利休百首,綾村捷子書)と
大通文智尼さんも、お茶に通じておられたのでしょうか。

その後、茶席へ伺っており、菓子は菊の紋の上用で

赤膚焼の尾西楽斎さんの小ぶりの茶碗(菊紋の天目?)で
良いお服加減でした。
 
非公開のためか、三面に円照寺の写真がいっぱい、
2月後半だけ奈良交通の観光コースになり特別拝観できたそうで、
来年もあれば是非拝観に伺いたいものです。
茶席の片隅に、短冊が、
みどりこき 小松の丘は いまもなほ
      世のさわめきを おしかへしつつ

第十世円照寺門主 大慈心院静山尼大禅師
    (前家元 山本静山 1916-1995年)
 
なお円照寺は、三島由紀夫の小説『豊饒の海』に再三登場する
「月修寺」のモデルに描かれており、
最終章でもこの庭が・・・三島は最後の章を入稿後、
1970.11.25市ヶ谷へと向われたそうです。

茶席を出て、もう一度「いけばな展」へと足を向けると
たくさんの方々で、盛況ぶりに驚くとともに、
お世話をされる方々に感謝です。次回も是非