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心を理解する3つの立場

2018-06-08 | 認知心理学

●投影的理解
 自分(I;主体的自己)で自分(Me;客観的自己)を理解するときの図式(I--->Me)を、そのまま相手の心や気持ちの理解に使うのだ。
 相手が自分と同じような心性を持っているときには、かなり精度の高い理解ができのだが、たとえば、親が子どもを、教師が児童を、日本人がアメリカ人を、さらには、人間が動物を、となると、投影的な理解には限界がある。
 しかし、投影的な理解は、対人理解においては、最もよく使われ、しかも有効な理解の仕方であることは間違いない。

●共感的理解
 投影的理解と似ているのだが、相手の主体としての自己(I)に寄り添って、相手のIと自分のIとを重ね合わせることで、相手のMeを理解しようとするのが共感的理解である。
 投影的理解が、自分の「I--->Me」図式を相手の心の理解に使うのに対して、共感的理解は、相手の「I-->Me」図式を使うことになる。
 これは、かなり難しい理解の仕方だが、カウンセリングでは必須の理解の仕方になる。したがって、それなりの訓練と経験が必要となる。
 ただ、極めて親しい人、たとえば、友人どうし、夫と妻などの間での心や気持ちの理解では、ごく自然に使われている。というより、共感的理解ができているような関係でないとすると、何か問題があることになる。

●因果的(科学的)理解
 ここで心理学的な知識が役立つ。もしあなたが対人理解についての社会心理学の知識を豊富に持っているなら、今現在の心や気持ちをもたらしている原因に思いをはせるはずである。そして、必要なら、その原因を取り除いたり強化することで、相手の今の心や気持ち(結果)を変えることを試みるはずである。

 この3つの理解の仕方が、本当は、うまく連携を保って互いの長短を活かし補っていくのが一番よい。
しかし、どういうわけか、人によって理解の仕方に好みがあるようだ。それは、時には、相手への偏見を生んだり、浅い理解しか生まなかったりすることになる。
  


読心術

2018-06-07 | 認知心理学
読心術

●読心術こそ、心理学の究極のねらい!
 人間は社会的動物である。人との関係なくしては生きていけない。対人関係をよくするには、何はともあれ、相手の本当の考えや気持ちを知ることが大切になる。そのことが、読心術への期待として一般に存在するになる。
 その読心術が心理学を勉強すればできるようになるかは、「はい」が答えである。心理学は、そのために日夜努力を重ねてきているのだ。
 ここでの話は、しかし、「ただ」、という話である。

●投影的理解
 自分(I;主体的自己)で自分(Me;客観的自己)を理解するときの図式(I--->Me)を、そのまま相手の心や気持ちの理解に使うのだ。
 相手が自分と同じような心性を持っているときには、かなり精度の高い理解ができのだが、たとえば、親が子どもを、教師が児童を、日本人がアメリカ人を、さらには、人間が動物を、となると、投影的な理解には限界がある。
 しかし、投影的な理解は、対人理解においては、最もよく使われ、しかも有効な理解の仕方であることは間違いない。

●共感的理解
 投影的理解と似ているのだが、相手の主体としての自己(I)に寄り添って、相手のIと自分のIとを重ね合わせることで、相手のMeを理解しようとするのが共感的理解である。
 投影的理解が、自分の「I--->Me」図式を相手の心の理解に使うのに対して、共感的理解は、相手の「I-->Me」図式を使うことになる。
 これは、かなり難しい理解の仕方だが、カウンセリングでは必須の理解の仕方になる。したがって、それなりの訓練と経験が必要となる。
 ただ、極めて親しい人、たとえば、友人どうし、夫と妻などの間での心や気持ちの理解では、ごく自然に使われている。というより、共感的理解ができているような関係でないとすると、何か問題があることになる。

●因果的(科学的)理解
 ここで心理学的な知識が役立つ。もしあなたが対人理解についての社会心理学の知識を豊富に持っているなら、今現在の心や気持ちをもたらしている原因に思いをはせるはずである。そして、必要なら、その原因を取り除いたり強化することで、相手の今の心や気持ち(結果)を変えることを試みるはずである。

 この3つの理解の仕方が、本当は、うまく連携を保って互いの長短を活かし補っていくのが一番よい。しかし、どういうわけか、人によって理解の仕方に好みがあるようだ。それは、時には、相手への偏見を生んだり、浅い理解しか生まなかったりすることになる。

