横浜から北海道の山村に移り住んだ、我が家のつぶやき

北海道追分に移り住み5年。今度は追分から恵庭へ。毎日が新鮮で愉しい事だらけ。そんな生活を気まぐれにおしゃべりしています。

青春

2010年10月09日 07時07分56秒 | 歴史
「札幌キリンビール園」の前身、グランドキャバレー「ミカド」。
当時を知る人物に話しを聞く事が出来た。

その方は現在59歳、若い頃は札幌在住。

当時職場の寮にいて、最初は先輩に連れて行かれ、おごってもらっていたんだけど、その内、仲間内で行くようになったんだ。
生バンドの音と、きらびやかな何百人ものお姉さんと客の声で、本当に賑やかだった。
きれいな?お姉さんが何人か座るんだけど、いいな~て思うお姉さんは、売れっ子だからあちらこちらからお呼びが掛かって、すぐ席を立っちゃうし、お金がないな~って思われると一人、二人居なくなっちゃう。
それでも行っちゃんだね。
馬鹿な奴がいて、“終わったら外で待ってて”なんて甘い言葉で最後まで店でお金を遣い、その後は外でずっと待ってるんだ。一回二回、懲りないだな~ 結局待つだけの男だった。
“それって貴方?”
俺はしなかった。バカらしい。

“随分遣った?” 
新らしもの好きで「ミカド」にはよく行ったかも。
朝まで遊び歩き、そのまま仕事に直行っていうものよくあったな~
寮住まいだから、給料なんて2週間位でなくなって、中にどこにも遊びに行かない奴がいて、お金を貯めこんでいるもんだから、みんなそいつの所に借りに行くんだ。
でも、その男は肺癌で43歳だったかな~ 女房をもらって家を建て子供も出来、家族で遊びに行くようになった矢先、死んじゃったんだ。たばこも吸わない、パチンコもしない本当に遊ばないで、寮では休みというと、部屋の掃除や洗濯ばかししていつも部屋はきれいだった。
人生わかんないな~

“タクシーで”  
当時は規制がうるさくなかったから、車で来てたね。店のすぐ横が豊平川でその橋沿いにずらっと車が留めてあるんだ。

“結婚しても?”
どこにも行かなくなった。お金が使えなくなったからね・・・・

面白いお話を聞かせて頂きありがとう御座います。
我が家の旦那様、なかなか青春をエンジョイしていたんだね。

当時、札幌にはキャバレーが6店舗あったという。
その中でも客席800とういう最大規模を誇った「エンペラー」。
一流の歌手が連日ステージに立った、伝説の「エンペラー」。
栄華は景気の衰退とともに2002年、歴史の幕を閉じた・・・・


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ユキ)
2010-10-12 22:12:24
あれ?
そんな身近に・・・?(笑)
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Unknown (mati)
2010-10-12 22:51:33
そう、そんな身近にいたんだ・・・・
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