1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

お似合いの言葉

2007-11-30 20:15:27 | 雑談の記録
「一人をもって国興り、一人をもって国滅ぶ」
語ったのは守屋容疑者。9月3日の離任式の時だ。
先見性に優れた人物であると評しておこう。
だけど、つまり、武器商人にうまく操られた弱虫だったってことだろう。

まぁ、いいや。



ここに二つの議事録がある。

2007年1月21日(日)、JFAハウス4階会議室で行われた「Jリーグチームドクター連絡協議会」の議事録だ。

一つはチームドクター側が作成したメモ風議事録。
一つは我那覇選手のドーピング問題が起こった後に、Jリーグが公開した立派な議事録らしい議事録。

同じ会議だから、どちらも似たり寄ったりなんだけど、風邪治療のための点滴にビタミン剤等が入っていてもOKというくだりは両方に記載されている。
それを言っているのは、ドーピングコントロール委員長のアホ木氏である。


まぁ、いい。
アホ木氏は自分の過ちを認めることができない弱虫ってことなのだ。
「一人をもって国興り、一人をもって国滅ぶ」
アホ木氏にもお似合いの言葉だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつだってギリギリ

2007-11-29 17:56:01 | 雑談の記録
技術士試験の最終関門である口頭試験まで10日をきった。

業務量を減らしてもらい、打ち合わせ等が無い日は、午後から試験勉強をさせてもらっている。有り難いことだ。

ところで、ふと考えてみると、ボクの試験人生はいつだってギリギリセーフだったかもしれない。

高校受験では「特攻隊」と呼ばれ、原付バイク試験は校則違反、中型バイク試験はもっと校則違反、自動車学校で仮免許をとったすぐに一発試験を受けに行って2度失敗。大学受験は1回失敗。2回目のセンター試験結果は1回目より悪く目標の640点はおろか600点にも達せず、その年一緒に受験した妹に100点以上の差をつけられてかなり悔しい思いをした。しかし、しかし、それでも前年度ダメだった志望校に合格。ギリギリセーフだったに違いない。

人生全般についてもギリギリセーフが言えるかもしれない。
大学時代は自動車部に入ってたんだけど、若杉山の林道で練習走向中に崖から10m転落。2回転半したけど体は無傷、ハチロクは大破、ギリギリセーフだった。
最初に勤めた民間資源探査地質技士としてのその年の就職採用枠は全国一人。一次試験では遅刻したけど人事の人がギリギリセーフにしてくれた。
ビョーキになって自殺未遂、未遂で済んだからこれもギリギリセーフだろう。
とにかく、仕事はいつもギリギリだ!。


そんなワケで、今回もギリギリセーフを狙う!。


ギリギリセーフの秘訣は・・・・・、


・・・・最後まであきらめないことだ。!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

試験勉強

2007-11-28 18:05:59 | お勉強の記録
ここで、ハッキリさせておきたいことがある。


長女のユーは、今週末、期末テストだ。


ボクの勉強時間のほうが長い!。


それだけだ!。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心の闇

2007-11-26 19:06:14 | ライブの記録
今日の記録に、昨晩見た夢やJリーグの問題を書いたわけだけど、それを読み返して思うことがある。

やっぱりボクの心には暗い闇があるのだなと。


先週はいろんなことがあった。
チームのゴタゴタに始まってチーム主催の野球大会、Jリーグの問題、学校の10周年記念事業。記念事業が終わって家に戻った夕刻、チームのコーチ二人が辞任したとの連絡、監督はシニアのコーチに。突然のことで子供達は大泣きだったそうだ。

各方面から、お礼、労い、お褒め、慰めの言葉を頂いた。言葉を掛けて下さった全ての皆様に、この場を借りて心から感謝の気持ちを表したいけど、「有り難うございました」という言葉の他に何も見つけることができない。


こんなことを書いたら、有り難い言葉を掛けてくれた方々や読者のみんなを裏切る結果になるかもしれないけど・・・
・・・・今、ボクの心には冷たい風が吹いている。
心の闇が冷たい風を送りこんでいるのかもしれない。
ざっくばらんに言えば「燃え尽き症候群」ってことなのかもしれない。
そうじゃないかもしれない。


いずれにしても、心を闇に支配されることは良いことではない。


この歳になって、ようやく心の闇に勝利?する方策を2つ見つけ出した?。


ひとつは、十分な休息をとること。
ひとつは、正しく生きること。


だけど、心の闇が迫ってくると、この方策も疑わしくなってくる。


心の闇とはそんなもんだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チームドクターその後

2007-11-26 13:15:20 | 雑談の記録
J1川崎のFW我那覇選手(27)がJリーグのミスによってドーピング規定違反とされた問題について記録しておきい。

経過

4月23日
練習後、高熱と下痢の症状を訴えたFW我那覇選手に、ドクター(熊本県出身、39歳)はビタミンB1入り生理食塩水の点滴を行った。

5月8日
Jリーグは正当な医療行為に当たらないとして、我那覇選手に公式戦6試合出場停止、川崎に制裁金1000万円の処分を科した。このとき、Jリーグのドーピングコントロール委員会のアホ木委員長は「五輪では静脈注射を打った選手が永久追放になった例がある。それと同じ(行為)と考えてもらっていいと」とロクな調査もせずにアホ丸出しで話す。

5月18日
J31クラブのチームドクターは川崎のドクターが行った行為は正当な医療行為だったとして、違反基準の明確化とドクターの名誉回復を求める文書をJリーグに提出。

8月11日
日本アンチ・ドーピング機構(JADA)は今回のケースが世界アンチ・ドーピング機関(WADA)の規約違反にならないと判断した。

8月21日
J31クラブのドクターはJリーグ理事会に処分撤回を求めたが、Jリーグは応じず。

8月23日
世界アンチ・ドーピング機関(WADA)がJリーグのチームドクター連絡協議会に「我那覇はドーピング違反とはみなされない」と解答。

11月2日
日本スポーツ仲裁機構に処分取り消しの申し立てを行おうとしていたドクターに対し、川崎は「クラブの席を離れて主張するのは構わない」と伝える。

11月6日
ドクターは辞職。ドクターの代理人が処分を取り消しを求めて日本スポーツ仲裁機構(JSAA)に申し立てを行う。

11月12日
国際サッカー連盟(FIFA)に申し立てる機関はないのに、Jリーグは「ドーピングが否かを問うのであれば、国際サッカー連盟(FIFA)に申し立てるのがふさわしい」として、JSAAの仲裁手続きには応じず。

11月14日
我那覇選手は、日本スポーツ仲裁機構(JSAA)に処分取り消しを自ら申し立てるかについて「現時点ではそこまで考えていない」と話し、川崎側も「(追加制裁の)リスクがある限り、動くことはない」と、現段階ではその意思はないという。しかし、「自分がドーピング違反を犯したとは、どうしても思えなくなった。真実を明らかにしてほしい」と我那覇選手は語った。
11月15日
参議院文教科学委員会でこの問題が取り上げられる。

11月16日
文部省はJリーグから事情を聞くと決定。

11月21日
日本サッカー協会の専務理事、Jリーグの事務局長が文部科学省を訪れ事情説明を行った。その中で「サッカー界全体のことを考えて、なるべく早い解決の道を探ってほしいと強く求めた」という大臣官房審議官の要請に従い、22日に川崎側に再度、異議申し立ての意向があるか確認することを明言した上で、事務局長らは、日本スポーツ仲裁機構に我那覇選手の処分取り消しを求めた川崎の前チームドクターが処罰の対象外であることから、仲裁に同意しなかったなどと説明。
そして、この件がドーピングに該当するかをFIFAに確認した上で、我那覇選手や川崎が望むなら国際機関のスポーツ仲裁裁判所(CAS、スイス)による仲裁を受け入れるという高いハードルを課した。


この一連の流れから、Jリーグの腐敗臭を感じる読者は多いはず。
最初にミスを犯したJリーグのドーピングコントロール委員のアホ木委員長は、ドーピングの権威で私大の学長を務めていて、近々、世界アンチ・ドーピング機関の委員だか理事に推薦されているこの世界の重鎮とのこと。
つまり、アホ木委員長とJリーグに、これ以上のキズは困るのである。

日本代表の中にドーピング疑惑の選手がいることは、多くのJリーグ関係者が知っているところである。
つまり、つまり、Jリーグは「サッカー界全体」のことを考えて解決の道を探っているとそういうことなのでもある。
組織ぐるみの隠蔽と箝口令。

しかし、しかし、腐敗液は完全密閉の状態であっても周囲を腐らせて漏れ出すものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝は・・・

2007-11-26 10:08:30 | 雑談の記録
毎朝、サッシからの冷たいすきま風で目が覚める。
窓ガラスに付いた水滴が流れおち、ガラスは毎朝泣いている。

6畳一間のボロアパートの一室、そこで毎朝3人の男が目覚める。
ボクと同僚の山ちゃん、そして課長だ。

7年前、熊本県はついに財政破綻した。
公共事業だよりのボクが勤めていた小さい会社は、熊本県の財政再建団体の指定とともに解散。
技術部にいたボクと山ちゃんと課長は、派遣労働者として関東地方の大型都市土木現場の地盤変位計測で食いつないでいる。


毎朝、ボクらは無言で重たい体を起こす。
煎餅布団をたたみ、作業着に着替える。
人が良くて事務員の女性に人気があった山ちゃんは、スッカリ不機嫌な中年男になっていた。
課長はもうすぐ60歳だ。頭はスッカリ真っ白で、酒もズイブン弱くなった。


アパートの階段の手すりは錆びが酷く、その用途をなしていない。
3人の男は、そのボロ階段を降り、近所のコンビニに寄って現場に向かうのが日課になっていた。
空は灰色だった。


リョー坊と最後にキャッチボールをしたのはいつだったろうか。
小学校の10周年記念事業で司会を務め、感動とともにラストを迎えたあの日のことを思い出す。
遠い遠い昔のことのように思える。充足していた日々だった。
本当に懐かしい。あの頃、世話になっていた人々は元気にやっているだろうか。
・・・カミさんに会いたい。

こんな呟きや思い出に何の意味があるというのだろう。
ボクだってスッカリ荒んだ男になってるじゃぁないか。


大通りには、仕事や学校に向かう人と車。
その光景が歪んでいった。そして、熱いものが頬を伝っていった。
アスファルトに、黒い染みが浮かび上がった。

・・・・あの日々が本当に懐かしい。


目が覚めた。
夢だった。朝だった。
カミさんが起こしてくれた。
布団が暖かかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連休?2日目午前

2007-11-24 10:42:21 | 雑談の記録
朝からいつもどおり出社(会社は休み)し、工法検討を一緒に進めている設計会社に約束通り電話をした。

設計担当者と連絡が取れたけど、今日は休みで設計室に入れずPCもFAXも使えないという。


「それじゃぁ仕事になんないじゃぁないですか、アハハハハハ・・・・ハァ、・・んじゃぁ、今から、解析のフロー図をとりあえずFAXしますんで、木曜の夜に送った計算書と合わせて検討をお願いします。」


「スミマセン」


そういうワケで10時30分。


明日の記念事業の準備のための集合時間は2時、リハは4時~。


3時間半ある。


中学校の同級生が経営しているガラズ張りテカテカの洒落た美容室に行ってみようと思う。


モヒカンにしてこようと思う。


ボクは明日の記念事業のステージで司会者なのである。アハハハハハ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連休?1日目

2007-11-23 21:05:34 | リトルリーガーの記録
県内外の8チーム(リーグ)が集まっての交流戦が終了した。
この交流戦の企画運営は少年野球経験1年未満の保護者達によるものだった。
大成功だったと思う。SGA保護者会長(只者ではない唱害者)を筆頭に、みんなよく頑張ったと思う。それから、参加してもらった各リーグの指導者と保護者の方々にもお礼を言いたい。もちろん、我がリーグの監督、コーチにだってお礼を言いたい。

「ありがとうござました!」



さて、マイナー(四年生以下の低学年)の試合は、Cコートで4試合が行われた。
Cコートでの4試合目は、長崎のNKリーグと我がKMリーグだった。
ボクはサード塁審を務めていた。
試合終了後の両キャプテンによる握手がすごかった。
我がKMリーグのキャプテンは、この試合で5回を投げきった3年生のRUS選手。相手リーグのキャプテンはもちろん4年生で体も一回り大きい。
試合は8-3でKMリーグが負けた。
だけど、試合が終わっても、子供たちはガチンコ状態だった。
両キャプテンは鬼の形相でお互いの手を握りつぶし合っていた。長い握手?だった。



メジャーは1勝1敗だった。
ちなみにマイナーは2敗。午前の第1試合はちゃんと見れなかったけど、9点ビハインドから8点を奪い取る猛攻があったらしい。
負け犬の遠吠えってヤツをブチかましたい。
「我がKMマイナーリーグに4年生はいない!。3年生が4人、2年生が3人、1年生が2人なのだ!。どうだッ!。」

あ~スッキリした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

72時間

2007-11-21 22:47:58 | 雑談の記録
72時間ぶりにフロに入った。
ハァ~、サッパリした。

今日は標高600m地点の高地で、ブルブル震えながら観測装置の取り付けをしてきた。
寒かったぁ~。

だけど、今週の闘いは明日からなのだ。

22日 資格更新の講習会&試験。
23日 県内外8チームが集まる大会運営。
24日 午前は解析業務、午後は10周年記念事業の準備とリハーサル。
25日 10周年記念事業及び午後の部での司会業務

出来るとこまでやってやる。

ガンバレ!hiratakuwa!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界で1番②

2007-11-21 09:46:59 | 雑談の記録
こんにちは。

ところで、世界で1番切り替えの早い人間は誰か。


ボクだ。

だけど、その恐るべき速さを発揮できるのは、いろんな人に支えられているからなのだ。


42時間前に発生した様々なトラブルも今朝には終息を迎えることができた。

この間、直接会ったり連絡を取った方々と、ボクを慰めてくれた物体は以下のとおり。

カミさん
ユー
ホースケ
リョー坊
GTO院長
GTO夫人
KTH団長
硬式ボール
NKMパパ
グラブ
ハネ
NKHママ
SGAパパ
軟式ボール
SGAママ
KHR衆議員
バット
サッカーボール
NGTパパ
GTOグランドの芝
NGTママ
八千代座
夕日
アマリ大臣と南アフリカに行っていた心の友人で子供の名前にビールの銘柄をつけたKRH
大学生になったとき初めて声を掛けた美しく知的な女性で子供の名前にビールの銘柄をつけることに同意したKRHママ

そして多くの多くの読者の方々

本当にありがとう。

hirtakuwaは、頑張るけんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界で1番

2007-11-20 22:29:53 | 雑談の記録
世界で1番の腐れ外道は誰か。


ボクだ。




正義を貫くことが出来ない。



クソッタレ野郎だ。




読者のみんなを裏切っている。



脅しに屈した人間だ。



世界で1番の弱虫だ。



さようなら。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チームドクター

2007-11-20 00:38:55 | 雑談の記録
一人のドクターを知っている。子供の頃、一緒に遊んだ記憶がある。
川崎Fを辞職した前チームドクターだ。39歳、熊本の出身だ。
また、ボクは、そのドクターのことを世界で1番良く知ってる人物と友達だ。
その人は自分のサッカーグランドを所有していて、Jリーグが発足する前のことだけど、そのグランドで日本代表選手の合宿が行われている。クラブハウスには、若き日の三浦選手、ラモス選手、その後Jリーグで活躍した選手達の写真が飾ってある。

その人から相談があった。
前チームドクターと我那覇選手の名誉回復ができないものかと。

11月6日の日経新聞の記事を下に貼り付ける。
見にくいかもしれないけど、みんなに読んでもらいたい。


記事中にJリーグドーピングコントロール委員長の名前が載っているけど、要するに、この人のミスなのだ。
だけど、この人はどこか私大の学長を務めていて、日本の「ドーピング」界の権威で、近々、世界反ドーピング機関(WADA)の委員だか委員長に推薦されるらしい。
Jリーグとしては、その人を傷つけたくないってことなのかもしれない。
しかし、その人には既に大きな黒いキズがあるって噂もある。


11月17日の日経に掲載されていた記事によれば、我那覇選手のドーピング問題が15日の参院文教科学委員会で取り上げられ、文科省は16日、Jリーグから21日に事情を聴くと決めたそうだ。

我那覇選手と前チームドクターの名誉回復を祈るばかりだ。
そして、もし本当に「黒い指導者」と「黒い選手」がいるとすれば、その真相究明を願いたい。
頼んだぞ!。みんな!。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅立ち

2007-11-19 00:22:48 | 友人の記録
ボクには友人がいる。
ボクより14歳年上の人だ。つまり52歳だ。
名前はAKI。いつもAKIさんて呼んでる。男性だ。
馬術の元国体選手で、一時期、JRAで騎手の教官をやってた人だ。



リョー坊が野球を始める以前のことだけど、週末、入り浸っていたライブハウスあがる。
「かみひこうき」って名前のライブハウスだ。
とうもろこし畑に囲まれた1軒屋のちっちゃなお店だ。
そのお店のマスターがAKIさんなんだ。
AKIさんには音楽のこと馬のこと、いろいろ教えてもらった。
AKIさんに気に入られちゃって、八千代座ライブの司会も3回やった。



AKIさんには奥さんがいる。
HUUさんていう、元シャンソン歌手だ。
二人は深く愛し合っている。

そのHUUさんが、AKIさんに内緒で、千葉県八街市の乗馬クラブのインストラクターの求人に履歴書を送ったんだ。乗馬クラブのオーナーは、即、採用を決めたらしい。

そして、AKIさんは、東京に旅立つことを決意した。
出発は12月1日。
そして、今日が、AKIさんの追い出しパーティーだった。

AKIさん、いってらっしゃい。
健闘を祈ってます!。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

致命傷!?

2007-11-17 07:46:04 | リトルリーガーの記録
鏡の前で真剣に腕振りをしているリョー坊を見ていて気が付いた。

「目ぇつぶって、力ばぬいて振ってん」

左右で腕の振る大きさが違った。
特に、腕を後方に引いたときの違いが大きかった。
後方に引いたときの右手と左手の差は3~5cmだった。

これを良いように考えれば、「右肩の柔軟性が増した」ってことになる。

・・・・しかし、



話しはかわるけど、機械(メカニカルマシン)における故障や事故の原因は、部品の消耗を除けば、多くは偏芯荷重だったりする。つまり、ガタ、アンバランスはダメだってことなのである。

ナニが言いたいかっていうと、リョー坊がアンバランス化するかもしれないってことなのだ。

歩行は人間の基本動作だ。
この基本動作は、手足の対称的な運動が基礎となっていて、その延長線上に「走り」があるとボクは考えている。

だけど、その対称性が損なわれるとどうなるか。偏荷重が生じ、骨・筋肉に歪みが蓄積されていくだろう。そして、言わずもがな。


取り返しのつかない故障につながる可能性がある。




さて・・・、サウスポーなんてどうだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腕振り

2007-11-15 18:46:22 | リトルリーガーの記録
走りの技術についてアーダコーダ言えないボクは画像で指摘するくらいしか脳がないから、こないだリョー坊の走りを前・後ろ・横・斜めから撮影したんだけど、撮りっぱなしで見るのをすっかり忘れていた。

そういうワケで何日かたってリョー坊が見たいと言い出したとき、せっかくだからアサファ・パウエルの走りと比較して見てみようと思い立ったボクは、YouTubeでアサファパウエルの動画を探してみたのだった。

すぐに見つかって、リョー坊と二人でじっくり観察した。

一番最初にわかったことは体がブレていないということだった。
そして、ブレていないとはどういうことなのかを二人で考えてみた。

いろいろ考えてみた後、リョー坊の走りを見ることにした。

リョー坊の走りは端的に言えば、「欽ちゃん走り」風なのであった。
つまり、腕の動きが横方向にも大きく揺れているってことだった。そのせいで体も揺れていた。他にもヘンテコな部分はあったけど、まず、体をブレさせないことが大事だろうってことになって、腕の動きを前後に振るよう努力していこうってことになった。

そして、腕を前後にキレイに振るにはどうしたらいいだろうってことになったんだけど、めんどくさくなったボクは「自分で考えなっせ」と言い放った。

数日が経ち、リョー坊に聞いてみた。
「どぎゃんするといいと?」

リョー坊は、リビングと和室を隔てるフスマの縁に立ち、フスマを肩幅より少し広く開けて、そこで腕振りを始めた。

家族全員から「お~っ」と感嘆の声が上がった。

「はやく、振ってん」ボク

『バチッ、ガシッ!』
指、肘がフスマ及び柱を直撃した。

ボクはぐっと笑いをこらえた。

・・・・だけど、真剣に速く腕を振れば振ろうとするほど肩に力が入り、腕振りはヘンテコな形になっていった。

ボクは我慢ができずにとうとう笑い出してしまった。

リョー坊は泣き出してしまった。
「一生懸命やっているのに、笑わんでぇ!」
そう叫ぶと、暗い和室のフトンに突っ伏した。

「馬鹿たれがぁ!、そぎゃんこつで泣くな!、笑われたくなかったら、笑われんようにやるまでたぁ!」

そのあとリョー坊は、風呂場や玄関の鏡の前で自分を見つめながらひたすら腕振りをやっていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする