1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

38歳無精ヒゲの記録

2007-03-30 22:48:05 | 雑談の記録
38歳10ヶ月。
ボクの年齢のことじゃない。
阪神タイガースの下柳投手の年齢なのだ。
開幕投手の史上最高齢記録なのだ。
スゴイのだ。
ずっと昔からファンなのだ。

今日は、帰ってきてから忙しかった。

ボクは、普段、テレビを殆ど見ない。
なのに、我が家はケーブルテレビだったりする。
なぜかっていうと、もちろん、野球を見るためだ。
だけど、ボクは、ケーブルテレビの機械を操作するのがメチャ苦手だったりする。
使い慣れてないからだ。

セリーグは今日から開幕し、ボクは下柳投手のことが気になってた。
カミさんは花見に出掛けてて、子供たちは祖父ちゃんちに行っていて、思う存分、楽しめる予定だった。
だけど、阪神VS広島だけが見れないのだ。なんちゅーこつや。
下柳投手は、やっぱ、無精ヒゲのままで開幕投手をつとめたのかなぁ。
ま、そういうワケで、阪神VS広島はネット速報を見ながら、その他の試合はチャンネルを換えながら観戦して、その合間をぬってリョー坊の相手をしてたんだ。

しかし、ダル君は成長したなぁ~。ダル君もいずれメジャーなんだろうなぁ~。

ホークスはマリーンズの渡辺投手に1年ぶりくらいに勝利をプレゼント。悔しいけど、まぁいっかぁ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アナタハドッチ?「GMT」or「BMT」

2007-03-30 18:18:26 | 雑談の記録
『貰いアクビ』に『貰い泣き』。
『連続エラー』に『打線爆発』。
『暴力の応酬』に『支援の和』。
『不満噴出』に『感謝感激』。
『怒りの連鎖』に『微笑み返し』。

別になんていうワケじゃないけど,最近,思うことがある。
古い言葉だけど,テレパシーってあるんじゃないのかなと。

まぁ,テレパシーと言ったら,他人が何を考えているのか判るっていう超能力のことかもしれないけど,そうじゃなくって,他人の感情をすぐ感知しちゃって,オマケに,自分もその他人の感情に同調してしまうっていう変な能力のことなんだけどね。

子供達の野球の試合や卒業式,社会情勢,会社やPTAでの出来事を観察してて,そんなことを感じるようになってしまった。

『ムードメーカー』と呼ばれるような人がいる。
それは良いムードを作ることができる人のことだと思っている。だけど,いいムードってのは,目に見える物質なんかじゃなくって,各人が感じる「いい気持ち」の集合体みたいなもんだから,実際にムードを作っているのは各個人なワケだ(違うかな?)。
だからと言って,『ムードメーカー』な人に「いや,君はムードメーカーではない」って言いたいワケじゃない。だけど,いいムードを作るキッカケになっているのは事実なワケだから,敢えて表現するなら「君はムードトリーガーだ!」ってことにしたい。

『ムードメーカー』=『ムードトリーガー』ってことで,話しを進めるけど,「ムードトリーガー」にも,やっぱり2種類あると思う。
良い雰囲気のきっかけとなる「グッドムードトリーガー:略してGMT」。
悪い雰囲気のきっかけとなる「バッドムードトリーガー:略してBMT」。

「GMT」な人には,下手な鉄砲でもいいからばんばんブッ放してもらいたい。
逆に,「BMT」な人には,早いところ,武装解除してもらいたい。

えっ!?。ボクはどっちかって!?。
もちろん「BMT」だ!。









「バカァ~,マヌケェ~,トンティンカン 」デ~ス。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボクがボクになったのは

2007-03-28 21:23:03 | 雑談の記録
ボクは頑張っている人を見ると応援せずにはいられなくなることがる。
ボクは人に「これお願い」って頼まれると断れないことが多い。
ビョーキから回復して間もなくのことだけど,高橋歩君の本にも書いてあったように思うけど,幸せってのは,人の幸せや喜びを願って行動しているときに,その人の幸せや喜びが自分に感染したようにして,心の中に自然に湧き上がるナントも言えないヨロコビの感情なのじゃないかなって思ったのだ。
以来,ボクは,そういう幸せに感染したくって,いろんな人の応援をしているのかもしれない。
だけど,それは,ボクの内面の深いところにある暗闇の裏返しであるのかもしれない。

現在ボクが勤めている会社は,親方日の丸個人商店的零細株式会社なんだけど,この会社に顧問的に雇われていた技術士のTKTさんが4月をもって退職することになった。
そのTKTさんって人は,以前,スーパー大手調査会社の本社管理部長を勤めていて人柄・技術的にも大変優れた方で,2年ほど前に前職を退かれて郷里の熊本に戻り,上熊本で事務所を開かれたワケだけど,いろんな縁があって,昨年,非常勤という形で弊社に雇われるようになったのだ。弊社としては,「建設コンサルタント」登録のため,技術士の有資格者が必要であったことや技術的サポートを期待していたのが事実なのだ。ただ,TKTさんは,雇用契約当初より,お世話になる期間は我々の誰かが技術士資格を取得するまでの1,2年と期限を決められていたようなのだ。
しかし残念ながら,社員(実はボク)の資格取得を待たずして,今回の決断を下したと,そういうことなんだ。
そして今日,会社の実質的ボスの専務から聞いた,TKTさんのボクに関するコメントなんだけど・・・・。
コメント1
「合格する資質は十分あるのにもったいない。もっと真面目に取り組んで欲しい(怒)」
コメント2
「hiratakuwa君には,どうしても入れ込めない壁のようなものがある。親子関係にナニかあるのでは(謎)」
コメント1・2,鋭いコメントだと思った。
専務からは,楽天の野村監督が選手達に言った「グランドには金が落ちている」って話しを引き合いに出され,つまり,ガッツが足りないのだって諭されたのだ。

ボクの記録をずっと読んでる人は知っていると思うけど,ボクと実父母の間には埋められない深い溝がある。っていうか,ボクはその溝を埋める気もないし,そこに橋を架けるつもりもない。ムリだからだ。

物心ついた頃,実父は既に大学で医学部の助教授をやっていて,ボクが小学校に上がる頃には,かなり若い年齢で教授という職に就いていた。退職して今は何をやっているかといと,某新聞社の医療アドバイザー,某財団法人の理事,某大規模病院の雇われ院長,その他イロイロ。
実母は,某大規模病院で薬剤師として勤めるかたわら,自殺マニュアル本に引用されるような毒物中毒に関する書籍を出版し,薬局部長として退職した後は,薬剤卸売会社に席を置いて地元の女性薬剤師会の会長や県の審議員を務めたりしている。そして親族の殆どは,医療・教職関係,大手企業職員だったりする。

ボクはそんな実父母の間に生まれた3人姉弟の姉と妹に挟まれた第2子だ。
姉は体は小さかったが男気が強く頭のキレも良くって口も達者で,ボクはいつも姉にやりこめられていた。ビョーキでニッチモサッチの行かないときに「あなたは甘い!」って追い打ちを掛ける内容の手紙を寄越したほどの非情者だ。妹は,学業・運動とも優秀で,ボクは小学校のマラソン大会で1つ年下の妹に負けてしまったという苦い経験がある。一浪して受けたセンター試験の点数も妹の点数とは3桁違った。
そんな姉と妹に挟まれたボクは,実父母に「どうしてオマエだけは・・・」って具合に育てられた。
物心ついて,父と遊んだ記憶は3回。だけど,それも楽しい思い出ではなかった。

ボクは小学校5年のとき,警察に補導されたことがある。電子ライターを分解し発火部分をゲーム機にあててクレジットを狂わせて無銭ゲームに興じていたところを現行犯で捕らえられたのだ(逃げ遅れたってことなんだけど)。
そのことは,スグに家と学校へ連絡がいった。
日頃から何かと実父には暴力を振るわれ,学校の先生が心配するほどのキズを負うこともあったけど,補導された晩はホントに酷くて,殺されるかと思った。
学校へ行くと,先生達の態度が一変していた。

補導のあと,ボクは好きでもないサッカー部に入部させられた。

ある日,サッカー部の部費が無くなるという事件が起きた。

集金された部費が入った袋の近くに最後に立っていたのはボクだってことだった。
当事者の子供と保護者が会議室に集まって何度か話し合いがあった。
そして,ボクは実母と一緒に職員室で頭を下げることになった。
以来,ボクは用件以外で実母と話すのをヤメにした。

中学校は管理教育が花盛りだった。細かいことで,イチイチよく殴られていた。だけど,家で殴られ慣れていたから,ウソつき教師の体罰なんて屁でもなかった。
その頃,家庭では実父母の衝突が絶えなかった。
大人もイロイロあるんだろうと思って,止める気にもならなかったし,とばっちりを喰らうのは御免だった。
だけど,その頃までは,まだ実父に対して愛情があったし,愛されたいという思いがあった。いつの日か,一人前の男として実父と話せる日が来るんだと考えていた。

だから,高校受験のときは頑張った。内申が悪かったから,志望校の合格は難しいだろうと評されていたけど,ギリギリセーフだった。

合格した晩,実父は「オレはいなくてもいいだろう」と言って家を出ていった。ボクは果てしなく寂しかった。その日のことを思い出すとボクは今でも涙がこぼれる。
親族の一部からは実父母の不仲を取り持つ努力が足りないって声が聞こえてきた。そんな連中にはバカヤローって言う他なかった。

高校では友人に恵まれた。彼らには,ボクの心の闇を覆い尽くすエネルギーと光りに満ち溢れていた。毎日が楽しかった。
だけど,一人になると,ボクは心の中に育ちつつある負のエネルギーを感じ始めていた。
それは,憎しみだった。いつかオマエラ(実父母)を見返して,ゴキブリのように殺してやるって感情だった。

ボクは幼いころから何故だか石ころが大好きだった。図鑑を見て,石ころにはボクらが想像もつかないような長い歴史があることを知って驚きを感じたし,いろんな石ころを見て,想像もつかないはずなんだけど長い地球の歴史を感じるのが好きだった。
そしてボクは,大学進学を考え始めた予備校時代,資源探査の仕事に就けたらなぁってそんなことを思っていた。そして当時好きだったマンガに「傷追い人」ってのがあって,その物語には,恋人を奪われた元アメフト選手が,復讐のために金鉱を探すという部分があって,恥ずかしい話しだけど,ボクはそれを見て「これだ!」と決めたのだった。

大学の3年までは,浪人の時に少しだけ付き合ってた?10歳年上の女性の影響で,借金で買ったハチロクなんかに乗ってクルマに明け暮れいていた。だけど,4年生からは負のエネルギーを完全燃焼すべく,金鉱床の研究に真剣に取り組み始めた。

カミさんとは大学1年生のときに再会した。
実は,カミさんは小学校のときの同級生なのだ。カミさんのお父さんは自衛官で,小学校6年のとき,カミさんは北海道へ転校することになった。別れを悲しむ感情が好きだといことを意味するかどうかわかんなかったけど,当時,ボクはそんな気持ちをカミさんに電話で伝えたのを憶えている。そして,お互い異なる青春時代を経て,二十歳を過ぎてから再会したのだった。
ただ,再会するまでの10年間くらいは年に1・2度の挨拶程度の文通をしていた。なんで,文通なんてしていたかというと,ボクの知らない北の果ての地に,ボクのことを知ってる人がいるってことが,なんだかとっても嬉しかったからだ。
再会して,ボクとカミさんはスグに恋いに落ちた。カミさんは熊本で,住み込みで養護施設で福祉員として働いていたけど,ボクが大学院に進学するときにカミさんは仕事を辞めて福岡の専門学校へ通うことになった。
ボクは仕送りはもらっていたけど,学生結婚をすると無条件で学費が免除になるという利便性の高い制度を知って,学生だったけど思い切って結婚を決意した。
当然,両家や周囲からの反対はあった。意に介さなかった。だけど,結婚した年から制度が変更になって,学費免除の恩恵にあずかることができず,親の収入に頼らなくちゃいけないことが恥ずかしかった。
そして決定的なことが起こった。
カミさんが妊娠してしまったのだ。
ボクは激しく悩んだ。
カミさんの愛に包まれたいたその頃のボクは,負のエネルギーは消えかけていて,さらなる進学を考え研究者を目指していた。研究室の先生もそれを望んでいたようだった。
だけど,これ以上,親の世話になるのはイヤだったし,子供ができたことで周囲からイロイロ囁かれるのもイヤだった。褒め言葉だったかもしれないけど,「hiratakuwa君は,会社勤めは無理だよ」というある先生の言葉が,ボクの負のエネルギーに火を灯した。
世界一のガリンペイロになってやる!。
大学院2年の9月,長女ユーが生まれた。
カミさんは,昼間に学校に行かなくちゃいけないから,その間はボクが面倒を見て,夜から大学へ行って朝まで研究をやって家に帰ってくるっていう生活が半年続いた。学会の発表で海外へ出掛け名を売った。そして,就職は,民間の探査地質屋としてその年は一人だけという狭き門を突破することができた。
仕事に没頭した。鉱山にはならなかったけど,新聞を賑わす程度の金鉱床の発見はあったし,たけしの万物創世記ってTV番組にも紹介されたことがあった。大学の先生は,退官されるまでボクの研究資料を大事にとっていてくれた。
だけど,ボクは疲れたみたいだった。調査出張は年間100日を越え,横浜から丸の内への通勤約2時間もなんだかこたえてた。ビッグシティは刺激が多く,好奇心も満足させたけど,狭い空や向こうに誰が立っているのかわからないような広いフロアは,ボクには似合わなかった。リストラも凄かった。
そして気付いたら病院で鬱病って診断された。

1999年の夏,ボクはカミさんと娘二人と熊本に戻った。カミさんのハラの中には3番目の子供がいた。
しばらくは実家に身を寄せていたけど,ボクの症状は悪化の一途で,家族とは別居することになった。
9月末,男の子が生まれた。だけど,その子の誕生をボクは喜べなかった。むしろ,重荷に感じたほどだった。

自殺未遂をして病院に運ばれ,薬物中毒の酩酊状態の中で,ボクは精神科の先生にあることを訴えていたらしい。
「ボクの存在を認めて下さい」って。

ボクはなんて欲深い人間なんだろう。
まるで村上龍の小説に出てくるような親に強いコンプレックスを抱いたボンボンみたいだ。



今は,スゴク元気だ。
幸せになるコツを見つけたからかもしれない。
だけど,実父母とだけは,うまく話すことができない。
今だに,実父母を殴る夢で目が覚めることがある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野球バカの詩

2007-03-26 22:16:31 | PTAの記録
こないだあった長女ユーの卒業式で、ボクはPTA会長の祝辞で、自作の『詩』を読んだ。

『心の望遠鏡』
                               
夢や希望は 無いよりあったほうが たぶん いい
わかってるさ
だけど 夢や希望を見つけるには どうすればいいんだろう

知ってるよ 君たちが 特別な望遠鏡を 持っていることを
知ってるよ 君たちが 今まで大事にしまっていたことを

さぁ 取り出そう その望遠鏡を 今がそのときだ
覗いてみよう 何が見えるだろう
たぶんまだ なんにも見えないだろう
望遠鏡が 壊れてるってことじゃぁない
レンズが曇ってるってだけなんだ

さぁ 磨こう そのレンズを 今から磨こう
覗いてみよう 何かが少し見えるだろう
ぼんやりと 何かが見えるだろう
レンズを磨く 真剣にやるってことなんだ
本気でするってことなんだ マジだぜ

さぁ 磨こう そのレンズを みんなで磨こう
覗いてみよう 何かがはっきり見えるだろう
夢や希望が見えるだろう
みんなで磨く それが友情ってやつなんだ
支え合うってことなんだ


夢や希望は 無いよりあったほうが たぶん いい
わかってるさ
だけど 夢や希望を実現するには どうすればいいんだろう

知ってるよ 君たちが 特別な望遠鏡で 見つけていることを
知ってるよ 君たちが それを手離してはいけないことを

さぁ 見定めよう その望遠鏡で さぁ進もう その夢に向かって

道のりは平坦じゃぁない

悔しさの涙で 歪んで見えることもあるだろう
そのときは 涙が枯れるまで泣けばいい
怯え震えて 見失いそうになることもあるだろう
そのときは 誰かがきっと支えてくれる
苦しすぎて 目をそらしたくなることもあるだろう
そのときは 空を見上げて遠くの友を思い出そう

険しい山や酷い嵐にだって遭うだろう
干からびた大地や汚れた川も渡るだろう
疲れ果てて 漆黒の暗闇に独りになることだってあるだろう
そのときは 光りが差すまで待てばいい 暗闇も悪くない

だけど 絶対 手離しちゃぁいけない
特別な望遠鏡
大事な望遠鏡
夢への望遠鏡
心の望遠鏡

愛してる ありがとう

平成19年3月22日
熊本市立SGH小学校 PTA会長 hiratakuwa
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『オールA』はスゴイのか

2007-03-23 22:35:43 | 子供の記録
古い人間は、通知表の『オール5』ってのはスゴイことだと思う。
だけど、最近の小学校の通知表ってのは1教科毎の5段階評価ではなく、1教科ごとに3~5項目の3段階評価があって、それを総合評価したA~Cの3段階評価になっているから、全教科で『A』というのがホントにスゴイことかどうかワカンナイけど、やっぱり『オールA』っていうのはスゴイことなのかもしんない。

次女のホースケは、明日はダンスの発表ということで、リハーサルのために県立劇場にカミさんと出掛けていたワケだけど、テーブルに置いてあったホースケの通知表を見て、ボクは激しくビックリしてしまった。のけぞってイナバウアーをしそうになった。
なんでかっていうと『オールA』だったからだ。

次女のホースケは、我が家で一番食いしん坊で一番よく寝る子供で、胃腸炎以外で吐いたことが無いってのがカミさんと共通するホースケの第一印象だ。ホースケの好物はイクラで、好きなニオイは芋焼酎のお湯割りの香りなのだ。ハッキシ言って、ワケワカランおばちゃん予備軍みたいなオンナのコなのだ。そして、リョー坊の良きケンカ相手なのだ。

ハッキシ言って末恐ろしい。彼女の夢は、海外線のスチュワーデスになって、世界中のおいしい物を食うことだそうだ。それも悪くないだろう。

だけど、頼むから、これ以上ボクの焼酎を、オイシイからと言って、一口すすりをするのはヤメテクレ!。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インフルエンザで幻覚は見るか

2007-03-23 12:40:26 | 雑談の記録
昨日は長女ユーの卒業式でボクはPTA会長として祝辞を話したり,そのことはあらためて記録するワケだけど,昨日は会社を休んでいて天気も良かったから,午後からの謝恩会は途中で抜け出してリョー坊と連れだってサワガニ捕りに行った。野球以外で二人で遊んだのがいつのことだかもう思い出せないけど,やっぱり自然の中で子供と遊ぶってぇのはスゴク楽しいもんだ。

夕方,家に戻ってからは,リトルで理事をやってる三島よしゆき市議の2期目挑戦の総決起大会に行ったんだけど,応援演説に立った倉重県議の話しの中で,熊本にもう一つ野球場を作るという政策で三島市議とは共闘したいっていう一説が聞けて,ボクはヤッタァーって思ったりした。んで,さらに自民党の地元国会議員を代表して友人の木原君も来てたんで,そのことは,ボクからも「よろしく頼む」ってお願いができた。

決起大会の片付けを手伝って,帰路についたのは9時過ぎだった。昨日は,近所のワンドロップってカフェで東田君のライブがあってたから,それにも行きたかったワケだけど,仕事や祝辞の準備で寝不足だったから,そのライブには行けなかった。以前みたいに体力が続かなくなったなぁって,つくづく思った。