ステレオタイプ---考えないですむ誘惑

2018-06-01 | 認知心理学
ステレオタイプ---考えないですむ誘惑

●なぜステレオタイプが便利なのか
 学問研究のような、真理をもとめる思考と比較すると、現実的な場での思考は、次のような特徴がある。
 ・唯一の正解がない
 ・考慮すべき条件(制約)が多い
 ・その条件一つ一つが不分明な部分が多い
 こうした中での思考は何かと面倒である。その面倒を避けるために、人は、実にさまざまな認知方略を採用する。その一つが、ここで取り上げるステレオタイプ(stereotype;固定観念)による思考である。
 たとえば、「J党」と聞くとすぐに「保守的」、「T大学」と聞くと「優秀」と判断するようなケースである。
 うまくステレオタイプ思考が発揮できないときは、あれこれと詮索をして人物像の形成にひとしきり時間を費やすことになる。
 こうしたステレオタイプによる思考の便利さは3つある。
1)余計なことをあれこれ考えなくてすむので、思考に費やす認知資源が節約できる
2)結論が社会的に納得されやすい
3)大きく誤ることがないので、リスクを回避できる
 
●ステレオタイプは思考をなまらせる
 多くのステレオタイプは、過去の個人的な強い感情を伴う体験を独断的に---実は暗黙の社会的通念によって---意味づけすることによって形成される。
 たとえば、たった一度のA国人とのつきあいでの不愉快な体験から、「A国人はつきあいへた」とのステレオタイプを形成してしまう。背景にA国人についての暗黙の通念があることが多い。「やっぱりそうなのか」という感じを伴う。
 現実生活での多くの場面では、ステレオタイプ思考によってそれなりにうまく処理できることが多い。「何々人はつきあいへただからできるだけ一緒に遊ばない」というような対応で当面は問題はない。
 これがまたステレオタイプ思考を一層強固なものにしてしまう。
かくして、ステレオタイプ思考の桎梏(しっこく)から離れて自由な思考を展開するのが難しくなる。
 しかし、ステレオタイプ思考ばかりを使いすぎると、思考がなまってくるし、頭も硬くなってくる。
 それに加えて、恐ろしいのは、みえるものもみえなくさせてしまうことである。
 「T大出は頭は良いが、人づきあいはへた」とのステレオタイプ思考は、目の前にいるT大出の人が持っている本当の特性をみえなくしてしまう。
 入社試験で、卒業大学名を面接者が知らないようにする工夫をしているところもあると聞くが、それなりに妥当な方策ではないかと思う。

●ステレオタイプを棄却する
 ステレオタイプは、個人的な体験から形成される。それだけに、普遍性にかける。柔軟性もない。
 だからといって、そのすべてを棄却する必要はない。そんなことをすれば、大事なことに認知資源が使えなくなってしまう。しかし、ときおり、棚卸しをしてみるくらいの気持ちはあってもよい。世の中が新鮮に見えてくるからである。
 体験で学んだ知識の棄却には一般に3つの方策がある。
 一つは、他の人の知識と比較してみることである。他の人のステレオタイプに思いをはせてみて、そこに自分とは正反対のステレオタイプを見つけるようであれば、自分のそれを再点検してみるほうが無難である。
 2つは、やや逆説めいた方策であるが、思考の真理追及の側面を使うことである。ステレオタイプが真理ではないかもしれないことを、たとえば、本などを手がかりに学問的/科学的に冷静なチェックをしてみることである。
 3つは、ステレオタイプに合わない例の存在を見つけることである。「T大出でも頭が悪く、人づきあいは良い」人がいないかどうかに目を配ってみることである。ステレオタイプは強固なので、一つや2つの反例では、なかなか棄却はされないが、その気になれば、結構、例はみつかるものである。








