母は東京麹町で出生、お手伝いさんのいるお屋敷で、お嬢様として育っていたが、2歳の長男を亡くした祖母はお酒を呑むようになり健康を害し、36才で死去。続いて株の売買をしていた祖父は大損にて夜逃げ同然で家を出て、転々した生活をする事になり、満足に学校にも行かれなかったと聞く。
後日、お屋敷でお手伝いをしていた女性と再婚した祖父に“なんで女中と!“と反発し一緒に暮らさなかったようだ。
ひとり娘ゆえ、婿養子をとり結婚した母、相手は大学の工学部出身で、当時東大理学部の主査をしていた祖父の口ききで東大地震研究所の研究員として勤務。(私の父)
その相手とは8年の結婚生活で終結。
再婚相手は背中と両腕に彫り物を入れた鳶職人。
飯場を転々とした定家無き生活1年。
その相手とも10年でピリオッド。
その後の母は遠くに行き、見ていない。
60を越え横浜に戻り、「私は母親」と言う。
「どこが?」
人は安らぎの居場所を求める。
心がざわざわ揺れ動くとき、安らぎをくれる場所に身をゆだねたくなる。
そこが違うとまた次の場所に。
母は自分の居場所が最後まで見つからなかったのか。
母も祖母と同じく、2歳の長男を亡くしている。
数奇の運命をたどってきた母。
“世が世であればお前はお姫様”と言っていた母。
誇りと挫折。
母に翻弄された家族。
同様な血が流れる私には居場所が見つかった。
人生の終焉に近づいてきた母、最後まで誇り高く生きて欲しい。