おはようございます。
アメリカ中西部ただいま21日の9時15分です。
今日はFather's Dayであります。
それで私の父についていろいろと書きたいと思います。
と、その前にちょっと寄り道です。
昨日トランプさんがタルサ、オクラホマで共和党ラリーが開催されました。
事前に参加者に、❝コロナになっても告訴しない❞、と言う承諾書にサインをさせたりと、さすがアメリカ的。
でもさっそく反トランプマスコミからは、❝ステージから降りる時の姿が年寄りみたいだった❞、とか❝水を飲むときの姿が変だった❞、とかどうでもいい指摘があったそうです。
その件についてトランプさん、❝俺の靴底は皮で、階段はスチール、滑って転びたくなかったからゆっくり歩いただけ❞、❝ネクタイに水をこぼして汚したくなかっただけ❞、だったそうです。
マスコミはどの社会でも同じですね。
それより、民主党のラリーとかトランプとの一対一の論争でバイデンの認知症がばればれになるかも。
さてとMy Father です。
今まで私のブログを読んでいる読者の方には、時々登場するわたしの父の生きざま、少しはわかったと思います。
私の父は家柄が良かったと言うだけが自慢の人でした。
実際、私自身確かめたわけではありませんが、なんでも相馬藩以来15代続いた家柄だったそうです。
その家柄も後を継ぐはずだった父の兄が医学生の時に結核で亡くなり途切れたそうです。
私の父親はそんな中、姉4人兄3人弟一人の中でわがまま放題悪さ放題で育ち、しまいには中学生ぐらいから寄宿舎に入れられたそうな。
不思議なのはそれほど良い家柄だった祖父がどうして故郷を捨て北海道の田舎の漁村に町医者として移ってきたのかです。
この祖父は52才と言う若さで脳卒中のため亡くなったのですが、なんでも大酒のみだったとか。
酒で人生を狂わせ、故郷にいられない悪さをしたんでしょ、と言うのが母の見解でした。
母は青森からの開拓者の家に生まれました。
と言えば聞こえがいいけど、要は食い潰れた百姓と言うことでしょう。
そんな母は、家柄の良さだけで世を渡ってきた父と、結婚式で初めて会ってその二枚目ぶりと警察官と言う職に惚れて結婚。
父は自分の結婚式でぐでんぐでんに酔っぱらって、しまいにはドジョウ掬いまで踊ったため、母の父が先を心配し結婚届を1年間出さないでいたそうです。
そのため生まれた兄の誕生日はちょっと年が合わないことになっていました。
ま~とにかく我父と言うより、親父はどうしようもないぐーたらのアル中で、何を考えているのか(酒のことしか頭になかったのかも)実の子の私でもわからない人でした。
続きは次回にします。
息子が夕食にくるそうです。
脅しが効いた。
ハブグレジュンタのマミー
この親父がいなかったら私は生まれなかったので。そういった原始的な❝親❞には感謝するようになりました。ひどかった。
これからしばらくの間は父の回顧録で行こうと思っているので、お楽しみに。
どっちがひどいかね。
此処までのメチャクチャな生き方にも耐えられるような身体を残してくれたことに感謝しています。五体満足な身体でこれほど素晴らしい贈り物はありませんもの。
大酒飲みのハンサムな御父堂さま、頼もしい限り。羨ましいです。
今日の記事は、マミーさんの謙遜として捉えています。
私の父も放蕩者で、でも器用で、俳優になったり、音楽団を作ったり、何より好きなギャンブルで、先祖代々の山畑家を失った人です。
最期はヒューストンで客死しました。
ベニハナのオーナーから「どうしましょう」と言われまして、まさか「宅急便でお願いします」とは言えなくて、迎えに行きました。長旅でした。葬儀がめっちゃ派手で、遺骨は銀行の窓口のような所で遺灰として受け取りました。ので、これが「小麦粉よ」と言われればソウカモシレナイというのが私の感想です。