新聞広告の心理学

2018-05-25 | 認知心理学

新聞広告の心理学

●新聞広告の読まれ方

 新聞広告は、なかなか見てもらえないし、ましてや読んでもらうなんて夢の夢。
 かつて、日経新聞の全面広告を使った調査に協力させていただいたことがある。それによると、朝刊の広告を「確かに見た」とする割合---注目率---は、平均的にほぼ30%、そのうち、「詳しく見た」「ざっと見た」割合---精読率---は、平均的にほぼ10%であった。
 100人のうち、30人くらいは広告の存在に気がつき、そのうち3人くらいは内容まで読んだということである。
 FAXを使って継続的に調査を行なっている日経リサーチ(株)によると、広告によって大きなばらつきはあるが、だいたい、この程度の数値らしい。
 当然、この数値をもっと高められないかということになる。
 広告が見て読まれるまでは、次の4段階があるように思う。
(1)誘目段階
 瞬間的に(500ミリ秒程度)広告に目を向ける段階。内容の取り込みまではいかない。ただ、目を広告に引きつけるだけである。大きさ、色、ビジュアル(フォント、絵、写真、イラスト)などが、その役割をもっぱら担っている。
(2)一瞥(いちべつ)段階
 広告の目につく表示の部分から情報を拾う段階。注意のおもむくままに情報を拾い、「おもしろそう」とか「すてき」とかいった感性評価を行ない、次の段階に進むかどうかの決定をする。色、ビジュアルの質や情報量が決め手となる。
(3)概読段階
 読み手の興味関心に従って、2秒程度の時間で広告から必要な情報をざっと拾い出す段階。スローガンやキャッチコピーやボディコピーの見出しやビジュアルの内容が情報を提供することになる。
(4)精読段階
 ボディコピーや仕様まできちんと時間をかけて読む段階。広告の見かけより内容が問われることになる。
 この段階で言うなら、注目率は、一瞥段階まで行った人の割合、精読率は概読段階と精読段階まで行った人の割合となる。
 読み手をどうしたら、精読段階まで、いやせめて概読段階まで誘導するか。そこが、広告制作者の腕の見せ所となる。

●制作するタレントと評価するタレント
広告を制作した人に、次の3点をお聞きしたことがある。
 一つは、「確かに自分もそのようにはっきりと意識して制作した趣向」はどれかということである。
 それが、制作者が共有している広告制作技術である。
 2つは、「確かに自分では意識して使ってきた技術であるが、それが心理学的にそういう意味があるのか」と得心したのはどこかということである。
 制作者は膨大な経験知を持っている。経験知の特徴は、「その場でそれを」作るのに役立つのが特徴である。これを領域固有という。
 しかし、知は常に一般化・体系化の方向へ自己増殖しようとする。そのときに、アカデミズムが役立つ。
 今回は、認知心理学であったが、それは広告学でもよし、デザイン学でもよい。いずれにしても、経験知の体系化を支援するのがアカデミズムである。
  最後は、「なるほど、そう言われてみれば、そうだ」というようなのはどれかということである。
 文章を書くときもそうであるが、一般に、何かを制作する過程で、制作者は必ずしも自分のすることをすべて意識しながらやっているわけではない。むしろ、ほとんど無意識的にやっていることのほうが多い。それが新しい創発的な試みであればあるほどそうである。
 したがって、出来上がったものをみて、それは、どうしてそのようにしたのかを制作者に問いただしても、必ずしも明確な答えが得られない。
 これがもの作りに関する知識を遺伝する難しさの背景にある。
 それでも、それぞれの領域で、今回試みたような制作技術の抽出を行いそれを蓄積していくことで、制作技術の効率化と向上が期待できるのではないかと思う。そう思って、そうした試みをマニュアルについて、これまで20年間やってきた。
 
●技術か芸術か
 かつて、日本のマニュアルを大きく変えるのに貢献したとてつもなく優秀なマニュアル(1985年発行)と、機種の進化に伴って改訂を続けて7年くらいたったそのマニュアルとを比較してみたことがある。
 驚くことに、機種は進化したが、マニュアルは退化してしまっているのである。初版に作り込まれている素晴らしい趣向のいくつかがあっさりと消えてしまい、劣悪な表現が随所に出てきてしまうのである。
 なぜなのか。
 マニュアル作りにしても、そして多分広告作りにしても、「芸術家」が制作しているからではないかと思う。
 「芸術家」なら、水準の高い作品が作れてなんぼの評価。作れればそれでよい。どうすればそんなに優れた作品が作れるかはむしろ秘中の秘というようなところがある。というより、自分でも実はわからないところもある。
 しかし、よくよく考えるともったいない。知としての蓄積がその人の中だけにとどまってしまう。その人いなくなったら終りである。
 工学技術は、物作り職人が持っていた「芸術」の部分を明示的に取り出して技術として体系化し蓄積してきた。今話題の「ものつくり大学」は、それを若い世代に効率的に遺伝していこうとの高邁な理想をかかげた教育機関である。設立の経緯が汚れてしまってのが、関係者ならずともくやしい。
 広告作りも、制作者個人の中に埋もれてしまっている技術があるはず。それを明示的なものとして抽出し固定していく努力が必要である。アカデミズムはそのときの道具立てとして役立つはずである。




人間ってどんなもの

2018-05-22 | 認知心理学
人間ってどんなもの

人間はきわめて複雑怪奇である。有史以来、人間はこの複雑怪奇さを持て余してきたようである。人間をいろいろなものに「たとえ」て理解しようとしてきたのも、そのあらわれとも見ることができる。
 
もっともよく使われたたとえは、その時代の最先端の機械である。デカルトの自動人形によるたとえ、フロイトの蒸気機関車によるたとえ、そして通信システムから、現代ではコンピュータによるたとえ、という具合である。

いずれのたとえも人間のある種の特性を機械の特性によって際立たせたものである。
 
何かにたとえてみると、嘘の部分があっても、わけのわからなかったものが、たちどころにわかってくるおもしろさがある。

記憶にありません!.言説は本当?」

2018-05-16 | 認知心理学
過去の真実に近いもの
1番が記録。その中でも、メモが強力。音声録音よりも強力
2番が記憶。しかし、裁判などでの目撃証言のフェイク(編集)もあり、非常にその信ぴょう性危うい。
3番が認知能力。思い出す力の劣化と奇妙な高齢者特有の編集がある。
4番が表現力。ことばや絵での表現は、必ずしも言いたいこと(真実)を素直に表現したものではない。

再生より再認のほうが楽

2018-05-14 | 認知心理学
 人は、思い出すべきものを見せられればそれが思い出すべきものであることに容易に気がつく。これを再認という。これに対して、思い出すべきものを思い出すことを再生という。一般に再生より再認のほうが認知的コストは低くて済む。
 再認能力の発揮を支援するためには、ユーザが持っている既有知識を思い出せる手がかりを情報環境の中に呈示することになる。
指針7 コマンドよりもメニューにしてあるか
指針8 アイコンも思い出す手がかりを豊富に提供しているか


随想心理学「目 次」

2018-05-06 | 認知心理学
随想心理学「目 次」

第1部 心理学方法論あれこれ

第1 心理学の応用研究 p2
第2 自由意志「人には嘘を言う自由がある」 p5
第3 因果的説明 p7 第4 認知心理学、3つのマジカル・コンセプト「スキーマ、活性化、アフォーダンス。それは、万能概念なのか無能概念なのか」 p10
第5 読心術 p13
第6 実証「それは真実性の唯一の証しか」 p15
第7 心理学は文系、それとも理系 p17
第8 心理テスト p19
第9 心理学の学会 p21
第10 心の世界を別の世界で説明する p23
第11 フロイトの精神分析ってどんなもの  p26
第12 心理学の学問としての有用性 p28
第13 心理主義――なんでも心のせいにしてしまう p30
第14 心理学者のノーベル賞 p32
第15 3つの心理学 p35

随想「心理学」
第2部 心理学トピックス

「教育」
第1 子どもをひらめかせる学級作りの考えどころ p2
第2 できばえで評価する p7
第3 「ほンわかあ」一日10回運動 p12
第4 勉強の習慣をつけさせないもの p15
第5 ほめ言葉 p18

「自己啓発」
第6 真似る p23
第7 熟考する p25
第8 具体―抽象の階段を登りー降りする p28
第9 注意の自己コントロール p30
第10 チーム力  p31
第11 物語化 p33
第12 勘 p36
第13 思わぬ発見 p37

「心のコントロール」
第14 ポジティブ思考とは? p42
第15 時間の流れの中で生きる p48
第16 運の心理学 p52
第17 ステレオタイプ p54

「表現」
第18 説明力 p56
第19 新聞広告の心理学 p59
第20 マニュアルとともに p64
第21 わかりにくさに耐える p66
第22 裁判員制度とわかりやすさ p69
第23 自己を表現する p71






10キロやせて永久キープするダイエット」宣伝

2018-05-05 | 認知心理学
アマゾンより

10キロやせて永久キープするダイエット
クリエーター情報なし
文響社

@@@
万年小太りの40代ライターが、
10キロやせて「華奢」になるまでの2年間をまとめたルポエッセイ。
156㎝、62.5㎏、BMI25.5で「肥満度1」
子どものころからぽっちゃりしていた40代ライターが、
心理学者「海保先生」の力を借りて、頭と心を変え、習慣を変えた。
「つらい食事制限や運動をがんばった」
のではなく、
「自分と向き合い、考え、実行した」だけ。

自分で考えた行動プランを、
「寝る前に歯を磨くくらい」ナチュラルに習慣化することで、

3カ月で3・4キロ減
1年間で7キロ減
1年半で9キロ減
2年間で10キロ減

と、スルスルとやせた。
その後も一切リバウンドせず、ふつ~にキープできている。

それは、数あるダイエット法のなかで、「自分にできること」をしっかり選んで実行したから。

我慢と忍耐はいらない。
正しい「現状分析」と正しい「目標設定」さえあれば、
生活の「当たり前」が変わり、しっかりやせて、「キープ」できる!

イラスト満載! スタッフ2人がそれぞれ4キロやせた体験コラムコミックも読みごたえあり!

「はじめに」より
いつのまにか、10キロやせた。
特別なことをしたわけではない。
さして我慢もしていない。
しかも私は40代、やせにくいお年ごろである。
そしていま、リバウンドもせずに体重をキープしている。
いつもの失敗ダイエットと違って、今回は永久にキープできるだろうという、そこはかとない自信まである。

わたしがやせた方法をものすごーく簡単に説明するなら、

1. 自己分析してみた
2. 自分に合った方法を見つけた
3. そしてそれが習慣となった

この3ステップだ。


もくじ
第1章 思えばずっと小太りだった
第2章 真剣に現状分析
第3章 「なりたいイメージ」と「アクションプラン」
第4章 やっと「ダイエット」がはじめられる
第5章 これがもっとも重要! 振り返り、認知する
第6章 停滞期を乗り越え、目標達成!
第7章 永久キープするための考え方

出版社からのコメント
2年間、著者の山崎さんが、会うたびにスルスルとやせていくのを見るのが楽しかったです。監修の海保先生は、「ダイエットって、生活習慣なんだから、そんなに大げさに考えなくていいんじゃない」とニヤニヤしつつ、大切なことをたくさん教えてくださいました。食べたいものを我慢するとどうなるか、欲求不満がたまるとどうなるか、なぜ続けることが難しいのか……などなど、目からウロコの理論ばかり。

ダイエットは「はじめる前が超大事」。つまり、はじめる前にいかに「正しい現状分析」をして、いかに「正しい目標設定」をするかが、ダイエットの成否を左右することを痛感しました。このやり方で、私と隣の席の同僚も苦労なく4キロやせました(→プチ体験記としてコラムマンガ収録)
マンガは「自営業の老後」の著者、上田惣子さんが担当。ぐいぐい読めて、笑えて、絶対に「やせる」「続けられる」メソッドが学べる1冊です。

Amazon 売れ筋ランキング: 本 - 14位 (本の売れ筋ランキングを見る)
1位 ─ 本 > 暮らし・健康・子育て > 家庭医学・健康 > 食・栄養 > 保健食・食事療法
1位 ─ 本 > ノンフィクション > 実用・暮らし・スポーツ > 美容・ダイエット
1位 ─ 本 > 暮らし・健康・子育て > 美容・ダイエット > ダイエット > エクササイズ

時間の流れの中で生きる

2018-04-20 | 認知心理学
時間の流れの中で生きる(対談)

●「世の中の流れ/ペース」と、「自分なりのペース」のずれが出てきたのはいつ頃ですか?

ゼンマイ時計が発明された15世紀前半頃からだと思います。これによって、誰もがいつでもどこでも同じ時間をもてるようになりましたが、一方では、自分なりの時間やペースが無視されるようになってしまいました。
 
ところで、自分なりの時間やペースというのは、時計時間とは違った、次のよ時間に従って、私達は生きているという事実があるからです。
  1)生理的時間、あるいは、体内時間です
     新生児はもっぱらこれに従って生きています。
  2)心理的時間です
     心理的に感ずる時間です。たとえば、充実していると、時間が短く感じます。
 
今の世の中は、圧倒的に時計時間で動きます。
しかし、私達は、生理的時間や心理的時間にも従って生活しています。
「自分なりのペース」というときには、
究極は、うまれたばかりの赤ちゃんの様に、生理的時間、心理的時間だけに従って生きることだと思います。