ま,それはさておき,卒業式会場での世間話で聞いた,インフルエンザに罹った子供の異常行動?について記録しておきたいと思う。

罹患者は小4の女子。
話題のタミフルは服用なし。
夜半に,突然,ゲラゲラ狂ったように笑いだし,それが5分程度続いたとのこと。
しばらくして,意識を取り戻したそうだが,その笑っていた記憶はないとのこと。
ただし,その時に,桜の花びらをテレビに投げつけいたお兄ちゃんを見ていた(実際には,お兄ちゃんはその場にいたなかった)とのこと。

インフルエンザのことだから,さもありなんと思ったワケだけど,さっきネットで調べたら,こんなのが見つかった。

インフルエンザによると思われる異常行動例
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野球バカの流儀

2007-03-20 00:05:06 | リトルリーガーの記録
先週の土曜日は、町内の子ども会主催の『お別れ会』ってことで、リョー坊の野球の練習は午前で切り上げた。
実は、うちのカミさん、今年は子ども会の会長をやってて、お別れ会は熊本ミュージックアーティスト(KMA)によるミニコンサートを企画してたんだ。カミさんは、KMAの大ファンで、これまで何度もコンサートを観にいってるんだ。なんだか、職権乱用的な企画で、学校のランチルームなんかを借りて教頭先生に随分ムリなお願いをしたらしい。
ボクは記録役でビデオ撮影をやらされた。しかし、やっぱり弦楽器のナマはいいねぇ。
床に座って、尻で聴くのがいいんだねぇ~。

ま、それはさておき、リョー坊が入っているリトルリーグには、うちの学校の6年生二人が所属している。そのうちの一人のOKM君は、チーム内の6年生約20人の中で、最も体が小さくやせっぽちんなんだ。リトルが終わってシニアに上がってもレギュラーは非常に難しい状況だとボクは感じている(他が小学生離れしたスゴイ選手ばっかしだから)。そして、OKM君はうちのすぐ近所に住んでいる。
子ども会のお別れ会には、OKM君は来なかった。もちろん野球の練習に行っていたからだ。
お別れ会では、6年生全員にデイジー(花)が配られたんだけど、出席できなかった子には近所の子が渡すってことになってて、OKM君にはリョー坊が渡すことになったみたいだった。

夕刻、ボクとリョー坊はOKM君の家に行った。玄関でリョー坊がインターホンのブザーを押した。玄関のドアを開けたのは、OKM君のお母さんで、お母さんは家の中に向かってOKM君を呼んだ。
玄関に出てきたOKM君に、リョー坊は「卒業おめでとうございます。お祝いの花です。」と言って、一輪の花を手渡した。
ボクはそれを見届けると、「さ、帰ろうか」って声を掛けようとしたけど、リョー坊にはその気配がマッタク無かった。
リョー坊は、OKM君をじっと見つめていた。
そして、リョー坊は言った。
「これからも、野球、頑張って下さい」一礼付きだった。

そして、そのとき、ボクは初めて分かったんだ。
リョー坊が、普段殆ど着ないだっぼだぼのチームのグランドコートを着ていた理由を。

そして、リョー坊は知っていたんだと思う。
OKM君がチームに入ってから、殆ど毎日のように自主トレで、夜にランニングをしていることを。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

就活、ご苦労さまです

2007-03-18 23:04:37 | 雑談の記録
来春卒業予定の学生諸君は、既に就職活動で大変なことと思う。
大手企業では採用人数が増るってことだけど、やっぱり就職活動ってのは、本人にとっては一大事だと思う。


今日は、お昼からS高校(第30回選抜高校野球優勝校)同窓会青年会主催の就職相談会に行ってきた。その相談会は、来春卒業予定の学生諸君に対して、就職に関するよろず相談ってかんじの会だった。
ボクは、この会に関しては前知識ゼロだった。同級生のHND君が、青年会の副会長をやっていて、彼から3月18日は時間を空けとけって言われていたから、空けといた(ホントはリョー坊の野球に行きたかった)だけなんだ。
んで、その会場に行ったんだけど、相談員は30~40代の約30人の多士済々だった。相談会のしょっぱなは、相談員の自己紹介で各人の持ち時間は約2分だった。相談員のみんなは、各職場で間違いなく活躍しているような立派な人物ばっかりで、ボクは彼らの話を聞いただけで胸が一杯になってしまった。だって、みんな本当に立派なんだもんなぁ。
ボクの番になった。
ボクは、元々、資源探査の仕事をやっていて、その仕事に就くことが夢だったこと。だけど、途中で鬱病になって止む無く熊本に戻って、アルバイトから今の仕事を見つけて、今は元気にやってるって話しをした。そして、最近の悩みは、来期のPTAの役員がまだ決まっていないこと、そして、午前中は、役員の候補に挙がっているお宅を3軒ばっかり訪問してくたびれていますって話しをした。
その自己紹介が良かったのかどうかわからないけど、相談の時間になってから、学生諸君から、どのようにしてその病気を克服したんですかって聞かれたし、スゴイですねって言われた。
ボクは、克服したつもりなんてマッタクないし、それがスゴイなんて思ったこともないから、答えようが無くって「ウ~ん」ってしか言えなかった。

それを訊いてきたのはギャル風の二人の学生だったんだけど、彼女たちは、悩んでいた。悩んでばかりいる自分のことに悩んでいた。
彼女たちは、一度、大学受験に失敗して浪人したことがコンプレックスみたいだった。2度目の受験のときは、もう失敗したくないって思って、それほど望んだ大学ではないところに進学したとのことだった(一人は国立大、一人は県立大)。そんなアヤフヤな自分に悩んでるし、特に、ナニカしたいものがあるわけではないってことが、最大の悩みみたいだった。

ボクはアドバイスできる言葉を一生懸命探したけどそれは見つからなかった。
そのかわり、来期、うちの学校でPTAの会長を引き受けてくれる女性(YKYさん)の話しをした。

YKYさんは、高校受験に失敗して、第一志望のS高校に落ちてしまって、隣の女子高に通うことになったんだけど、その学校とはマッタク肌が合わなかったそうだ。受かっていれば、窓の向こうに見えるS高校に行けたんだって3年間思い続けていたそうだ。
だから高校時代は猛勉強したそうだ。大学は理学部の物理学科を卒業して、そのまま研究職に就きたかったそうだけどポストが無くって、親の反対もあって、結局、地元で教職を目指したそうだ。だけど、熊本ってのはホントにヘンなところで、教職に就くためには、地元の進学高校を卒業してなくちゃならないっていう暗黙の了解みたいなものがまかり通っていて(たぶん、殆どホントーだと思う)、それも難しかったそうだ。結局は、大手IT企業に設計技師として就職できたわけだけど、やっぱり、高校受験に失敗したことが、いろんな意味において、自分の人生に大きく作用してるようだってことだった。

