1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

大事なこと、信じること

2011-03-31 12:28:15 | リトルリーガーの記録
全く恥ずかしい話しですが、前回のブログで話したMRI像での「異常無し」は間違いでした。

実は、先週の水曜日にMRI撮影ということで、母(愚息にとって祖母)に頼んで病院に連れてってもらったのですが、手違いで予約ができておらず、その病院では初診であったためレントゲン撮影のみ。
そして、翌日、MIR撮影だったのですが、主治医のGTOJr先生は当番医ではなかったため、診断は次の水曜日ということになった。
そのとき、付き添いで行っていたのは祖母だったんだけど、ほとんど説明を受けておらず、「踵にフクロみたいのがあったみたいだけど、別の先生が言うには、これは大丈夫みたいなことだったのよね・・・」
しかし、それは、治療や手術をすれば大丈夫という意味だったみたい。

母の説明だけだったから、ボクはてっきり異常はないものと思い込んでいたのでした。


昨日(水曜日)は、ボクもカミさんも休みをとって病院に行きました。

診察室に入ると、大きい液晶画面にはMRI像のビュアーソフトが既に立ち上がっていました。GTOJr先生がボクたちに遅れて恐縮しながら入ってきました。

GTOJr先生は、うちの実父の親友の息子さんで子供のころ一緒に遊んだことがあるし、数年前はボクの頸椎捻挫を診てもらったことがあります。歳はぼくより3つくらい上なんだけど、独身時代が長く、見た目はボクより相当若い。しかもカッコイイ。難を言えば、ちょっと線が細いかなというくらいだけど、それがかえってナイーブさやシリアスさを醸し出していて、その細めの肩に乗った小顔は、田村正和を若くして、さらにカワイクしたかんじ・・・。・・・・・・コイに落ちそう・・・。
・・ドキドキ、ハァハァ・・イヤイヤ、ま~ま~、白衣のお医者さんの話しはそのくらいにして、本題に入りたいと思います。

触診の結果からはやはり踵骨の骨端症が疑われ、レントゲン像やMRI像では判別できない程度のものと診断されました。
しかし、痛みが強い左踵の骨の中には・・・・・
直径2cm程度の空洞のようなものが、はっきり、くっきり、明瞭に映っていました。

「・・・・コツノウシュですね・・・」
GTOJr先生はビュワーソフトを使って様々な角度で切ったMRIの断面像を見せてくれた。
そしてGTOJr先生は、額に汗をかきながら、説明してくれました。
一生懸命わかりやすく説明しようとするのですが、どうしても難しい方向にいってしまい、それをなんとか軌道修正しようと奮闘するGTOJr先生の姿がとてもいじらしく感じられました。
先生の説明が終わったあと、ボクが理解できたことを簡潔に話してみました。
「そのとおりです。」

先生はメモ紙に「骨嚢腫」と書いてボクに渡してくれました。
骨膿腫に関する手術の成功例や治癒率についてまとめられた2006年の論文(日本語)も準備してくれていました。
そして、最後に、
「あの内川選手も、同じ病気で、高校時代に3回手術しているそうです・・・、ネットで調べました・・・」

愚息の今季の活躍はもうあり得ないと思います。
なんとなく、こういうことが起こるのではないのかとずっと予感していました。
というか、期待していたかもしれません。

この5年間、愚息は大車輪の活躍でした。
野球や陸上の県大会や九州大会でとった優勝メダルは10個以上。人権擁護の標語も熊本市から最優秀賞を頂きました。そして、新チームでの背番号は「1」。

今月12、13日に福岡県宗像市で行われた連盟の春季大会、1回戦。
愚息は5-3リードで迎えた最終回、ノーアウト満塁のピンチでピッチャーマウンドに立ちました。
ここで抑えることができればホンモノと思いました。チームのことを考えれば、愚息を応援するのは当然です。声では応援していました。
しかし、ボクの心は・・・・、
「打たれろ、オマエに必要なのは、負けることだ、本当の挫折を味わうことだ・・・」
この試合に関してはチームや監督に迷惑をかけることになるかもしれない、だけど・・・。
ボクは非情な人間です。
エラー絡みに2四球。結局5-6で逆転負け。翌日から踵痛の再発。
そして現在進行中のチームの危機。