水曜日のこの時間に、「子供に急いでを言わないで」が取り上げられていましたが、この頃から、子供は、「自分なりのペース」を「世の中のペース」にあわせることをしつけられます。大人になると、もはや「自分なりのペース」なんてどこかにいってしまいます。

それでもときおり、自分なりのペースを取り戻したいと思うような時があります。
時計時間と生理的時間、心理時間とのそごが大きくなり過ぎてしまったような時です。
締めきり、納期のようなタイムリミットがあるような仕事をしている時ですね。

現実的には、「自分なりのペースとは」、時計時間と心理的時間、生理的時間とが「適度に折り合いがついている」ことだと思います。

●「自分のペース作り」とは、時計時間と心理的時間、生理的時間とが「適度に折り合いをつける」こととは、具体的にはどうすればよいのでしょうか?

生理的な方策と心理的な方策とがあると思います。
1)生理的な方策とは、自分なりの体内リズムをつかみ、それにあわせて仕事を調整する
 朝6時、夕方4時は、高速道路での車の事故が一番多い時間帯だそうです。体内リズムの低下が関係しているようです。
 体内リズムには、個人差もありますから、自分なりにリズムを掴むことがまず大事です。
その上で、そのリズムにふさわしい仕事を割り付ければ、能率があがります。自分なりのペースで仕事をしている実感も持てます。

2)心理的な方策とは、仕事の内容にあわせたスケジュール作りと実行です
 好きな仕事、得意な仕事から入って一気に集中してしまう。きらいな仕事や不得手な
仕事は、小刻みスケジュールでこなすようなスケジュールに従って仕事をします。
 これらに加えて、もう一つ、おすすめがあります。
 それは、一日、1週間の中で一ケ所、「自分が主役で時間を動かすこと」を習慣化することです。
たとえば、私は、ここ20年くらい毎朝3時に起きます。
 あるいは、土日の朝2時間は読書をする、農作業をするなど。
 これは、逆説的ですが、時計時間から解放されて、自分なりのペースを作るための
土台、あるいは、自分のペースが乱れてきたときの土台になります。

●長期的な自分のペースの作り方にはついてはいかがでしょうか?

自分のペース作りも、今日、明日ばかりを射程においていると、結局は、時計時間にとらわれてしまいます。
1月、1年、さらには5年10年を射程においた、自分のペース作りも考えたほうが、短期的な自分ペース作りも、質のよいものになると思います。

よくよく考えると、「自分のペース作り」と言っても、それが目的ではなく手段です。それによって、いい仕事をすることが本来の目的です。

ちょっと余談になりますが、私はこれまで編集本を何冊か作ってきました。編集本とは、章立てを私がして、それぞれの章を適当な人に依頼して執筆してもらって作る本です。
困るのは、締めきりを過ぎても、原稿をおくってこない人です。タイムリミット感覚がない人ですね。
そんな人も2通りあります。催促に催促を重ねてやっと原稿をいただくのですが、原稿の質があまりよくない人と、見事な原稿をくれる人とがいます。
タイムリミット感覚はないけれども、仕事の完成度、ワークリミット感覚の高い人ですね。
タイムリミットをあまり強く意識させると、こんな人の仕事の質が悪くなってしまうリスクがあります。
こんなことがありますから、なかなか難しいですね。

●高齢者の自分なりのペース作りについて、何かアドバイスのようなものをありますか?

そうですね。私も74歳が過ぎました。もう間もなく後期高齢者に仲間入りをすることになりますので、ひとごとではありませんね。思い付くままに、いくつか。

1)基本としては、6ー6システムで毎日を過ごす
 朝6時から夕方6時までを活動時間、それ以外をリラックス・タイムにするのを
基本にするのでよいと思います。これが、一番、体内リズムにかなっているからです。

2)時計時間に基づいた自分なりのスケジュールで、社会との接点を作る
 時計時間の圧力から解放されたのに、また時計時間に従うのはどうも、という気持ちもあるかと思います。社会から隠遁してしまうわけではないのですから、今度は、自分が時間管理の主役になるつもりで、緩いスケジュールを作ってみたら、いかがでしょうか。
 それも、1日単位の習慣的なものと、私も書斎にありますが、10年カレンダーなどを活用した、1年先、5年先、10年先スケジュール作りもよろしいのではないでしょうか。


