新聞に富雄丸山古墳で盾形銅鏡が出土したとありました。
この前歴史講座の先生がすごいものを見てきたと言っていたのは多分この銅鏡
のことなんですね。
本当どんな博物館でも見たこともない形の盾の中に組み込まれた銅鏡なのですね。
軍人職の強い古墳なんですね。銅鏡ならかなり身を守れる盾となってくれたでしょうね。
謎の4世紀といわれる時代のものですから、大和地方は戦乱でごちゃごちゃだったのかも。
中国の記録には大和のことは4世紀に書かれていないので、どんなことがこの地方で起こっていたのか・・・
それから百済との交渉(管理下におかれたのか?)武寧王が日本に来ているし、何が起こっていたかはわからずじまい。
この前の講座で邪馬台国はここ奈良であったことは、皆さんこの地方の方ですので依存はないでしょうと、先生が言われていました。
マキムクが卑弥呼の都であったのか、私はそう信じております。
いつ古代の謎がとけるのか古代史の一ファンとしては楽しみが増えました。
この前歴史講座の先生がすごいものを見てきたと言っていたのは多分この銅鏡
のことなんですね。
本当どんな博物館でも見たこともない形の盾の中に組み込まれた銅鏡なのですね。
軍人職の強い古墳なんですね。銅鏡ならかなり身を守れる盾となってくれたでしょうね。
謎の4世紀といわれる時代のものですから、大和地方は戦乱でごちゃごちゃだったのかも。
中国の記録には大和のことは4世紀に書かれていないので、どんなことがこの地方で起こっていたのか・・・
それから百済との交渉(管理下におかれたのか?)武寧王が日本に来ているし、何が起こっていたかはわからずじまい。
この前の講座で邪馬台国はここ奈良であったことは、皆さんこの地方の方ですので依存はないでしょうと、先生が言われていました。
マキムクが卑弥呼の都であったのか、私はそう信じております。
いつ古代の謎がとけるのか古代史の一ファンとしては楽しみが増えました。