甲子園では、センバツが行われています。
大震災があり、開催そのものについて議論があったようですが、あの華々しい甲子園のグランドに立った選手や保護者の多くは、いろんな困難を乗り越えてきているはずです。
そして、そこには様々な涙が流れているはずだと、そう思っています。

30歳になろうとする頃、ボクは鬱病を患い自殺も図り病院に運ばれたこともありました。
数年がたち、鬱病の原因となったていたのは子供の頃負った心のキズであることがわかりました。そのキズを覆い隠そうと、無我夢中でつっ走っていた10代後半から20代。
鬱病を発症したとき、ボクは絶望の中にいました。
郷里に戻ったもののカミさんや子供とは別居。
しかし、ボクが治ることを信じてくれていたカミさんや父と母。

ボクは幸せ者です。
どんな困難が押し寄せようとも、どんな困難を背負わせられようとも、ボクは感謝しなければならない立場にいます。
だって、「生きている」から。

生きる意味をずいぶん考えたことがあります。ある人は、生きる意味を考え続けることが生きる意味だと言います。ですが、ボクは生きることの意味は「生きること」と思っています。

今、ボクが抱えている困難なんて被災された方々のそれに比べれば、歯牙にもかからないちっぽけなものです。言葉にすると、全てが軽く虚ろなものになってしまうのが凄く悲しいのですが・・・、

みなさんのこと、信じてます。
ありがとう。
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旗、海峡を渡る

2011-03-28 17:27:43 | 雑談の記録
本日、今年度の最後の委託業務の検査を受けた。
もちろん合格。


25日の金曜日は大会準備で有給休暇をとったけど、実は、25日の週末が工期となっている業務を2本抱えていて、報告書は、社長と営業部長がボクのかわりに納品に行ってくれた。
社長、部長、ありがとうございました。


大会の決勝戦は劇的幕切れだった。

KOZリーグ対CTAリーグ。
投手戦の末、サヨナラツーラン。

トーナメント戦の前日。
CTAリーグの選手と我がリーグ選手は、会場近くの公民館に合宿。
総勢40名近くの子供たちと世話役として大広間に一緒に合宿したのだけれど、・・・・・いい経験になった。
予選リーグで敗退した我がリーグの子供達は、興奮状態で一時ほとんど収拾がつかなくなった。怪我人がでなかったのが不思議なくらいだった。
一方、CTAリーグの選手達の落ち着きといったら・・・・、まるで大人。
暴れまくる我がリーグの子供達をよそに、UNO、トランプなどに興じ、静かに体を休めているという様子。しかし、闘志は決して忘れていない、といって強がっているふうでもない。風格がある。

おめでとうございました。
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第2回KM旗阿蘇カルデラ杯、無事終了!

2011-03-27 22:12:46 | 雑談の記録
我がリーグ主催の野球大会は無事終了しました。

ふ~。

今回の大会を通じて感じたこと。

それは、人間の力ってほんとにスゴイな~ってこと。

ホントに、いろんなことがありました。

そのいろんなことを、このバカブログで紹介しようとしたら、大変なことになります。
・・・・あえて苦労話はしません!。だって、無事に終わったわけだから!。

今回の大会に携わったすべての皆様に感謝申し上げます。
本当にありがとうございました!。


そして、確信しました。
ボクたち、日本人には同じ血が流れている。
絶対に、乗り越えることができる!。



・・・・・エっ!?、愚息の活躍はどうだったかって!?。

結局、踵痛が治まらず、ベンチからの応援のみ。
ですが、週末のMRI撮影では異常無し!。
これも、乗り越えることができるでしょう!。




そして、最後にカミ(神)さんへ

ありがとう。
愛してる。
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準備完了!?

2011-03-23 22:27:54 | 雑談の記録
我がリーグ主催の野球大会がいよいよ迫ってきました。
今週末です。

ほんとに、ここまでいろんなことがあり、今回も様々な方にご協力を頂いてます。

正直言って、完全に心が折れたこともありました。

でも、ボクたちは元気を振るうしかない。

さっき、ようやく大会冊子の製本が終わり、募金箱もできあがりました。
TNUオヤジ、INUオヤジ、ありがとうございました。


あと少し、仕事も、頑張るゾ!