こんなことを話して良かったのかどうか分からなかったけど、他にもいろんな話しをしたけど、彼女たちは席を立つ前に、元気よく「私たち、頑張ります!」って言ったから良かったのかな。

就職活動中のみなさん、頑張って下さい!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネコナデ声

2007-03-12 23:27:32 | リトルリーガーの記録
去年の今頃、リョー坊は自転車にも乗れなかった。正確に言えば、みんなが自転車に乗っていても、自分は走ればいいと思っていて、自転車に乗る必要性をマッタク感じていなかったといことなんだ。だけど、保育園の最後のイベントが自転車ツーリングで、そのイベントまでには乗れるようになっておかなくちゃなんなくて、昨年の今頃、自転車の猛特訓をしたんだった。

特訓を始めて2時間後には乗れるようになったけど、膝、スネ、手の平はズル剥けになった。もちろん泣きながらの特訓だった。大げさかもしんないけど、そのときボクは鬼になった。

「どんなことがあっても今日乗れるようになろう」って、二人で約束してから特訓を始めたんだった。

練習を始めて、すぐに転んでケガをして泣き出した。
だけど、リョー坊は諦めなかった。よく頑張った。

自転車に乗れるようになって、春先は、いろんなところに遊びに行った。だいたいがサワガニ採りや魚釣りだったけど、まさか1年後に、リョー坊と野球の練習をやってるなんてそのときは夢にも思っていなかった。


今日、ゴロ捕りの練習で、リョー坊が泣き出した。
「おとーさん、ムリ~」って。

だんだんゴロのスピードを上げていったんだけど、体にボコボコ当たりだして、それから腰が引けたような状態になったんだ。
「ぬしゃぁ~、しっかりせんやぁ~」。グランドにボクの声が響いた。
ボールが当たったところに手を当てて、そりゃぁもう痛そうで、息もずいぶん上がってたけど、ここが踏ん張りどころかもしれんって思ったのだった。
気合を入れると、リョー坊のプレイが甦ったように良くなった。
まだイケるかもしれんと思ったボクは、
「おっしゃぁ~、もっと強いの行ぐぞ~」
リョー坊は、ソレをひらりとよけると、後ろに転がっていったボールを拾いに行った。
ボールを拾うと練習着の袖で顔を拭い始めた。そして、ボクに向き直ると、「おどーざん、づよいのムリィ~」って、泣き声だった。

あちゃぁ~、泣かしてしまったぁ~。やりすぎたぁ~。

「ちょっと早すぎたねぇ~、ゴメンゴメン、ゴメンヨォ~、リョー坊」
ボクは、頭ナデナデ・ナデ声作戦をするしかなかった。



寝る時間になって、リョー坊が言ってきた。
「おとーさん、マッサージしてぇ~」ネコナデ声だった。
リョー坊は、マッサージされながら眠ってしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10年後5年後

2007-03-11 22:39:04 | リトルリーガーの記録
10年後、プロ野球や大リーグでは一体どんな選手が活躍しているんだろう。



こないだ、リトルリーグに来ているオヤジたちと飲んでいるとき、そんなことが話題になって、笑われるかもしんないと思ったけど、ボクはこんなことを言った。

「右投げ左投げ右打ち左打ちの選手が出てくると思うなぁ。スゴイピッチャーは、対戦するバッターに合わせて、投げ手を変えたりして、バッターは局面毎にバッターボックスを選ぶのがフツーになるんじゃぁないのかなぁって」

この話しをした当初、オヤジたちはキョトンとした顔になったけど、各人の記憶にある野球の進化や記録について思案したような間がしばらくあったあと、みんな「そうかもしれん」って表情になったのが、なんだかスゴク嬉しかった。

だけど・・・・

うちのリトルリーグで、No.1エースでNo.1スラッガーのAR君は、右投げ左打ちで球速120キロ、飛距離100mの三桁選手で、6人兄弟の第4子だ。AR君のオヤジは、大手化学メーカーの技術屋で、もとヤリ投げの選手で、首が野太いのが特徴だ。悩みは「ムスコの野球バカさ加減」。
AR君の野球バカさ加減については別の機会にゆずるんだけど、この前、ARオヤジさんが第6子の小2のムスコ(右投げ)とキャッチボールをしていたとき、オヤジさんは、右利き用のグラブを右手にはめて、左手でボールを投げていた。

「なぁんだ~、ARさんって、左投げだったんすかぁ~」ボク。
「うんにゃぁ~、ちがう、ちがう、練習たい、れんしゅう」ARオヤジさん。
「??、いやぁ~、意味んようワカランでぇす」ボク。
「いやぁ、最近は、ほー、ムスコとすっときは、左だんね~」ARオヤジさん。
「?????」ボク。
「いやぁ~、オレとすっときはですね、アイツは左で投げよっとですよ今は。左でも投げよごたって言いよっとですタイ」

「!」ボク。

「ん~、ま~だ、子供にゃぁ~負けられんでっしょがぁ。」ARオヤジさん。

ARオヤジさんの野球バカさ加減が、ボクの悩みになりそうだ!。

ちなみに、チームには、右投げ左投げ右打ち左打ちの選手がもう一人いた!。

ということで、
「右投げ左投げ右打ち左打ちの選手が出てくると思うなぁ。スゴイピッチャーは、対戦するバッターに合わせて、投げ手を変えたりして、バッターは局面毎にバッターボックスを選ぶのがフツーになるんじゃぁないのかなぁって」→5年後!?。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入会式

2007-03-09 21:49:49 | PTAの記録
最近の中学生って、以外とリアクションがいいんだねぇ~。ビックリしたぁ~!。



実は、昨日の昼休み、鼻水に関する記録をしていたら、H町中学校の校長先生から突然電話がかかってきたんだ。先生は、友達伝いにボクのケイタイ番号を知ったということを話したあと、ある頼みごとをしてきたんだ。

それで、今日、その頼みごとを果たすべく、仕事をコソっと抜け出すと、H中学校の体育館に行ったんだ。定刻より遅れて着いたんだけど、そこでは厳かな雰囲気で同窓会の入会式が始まっていた。

式次第には『同窓会長挨拶』とか書いてあった。
ボク、会長じゃぁないんだけど・・・ま、いっか、どうでもと思った・・・。

ボクは登壇すると、深々お辞儀をしたんだけど、教頭先生の「気を付け、礼」っていう号令と全くタイミングが合わなくて、失笑を買ってしまった。

そして、その笑いが終わらないうちに挨拶を始めた。


今日は,本校同窓会の会長さんがどうしても出席ができないということで,代理でやって参りました本校第2回の卒業生のhiratakuwaといいます。

はじめまして,こんにちは。ざっくばらんに話しま~す。花粉症でヒドイ鼻声でスミマセン。
(クスクス)

実は,昨日のお昼のことなんですが,突然、校長先生からお電話を頂いて,今日の同窓会入会案内の件をよろしく頼むって頼まれてしまったんですね~。忙しいのにねぇ,こまったもんですよ~。

校長先生は,オジサンがここの生徒だったころ,理科の先生をやっていて,ボクは直接ならったことはなかったけど,センセイはオジサンのことを憶えてらしたんですね~。スゴイですねぇ~、だけど校長センセイは昔から,あのくらいの背の高さで小さかったですねぇ。ちょっと大きくなったかなぁ。前からあんなもんだったかなぁ。
(ややウケ)

ま,そんな冗談はさておいて,すこし,時間を下さい。
君達には関係ないことかもしれないけど,ちょっとだけ昔話をさせて下さい。

オジサンがこの学校に入学したころ,ここには校舎はありませんでした。
お隣のN丘中学校のグランドに急遽建てられたプレハブ校舎に押し込まれたんです。
当時は校内暴力みたいのが流行っていて,「こえぇ~」って思いながら,N丘中の上級生とは接触がないように気をつけていたのを思い出しますねぇ。
2年生になって,ようやく,ここに通学できるようになったんだけど,グランドから不発弾が出てきたりして,やっぱり「お~こぇ~」って思いながら,不発弾処理を遠くから眺めたのを思い出すなぁ~。
(へ~、ってかんじ)

ところで,唐突に、話はかわるんだけど,オジサンは学校がキライでキライで仕方がなかったです。
実は,卒業して間もなくのことだけど,卒業アルバムってあるじゃないですか~,アレを捨てちゃったくらいキライで,この学校にいた事実や記憶を記録から抹殺したかったんだなぁ~。
(なぜか、ここで爆笑!)

なぁんで,そんなにキライだったかっていうと,センセイたちが,っもう,大キライで仕方がなかったからなんだなぁ。

エピソードを一つだけ,お話ししときたいと思います。
実は,オジサン,ここの学校にいたころ,生徒会で副会長かなんかやってて,文化祭の実行委員長をやったことがあるんだ。んで,そのときに,ステージ発表でモノマネ大会かなんかそんな下らんものを企画したんじゃなかったかなぁ。でも,残念ながら,それが実行できたかどうか,今は,もうスッカリ記憶にはないんだけど,そのステージ発表が終わったあとに『事件』は起こったんです。
(エッ!ナニナニ)


ステージが終わってね,みんな楽しい気分で教室に戻ったんだ。するとね,生活指導の先生の声で,突然,校内放送が始まったんだ。
「今から,名前を呼ばれた物~,職員室へ来なさい」って,冷たい声でねぇ~。
クラスの仲のいい友達の名前が順番に呼ばれるんだ~。
そして名前を呼ばれた友達は,大事なものがなくなっていることに気がつくんだ。
みんなで顔を見合わせると「ヤラレタ」って表情になるんだ。
大事なものと言っても,学校に持ってくるべきじゃない雑誌やマンガやゲームだったと思うんだけど,ボクらがステージを楽しんでる間に,センセイたちは勝手に持ち物検査をやってたってことなんだ。
今じゃぁ,そういう行為はプライバシーの侵害だってワメきちらせる時代だけど,そのときに呼ばれた友達は,カーテンで仕切られた部屋で先生たちにボコボコにされたんだねぇ。そういう時代だったんだねぇ。
(エ~!マジデ~、シンジラレナ~イ!)

オジサンはそのとき,自分が企画した文化祭を台無しにされたことや,センセイたちのそんな卑劣な行為がものすごくショックで,まぁ,それは逆恨みってことになるんだろうけど,それから学校の先生と口をきくのをヤメにしたように思うなぁ。そして,卒業するまで学校に対してカゲでいろんな復讐をしたな~。まぁ復讐といっても、だいたいが器物破損だったかなぁ~。
(爆笑)
その復讐に関してはあやまらなくちゃいかんなぁって思ってたから謝ります。・・・・・センセイごめんなさい。
(大爆笑)

ま,そういうワケで,卒業式んときは嬉しくて嬉しくて,だけどキライなセンセイにはばっちし仕返して,卒業したんだなぁ。
(エ~ッ!?)

ま,そんなこんなでねぇ,こんな学校キライだったオジサンがなんでこんなところにいるかっていうと・・・・・,

実は,オジサン,SH小学校で今,PTAの会長をやってるんだけど,ある会合でばったり校長先生と会う機会があって,そのときに,先生はオジサンのことを憶えていてくれたんだねぇ。それで,そのとき,先生と文化祭の話しになって,文化祭のことで先生たちは夜遅くまで会議をやってたって話しを聞かされてねぇ~。先生たちは先生たちでスゴク悩んでたんだねぇ。

オジサンは,学校キライが高じて,住んでる町もキライで,ま,家庭の事情もあったけど,熊本を出たくて出たくて,高校を卒業してからは,熊本をずっと離れてたんだ。だけど,チョッピリ頑張り過ぎたみたいで,あるとき,鬱病っていうやっかいな頭の病気になっちゃって,(ここでも爆笑)30歳のときに療養のために熊本に戻ってきたんだ。今はすっかりよくなったけど,地元に戻ってきたら,懐かしい面々とあうことができたんだぁ。あるヤツは床屋のオヤジ,あるヤツは水道設備のオヤジ,動物園に子供を連れて行ったら,象の飼育担当が友達だったり,はたまた,病院に行って点滴の注射を打ってくれた美人の看護婦さんが部活の先輩だったり,PTAをやってるから保護者のなかに知ってる女の子がいたり、おばちゃんばっかりなんだけどね(ここでもウケた)そんな具合なんだぁ。

まぁ,君達の学校生活がどんなもんだったかっていうのは,ハッキリ言って,オジサンには、マッタク,ワカンナイし,君達がこれからどうなるかも,マッタク,ワカンナイです。

だけど,君達がこの学校を卒業するっていう事実には違いないわけで,その繋がりっていうのが,時と場合によって君達の人生にとって,非常に重要な意味を持つことがあるっていうのも,これまた事実じゃぁないんでしょうか。
今,オジサンがここで喋ってるってことがそういうことなのかもしんないです。
(ウン、ウン、ソーカモ)

校長先生から伺ったことによれば,この中学校を巣立った人々は約6000人だそうです。それが多いのか少ないのかオジサンにはよくワカンナイですが,これら全ての人が同窓会に入会してます。
入会金は500円です。一回こっきりの支払いになっております。
支払われたお金は,10周年とか20周年とかの記念事業で,学校のために有効に使われています。ホントーです。
どうか,ご入会のほど,よろしくお願い申し上げます。

最後になりますが,みなさんに卒業のお祝いを申し上げて終わりの挨拶に代えさて頂きます。

みなさん,卒業,おめでとうございます。

以上!。




最後は、先生の号令に合わせてちゃんとお辞儀をすることができた。

ステージを降りるとき、自然に拍手がワーって沸いきて、前に座っている子たちがお辞儀をしてくれた。

ボクは鼻水が垂れてないかスゴク気になってしまった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノーキャーッチッ!?ナイスキャーッチッ!?