●では、最後にまとめをお願いします。

○時間に負けない
○自分から時間に向かっていく
○時間を忘れる時間を作る


因果の「迷宮」

2018-04-19 | 認知心理学
いまさら因果の「迷宮」に入り込むのもどうかとも思うが、今だからこそ、ということもあるようにも思う。その理由は3つ。

一つは、「因果推論の拡大」に伴う迷宮入りの問題である。 パス解析、共分散構造分析のようなデータ解析技法にみられるように、かつては、実験研究の基盤推論であった因果推論が、相関研究にまで拡がってきた。「操作性」「時間順序性」という点で、リアルな世界でこそその存在意義があった因果推論が、「操作性」「時間順序性」とは無縁なバーチャルなモデル世界でも問題となってきた。2つの世界での因果推論に求められるものは同じなのか、違うのか。違うなら、どこがどう違うのかが気になる。

2つは、「人の因果認識の心理」に関する迷宮入りの問題である。
ここには、因果認識の発生と発達の問題(たとえば、ピアジェ)、因果認識の特性(たとえば、ミショットの推進効果・起動効果、帰属理論、結果論的推論)など因果の心理をめぐる研究の現状や問題がどうなっているかである。
 
そして第3は、「因果論的推論対目的論的/機能的推論の対立」の迷宮である。
たとえば、動機は、原因なのか、目的なのか。心は行為の原因たりうるのかなどなど。これについては、今回は取り上げないが、人間研究の対立軸としては看過しえない迷宮であり、迷宮入りのままというわけにはいかない。

動機論的説明

2018-04-18 | 認知心理学
動機論的説明はかなり一般的  

次のような説明は、見かけは目的的説明のようであるが、実は、心の内面を考えれば、因果的である。日常では、このタイプの説明が多い。  
・ペットを買った(結果)のは、生活を楽しむためである(目的)  
・その犯罪をおかした(結果)のは、お金を取るためである(目的)  

つまり、生活を楽しもうという目的(意図)を心の中にもったことが原因になって、ペットを買うという結果が起こった、と考えればよい。目的そのものは時間的に後にくるが、目的を「意図した」のは行為の前で、しかも、それが行為に影響しているのだから、まぎれもなく因果的である。これは、特に、動機論的説明と呼ぶことがある。  

犯罪調査おいて犯罪の動機解明が必須なのも、動機が原因となって、犯罪が発生した、という因果的説明をしなければならないからである。因果的説明ができないと、心神耗弱(こうじゃく)で刑が軽減される。科学の世界だけでなく、こうした世界でも因果的説明が基本になっている。  

動機論的な説明には、実は、やっかいな問題が隠されている。  
一つは、意図という心の世界が、行為という物理的な世界を規定するとする前提である。因果的な影響があるのは、同一世界内、と考えるのが科学的な常識であり制約である。そうでないとすると、たとえば、神の御心で、という話になってしまう。しかし、我々の日常的な感覚としては、心が身体や行動に因果的に影響していることは十分に納得できる。それが、動機論的説明を許容する唯一の根拠になっている。  

もう一つは、後づけ的な説明になりがちなことである。ある結果が起こったあとで、それは、どんな動機で起こったのかを探ることになる。となると、そこに後づけ的な説明に内在する、説明のオールマイティ---なんでもうまく説明できてしまう---の罠に落ち込むリスクを背負い込むことになる。

アカデミックな観点からみた心理学の有用性

2018-04-12 | 認知心理学
アカデミックな観点からみた心理学の有用性、つまり、心を知ることの有用性は、どんなところにあるか。

 抽象的には、前述したようなことになるのだが、もう少し具体的に言うなら次のようなところに心理学のアカデミックな観点からの有用性を指摘することができる。
 心理学の研究対象が心という人間にとって本質的なものなので、心にかかわりのある他の学問領域---哲学、言語学、人類学、社会学、情報科学、脳生理学など---に対して、中核的・学際的な役割を果たせることである。心理学を間において、たとえば、言語学と情報科学が協力することで、効果的な自動翻訳システムが作り出せることになる。

 こうした事情を反映してか、心理学者としてトレーニングを受けながら、今では、工学者顔負けの情報科学者になったり、脳生理学者になったりしている人がかなりいる。その逆も、数は減りますがある。

 また、そうした心理学の役割を可能にするために、心理学の研究アプローチもかなり多彩になっている。哲学的なアプローチ、数学的アプローチ、医学的アプローチ、自然科学的アプローチ、工学的アプローチなどが、それになりに、心理学の中で有効かつ批判的に使われている。

自由意志――人には嘘を言う自由がある

2018-04-03 | 認知心理学
自由意志――人には嘘を言う自由がある

●自由意思は困りもの
自由意志の問題は、意識の問題とともに、心理学にとって---人にとってもではあるが--最もやっかいな問題である。  心理学では、自由意志は研究の対象から巧妙にはずすという姑息な?方策をとってきた。心理学を科学にするためには、どうしても、自由意志の介入は邪魔になるからである。  たとえば、心理実験の場面でも、被験者は、実験者に「自由に」逆らうことができる。本当は見えたものも見えないと報告する自由がある。  昔、盛んに行なわれた力動的知覚の実験で、実際にこんなことが起こっているのではないかと疑われる現象がみられた。口に出すことがはばかれるタブー語を瞬間的に呈示して見えたか見えないかを問う実験を行なう。被験者は見えないと報告するときでも、実は、皮膚電気反射(GSR;galvanic skin response)には、見えていることをうかがわせる反応が起こったのである。被験者は、恥ずかしいので、「嘘」をついているのではないかと疑われた。結局、無意識の世界で起こる、心と身体の乖離現象の一つということになり、意図的な嘘ではないらしいということになったが、こんなところに、自由意志の「心理実験上の」困った問題の一端をみることができる。

●心理実験での工夫  
心理実験では、次のような工夫をすることで、自由意志の介入を防ぐ手だてをしてきた。  まずは、実験意図を察知されないようにすることである。察知されると、その意図に合うように「自由に」---歪めて---反応されてしまう可能性があるからである。かつて、TV番組制作に協力して、心理実験をしてみせたことがある。ところが、心理学専攻生を使った被験者は、こうした場面では、制作意図を微妙に察知してしまうらしく、実にきれいな結果が出てきて驚いたことがある。倫理的にはやや問題があるのであまり推奨はされないが、事後了解が得られそうなケースでは、「嘘の」実験目的を告げてから実験することもある。
 あるいは、質問紙調査法では、誰もが「はい」と答えるような項目、たとえば、「あなたは嘘をついたことがありますか」「あなたは嫌いな人に出会ったことがありますか」と言ったような項目---虚偽尺度と呼ぶ--をそれとなく入れておいて、嘘の回答が紛れ込んでいるかどうかのチェックをする工夫もある。  さらに、たとえば、「できるだけ速く」「直感的に判断するように」指示ことで、あれこれと考えられないような状況----自由意志の入り込めない状況---を作る方策である。しかし、実験者の意図通りにはしない「自由」は相変わらず除去はできないので、危うい方策ではある。  もう一つは、力動的知覚のようなこともあるので、言語報告ではなく、生理的指標や行動的な指標を使うこともある。しかし、心と身体の関係はそれほど一意的でもないので、心を知るためには十分ではない。  という次第で、どれもこれも完全な方策にはなりえない。心理研究者の苦闘は続く。

●やっかいものではあるのだが  
自由意志は、「実験上は」やっかいものであるが、心の問題としてはその重要性は看過できない。心理学者の中にも、心理学の枠組の中で、自由意志について積極的に発言している人もいる。とりわけ、下條信輔氏による「サブリミナル・マインド}(中公新書)、「<意識>とは何だろう」(講談社現代新書)での論考が注目されている。  力量不足なのであまり深入りはしないが、一言だけ述べておくなら、思っているほど、人は自由意志によって自分の心をコントロールしてはいないようである。自由意志は人類が作り出した幻想だと言いきる人さえいる。  買物にいって、R社のシャンプーを買ったとしても、それは自由意志によってというより、テレビのCMや店頭陳列の工夫によって作られた仕掛けによって買わされたのかもしれない。  自由意志を幻想だと言い切ってしまうと、その反動で、「すべてを神の御心のままに」ということになってしまう怖さもある。最近の認知心理学では、メタ認知というような概念を使って、自分で自分の認知活動をコントロールするありさまが研究されるようになってきている。心理学でも、こわごわという感じではあるが、実証ベースで自由意志の問題を取り挙げようとする兆しはある。


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2018-03-30 | 認知心理学

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