1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

国民的議論とオレの結論

2012-06-01 21:29:40 | 雑談の記録
実は、前回の「原発」についてのバカブログ製作期間は一週間ほどを要してしまった。
誤解の無いよう記録しておくが、一週間丸々PCの前に座っていたというわけではない。
技術レポートを書いているチョットした合間や帰宅してからの束の間の時間を利用してタイピングしているのだ。
「原発」ついて記録しとこうと思った理由は至極簡単だ。原発に関する「国民的議論」に乗っかってみようと思っただけ。それだけだ。しかし、メディアが伝えるところの「国民的議論」ってナンナンだろうって疑問が少なからずあったのは事実。そこでだ、「国民的議論」の前に、40代変態として高飛車な「議論」をカマしてみたってことなのだ。
ところが、ソレをカマすにあたって、結論ありきで書き進めたはずなのだが、考えるウンチじゃなかった考えるうちに、脇道というか変な方向に行ってしまい、どうなることかと自分自身危ぶんだのだった。
しかし、あんなふうに着地できるとは思わなかった。
実のところ、パラシュートのくだりを書いているとき、この「話題」は早晩ポシャるなと思っていた。ところが、致命的なダメージを伴うことなく不時着というか軟着陸できたから不思議だ。当初考えていた結論とは全く違うところに行ってしまったのだが。
マスターべーションやセックスに似てるかもしれんな。
予期せぬところでイッてしまって、ウレシイやらカナシイやら・・・・。
また余計なことを書いてしまった。前行に赤線を引いてくれ。

話しを元に戻す。
「国民的議論」とはナンナンだ?。
国民のみんなで寄って集ってガンガンやっちゃう議論ではないな、たぶん。もちろん、そんなことやってたら意見の集約(集約が必要なのかもわからんけど)なんかできないワケだし。しかし、この言葉には「一応言っておくけど、みんなで考えてるんだよ、みんなの意見をちゃんと聞いてやってるんだから」という念のため的ニュアンスが拭えない。さらに、この議論の後に「国民のアナタ方が議論した結果なのだから」という恩着せがましさも感じてしまう。本当は有識者が議論してるだけなのに。だから「国民的」であり、場合によっては「国民敵」になるのだろう。
・・・え、そうじゃない?。
ホントにちゃんとした国民的議論がこれから実施されるのかもしれない?。
マジで!?。

大飯原発については、出来レース的紆余曲折の挙げ句、ドジョウ首相の責任で再稼働の見込みだ。しかし、次の原発の再稼働はどうなるんだ?。今度はメダカ首相の責任で再稼働なのか?。「脱原発依存」を標榜するなら、再稼働の引き替えにドコかの原発の「廃炉」を明言し、そのことについて責任を持ってもらいたいものだ。それも一つのスジってもんだろう?。

過日、エネルギー基本計画の見直しを進めている経済産業省の審議会が発表した選択肢は5つ。早い話が原発の依存度を2030年頃までにどうするのかってことで提示した選択肢しなのだが、選択肢1が0%、選択肢2が15%、選択肢3が20~25%、選択肢4が35%、選択肢5は定量的に提示しない、というものだ。事実上、選択1は既に消滅しているが、今後、この選択肢を軸に「国民的議論」を広く行った上で云々、ということらしい。
これから、どういう「国民的議論」をするっていうんだ?。


国民の一人として表明する。
オレ様の結論は出ている。
2030年頃までの原発依存のメドは15%だ。
そして、この間、日本は海洋国家を目指す。
マウンダー極小期の再来に備え、先ずは砕氷船メーカーの買収を急がねばならない。
突然「海洋国家」と言われてもナンノコッチャかもしれないが、グヌヌと考えたら今回はここに着水してしまった。そして、「海洋国家」で検索したら「海洋国家日本の構想」という本を見つけてしまった。どうやら面白そうな先達の著書。
また、アマゾン買いしてしまった(笑酔)。
コメント
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