2007-03-08 13:25:46 | 雑談の記録
ボクは仕事で山ん中に入っていくことが多い。遊びで行くこともしばしば。
この時期,山火事じゃないかと勘違いするほどのヒドイ花粉煙を何度も見たことがある。

そんな花粉煙を見て,以前は「この林,ゼツリン!」なぁんてくだらんオヤジギャグをかませながら,そんな林や森へ突入していた。

けど今思えば,それって,相当量の花粉被爆だったのかもしんない。体内の被爆粉量が許容値を超えた結果が,昨今の我が身のような気がする。




いつも子供達が世話になってる耳鼻科へ行った。

先生は「お子さんたちは,誰もなってませんよねぇ,ちょっと鼻水を調べるんで・・」と言って,嬉しそうに,細長~い綿棒みたいなものをボクの右のハナの奥に突っ込んだ。

『ブェフッ!』。
先生の顔面に向けてぶちまけてしまった。
センセイ,ゴメンゴメン。

1回目の検査では,花粉症患者に特有の『好酸球:こうさんきゅう』って名前の白血球は見出されなかった。ボクは「こうさんきゅう」と聞いて,好返球をしている白血球を想像してなんだか楽しくなってニヤけてしまった。
再検査になった。
看護婦さんから油紙みたいな表面がツルツルした紙を渡されて,これに鼻水をつけて下さいって言われた。どうやってつけたらいいんだろうってモジモジしてたら,「フツーに鼻をかむようにすればいいですよ」って言われたんで,ボクはフツーにやってみた。

そのツルツル紙には,溢れんばかりのハナミズがとれた。
だけど,その紙は吸収力がゼロだから,ハナミズは重力方向へ流れていく。
とうとう紙のフチにやってきて,ボクは,流出防止のためのオットット動作を連発しなくちゃいけなかった。オットット動作もむなしく,とうとう,ハナミズは落下状態に・・,ハナミズは重力に抗って自前の粘性をフルに発揮させ,伸びる伸びーる状態に・・。

看護婦さんは慌てふためいてティッシュペーパーを落下地点に・・・。

ノーキャーッチッ!? ナイスキャーッチッ!?

”ピト”

ハナミズは看護婦さんの素手に付着してしまったのだった。

看護婦さん,ゴメ~ン!。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花粉症にも負ケズ

2007-03-07 22:03:33 | リトルリーガーの記録
やっぱり花粉症かもしんない。
納品ってことで2時間半ほど建物ん中で喋りまくってた以外は、移動や現場で外にいたんだけど、今日のボクは、『くしゃみ大王ハナミズン』だった。
運転中に、クシャミがとまんなくなって、くしゃみの飛沫でハンドルがネットリするほどだった。
家に帰って、ソッコーでフロに入って、なんとか、普段の自分を取り戻したのも束の間、リョー坊のバッセンに付き合うために外へ出たとたん『泣き虫大王ナミダン』になってしまった。
顔面を丸ごと交換したい気分なのだ。マッタク酷いもんなのだ。実は、こんなのが、2月中旬から続いているのだ。先週はデスクワークが殆どだったから、あんまし気にならなかったけど、今日は酷い、酷すぎる。誰かなんとかしてくれ~!。

まぁいい、まぁいい、仕方がない、噂によれば松井選手だって花粉症なのだ。それでヨシとしよう。

っということで、話しかわって、野球バカのバカっぷりを記録しておこうと思う。

今日は、週に一度のバッセンデーだった。

100km/hブース1回目。
高めのタマが多すぎて空振りが目立つ。
ブースから出てくると、高めのボールが多過ぎるとご立腹。

100km/hブース低めに調整してもらって2回目。
たいして点数は上がらず。
ブースから出てくると、低めのボールが多すぎるとご立腹。
「オマエがヘタッピだけんた!」って言いたかったけど、ガマンした。
そのかわり「自分で、調整ば頼んでけぇッ!」って言い放った。
「・・・・、さっきよりは・・・いいタマ・・・多かった・・・」。

100km/hブース3回目。
ちょっと点数上昇。
しかし、全然、納得できない様子。
「もう、帰るか」。
「まだ、帰らん」。
「どぎゃんすっとや」
「あっち」80km/hのブースを指差す。

本日4回目 80km/hブース。
ホームランを3個たたき出し、小学生の上位20以内に入る点数だった。
満足なくせして「イマイチだったなぁ」とか大げさに言いながらブースから出てきやがった。
「ぬしゃなんばいいよっとや、さっきまでのブスクレはなんだったとやっ」ってツッコミ入れたくなった。

スコアシートを係りのおねぇちゃんに渡したとき、おねぇちゃんは「1年生だったとぉ!」と言って目をクリクリさせて驚いていた。

そして、リョー坊は、16番目くらいのところに自分の名前が書かれるのをじっと見ていたのだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野球バカもいいかげんにして!

2007-03-06 23:03:40 | リトルリーガーの記録
昨日は、仕事を早々と終わらせて6時過ぎに帰宅したのだ。なんでかっていうと、今月(昨日)から再開したキッズソフトボールの練習に連れていく約束をしていたからなのだ。

家に帰ると、リョー坊は既に練習着に着替えていてヤル気1000%。一方、カミさんは、調子が悪いとか言って、ソファにうずくまってた。そんなワケで、簡単な晩飯(おにぎり)を済ませて、ボクら二人はS木小学校のグランドに向かったのだ。

到着時刻は7時ちょい過ぎ。照明の点灯時刻は7:30~って決まってるから、到着したときのグランドは真っ暗だった。だけど、その真っ暗なグランドでボクらはイソイソと体操→アップを始めた。アップの途中に「カタン、カタン、カタン」って渇いた音とともに照明に明かりが灯って、グランドが一気に姿を現した。ボクとリョー坊は「おーーー」とか言って素直に感動した。

アップは入念にやった。リョー坊は、いつもリトルでやってるアップを実践し、それをボクにも強要するのだった。約30分、みっちりやった。アップが終わったころ、ボクはもうゼーゼーハーハーで汗が噴き出していた。いつもの「もう、帰りたい」がボクの心からも噴き出そうとしていた。

グランドには、昨年からコーチをしてもらっていたMハラさんが来ていた。4ヶ月ぶりの再開で、「頑張ってますねぇ」って声を掛けられた。そこで、ボクとリョー坊は間髪入れずにある相談をしたのだった。

実は、ここのキッズ・ソフトで練習することについて、ボクらは悩んでいたのだ。
なんでかっていうと、周りの人の多くがソフトボールをやらせることには反対だったからなんだ。せっかく硬式ボールで野球をやっているから、違うボールを使うのはいかがなものかってことだったんだ。肩を壊すリスクが高くなるっていう話しもあった。チームの監督にも相談したんだけど、硬式野球を続けるのであれば、できれば違うボールで練習することは避けて欲しいとのことだった。

だけど、ここのキッズ・ソフトの練習がリョー坊にとって、ある意味、野球の出発点となっていて、それと同時に、この照明の灯ったグランドでボールを追いかけることをリョー坊はずっと楽しみにしていたのだ。

そこで、ボクらが出した結論は、「ここで硬式ボールを使った練習をさせて下さい」ってお願いしてみることだったのだ。

実は、ここのキッズ・ソフト、名前ばかりで、キッズは殆ど来ていないのだ。真面目に毎回練習しに来てるのは中学生の女子2人、年配の男女一人ずつってアンバイなのだ。

Mハラコーチは・・・快諾してくれた。

ボクらは「よかったなぁ、やったなぁ、頼んでみるもんだなぁ」なんて言いながら、車に戻ると硬式ボール11コとバット2本を運び出したのだった。

そして、キャッチボールをやってぇ、それからロングティーをやってぇ、ノックをした。

ロングティーのときは、Mハラコーチとこのキッズ・ソフトを主宰しているスポーツNPO理事のK川さんが守備についてくれた。

ノックは、ボクがもちろんノッカー役なのだ。左手にグローブ、右手にバットで頑張ってみた。なんで左手にグローブかっていうと、返球を受けなくちゃいけないからだ。そして、そのままトスしてバットで打つって具合なのだ。この方法でヤレって命令したのはもちろんリョー坊だ。
ボクはあっという間に右腕がヘロヘロになって、ウマイ具合に打てなくなってしまった。だけど、そんなことがリョー坊にバレたら大変なことになるんで、「今日は、このくらいにしとこー」なんてテキトーなこと言って難を逃れた。

まだ時間があった。
「次は、なんがしたいとや」って訊いてみた。
ニコニコしながら「べーらん」って答えが帰ってきた。

ボクらのノックの終了を待っていたかのように、女性がピッチングの練習を始めていた。一塁方向には一塁ベースがあった。

「う~ん、じゃぁさぁ、オマエ、バッターボックスに入って、打ったつもりで走れば」って提案してみた。リョー坊は「わかった」って言うと、左バッターボックスに駆けて行った。

ボクはその旨を女性に頼むと、快く「いいですよ」って返事が戻ってきた。

しばらく『打ったつもりベーラン』が続いたあと、『打ってベーラン』に内容が変わった。

ボクがセカンド、K川理事がファーストに入った。

何回か一塁アウトを奪ってやると、リョー坊はショート側の左方向に打ち始めた。ボクが追いつけないのをいいことに、勝手にランニングホームランなんてしやがった。しまいにゃぁ、セーフティーバントなんかやりだして、もう、やりたい放題になってしまった。

こりゃぁマズイことになったと思って、ボクはリョー坊にダメ出しすると、女性と理事とキャッチャーの老人に「スミマセン」って頭を下げた。すると、リョー坊は、さっと帽子を脱ぐと野球語で「ありがとう#☆П!シタッ」ってボクより深々と頭を下げやがって、ボク的にはその姿は点数稼ぎの態度にしか見えなかったけど、それはなかなか好印象だったみたいだ。

そんなワケで、昨日は、リョー坊オンステージ状態の練習?だったんだけど、家に帰ると、カミさんは既にフトンに入っていた。

39.8度の高熱を出してたのだ!!。

ヤバイ!。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立てちゃダメ

2007-03-05 16:39:40 | リトルリーガーの記録
先週はずっと忙しくて記録どころじゃなかったんだ。
一日十何時間も液晶モニタとニラメッコして,家に帰ってから,さらに,記録のためにPCとニラメッコするなんて,そんなのイヤだったのだ。ごはん食べて「もう,寝る,プンプン(なんだか怒)」ってかんじで,フトンにもぐってた一週間だったのだ。家族とも殆ど交流なしだった。

ま,それはさておき,先週末は,審判講習会を受けに一泊二日で八代へ行ったわけだけど,2日目は朝から雨の中の受講で,鼻水をだらだら垂れ流しながら「もう,帰りたい,帰してッ,お願いッ!」って何度も心の中で叫んでたんだんだけど,ちゃんと最後まで立派に受講してきたのだ。

恥ずかしい話しだけど,受講して初めて知ったことは,アウトのときに親指を立てたらダメってことだった。ジェスチャー練習のときに,思いっきり「アウトー」とか叫んで素人丸出しで親指を突き出したら,指導部の人に「親指は立てないように」って厳重注意された。だけど,そのあとも何度か親指が勝手に立っちゃて,その度に「オヤユビ,オヤユビ,・・・グーです,グー」って注意されちゃったのだ。それから,「アウト」って言うときは,「アウト~」ってトをのばさないようにって注意された。カッコいい言い方は「ア゛ウッ」ってかんじらしい(よ~わからんけど・・)。

そんなワケで,チームからは6人のオヤジが参加してたんだけど,受講の終わり頃になると,「来週は,紅白戦をやってもらって,こりゃぁ,復習ばせんといかんねぇ」なぁんて,みんな,やる気120%になってた。

んで,週末土曜の練習では,ホントに紅白戦ってことになって,受講したオヤジたちの審判デビューに相成ったワケなのだ。

最初に主審を務めたのはTDKオヤジさんだった。TDKオヤジさんは,先週の受講で主に主審の勉強をしていて,やる気十分で,紅白戦が始まる30分前からプロテクター類をガチャガチャ付けてたんだけど,試合間際になって,その一部は選手用のキャッチャーレガースだったことが判ったりして,みんなの爆笑を誘ったのだった。
ボクはファーストの塁審で「オヤユビ立てちゃいかん,立てちゃダメだ」って思って頑張ったけど,やっぱり少し立てしまった。

ところで,その紅白戦でピー君ことうちのリョー坊は,白組の9番ライトで出場させてもらった。2打席連続三振で,そりゃぁもう悔しかったみたいで,三振したことは家のみんなには内緒にしてくれってボクに頼んだのだった。だけど,守備では,ちゃんとゴロを捕ってセカンドにノーバンで返球したから大したもんだった。それは,ほんとに嬉しかったみたいで,「今日のラッキーだったこと」にノーエラーを挙げていたのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする