1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

嘆願

2010-03-31 22:09:50 | 雑談の記録
本来なら、野球大会が終わったあとだから、野球のことを記録すべきなのかもしれません。

ですが、このブログは、あくまでボクのバカ記録、ご了承下さい。

さて、本日を持って2009年度が終了しました。

結論を記録します。

「ボクを褒めます」


5月に母校(S高校)の大同窓会。

8月に友人の衆議院選挙。

1月に中学の学年同窓会。

3月末に野球大会。

おまけに?仕事のこと、家族のこと。

全てに全力を尽くしました。

結果はボクの子供達が出してくれました。

子供に、頑張れと言うのは容易いこと。
だけど、ホントに子供に頑張ってもらうことは難しいことと思います。

頑張ることの大切さ、それを理解してもらい、さらに、実践してもらうこと。
その方法に回答はないのかもしれません。

ですが、昔から「子は親の背中を見て育つ」と言う言葉があるとおり、ボクはその言葉を信じ、ボクはボクのことを頑張ったに過ぎません。

しかし、ボクが頑張ることが出来たというのは、両親が元気で、カミさんが健康で、ボクのことを支えてくれていたからなんです。

本当に感謝しています。




ボクはいつか灰になります。

勝手でバカなボクですが、そのときまで、そのときが来るまで、見守っていて下さい。

これからも、どうぞ宜しくお願いいたします。
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涙の理由

2010-03-29 12:33:07 | 雑談の記録
大会の全日程が終了し、会場のグランドを後にしたとき、車内のデジタル時計は5:00を示していた。

国道57号線に出で、市内方面に車を向けると、やや日焼けした顔に西日が眩しかった。

助手席にはカミさんがいた。

誰かが気を利かせて載せてくれたのだろう。

後部シートには、優勝の賞状とトロフィー。

車内にはGREENの『遙か』が流れていた。

ボクはグランドを出たときから無言だった。

だけど、ボクの頬を熱いものがいくすじも伝い落ちていった。

ボクはハンドルを握ったままだった。

しばらくして、見かねたカミさんがダッシュボートにハンカチを置いた。

「よかったね」




全ての皆様に、心から感謝しています。

言葉でもない、文字でもない、ボクの本当の心をどのようにお伝えしたらいいのか分からないです。

そういう気持ちになると、もう、涙しか出てきません。

本当に、本当に、ありがとうございました。
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イキヌキはダイジ

2010-03-26 09:14:52 | 雑談の記録
息抜きと称して誘われる酒の最大の問題点はなにかっていうと、避けることが困難ってこと。

一作日は昼飯抜きの忙しさでアッチに行ったりコッチに行ったりで、一息ついたときは午後9時を回っていた。

「イキヌキ、イキヌキ・・・、イコイコ」
断ることが超苦手なボク。

結局、いつものとおりの状態で午前さま。
こんなことでいいのだろうか!。
ダメに決まっている。

さて、先週末は、皆様はいかがお過ごしだったでしょうか。
ボクは、土曜は仕事、日曜の午前は仕事、午後は大会の準備、月曜は審判だった。
一方、リョー坊はどうだったかっていうと、土曜は練習、深夜に熱発!、日曜は休息、月曜はランニングホームランだった。


土曜の深夜、モゾモゾしていたら、リョー坊の呻き声が聞こえてきた!。

慌ててカミさんがリョー坊の部屋へ。

39.6度の高熱だった。

翌日の診察結果は咽頭炎。

お昼に我が家へ戻ったとき、リョー坊はフトンの中だった。38度前後の熱。

「・・・・、高校生でなくてヨカッタな、もし、野球やっててこの時期、熱なんか出してたら春のシーズンはパーだよな・・・・、リョー坊・・・・、オマエには言っておく・・・・・、オマエは強いかもしれないが・・・、決して丈夫な子ではない・・・、他の子が半袖で遊んでいても、残念ながら、オマエにはムリ。・・・・すぐ、唇がむらさきになってしまうだろ。・・・」

フトンに入っているリョー坊に続けて語った。

「リョー坊、オマエは、病気になってしまった。・・・・、さて・・・・、これからどうする?。」

リョー坊は天井を見つめたまま、言葉を紡ぎ出そうとしていた。

「・・・・、病気が治ったら・・・、病気が治ったら・・・ちゃんと・・・」

ボクはそれをさえぎった。

「今どうするかだ、・・・・・今だ。・・・・・・病気を治すことが、今、やらなければならいことなんじゃないのか・・・、治すことに集中しようじゃないか。・・・・お父さんはいろんな経験があるから、どうやったら早く治るか知ってるよ・・・・、その方法を教えてやるよ・・・・。体をラクにして足を伸ばして・・・そして深く呼吸をする・・・・息を吸ってぇ~~、吐いてぇ~~、吸ってぇ~~、吐いてぇ~~、・・・、吐くときはユックリだ・・ユックリ・・ユックリ・・・、その呼吸をずっと意識して続ける、意識することが大事。・・・・・そして、このとき、頭の中では想像しなくちゃいけないことがある・・・・、今、リョー坊の体の中にはばい菌がいるんだよな・・・、バイキンマンでいいか・・・トニカク、リョー坊が考えるバイキンと戦うんだ・・・、頭の中でバイキンと戦うんだ・・。
・・・これを続けてごらん・・・・・・」

夕刻には、平熱近くまで回復した。

そして、その翌日は八代遠征で攻守に活躍。


ボクがリョー坊に教えたことは、「息を抜くこと」。簡単に言えば意識してユックリ息を吐くことなんだけど、これを静かな部屋で行うと、体からいろんな音が聞こえてくるようになる。
その音が、生きている証。
その音に、ある人は癒やされ、ある人は生を感じて活力を取り戻していくってアンバイ。

疲れたら「息を抜く」。鉄則なのかもしれない。生き抜く術なのかもしれない。


いよいよ明日から我がリーグ主催の野球大会。

呼吸を意識したいと思います。
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反省と謝罪

2010-03-23 19:41:51 | 雑談の記録
今日は反省すべきことがありました。
そのことを記録しておこうと思います。

先週中頃に大会冊子450部の納品があり、日曜日の午後からは、各リーグ配布のための仕分け作業をママたちに手伝ってもらって、そして広告・協賛をもらってきた保護者の皆さんに必要部数を手渡したのでした。

今日、午後になって保護者会長(大会運営委員長)から1本の電話。
「hiratakuwaさん、古い写真を使ったでしょ・・・」

大会冊子の見開き2ページ目の白黒ページには、ユニホーム姿の我がリーグ選手の集合写真と氏名を載せたのだけれど、その写真は昨年9月に撮ったものでした。なので9月以降に入団した選手達はその写真には無く・・・・。

実は、編集段階で選手の集合写真を載せる予定はボクの中にはありませんでした。なぜなら、表紙裏のカラーページには大会の最大の協賛社の広告が入ることが決まっていて、ページの構成から見て、その広告のあとには最大の後援者である阿蘇市長のことばがベストだと考えていたからです。
ですが、リーグ会長と理事との三者で行った最終的な原稿打合せで、選手達の集合写真を市長のことばの前に載せようということになり、ボクは慌ててその原稿を作ったのでした。

写真のことに、ちゃんと気付く機会は2回あったように思います。
1回目は、シニアからの広告としてシニアの集合写真をもらったとき。その写真の中にはごく最近入団した1名の選手が入っていなかったのですが、そのことを保護者会長に指摘されたとき。リトルの選手写真の原稿を作るとき、そのことを思い出せばよかった。
2回目は、最終的な打合せのときに理事が言った言葉。
「写真があると、子供たち、喜ぶんだよね」。

でも、これらの機会というか言葉は、ボクの心には届いていなかったようです。
「早く作らなきゃ」ボクの心は、この思いで占拠されていました。
原稿締め切り日の前夜のことです。

ボクにはこういったところがあります。反省です。

「今、手元に写真がないんでわからないんですが、写真に入ってない選手たちって何人くらいですか」

「え~っとぉ、名前を言いマス・・・・」
保護者会長の口から7人の名前があがった。

「エ~ッ!、そんなにぃ~!」

ボクの「配慮」なんて、この程度。
言い訳の余地は全くありません。
本当に本当に反省しています。

ボクは、そのあと、スグに、全ての親御さんに謝罪の電話をしました。

本当に申し訳ありませんでした。
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受験生を持つ親の記録

2010-03-19 18:06:34 | 子供の記録
長女ユーちゃんは、昨日の朝からジョギングを始めました。
中学の部活が終わってからかなり太ったらしく、ダイエットも兼ねてのことらしいけど、高校生活をスタートするにあたっての体力作りが大きな目的。

話しは変わりますが、知人、友人のたくさんの方々からお祝いの連絡をもらいました。
そのことは全てユーちゃんに伝えてあります。本人もそのたびに「ありがとうございます」と言って頭を下げております。この場をかりてボクもお礼申し上げます。
本当に、ありがとうございました。


さて、こうしてユーちゃんはめでたく志望校に合格したわけですが、実は、険しい道のりでした。

多くの人から「hiratakuwaさんのムスメさんなら、ダイジョウブ」と言われていましたが、中学3年間の総合成績は平均以下。偏差値50を超えたのは数回。とても志望校が安全圏であるとは言えませんでした。

本人は塾に通っているし勉強もしているふうでしたが、ボクからみると「本当に志望校に受かりたいのか、本当に志望校の吹奏楽部で頑張りたいと思っているのか」と悩まざるを得ない生活態度だったのでした。

昨秋、こんな出来事がありました。

2学期の期末考査の結果を、ボクには見せずに学校へ返したのでした。
これはカミさんも共犯でした。
「お父さんは、もう見たと・・・・・」
要するに悪い成績を見られたら、また、ボクに怒られる・・・、そんな単純な発想。
要するに、「イヤなことから逃げちまえ」精神。「逃げ根性」とも言う。あるいは「逃げポリシー」
ボクが怒り狂ったのは言うまでもありません。
この期に及んで・・・、なにが吹奏楽部だ!、なにが受験だ!、なにがガガガガ・・・!。
ユーちゃんの部屋を破壊しました。
そしてユーちゃんを外に投げたのでした。

実はこれまで、ユーちゃんは、こと『勉強』に関しては、掲げた「目標」や「やると決めたこと」を全て反故にしてきたムスメなのでした。その度に叱っていたのですが、それをいつも、許していて大目に見ていたのは他でもないボク。ユーちゃんは、スッカリ「逃げポリムスメ」になっていたのでした。それは、テストの答案を見ても明らかでした。「逃げポリ」は字にも現れます。

怒りの夜、ユーちゃんがどこに身を潜めていたのかは知りません。
しかし、翌日は何食わぬ顔で朝食を食べておりました。
ひっくり返った勉強机もメチャクメチャになった部屋も元に戻っていました。

その後、本腰を入れて勉強していたのかどうか、定かではありません。
自室にこもり「お勉強」はしていたようです。
しかし、模試の結果に反映されている様子はありませんでした。

トニカク、ボクはボクでいろんなことで忙しくしておりました。

三者面談で志望学科が決まったようでした。
「繊維工業科」でした。

「エッ?、ナンデ、ユーちゃんは繊維なの?・・・」
「だって、アタシ、Tシャツとか染めるの好きだし・・」
「ソ、ソウ」

トニカク、ボクはボクでいろんなことで忙しかったし、深く考えるのはヤメにしました。
志望校に受かってくれさえすれば、どこの学科だろうが、それはそれででいいのではないのだろうか。
そう思いました。

前期試験の倍率は3倍を超えていました。
これは当然の数字で市内の高校はどこも似たり寄ったりでした。
前期試験の合格者の多くはスポーツ特待でゲタを履いている学生たち。
一般で受かるためには、相当の学力(数学)が無ければ難しい状況でした。
なので、前期試験の不合格は当たり前と言えば当たり前の結果なのでした。

さて後日、後期試験の倍率が発表されました。
第一志望学科の倍率は2.7倍を超えていました。その倍率は10学科中群を抜いており、市内高校でも2番目という高さでした。ボクはテレビの報道に目を白黒させてしまいました。
「エッ!?なんでそんなことに?」
慌てて志望校のHPを検索。
昨年度の出願倍率がありました。
昨年の志望学科の後期試験倍率は「1.0」でした。

・・・・ナ・・ル・・ホ・・ド。

その晩・・・・、
「・・・ユーちゃん、・・・・お父さんは、どういう理由でユーちゃんが第一志望を決めたかよくわかんなかったけど・・・・、シャバはヨク出来ていると思わんね・・・・・、結局、ユーちゃん、こういうことなんだよね・・・、逃げて・・・・逃げ続けた先に、逃げ込んでいった人間がそこに群がり、壁となり、山となり・・つぶし合う・・・逃げた人間の縮図がここにはあるんだよ・・・。・・・さて、ユーちゃん、・・・・どうする?・・・・・」

「・・・・・・」


後期試験まで残り約1ヶ月。
ボクはユーちゃんに提案をしました。
「今日からリビングで勉強しようか」

ボクはユーちゃんがどんな勉強方法をしているのか知らなかったから・・・・。

その日のユーちゃんの「お勉強」はこんなかんじでした。
歴史に取り組んだのですが、ノートと教科書・参考書を広げ、歴史の細かい事を蛍光ペンとシャープペンを使い分け、ノートに綺麗に箇条書きで書き写していくのでした。
ボクはしばらくそれを眺めていました。


ユーちゃんには悪かったけど、ボクは言いました。
「ユーちゃん、そういうの、馬鹿ノートっていうんだよ、それは「お勉強」で勉強じゃぁないんだよ・・・、ユーちゃん、近道しよう、・・・・近道・・・・」
ボクはユーちゃんに今までの模擬試験の問題と答案を持ってくるように言いました。

「・・・ユーちゃん、・・・正解だったところはもう気にする必要はないよね、それは出来るっていうことだから・・・・、じゃぁ間違えたところ、出来なかったところをどうするかだけど・・・・」

ボクはユーちゃんに、歴史の間違ったところの「正解」をノートの真ん中に書かせた(ナニを書かせたか思い出せない)。
そしてその「正解」の言葉を中心に引き出し線を書いて、「正解」に関連することを書き出すように言いました。もちろん、教科書や参考書を見ずに。

「・・・それで、全部?、思い出せることを全部書くんだよ、頑張って思い出す・・」

「・・・はい、・・・・教科書、参考書を見てみようっかぁ・・・、ほらぁ~、まだまだイロイロあるねぇ~・・・、ユーちゃん・・・・、とりあえず、この繰り返しでいいよ・・・、今更、ノートにキレイに書く必要なんてないんだから・・・、汚くって構わない・・・、先ずは自分で考える・・・それをノートにダダダと書く・・・脳には揺らぎがあるから・・・思い出したり思い出せなかったたり・・・いろんなことが起こるんだけど・・・、・・・ナニかを憶えようとするときは、ナニかとナニかを関連させて憶えるほうがラクチンなんだよ・・・・・、だってさ、ナニかを思い出すときや喋るときって、思い出すことで次の思い出が出てきて、それが次々つながってってかんじじゃん・・・、だから、憶えるときはその逆をすればいいって、タダそれだけのこと・・・・、エッ?、なんで早くに教えてくれなかったのかって?・・・・、何度も言っていることだよ・・・・、それは今まで、話しを聞く準備がユーちゃんに出来ていなかったから・・・・・、今日初めて「憶える」ということにユーちゃんが気が付いただけなんだよ・・・」


深夜酔っぱらって帰った日もあったし途中で家を空けた日もありました。だけど、毎日少しずつだったけど、苦手だった数学や理科についても一緒に学んでいきました。その頃は、早朝にリョー坊とトレーニングもやっていましたし、広告取り活動やSGA理事から依頼される突然の書類作り、リーグ内の問題もありました。仕事だってここ数年なかった忙しさでした(今だって超忙しいです)。ボク自身、限界に近かったと思いますが、親が頑張らずして子が頑張るかとの思いで必死でした。ユーちゃんがどこまでボクのことを見ていたかは知りません。でも、もう言葉の世界ではありませんでした。ユーちゃんの心に火を点けるためには、ボクはボクの出来ることを頑張るしかない、そう思っていました。

ユーちゃんは頑張り始めました。
おそらく、この一ヶ月間が中学生になって初めての勉強期間ではなかったのでしょうか。

ユーちゃんは受験日の3、4日前にとうとう発熱して丸1日寝込んでしまいました。
原因は体力消耗による風邪でした。ユーちゃんは弱い子ちゃんなんです。
心配しましたが、それは本当に一生懸命頑張っている証拠でもありました。また、今までユーちゃんにとってのビッグイベント、例えば小学校時代の演劇、中学時代の音楽コンクール、いつも数日前に発熱して寝込んでいましたが、当日には体調をそれなりに整え実力以上の力を発揮していた姿を見ていたので、これはウマク行くのかもしれないと思いました。さらに、寝ることによる「記憶の整理」も期待されました。

受験は一人で行かせました。もちろん合格発表も一人で。

合格発表の朝、ボクはユーちゃんに言いました。
「どんな結果がでようが、結果は結果でちゃんと受けとめよう、電話くれよな」
この言葉の後に、「ユーちゃんが頑張っていたことはお父さんがよく知っているから」、と言えなかったことがチョッピリ後悔だったのですが・・・・・。
ただ、それ以外に後悔はありませんでした。仕事のこと、野球大会のこと、リーグのこと、リョー坊のこと、ホースケのこと、カミさんのこと、このバカブログの読者のみなさんのこと、どれも大事ですが、・・・・・ユーちゃんにしてあげること、ボクはボクなりの全力投球でした。

2.7倍という倍率に負けず、モーチベーションを持たせ、諦めさせず、最後までやり抜く。
ハッキシ言って難しい課題でした。ダメだったときの対処も考えていました。

結果はご存じのとおり合格でした。
さて、ここで訂正なのですが、実は、最終的な倍率は「1.8」だったそうです。
倍率発表のあと一部の受験生が志望学科を変更したようで、別の学科で2倍超えがあったそうです。


いよいよ、ユーちゃんの本当の戦いが始まります。
吹奏楽部は100人に迫る大所帯。精鋭Aパートは55人、続くBパートは15人。
厳しい世界です。ステージにさえ上がれないことだって十分ありえます。
戦況は刻々と変化していくと思います。これからは、親としては見守ることしかできません。
人間関係に悩み、恋に悩み、力及ばず結果が出ないこともあるかと思います。
ですが、たぶん、彼女はそれを乗り越え立派な人間に成長していくことでしょう。
ボクはそれを期待しています。

ユーちゃん、ガンバレ!。
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滑り込み・・アウト?セーフ?

2010-03-16 10:35:34 | 子供の記録
謹んでご報告いたします。

長女ユーちゃんは、前田智徳選手(広島外野手)、緒方耕一コーチ(巨人コーチ)と同じ卒業学科に、2.7倍という倍率をかいくぐり、ギリギリ、セーフ、セーフ、セーフ!・・・でした。

ユーちゃん、貴女は、なんて親孝行なムスメ!。
ありがとう!。

ケイタイ、買ってやるけんね!。
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本当の収穫!?

2010-03-15 17:39:24 | リトルリーガーの記録
昨日、4年生以下のマイナー選手はOZUリーグと練習試合だった。

第一試合、リョー坊は先発投手としてマウンドあがった。初回、ランナーを出すもバックに助けられ、終わってみれば5回無四球無失点被安打1という内容だった(リョー坊談)。
バッティングも殆どの得点に絡むなど、マイナー選手の最上級生として十分な活躍だったと思う。
そしてナニヨリ良かったことは怪我がなかったことと、それと、新たに課題がいくつか見つかったことだ。

今だから言えるけど、実は、一作日に行われた陸上大会にリョー坊を出場させたくなかった。
翌日の、今期初の練習試合のことを考えると。

結論から言えば、怪我のリスクが高くなるから。
「そんな大袈裟な」という意見もあるかもしれない。

しかし、すこし考えてみて下さい。

大会で、小学校4年生が100mを15秒台で走ること、挑戦することのリスク。
小学4年生が4m台のジャンプへ挑戦することのリスク。
彼らは、彼らなりに彼らの限界に挑んでるってことなんです。

速いから速いのではありません。
跳べるから跳ぶのでもありません。

速く走るから、速い。
遠くに跳ぶように跳んでいるから、跳べているだけなのです。

成績優秀な子供たちが筋肉トレーニングをしているわけではありません。
ほとんど同じような体格、筋肉なのです。
違いは使い方です。

だから、好成績を残す選手ほど、同じレースであっても、大きな負荷がかかっていると考えることができるのです。

話しをもっと単純化してみます。
性能が同じ二つのエンジンがあります。
一つはレッドゾーンまで高速回転。
一つはセーフティーゾーンの中速回転。
壊れるリスクはどちらが高いか、・・・・そういうことなんです。

ボクは何年も子供の陸上競技を見てきています。
そして、好成績を残す選手の怪我もこの目で見てきました。




陸上大会があった土曜日、ボクは仕事があって会社に行かなければならなかった。
競技場にはカミさんが送っていった。

朝、ボクはカミさんに言った。
「競技場に着いたら、スグに大会冊子を購入して、出走時間を連絡してくれ」

先に連絡があったのは、同じお願いをしていた同僚の山ちゃんからだった。
「3、4年生の100mと幅跳びは同じ11時になってますよ」

外は雨模様。リョー坊はヤセッポチンで冷え症。
ボクはすぐにカミさんに電話すると、100mは棄権するよう言った。

時計が10時を回り、やはり、行こうと決めた。
イヤな予感がした。行かなければ後悔する。
競技場に到着したのは、ちょうど11時。

幅跳びの競技は既に始まっており、スタンド下では雨宿りをしながら出番は待つ選手たちが並んでいた。そこにリョー坊の姿はなかった。
「エ?、ナンデ?」

傍らにいたhhオヤジに尋ねた。
「さっきまで、幅跳びの練習をしてましたよ・・・・」
ボクは、幅跳びの学生コーチのことろに行き、息子の所在を尋ねた。
「あっ・・・、100mのほうに行ってますが・・・・」
「えッ?、妻には100mは棄権するように言っていたのですが・・・」
ボクはもの凄い表情になっていたと思う。
「そ、そ、そうなんですか・・・」
学生コーチは泣きそうになっていた。

バックストレート側では3・4年生男子の100mが始まっていた。
ボクはカミさんに電話した。
「なんで、リョー坊が100mに出るんだよ!」
「だって、コーチに連れて行かれたから・・・」
「バカヤロー、なんのための保護者だ!、バカヤロー!」

雨のせいもあり、スタンド側からは、バックストレート側にいる子供の判別はつかない。
今日はもうダメだと思いボクは競技場を出た。
だけど、もう一人のボクが言った。
「今出来る最善を尽くせ!」

ボクは場内に戻ると、傘を差してトラックフィールドの一番外側を歩いてバックストレートのスタート地点へと向かった。到着したとき、リョー坊はスターティンググリッドに立っていた。棄権させる余地はもうなかった。
・・・ならば、どうなるにせよ、データを取るしかないだろう・・・・・。
ボクは、ハイスピードモードで、リョー坊の走りを真後ろから撮影した。ガチガチの古い走りだった。ボクはゴール地点まで小走りし、記録員と話しているリョー坊に声をかけた。表情は良かった。
リョー坊は、そこから雨を除けるように小走りして跳躍場へと向かった。ボクも後に続いた。

走幅跳びの競技は、2回目の跳躍にはいっていた。
ボクは、リョー坊の濡れたシャツを着替えさせ、気温はあったけど、ボクの上着とニット帽を被せて体をさすった。
「体、あっためるぞ、それから、弛めるぞ、ユルユル・・」
ボクはリョー坊の体を左右に揺すった。本人もユルユルの努力をした。

時間は僅かしかなかった。
リョー坊の1回目のジャンプ。3m53cm。平凡な記録だったけど、余力を残したジャンプだった。
コーチからも助走をもっととっていいという指示を受けた。
2回目のジャンプが始まろうとするころ、次第に雨が上がり始めた。
2回目、3m73cm。まずまずのジャンプだった。
他競技との兼ね合いで跳躍本数が3本に足りていない選手の最後の跳躍が始まった。
「オレは、諦めとらんけんね」
「ウン!」
名前がコールされると、ボクはリョー坊の上着を受け取りながら、スタート地点に向かうリョー坊に言った。
「オマエのジャンプをすればいい」
だけど、心中穏やかではなかった。もう十分ではないのか・・・怪我なく終わってくれ!。

3本目、3m83cmの自己ベストをだした。
体格の一回り大きい本格女子選手には負けたけど、男子では1位。学童オリンピック覇者として面目を保った試合だった。でも本当は、怪我なく競技が終わったことに大きく安堵したのだった。

長引いた閉会式のあと、帰りの車中で何も語らないリョー坊に言った。
目標にしていた15秒台を出せなかったことを考えているようだった。それとも明日のことか・・。
「何か、言えよ、オマエ」
「・・・・・・」
「・・・・100m、硬くなってたな・・・・、・・・やっぱり、・・100mには出たかったのか?」
「・・・うん、・・・でも幅跳びの練習(試技)のときに雨に濡れてしまって・・・・、そのまま100mに呼ばれて・・・・、だんだん寒くなって・・・・体が硬くなっていくのがわかって・・・・ぜんぜん走れんかった・・・・」
「・・・・そういうときに、無理をするとケガをするんだよ・・・・、だけど、コンディション作りがいかに大事かがよくわかっただろ・・・、それが分かっただけでも、今日は収穫だよ・・ホント」
「・・・うん・・・」


帰宅後は、義父とともに温泉に行った。
もちろん、明日の練習試合に備えて、今日の疲れを取り除きリラックスしてもらうためだ。
夕食後は、毎日やっているけど、翌日のために入念なストレッチを行った。

日頃のトレーニングも大事だけど、怪我の予防に手を弛めてはいけない。


う~ん、なんか話しが硬くなってしまったなぁ~。
じゃぁ、下らない話しを一つ。

昨日、練習試合で主審を務めたわけですが、サポーターを履いてくるのを忘れてしまったので、仕方なく?キンカップをボクのアソコに生アテしたのでした!。最初はヒンヤリしてなかなかヨカッタのですが、試合も中盤になるころにはベタついちゃって、ボクの弛んだアソコの袋部分とプラッチク部分がベッタリ密着しちゃったりして、キモチワルイのなんのって、・・・・怪我予防のためとは言え・・・・、生アテについてもシッカリ学んじゃいました!
チ○コ周辺はいつもご安全に・・・と・・ご清潔に!。
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収穫!

2010-03-13 21:50:47 | リトルリーガーの記録
今日、メジャーは春季大会で福岡遠征。結果は1勝1敗で残念ながら予選敗退。
だけど、いろんな意味で今後の勝機につながる課題が見つかった試合だったらしい。

一方、4年生以下のマイナー選手は通常練習だったわけだけど、一部の選手は、「くまもとクラブ対抗陸上選手権大会」に出場。

我がマイナーのホープ、hhオヤジの息子の3年生のHRT君が低学年400m走でみごとタイトル奪取!おめでとうございます。
そして、さらに、前マイナーコーチの息子の2年生のKIT君が、低学年ボーテックス投げで3年生選手をブチ抜きみごとタイトル奪取。重ねておめでとうございます。
こんな嬉しいことはないです。マジで!。

さて、愚息ことリョー坊はどうだったかっていうと・・・・、4年生男女混合走幅跳で・・・・、2位でした。体格が一回り大きい女子選手に負けてしまいました。しかし、公式記録では自己ベストを出し善戦でした。

さらに、さらに収穫だったことは、ボクの予備校時代の友人(新聞社勤務)が、運動部記者として熊本に戻ってきて、競技場で再会できたことです。

そういうことなんです!。

彼が書いた過去新聞記事、読んで下さい。

新聞記事

明日の記事もちゃんと読んで下さい!
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「目」に関心があります。

2010-03-11 22:00:25 | 雑談の記録
レンズを通して見る世界ってのは、いったいどういう世界なんだろう。

学生のころ、ボクは黄鉄鉱っていう鉱物の研究をしていたから顕微鏡を通してミクロ?の世界をよくのぞいて、その小さい世界の秩序、複雑さに驚き、感動していたことを思い出すな。
当時はデジカメなんてのは超高価で、そんなもんは研究室になかったから従来の顕微鏡用の特殊カメラで何百枚も写真を撮って、その写真の中の黄鉄鉱をジーっと眺めながら、その黄鉄鉱の秘密を1年くらい考え続けたもんです。
結局、卒論では結論がでなくって、諮問ではある教授からひっちゃかめっちゃか言われたんだけど、その後の2年で、様々なことが解ってきて、「金鉱床」がどんなふうに黄鉄鉱と関連して生成されたのか着きとめることができたんです。その研究では、博士課程の先輩と共同で当時最先端の分析機器の開発も同時並行しながら、ppbオーダーの「金」分析を可能にしたことも大きな成果なんだけど、ボクにとっての大きな感心ごとというか感動だったのは、例えミクロの世界でも目に見える違いには、やはり「違い」があったこと。
だけど、当時、お世話になっていた教授にスゴク褒められたのは、ボクがその違いに気がついたことだった。ボクは「目に見える違い」って書いたけど、それは「ボクの目に見える違い」だったってことなのだ。

なんだかツマンナイ話なんだけど、目に見えない世界も媒体を通すことで見える世界があって、だけど、その世界にも秩序と複雑さがあるんだけど、実はそれが目に見える以上の世界を支配していることを知ると、やはり媒体を通して見るってことは大事だなことだと思うわけです。

媒体を通して見る目、レンズを通して見る目、そういう目に関心があります。
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新政権発足!

2010-03-08 19:39:20 | 雑談の記録
昨日、夜の帳がおりようとするグランドで、球団会長からシニアの新しい総監督と監督についての発表があった。

噂通りだったから驚くことではなかったけど、それぞれに揺れに揺れた一晩だったと思う。

その晩、ボクは家族と食事をとりバカブログ(Catch the Wave)を更新し、一息ついた。

フロに入った。

湯船にゆっくり浸かり週末の疲れを取り除くつもりだった。

しかし、ボクの突発性知りたい症候群が発病してしまった。

フロから上がるとボクは部屋着ではなく、黒のジーンズを履いた。紫のパーカーを羽織った。

「オレ、出掛けるけん、・・・・・悪いけど・・・送ってくれる?」

カミさんは、全く動じる様子もなく、だけど電話ぐらいして行ったらとボクに言った。

ボクは携帯を広げたけど、すぐに、また閉じた。

「会えなかったら会えなかったとき、会えたら会えたとき、それでいいんだ」

明後日は長女ユーの受験日、そんな夜にバタバタ出掛けるなんて、子供不幸もいいところだと自分をなじったけど、これがボクなんだと思った。

「・・・・で、どこへ行けばいいと?」

アルコールが入っているボクの代わりにハンドルを握ったカミさんが言った。

「まずは・・・、居酒屋A、それがダメだったら、居酒屋Bだ」

車中には東田トモヒロ君の曲が流れていた。
最近、カミさんのほうがお気に入りなのだ。

車は居酒屋Aの反対側車線にハザードランプを点けて停めさせた。
ボクは助手席を降りると、車が少なくなるのを待って通りを渡った。

居酒屋Aは、年配の女性がアルバイトの女性と二人で切り盛りしている小さいお店。
入口のガラス戸には目隠しの布が張ってあるため中を伺うことはできないようになっているけど、すき間からお客さんの靴箱が見える。
見覚えのない靴ばかりだった。

ボクは店に入ることなく道路を渡り車に戻った。
カミさんに無駄だったことを伝え、次の目的地に向けて車を発進させようとした、そのとき、居酒屋Aの前に一台の車が止まった。

「待って!」
車から短髪の男性が降りた。男性は薄紫のジャケットを羽織っており、一人で店に入っていった。

カミさんの驚いた表情といったら!。
ボク自身不思議に思うことがあるけど、ボクにはこういう変な力があるみたい。
「男と女でも、こう、うまくはいかんよ」
後でカミさんがそう言っていた。

会長はこのお店で、気の置けない数人の仲間と飲む約束をしていたみたいだった。
ボクが店に入ったとき、会長はまだ入口付近に立っていて、大きな声で挨拶を交わしていた。

ボクは後ろから、かまわずに言った。
「会長!こんばんは!」

「ぬわっ!、なんやぬしゃ(なんだオマエは!)、オレばつけとったや!(オレを尾行ていたのか!)」

「待ち伏せしてましたっ!」

驚きの表情が瞬く間に笑みにかわった。

「上がれッ!」

ボクは会長に促されるまま、奥の席に向かった。もちろん、全てのお客さんに挨拶をしながら。

白い髭をたくわえた会長の二人の友人を含め4人で座を囲んだ。
黒糖酒の緑茶割を作って乾杯と相成った。

しばらくの談笑の後、切り出したのは会長だった。
「どうや、保護者の反応は・・・・」

ボクは自分が感じたありのままを話した。
そして、ボクの本当の気持ち?というか感じていることを率直に話した。
その中には、なぜ、シニアの準決勝戦を観にいったのかも含まれていた。
さらに、ボクごとき小童が考える、ことの真相について語らせてもらった。

当然と言えば当然かもしれないけど、グランドで話した以上のことを聞き出すことは出来なかった。

ただ、結論を言えば・・・・・・、

ボクは、熊本の空気も好きだけど、外の空気も好き。
世界は広い方がいい。



シニア総監督 二村忠美
シニア監督  広瀬哲朗
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Catch the Wave!

2010-03-07 21:52:40 | 雑談の記録
変化というものは、いつやってくるかわからない。

「変化」という言葉は曖昧だから、「地震」に置き換えて説明したい。

もうすぐ日本に巨大地震が襲いかかることは間違いない。
だけどそれが「いつ」起るかはわからない。
それは全国大会出場でチームが関東・東海地方に行っているときに起るかもしれないし・・・・、

最近は緊急地震速報なんていうシステムが開発されいて、それはどんなものかっていうと、震源近くで感知された初期微動のP波(縦波)の解析から、後からやってくる大きい揺れのS波(横波)の到達時刻を計算して、そのS波がやってくる前にみんなに知らせるってシステム。
防災上重要なことはこの速報をどのように伝えて、速報後にどのような対応をするかってことなんだけど、一番重要なことは初期微動を正確に捉えることができるのかってこと。まぁ最近の地震計は高感度だから問題はないと思うけど、・・・・果たして、ボクらの身の周りで起る「地震」の初期微動をどれだけちゃんと感じれるかは大きな問題だと思う。

ボクらは大地の上に生きている。
人生スパンで「地球環境」をみると、たいして変化は起っていないように見えるけど、「地球時間」でみれば、地球史なんてのは激動の連続。
人生だって同じ。ボクたちは、一秒一秒、着実に年を取っているわけだし、常に「環境」は変化する。ただ、その変化に大小があるってことを忘れてはいけない。

「巨大地震」の場合、初期微動とはいっても、その微動は大きい。
震源に近ければ、当然、その微動の後にやってくるS波も大きく、タイムラグも小さいから準備が大変。

ハッキシ言って、今回もイロイロ大変でしたが、ボクの「地震計」もだいぶんバージョンアップされていたみたい。

次は津波に備えなくちゃいけないネ!。
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お手入れ

2010-03-07 08:39:48 | 雑談の記録
野球道具を大切に扱うことは野球の基本だ、とか、野球道具の手入れが野球上達の早道、とか、偉大な選手ほど道具を大事にしている、とか、偉大な選手ほど道具にこだわっているっていう話しはよく聞くし、他所のブログにもあまた書かれてある。

だけど、ナゼ野球道具を大事にしなければならないのか、ナゼ本人が道具の手入れしなけばならないのかってことの理由が、あまり言われたり書かれていないのはナゼなんだろう。


「リョー坊、なんでさぁ、野球の道具って大事にしなくちゃいけないんだろうねぇ、手入れをちゃんとしろってうるさく言われるよね、なんでだろう?」

「う~~ん、、、、、こころをキレイにする?、、????」

じゃぁ、こころをキレイにするって何の意味があるのって聞こうと思ったけど・・・。

「難しいか、・・・・・、じゃぁ質問を変えよう」
「試合って、なんなんだろうね?」

「う~ん、、、、」

「野球の試合って得点を競うゲームに過ぎないけど、試合が終わったあとに、結果が残るよね、・・・・、勝ちか負けか、・・・引き分けだってあるけどさ・・・。
・・・勝ちか負けかの結果、この決着をつけるのが試合。決着をつけるための戦いと考えることができる。
リョー坊、試合は戦いなんだよ。大げさかもしれないけど、あんましいい言葉じゃないけど戦争とおんなじ。自然界にも戦いはある、人間なんかがやってる戦いよりも厳しい世界。
負けたときは死を意味する。わかるよね。
例えば、戦国時代やその前の争いが絶えなかった時代のことを考えてみようか・・・・・・。
リョー坊には敵がいるんだ。オマエの命を狙っている敵だ。
オマエは戦うための武器を持っている。・・・・その武器はちゃんと手入れされているだろうか。
敵は明日襲ってくるかもしれないし、今夜かもしれないし、5分後かもしれない。
そのとき、オマエは錆びた剣で戦うのか?。
錆びた剣を持った瞬間、オマエの結果は出ている、・・・・死だ。

試合で使う道具は、オマエやチームを守る防具であり戦う武器なんだよ。
道具を大事に手入れしておくといことは、戦いに備えるということなんだ。
戦いの準備もできないヤツが戦場に出ることはできない。
戦いの準備もできないヤツはグランドに立つ資格はないって、そういうことなんだよ。
どんなに野球が「上手」でも戦う準備、戦う心になっていなければ試合には勝てない。
今日、うちのシニアが準決勝戦で神村学園に負けたよね。
チーム力は同等、違いはなんだった?。わかるだろ?。
神村学園の戦う心が勝っていた、そういう試合だったね。

リョー坊、オマエ、グラブの手入れをしながら何を考えている。
いろんなプレーのことを想像してるだろ、ときどきニヤケてるもんな。
別にそれだっていい、それが戦う準備なんだから・・・」
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バランスの話し

2010-03-06 11:38:57 | 雑談の記録
あ~、完璧な二日酔いッス。
そういうわけで、会社に出てきても焼酎じゃなかった集中できないので、仕事のフリして記録を書こうと思います。

始めに言っておきますが、こういう行為を真似してはいけません、良識ある社会人は、絶対に!。


さてさて、バランスの話し。


よく「あの人にはオーラがある」なんていうけど、それってどういうことなんでしょう。

みなさん、考えて下さい。
そして、オーラを出している人を思い出して下さい。

見えてきましたか?。

オーラを出している人は、美しく立ってはいませんか?。


では、また質問です。

美しく立っているように見えるとはどういうことなんでしょうか?。

ボクが思うに、それは最低限の筋力で立っているということ。
バランスで立っているということ。

最低限の筋力で立っているということは、筋肉がほとんど緊張していないという状況だから疲れにくいということ。緊張していないという状況だから瞬時のできごとに柔軟に対応できるということ。


「姿勢」については、既に多くの情報があるので多くは書きません。
「良い姿勢」=「気をつけ」の状態と思われがちですが、ボクはそういうふうには思っていません。


自然界に目を向けましょう。

ボクはサバンナで動物と直接対峙したことはありませんが、近所の山中で、鹿と突然対峙したことは何度かあります。
鹿はいつもボクを警戒します。だけど、その警戒態勢または警戒姿勢に力みを見ることはできません。
四本足ですが実に美しく立ち、首も天を突き抜けるような真っ直ぐさを保っています。
何のために?。

生き抜くためにです。
次の出来事に対応できなければ、鹿は死ぬことになるでしょう。
変化に対応するということは、生きのびることにつながります。



たかだか、1万年前くらい前の話しです。
氷河期だったその頃、私たちの祖先は厳しい環境で生きていました。
死はいつも彼らの傍にあったことでしょう。

突然の襲撃から逃げる必要もあったでしょう。
逆に、突然の襲撃も彼らの常套手段だったことでしょう。

その集団にはリーダーがいたはずです。
抜け目なく外を警戒し、仲間の変化に気付く能力に長けていたはずです。
仲間より先に疲れることは許されません。

リーダーは力を抜き真っ直ぐに立ち、本人身体が旗印となり、本人自身が潜望鏡となっていた。

仲間たちは、そういうリーダーを尊敬し、そこに何かを感じていたと思います。
それが、昨今の私たちが言う「オーラ」なのかもしれません。


バランスを手に入れたい。
それは私たちの切なる思い。

センスと言ってもいいかもしれない。
トレーニングでそれを手に入れることも可能でしょう。

しかし、現代社会に生きる私たちに必要なのは、先ず、心のバランスではないでしょうか。

以前「残酷物語」で記録したように、息子の悪い姿勢は、心のバランスを崩していたことが原因でした。ボクと息子は、失った一ヶ月をようやく取り戻すことができました。

先ずは、正々堂々と正しく生きているという実感と自信が私たちに必要なのではないでしょうか。

日頃の生活の中にこそ、バランスを手に入れる鍵があると思っています。

美しい読者の皆様へ 愛をこめて・・・。



ウ~、まだ、酔っぱらってるし
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始まりは終わり

2010-03-05 17:50:22 | 雑談の記録
これまで、ボクはいろんなイベントに参加させてもらってきた。

羅列することもないだけど、ほんと、いろんな経験をさせてもらった。

その中で、いつも感じていることがある。

それは・・、「始まりは終わり」ってこと。

確かに大事なことはそのイベントを成功させること。
だけど、イベントというものは数時間であったり数日という短い期間の出来事に過ぎない。
始まってしまえば、「あっ」という間に終わってしまう。
大事な試合と同じことだ。

重要なことは、そのイベントや試合が始まる前までに、どれくらい準備を整えたか。
ボクが、あるいは、ボクたちが、本当に納得いく準備ができたかにかかっていると思う。

「結果」はイベントや試合が終わった後についてくるものだけど、「始まりが終わり」であるならば、始まる前までが大事なことだと、ボクはいつも心がけている。
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球界の神様だって

2010-03-05 11:27:38 | 雑談の記録
そういえば、野球界にも「神様」と呼ばれる人がいましたね。

(財)全日本リトル野球協会リトルリーグ九州連盟の稲生和久 前理事長。

「神様、仏様、稲生様」

「大分県別府市北浜出身。7人兄弟の末っ子に生まれる。漁師を継がせたいと考えていた父親の意向で、幼い頃から艪を 仕込まれ海に出されていた。「薄い板一枚隔てて、下は海。いつ命を落とすか分からない小舟に乗る毎日だったが、おかげでマウンドでも動じない度胸がつい た」と後年語っている。また、稲尾の強靭な下半身はこの漁の手伝いによって培われたものと言われているが、稲尾本人は「バランス感覚は養われたかも知れな いけど、下半身のトレーニングにはあまりなっていないよ」と否定している。」
Wikipediaより

結局、そういうことなんですね!。
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