その日その時 写真で見る歳時記

気ままに写した写真に気ままな言葉たちの集まり

ナデシコ

2011年08月20日 | Weblog

 

***

ナデシコ

***

 

夏の終わりになるとこの花が目立つようになります

日本の花だと思っていたら日本以外でも

アメリカ北部からアフリカまで300種類も分布するそうです

日本ではカワラナデシコ、シナノナデシコ、

ハマナデシコ、ヒメハナナデシコなどが自生するそうです

 今月初めに植物園でも他の色に遅れて

白い撫子がひっそりと咲いていました

万葉集の中では夏も秋も出てくる花で

一定していなかったようですが

ナデシコの花を恋人になぞらえるほか

愛しい子どものことを言うようになって

「撫子」の表記が定着したそうです

俳句では晩夏の季語です

「撫子や吾子にちいさい友達出来」 加倉井秋を

「撫子や堤ともなく草の原」 高浜虚子

 

写真だけの別ブログ

FocusTime5

(画面隅のブックマークから行けます)


流星

2011年08月19日 | Weblog

 

***

流星

***

 

秋は流星の見られる機会が多い

しかし今年は少し天候が悪くて流星が見られる地域が

限定されているようです

今月に入り日が落ちるころになると

突然雨が降ってくる

窓ガラスに勢いよく当たって雨粒がガラスに残る

その粒が部屋の光に輝いて

まるで夜空の星を見ているようだ

そして突然すーっと水滴が流れた

あっ流れ星だ・・そう見えた

そうだ・・空の上の星が見えなくても

こうして流れ星を見せてくれているんだと

流れ星としてみればそれで十分だ

雨が激しくなってきた

勢いよく光り輝きながら水滴が流れてゆく

斜めに落ちていた流れ星が真っ直ぐに落ちてくる

こんな流れ星はここしか見られないと笑う

 

ここに掲載の画像は

photoshopでのイメージ画です 

 

写真だけの別ブログ

 

FocusTime5

(画面隅のブックマークから行けます)


千日草

2011年08月18日 | Weblog

 

***

千日草

***

 

 

千日草(せんにちそう) 

別名 千日紅(せんにちこう)

変わらぬ愛情 不変の愛の花ことばがある花

園芸品種で色とりどりの花が咲きます

イギリスやフランスでは「不死の花」と言われるほど

花の時期が長い

中国では女性の簪にも使われたといいます

最近はドライフラワーなどにも広く使われています

子供のころは仏さんの花として

おばあちゃんがよく育てていました

俳句の夏の季語にもなっているこの花

好きな句に

「こほろぎのとびし千日紅の花」 右城暮石

「蕾かと見れば千日紅の花」 星野椿

 

 いつもならもう枯れてきているころですが

今年はまだまだ元気です

 

写真だけの別ブログ

FocusTime5

(画面隅のブックマークから行けます)


ひぐらし

2011年08月17日 | Weblog

 

***

ひぐらし

***

 

 先日仙台の友人と話をしていて

今年は蝉の鳴き声が聞けないかもしれないといっていたが

何とか蝉も鳴き始めてるという

水森かおりの「庄内平野風の中」という歌謡曲の一節に

「♪千のひぐらし鳴いています・・」という

素敵な歌詞がありますが・・

沢山鳴いているというよりも「千のひぐらし鳴いています」というと・・

なんとも美しく沢山鳴いている光景が目に浮かびます

そして友人はその土地土地で鳴き声が微妙に違うと

つまりは東北の蝉は東北訛りだと

その言葉が実に印象に残り・・それ以来

地元で鳴いている蝉の声がどこの訛りで鳴いてるのだろうって

気になっているこの頃です(爆)

 

写真だけの別ブログ

FocusTime5

(画面隅のブックマークから行けます)


大文字

2011年08月16日 | Weblog

 

***

大文字

***

 

毎年8月16日は京都五山の送り火

その中でも一番大きな大文字

いつのまにか大文字だけがメジャーになって

代表のように言われてしまっているけど

そのほかにまだ4つの山焼きがある

金閣寺裏山にある大北山の「大文字・左大文字」

松ヶ崎西山東山の「妙法」の二文字

西加茂妙見山の「舟形」

北嵯峨曼茶羅山の「鳥居形」を

京都に代々続く五山の送り火といいます

京都に学生のころ住んでいたので

何度も見に行ったりお手伝いさせてもらった

送り火の薪の準備で何度も山登り

普通に歩いても息が切れるのだけれど

途中に石の階段があって

それがとりわけきつく感じたものです

今年は特別な思いと複雑な感情があって

陸前高田の倒れた松を薪にして

思いを供養するアイディが計画倒れになってしまった

仕方のないことではあるけれど責められない事情がある

結果としてよい方向でまとまったと

思われていたけど・・新たな検査でセシウムが~

またまた決定が覆った

人さまざまな思いがあるのをしみじみと感じました

素晴らしいアイディアも分からない不安には勝てなかったようだ

思いやる心よりも現実的な心が・・・

悲しい結果と夢にも思わなかった深く傷ついたこころだけが

陸前高田にも京都にも残る出来事

今晩の送り火には複雑な気持ちで見上げる人が多いかも

写真は昨年のものです 

この大文字は俳句の秋の季語にもなっています

「大文字や近江の空もたゞならぬ」 蕪村

「合掌の闇はるかなり大文字」 宮藤空郎

「正面に見しことなき大文字」 栗津松彩子

 

写真だけの別ブログ

FocusTime5

(画面隅のブックマークから行けます)


残暑お見舞い申し上げます

2011年08月12日 | Weblog

 

***

残暑お見舞い申し上げます

***

 

 本日より15日までお盆行事など多忙なので

ブログはお休みさせていただきます

16日からまた再開します

よろしくお願いいたします

暑さに負けないでお元気でお過ごしください

 

写真だけの別ブログ

FocusTime5

(画面隅のブックマークから行けます)


お盆休み

2011年08月11日 | Weblog

 

***

お盆休み

***

朝夕どこからともなく涼しい風を感じます

いよいよお盆休み

すでにはじまってるところもありますが

一年に一度仏様に向きあう人もいるでしょう

そもそも仏様とは仏師が彫った彫刻

それだけでは仏様でも神様でもない

拝む人の心の中に神様があり極楽があるのです

だから仏壇の花は拝む人の心に向かって供えます

もし仏様の彫り物が神様であり仏様なら

花の裏側を仏様に見せて供えてある

なんとことはありえません

拝む人の心に神様があるから

すべて拝む人に向かって備えてあるのです

ですから願うのではなくて

己の心に対する決意なのです

お墓参りは行かないよりも行った方がよい

「行かなくては・・」と思うだけで・・

10分の1行ったのと同じ価値があります

「千の風になって」に唄われるように

そこにはなくなった方はいません

骨の一部があるだけです

骨がなくなった方なら 

大部分捨てられる骨はどうなるのでしょう

お墓参りとは残ったものの気休めと先祖に対する感謝です

ですから「行かなくては」とおもっただっけで

10分の1行ったのと同じなんです

(島田紳助の100の言葉より)

 

写真だけの別ブログ

FocusTime5

(画面隅のブックマークから行けます)


朝顔

2011年08月10日 | Weblog

 

***

朝顔

***

歳時記では「朝顔」は秋の花になります

「朝顔市」夏の季語でも「朝顔」は秋の季語なんです

「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」 千代女

誰でも知っているこの句に詠まれた朝顔は

紺一色の在来種です

さまざまな色の花が咲く西洋種と違って

紺一色の素朴な朝顔は初秋の頃に

もっとも鮮やかな花姿を見せてくれます

朝顔の名は朝早く美しい花を咲かせるところから

つけられましたが日本古来のものではありません

原産地は熱帯アジアで 日本には奈良時代に

唐から伝えられたとされています

ところが朝顔の名は古くから登場します

「万葉集には」山上憶良の一首

「萩の花尾花葛花なでしこの花

       女郎花また藤袴朝貌(あさがお)の花」

が見られ秋の七草のひとつに数えられます

まだ伝わってもいない花がすでに詠まれているのです

しかし山上憶良のよんだ朝顔は

「桔梗」だろうといわれています あるいは「木槿(むくげ)」も

そうですが当時は朝日開いて夕方しぼんでしまう花を

「あさがお」っと呼んでいたようです

 

写真だけの別ブログ

FocusTime5

(画面隅のブックマークから行けます)

 

 


空蝉(うつせみ)

2011年08月09日 | Weblog

 

***

空蝉

***

 

今年は蝉の声が聞けないと各地で伝えられたけれど

やっと本来の大合唱が始まっています

もう夏休み(お盆休み)が始まってるのにやっとである

虫全般いや花も含めて時期が遅れた

本来は朝早くあるいは夜の暗いうちから地中から這い出す蝉

時間に追われているわけではないのでしょうが

日射しのやや悪い森では日中も蝉がはい出していました

蝉が殻か出るのを見届けたいけれどそれほど時間もなく

見送ってきましたが・・不思議な年です

 

俳句の季語としての蝉の殻は「空蝉」として詠まれ

名句も多いので気に入ったものを紹介します

「空蝉の爪の先までがらんどう」 永江哀紅糸

「ふと触れし指に空蝉すがりけり」 上西左兌子

 

 

写真だけの別ブログ

FocusTime5

(画面隅のブックマークから行けます)


立秋

2011年08月08日 | Weblog

 

***

立秋

***

今日から暦の上では秋です

秋と言ってもまだまだ暑い日が続きます

秋にまつわる話を一つ

「長五百秋」 なんと読みでしょう

それは「ながいおあき」と読みます

一年を一つの季節で表す時は「秋」を使います

そして「秋」を「とき」と読ませます

そこで「長五百秋」は五百年のことではなくて

果てしなく長い年月のことをいいます

「長秋(ながあき)」「千秋(せんしゅう)(ちあき)」

「千百秋(ちおあき)」「千五百秋(ちいおあき)」など同じ意味

「秋」は実った稲を集めることを意味する漢字

「年」は稲と人を表す部首とで実りの時を

「歳」は収穫のお祭りを 「稔」は稲穂が膨らむことを

それぞれ表しています

そして「とし」という言葉も

穀物を意味した「稔」という言葉から出来たものだそうです

私たち先祖は実りの秋を基準に

一年一年を重ねてきたのでしょう

次の年もまた次の年も・・ずっと~

永遠にこの豊かな実りが続きますように願いながら

人々は次の実りへと向かう営みを繰り返してゆくので

秋には人にとのたくさんの願いがこめらた

一年で一番大事な季節なんです

秋は人恋しい季節でもあるね

そこで心温まるような句を一つ

「ぐちゃと父ぺちゃっと母の秋日和」 坪内稔典

少し解説すると

ここに出てくる父母は年相応にとっている

父が「ぐちゃと」いった形で

言ってみれば柿の実が潰れたように存在する場合もあるだろう

そして母親がそこに秋の日をいっぱい受けて寄り添うような

何故か親しみのある存在をうまく表現した句だと思います

 

 

一枚目の写真

何に見えますか?

ゴリラの親子に見えませんか(爆)

二枚目の写真は

黄色の葉っぱ内にハートのシミ

秋にはロマンチックにメルヘンに

 

 

写真だけの別ブログ

FocusTime5

(画面隅のブックマークから行けます)