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「大和魂Ⅱ」

2011-03-20 23:30:40 | 雑談の記録
コアな読者のみなさんなら、ボクにもう一人の「妹」がいること、知っていると思います。
これまで何度かこのバカブログでも紹介してますが、今日は、コピペで「妹」の文章を紹介します(妹よ、勝手にゴメン!)。
25歳の妹も名(迷?)ブロガーなんです。どうかヨロシク!。


「ブログ」
久々の更新です。

地震の件で、やっぱり不謹慎かとおもい、ブログアップしてなかったけど、そろそろ更新しようと思います

被災地のひと達
中途半端なことは言えないけど、
本当にいのってます・・・
1日も早くみなさんの心が、体が元気になることをお祈りしてます

言葉にすると本当に軽く感じてしまう。自分のことのように受け止めていますが・・・

西日本は大きな影響もなく、毎日いつもとかわらない日々・・・

毎日毎日人の生死と隣り合わせ私達看護師。
今私にできることは今ちかくにいる病院の患者さんと今までのようにむきあうこと。

私は熊本に生まれ熊本にすんで看護師であるからこそ、出来ることがある。やりがいがある仕事だからこそ、それを精一杯に感じ、精一杯に働きたいとおもう

私にできることは「人を元気にさせること・・・私の元気を伝染させること」

この前亡くなった受け持ちの患者さんに遺言書に私宛でこんなことが書いてありました。
「○○り○こさま。あなたの笑顔に何度助けられたことでしょう」

こんな私でも人を少しでも助けることができるんだ。

私にできることはこれなんだと実感した。

とおい空の下、必死に頑張ってるひとがいるからこそ、私にできる精一杯のことを前をむいてやっていこうとおもう

私は明るく元気にがんばります
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「大和魂Ⅰ」

2011-03-20 23:14:15 | 雑談の記録
コアな読者のみなさんなら、ボクが敬愛する「隊長」のことを知っていると思います。
これまで何度かこのバカブログでも紹介してますが、今日は、コピペで「隊長」の文章を紹介します(「隊長」ゴメン!)。

「大和魂」
2011年3月11日(金)14:46・・・
そのとき、私は、会社の敷地内にいた。
ちょうど現場から戻ってきたところで、仲間と二人で積んできたゴミを倉庫に降ろしているところだった。

その揺れは、今までに経験したことのない大きなもの。
二本足だけでは立っていられないほどで、それが地震であるのかどうかさえわからなくなるほど頭の中は真っ白に。
ただただ車につかまって、ザワザワと不気味に揺れる景色にうろたえるばかりだった。

大変なことが起こったことを直感した私は、揺れがひと段落ついたところで、車のTVをつけた。
すると、どのチャンネルも緊急ニュース。
地震の報道に加え、太平洋岸に大津波警報がでていることを慌ただしく伝えていた。

その後の惨状は、誰もが知るところ・・・
未曾有の災害に、多くの犠牲がでている・・・
人を亡くし、家をなくし、仕事をなくし・・・
足りないものだらけの避難生活が、どれほど辛くて不安なものか・・・
人の痛みに対する感受性が乏しい私にはそれらを想像することしかできないけど、それでも、気の毒に思えてならない。


あれから8日が経った。
身体は無事なのだが、精神がいまいち。
社会全体の雰囲気だから仕方がないのかもしれないけど、明るい気分になれない。
また、冷静なつもりでいても、真に冷静さを取り戻しきれていない自分がいるように思う。
それに関係してか、不眠症も悪化。
「緊張感が足りない」「平和ボケ」と言ってしまえばそれまでだが、一日中、軽い睡魔に襲われているような始末である。

余震は、今もなお続いている。
首都圏にも、震度3~4程度の揺れがくることがある。
スーパーやコンビニの品揃えは回復基調にあるが、ガソリンは依然として不足感がある。
休業しているところが目立ち、営業していても長蛇の列で給油量も制限されている。
私も、給油の列に並ぶのが日課にようになっている。

停電による影響も小さくない。
とりわけ、公共交通機関の影響は大きく、通勤通学の足を乱している。
電力会社の停電計画も試行錯誤の中でひねり出されているようで安定しない。
それでも、多くの人々は、良識をもって社会のルールを守り、負担を分かち合っている。

また、こうしている間にも、福島原発には命がけで作業している人達がいる。
被災地には、命がけの生活に耐えている人達がいる。
それを救援するため困難な作業に挑んでいる人達がいる。
そんな方々に対する、感謝と敬意と励ましの念を絶やしてはならないと思う。


自分は、これまで、いかに贅沢で独り善がりな生活を送ってきたか・・・
甘やかされた価値観を、このまま持って生きていっていいものか・・・
目に見えるかたちで現れている人の善意と勇気を、ただ眺めているだけでいいのだろうか・・・
他人の不幸を反射的に捉えるのは好きではないけど、この震災を通じて気づかされることはあまりに多い。

社会における一人一人には、自分の持ち場と役割がある。
こんなちっぽけな私でさえも、社会の一員であることに違いはない。
だから、直接的な何かができなくても、間接的にできることはたくさんある。
大金を寄付できなくても、ボランティアに参加できなくても、自分にできることはある。

省エネすること。
デマに乗らないこと。
批難するばかりの評論家にならないこと。
先の支援のために備えること。
人を想い、国を想い、祈ること。


今、日本人の真価が問われているような気がする。
今だからこそ、考え直すべきことがあるように思う。

失いかけていた大和魂を取り戻すべきときがきているのではないだろうか・・・
一人一人が、それを燃やすべきときがきているのではないだろうか・・・

そんなことを考えながら、私は、地震後の数日と与えられている今を噛みしめているのである。
特殊清掃「戦う男たち」
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できること

2011-03-17 20:37:45 | 雑談の記録
犠牲となった方々の恐怖と苦しみ、愛する人を亡くした方々の悲しみ、避難を強いられている方々の苦労を、ボクは理解することができない立場にいます。

そんな戯れ言を垂れ流すヒマがあったら、何か行動を起こせというお叱りの声が聞こえてきそうです。

震災や地震に伴った原発災害への対応について、政府や電力会社が非難されている向きがあります。官房長官や電力会社の幹部の淡々とした説明態度は、なにか危機感の欠如にも見えてしまうのですが、それは、対応に際して冷静さを維持するための必要な姿勢なのかもしれません。

しかし、現場で行方不明者の捜索や復旧に携わっている方々や医療関係の方々が、今、必死に頑張っている姿は想像できます。

おそらく、原発事故の現場では、混乱の中、命懸けの不眠不休の復旧作業が続いていると思います。そして、このような現場は、現在、数多あるように思います。



数年前、熊本の中山間地域で起こった豪雨災害。
そのとき、ボクはある地すべり現場にいました。
高標高地の集落に続く1本道の道路下の急斜面部が数10mにわたって崩壊。
道路にも亀裂が走っていました。
道路もろとも崩壊する危険がありました。
あのときの行動が本当に正しかったのかどうか今でもわかりません。
現場は、まだ強い雨が降っていました。
ですが、ボクはその山に入っていきました。
これから起こりうる崩壊の範囲を確定するために。
道路より上、数10m入ったところに、やはり亀裂がありました。
想定された範囲は長さ100m、幅50m。
これが一度に崩壊すれば、甚大な被害になることは明らかでした。
こういうときにできることは限られています。
亀裂を塞ぎ、水の流入を防ぐこと。
車にはいくらかのビニールシートを準備していました。
現地を案内してくれた役場の人と集落に住まいの年配の方と3人で、豪雨の中、ロープを使ってビニールシート張りました。
雑木や下草の茂った場所でのこの作業は、崩壊に対して屁のつっぱりにもならないかもしれないとも思いましたし、2次災害に巻き込まれることも承知していました。
しかし、今はこれしかできない。
できることをやるしかない。そう思いながら、その作業を続けました。
幸い、大崩壊には至らなかったのですが、住民の方には数日避難をして頂くというご迷惑をお掛けしました。町長から判断を任されていました。

ボクの経験した現場なんて震災に比べればほんとに小さいものです。

だけど、ボクにはわかります。
多くの方々が、今、必死で頑張っている姿が。

今のボクにできることは、頑張っている人々を信じて応援すること。
これしかありません。

頑張れ!日本!

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やっと落ち着いてきました。

2011-03-16 09:25:31 | 雑談の記録
どの言葉で表現しようとしても、自分の本当の気持ちに当てはめることができないというこのもどかしさ。

驚き、悲しみ、哀悼、後悔、敗北、混乱、混乱、混乱・・・・。

この何日間、入り乱れた感情の津波が繰り返し繰り返し襲ってきていました。

読者の方なら、ボクが少しは「地質」に精通していることは知っていると思います。

先週初め、経理の先輩女性から地震のことを教えて頂戴と頼まれ、世間話がてらに、ホワイトボードを使って日本ではいつ巨大地震が起こってもおかしくないという話しをしました。

・・・しかし・・・

熊本にも布田川・日奈久断層という第一級の活断層があります。
その断層沿いでさっきも地震(AM8:12 M2.5)がありました。
春はいつも多いのが特徴ですが・・・。

「蠢く春」
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乗り越える人

2011-03-09 13:32:47 | 雑談の記録
昨日は、沖縄料理のお店でお祝いだった。
業界の技術者有志約20名が催してくれた。

県内業界における今年の合格者は2名。
一人はボク、もう一人は38歳の女性。ホンモノのの山ガール。
ボクは昔から彼女のことを「まっちゃん」と呼んでいる。

もう5、6年前だろうか。
4、5人の6年生女子グループが、夏休みの自由研究で地震について学びたいと言ってきた。断ることができず、夏休みに入ってから毎週1回、夜に講義をすることになった。

そのとき、助っ人として我が家に来てくれていたのが「まっちゃん」。
まっちゃんが地質の面白さについて、一生懸命、子供達に話していた姿が忘れられない。


彼女の趣味である登山は親譲り。
幼いころから父親と一緒に登っていたとのこと。

東京での試験の二日前。
最愛のお父さんが亡くなった。

彼女は郷里の鹿児島に戻った。
しかし、母は、彼女の背中を押した。


・・・まっちゃん、頑張ったね!
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一人ごっこ-スターウォーズ編-

2011-03-08 13:18:27 | 雑談の記録
昨晩、一枚のFAXが届いた。

送り主は義父。

以前書いたことだけど、義父は現役市民マラソンランナー。
年に数回のフルマラソンやレースに参加。海外遠征もこなす鉄人。
昭和12年生まれ。
名前は「勝」。

体にはいつも気をつかっている。
本人のみならず孫達の怪我や病気には超敏感。
特に愚息に関しては・・・・・。




我が家の電話が鳴った。着信番号は「義父」を示していた。
我がリーグ主催の大会の宿泊担当のカミさんは、携帯電話で忙しくしていたからボクが受話器をとった。

「・・もしもし、hiratakuwaですが・・」
「・・・・キミか・・・・」
「・・あ、ハイ、そうですが・・」
「・・・・FAX番号は同じだったな・・・・」
「ハイ、同じです。」
「・・・○○○に替わってくれ・・・」
ボクは次女のホースケを呼んだ。

電話が終わり、FAXが届いたようだった。

それをホースケがボクに持ってきた。

骨端症やオスグット病に関するQ&A形式で書かれた新聞記事だった。
記事の横には、丁寧に手書きメモもあった。

「じぃちゃんはねぇ、こんな新聞記事をいっぱい集めてるんだよぉ~」
得意気にホースケが付け加えた。


昨日、祖母(実母)にお願いして愚息は掛かり付けの整形外科に朝から連れて行ってもらっていた。

レントゲンで踵骨に異常は無し。
症状や発生状況から、「足底筋膜炎」が最も疑われた。
安静を保っても痛みが続く場合には、MRI診断とのことだった。


夕食後、いつもの筋トレとストレッチが終わったあと、「安静」を保つことができない愚息は、畳の部屋に布団を敷き詰めた。


「見ないでね」
そう言ってフスマを閉めた愚息のもう片方の手にはライトセーバー(オモチャ)が握られていた!。
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貧乏?辛抱?

2011-03-06 18:39:31 | リトルリーガーの記録
手塚一志さんと言えば「上達屋」の主宰で、「バッティングの正体」「ピッチングの正体」という本でも有名。
「ピッチングの正体」という本は10年以上前に書かれたものだけど、増刷が続いているようで、ごく最近、近所の本屋でも売られていた(びっくり)。

そういうわけで、最近はどんなことを書いているのか気になったから、新刊を2冊ほど購入。

「ムチ化」、「ムチのように」そんな言葉が使われていた。

一昨年前の「走姿」シリーズで書いたことだけど、最終的にたどり着いた身体操縦術は身体のムチ化だった。ムチ化できる身体になるコツは、弛緩。これに尽きる。
実は、ボクの「走姿」は「マスターベーション」の次にくる人気シリーズ。

ま、そんなことはさておき、来週はいよいよ連盟の春季大会。
先週、背番号の配布があり、愚息は「1」でした。

そして、昨日の練習で怪我?をしてしまいました。
練習終盤のランで突然の踵痛が発生。
それまでグランド周回のときはいつもトップで戻ってきていたのが、突然のビリ。
しかもヨボヨボ状態。目には涙。

話を聞けば、昼ごろから踵に痛みを感じはじめ、次第に痛くなり、突然、激痛に至ったとのこと。

踵骨の骨折が疑われたけど、安静と冷却で30分後には自力で歩ける程度に回復。

夕食後、「踵痛」について調べてみた。

靴が疑われた。

スパイクが小さくなったって愚息が言っていたことを思い出した。

詳しく話しを聞いてみると・・・・・、

ナナナント、・・・・・・・・・窮屈になったからインソールを外していたと・・・。

翌日、チームに出入りしているTさんがやってきて愚息に一言。


「・・・そこまで辛抱しなくったって・・・」
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カンニングはしていません!。

2011-03-04 12:22:26 | 雑談の記録
ネット利用による入試カンニングで偽計業務妨害の容疑で逮捕された19歳の予備校生が、「つかまってほっとした」と漏らしたのは、彼の本心だったと思う。

この件が、ニュースで流れ始めた当初、ツイッターでこんなつぶやきを見つけた。

ハッキリ記憶してないけど・・・
「・・・・問題は、数学の問題を解くことではなく、課題に対してどんな方法で解決していくかその判断力が実社会では求められている云々。・・・だから、どんな手段を使ってもいいというような入試があってもいいのではないか・・・・」

入試問題の数学なんて実社会において、これほど役に立たないものはないと言う人は多い。

・・・しかし・・・、

「数学」についてボクの考えをまとめておこうと思う。

数学や算数には決まり事がたくさんある。
そして、その決まり事が「数学」という秩序を作っていて、その秩序が、様々な事象(自然現象や社会現象)を説明してくれる。数学を学ぶあるいは理解するということは、様々な事象を理解、説明することに繋がる、だから、大事なのだと・・・・。

こんな話は、つまんないですね。

ボクは受験生(予備校生)のとき、一応難関理系大学を目指していたから、それなりに勉強をしていた。その中で役に立ったのは「大学への数学」の増刊号の「難関大学の入試問題」を集めた問題集だった。その問題集を夏までに終わらせようと思って頑張った。
そして、それはやり通した。

難関校の問題はハッキシ言って難しかった。
おまけに、その問題集は難題ばかりが載せてあるし・・・。

あるとき、気が付いた。
「・・・・数学は、秩序から成り立っているよな、つまり、小さな規則やルールによって数学の世界は成り立っている・・・・、そしてそれらが文字や数字で表現されている・・・・、ウ~ん、ウ~ん・・・・、つまり数学ができるようになるってことは、その細かいルールや規則を守るってことだな、きっと・・・・・、そうするとだな・・・、数学の問題というのは、ルール違反や規則違反では解くことができない・・・・、だからどんな難しい問題であっても、その問題を解くカギになるのはルール・・・、数多あるルールからどれを適用してその問題解決にあたるか、そして解答の途中もちゃんとルールに沿って解いているか、それが問われているんだ・・・・・、なんだか、数学の試験ってオモシロイな・・・」

そのとき、ある先生がこんなことを言っていたのを思い出した。
「大学教授になったつもりで考えなさい、大学ではどんな人物が求められているか、それを考えなさい、あなたという人間が問われているんです」


ボクらが生きている実社会にいろんな問題があることはみんな承知。
その問題を解決するにあたって、どんな方法を使ってもいいというのは、はたして「正解」だろうか。
そうではないと思う。

数学や算数の勉強によって培われる力というのは、数学の問題を解くだけのものでもなく、様々な事象を理解、説明するものでもない。
これ以上説明する必要はないでしょう。




さて、本日、技術士第二次試験の合格発表がありました。

無事、合格。

みなさま、ありがとうございました。
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