1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

一人映画

2010-09-30 18:42:17 | ライブの記録
こないだ、ふらりと入った映画館でみた映画の邦題は、
「闇の列車、光りの旅」
入口に貼ってあったポスターの中の少女が、ボクを見透かしているかのようだった。
そんな目に惹かれてチケットをうっかり買ってしまった。

原題は「Sin Nombre」。
邦訳すれば、「名も無き人」、とでもなるのかな?。

・・・・ボクは命を懸けた旅行はしたことはないし、今後もその予定はない。

「名も無き人」は映画に過ぎない。
だけど、中南米の「名も無き人」の命懸けの旅ってのは、これは確かな事実のよう。

・・・・ぬるま湯に浸かった「名ばかりブタ」を知った。
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ライブ1番!

2010-09-26 23:06:54 | ライブの記録
アラサーとアラフォーの女子が殆どだった。
印象的だったことは、真性アラフォーというよりは仮性アラフォー女子が懸命にアンチエイジングにチャレンジして、その空間にやって来ていることだった。

その空間とはBe-9という名のライブハウス。

ボクは、アラフォー彼女に誘われてそのライブハウスに行った。

本日、PM7:00からEGO-WRAPPIN(エゴラッピン)のデッドヒートツアーだった。

やっぱり、ライブはいいねぇ~。年甲斐もなく、ノッテしまいました。

ダブルのアンコールステージが終わり、外に出ると、女子たちのこんなつぶやきが聞こえてきた。
「・・・チョット、足にきた、あした、大丈夫かな・・・」
笑えない自分がいたけど、思わず笑ってしまった。

ま、そんなライブ話しはさておき、今日は早朝から次女のバドミントンの新人戦の送迎で女子中学生5人を乗せて山鹿総合体育館に行った。
次女のホースケは昨日の2回戦ですでに敗退していたし、まぁ、それほど女バドに興味はなかったから、アリーナからのチラミを済ませると、体育館の隣にある山鹿市民球場へ向かった。

なんと幸運なことにボーイズの県大会が行われていた。

知った選手もチラリ、ホラリ。ラッキー!。

やっぱり野球も生が一番!。
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ジンクス

2010-07-25 18:34:02 | ライブの記録
準決勝戦をネット裏からお一人様で観戦した。

試合開始の1時間半前にいつものところに座った。

試合が始まる前までのアップの様子はツイッターに少し書いたけど、その中には躊躇があって書かなかったことを記録しとこうと思う。

ベンチ入りが早かったのは熊工。
選手は道具整理を終えるとベンチ前に並び一礼。そして、芝生エリアでストレッチが始まった。

しばらくして八代東がベンチ入り。
道具整理が終わり一礼、そして選手達は外野へ向かうと整列してランニング前の歩行を始めた。そのレフト側外野を広く一周した歩行は足並みが揃っていて、それがボク的には一番印象的だった。
歩行が合う、足並みが揃っているということは、呼吸が合っているということ、気持ちが合っているということ、つまり、ザクッと言ってしまえば、気持ちが一つにまとまっているということ。

八代東のランニングが終わり、ビニールシートの上で入念なストレッチが始まった頃、熊工の歩行が始まった。足並みは揃っていなかった。

そういう違いが試合を支配するとは思っていなけど、一戦必勝、負けたら終わりという場面では結構大事なことだと個人的には思っている。

試合開始早々に熊工は1点を奪われるけど、それは内野の連携ミスが発端(他にも内野にミスがあったけど、「勝負のアヤは内野守備にあり」と愚息が指摘したとおりだったからちょっとビックリ)。
確かに、今日の月田君は調子が良くなかったように見えた。2回の投球中に、二球続けてスッポ抜けを放ったのを見て、こりゃヤバイことになると思った。左腕を軽く振る仕草も気になった。
心中覚悟が、野手に吉と出るか凶とでるか・・・・そんなことを思ってしまった。

残念ながら熊工野手陣のバッティングは・・・・。
悔いの残らない己のバッティングをしようという気負いがあったのか。
春の大会やNHK旗で見せてくれた逆方向を徹底的に意識したシャープなバッティングは鳴りを潜め、フライが上がるばかり。・・・・それとも、意識しすぎだったのか・・・。
業を煮やした年配の高校野球ファンが叫んだ。
「転がさんかいっ!」

回を追うごとに熊工選手は固くなり、そして5回に不運が襲いかかる。

ライナーが月田投手の左膝を直撃。
マウンドに跪いた月田君は、控え選手に背負われてマウンドを降りた。

球場の熱が逃げていった。

再び、月田投手はマウンドに上がったけど、投球後は歩くのも精一杯の様子。

これ以上はボクも辛くなるから書けない。

だけど、八代東は鍛えられていた、ホントに。
自分達の野球を信じているという姿勢を強く感じた。

決勝は、スター軍団の九州学院との対戦。
2007年は同カードで八代東に軍配。

しかし、NHK旗のジンクスというのは・・・・。

いやいや、準決勝戦で応援団の団旗が破れたというのが・・・・。
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エール

2010-07-22 22:07:42 | ライブの記録
ボクは読者の皆さんのご期待にこたえるつもりで行動しているわけではなく、だから、「あぁ~、・・・やっぱり・・・」と思われるのは本意ではないと思っている今日この頃、みんさん如何お過ごしですか。

今日も暑かったですね!。

九州学院vs東陵の第三試合は延長11回と長引いて、第四試合の開始時刻が遅くなったのが幸いしたのでした。



仕事もちゃんとして、自分に課しているノルマもちゃんと果たしたボクは、正々堂々?と球場に行ったのだった。

ベスト8を懸けた戦いだったけど、母校は全校応援の様相でスタンドは黄色い帽子でビッシリだった。

スタンドで何人かの同級生と合流し観戦した。

結果は残念ながら1-10の7回コールド負け。

序盤の失策、四球がらみの失点が痛かった。
失点の前にエース君のバランスが崩れたと思ったら攻めの姿勢が一転し、主軸に長打を食らい降板。しかし、つづく2番手、3番手も長短打を浴びてKO。攻めも相手エースに抑えられ済々黌らしい展開にはならなかった。唯一の希望は、打点を挙げたのが身長161cmと小柄な1年生選手であったこと。あの場面でよく食らいついき左前適時打。そういうのも高校野球なのだ。

試合が終わり、女子応援団長が国府高校ナインにエールを送った。
それに続き、済々黌の学生達がエールを送った。
「ふれーっ!ふれーっ!こ・く・ふ!、フレフレ、こくふ~~ワァ~~」
一塁側の黄色いメガホンが大きく揺れた。

国府ナインは3塁側ベンチ前に脱帽して整列していた。そして、一礼した。

3塁側スタンドからエールが届いた。
「ふれーっ!ふれーっ!せいせいこう!、フレフレ、せいせいこう~~ワァ~~」
野球部員の緑のメガホンが一様に揺れ、その揺れがさらに大きくなったと思ったら、その揺れがパタリと止まった。一呼吸おいて大声援が1塁側スタンドに届いた。

「ありがとぉ、ありがとぉ、せいせいこぉ~、ありがとぉ~」

1塁側スタンドに拍手が沸いた。


やっぱり高校野球はいいですね!。


明日は、ユーちゃんの高校野球ブラバン応援デビューです。

え?明日のボクの予定ですか?

もちろん仕事デス!。
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お初!、女子団長!

2010-07-18 18:47:44 | ライブの記録
顔がメチャクチャ痛いでござる!

浮気がバレてカミさんに顔面パンチを喰らったという、もっともらしい理由で誤魔化したいところでござるが、本当の理由はヒドイ日焼けでござる。

どこで日焼けしたかって?。

藤崎台球場でござる。

昨晩、DJTAKこと我がハゲ団長からメール。

「・・・明日は母校の試合が8:30から云々・・・」
速攻で返事をしたでござる。
「了解!」

そして、今日は、藤崎台球場で行われた高校野球を3試合、ぶっ続けで観戦したのでござる。

1試合目は、玉名VS済々黌
2試合目は、第二VS水俣工
3試合目は、鎮西VS熊工

1試合目は、0-8で母校の7回コールド勝ちでござったが、応援団長が女子であることに腰を抜かしてしまったでござる。だけど、その女子団長、カワユイでござるだった。ちゃっかり写真撮ったてござるが、画像はDJTAKのツイッターから拝借するでござる。
時代は変わっていくでござるナ。



にしても、DJTAK団長、暑いからといって、ムスコが一緒に来てくれなかったといって、缶ビール7本は呑みすぎでござるっ!。



2試合目は、以前、我がチームでコーチをしてござったOTKさんとこの長男のSYT君がベンチしている第二高校を応援したでござるが、9回までシーソーゲームの手に汗握るシビレル試合で5-4で勝利。応援にきている学生諸君よりも保護者(オヤジたち)の盛り上がりのほうがスゴかったでござる。

3試合目は本日一番の注目カードでござった。長女が熊工に通っているから当然熊工を応援するのでござるが、鎮西野球も大好きなのでござる。
なぜかって?。
それは、鎮西野球は身体能力で勝負をするからでござる。
残念ながら?3-10で敗れたでござるが、鎮西らしいビッグプレイが随所で見られて嬉しかったでござる。それにしても、今年の熊工は強いでござるナ。ブラバン応援はベスト8からと聞いてござるが、ユーちゃんは甲子園もその気になってる始末でござるヨ。



しかし、やっぱり高校野球は地方予選につきるでござるな。
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あちゃぁ~

2010-06-18 17:51:35 | ライブの記録
「・・・・さっき、ブレーカーズさんとこに電話したら、SOLD OUTって言われてかんね~・・・・」

「・・・そうとたいね~、今日は席が用意してあるとことたい・・・」

「・・・・立ち見とかも難しいとだろ~・・・・」

「・・・・う~ん、今日はねぇ・・・ばってん、ライブはまだまだずっとするけん・・・・」

「・・・・ハァ、そっかぁ~、今日はムリかぁ~・・・、う~んわかった~、じゃぁ、今日は頑張ってねぇ・・・」

「・・・・ありがとう・・・・」


今日はとある講習会で講師を務めたりして一息つきたく思っていて、友達の東田トモヒロ君のライブに行くつもりでいたんだけど・・・・。

それで、会社に戻って東田君のWebサイトを覗いたら、なんと今日のチケットは売りきれ御免。

あちゃちゃぁ~。

当日分があるのではないかと一縷の望みをかけて問い合わせ先に速攻で電話するも、「売り切れ御免なさい」だった。

あちゃちゃぁ~。

それで、東田君に直電したってワケ。

後ろからリハ中のサウンドが聞こえていた。

東田くん、またね!。

東田トモヒロ
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Calling You

2010-06-12 10:56:51 | ライブの記録
いや~、ヨカッタ、ヨカッタ。

昨日は、、友人NKT君率いる”The Three Sizes”+セツエリコ(Vo)のライブをLive Café Bar BAHIA(バイーア)に観にいったわけだけど、結論から言うと、大変ヨカッタです。

最初の2曲くらいは、奏者もお客さんも緊張が隠せない雰囲気が漂っていて、これはどうなるのかなって心配したのだけれど(既にボクは酔っぱらっていたのだけれど)、途中から加わったボーカルのセツエリコさんの「ヨシ!、イっちゃうゾ!」っていうノリがお店全体に華を咲かせたのでした。
The Tree Sizesのファンよりセツエリコさんのファンが多かったのでは・・・。
う~ん、ボクもどちらかと言うとセツエリコさんのファンになってしまったような・・・。




セツエリコさんの歌声を聴いて思い出した人がいました。
それは以前、ボクが大好きだった“Jan”のボーカルのホッケちゃん。
ホッケちゃんは元気なのだろうか。
何度かライブを観にいったけど、最近はどうしてるんだろう。
そんなことを思い出したのでした。

さて、ユーチューブでセツエリコさんの歌声が聞けます。
セツエリコさんの「Moon River」が聴けます。
この「Moon River」は昨日の「Moon River」とはだいぶ味付けが違うのですが、昨日の「MoonRiver」を聴きながら、ボクは砂漠が頭に浮かんだのでした。
ライブのあと、ボクはベースのOGRさんにその感想を話したところ、まさにそのイメージでアレンジしていたのとのこと。そう、やはり映画「BAGDAD CAFE」のテーマソング「Calling You」だったのでした。

ライブのあとは、ミュージシャンとこういう会話が最高に楽しいですね!
ヤッホー!
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Swing Amor

2009-10-18 08:22:28 | ライブの記録
中学んときの同級生にサックス奏者として生計を立てている友人がいる。NKT君だ。年明けの学年同窓会ではウェルカムミュージックみたないなカタチでJAZZをやってもらう予定なんだけど、昨日はその打ち合わせを兼ねて、彼のライブを観にいくことにした。
熊本市の繁華街では、年に数回STREET ART-PLEX KUMAMOTOっていうイベントがあって、テレビとかには出てこないけどその方面の実力者たちが演劇や演奏やパフォーマンスを街中に設けられて各ステージで披露するというような催しがあるんだけど、そのJAZZ部門でNKT君が出演することになっていたからなんだ。

昨日の朝の連絡では夕方6時からシャワー通りのスターバックス前って聞いてたら5時45分くらいに行ったんだけど、そのステージにはナナナント「Swing Amor」がっ!。

「おおっ、ラッキー、ラッキー」
しばらく、彼らのリハーサルを楽しんだのだけれど、スタッフから貰ったパンフをのぞいたらそのスケジュールにNKT君の出番は7時からになっていた。

「あ~、hiratakuwa君、ゴメン、ゴメン、7時からだったぁ~」

「い~よ、い~よ、オレ、いまやってるSwing Amor だい好きやし~」
「え~、ホント、よかったね~」
「だけど、7時前にはここば出らにゃいかないかんとたいね~」
「なんでぇ?」

昨日のお昼過ぎに同級生のMTK君から、7組のクラス幹事をしばらくやってくれてたIWN君のお父さんが亡くなったっていう連絡があって、ボクはそのお通夜に行かなくちゃいけなかったんだ。

「あ~、だから今日はそういうカッコなのね」
「そうそう」

結局NKT君の演奏は聞けなかったけど、SAの演奏は十分楽しむことができた。
また、観衆の中に同級生のNKY君がいたりしてイロイロ話をすることができた。
行ってヨカッタ。


2004年に結成されたジプシースイングバンド。現在、熊本を拠 点にカフェ、ライブハウス等で活動。 2006年4月に、オリジナル曲からスタンダードなジャズナンバ ーまで珠玉の12曲が詰まった1stフルアルバム「GYPSY SWING JAZZ」をリリース。 2007年7月にノルウェーのジプシージャズ老舗レーベルから発売されたコンピレーションアルバム『DJANGO FESTIVAL4』に参加。...

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IT TLME

2009-05-29 11:07:18 | ライブの記録
父と母
越えられないもの、帰るところ
強さと優しさ
その行ったり来たりが人生
『旅』なのかもしれない


昨日、ある学会のお手伝いの帰りに、熊本市現代美術館へ寄った。
上の文章は、その美術館で催されている展覧会に置かれていた感想ノートに記したもの。

この展覧会、昨年、上野の森美術館で幅広い年齢層に爆発的好評を得たもので、その巡回第一号として熊本にやってきたもの。作者及び作品が、熊本に縁がある故のためだろう。

井上雄彦 最後のマンガ展


マンガの進化が楽しめます。
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久々高校野球観戦

2009-04-08 16:11:25 | ライブの記録
春季高校野球熊本大会の覇者となったのはルーテル高校。

4月6日の決勝戦、秀岳館高校VSルーテル高校を観戦することができた。

観戦の大きな目的は、県内No.1と言われている秀岳館の梅田投手と我がKMMシニア出身の酒田投手をじっくり見ることだった。

球場で入場料を払ってたら現役シニアの新3年生球児とバッタリ。
「ピー君は一緒じゃないんですか」
「ごめん、おじさん一人たい」
その球児たちは「ナンデ?」という表情を作った。


ネット裏のいつもの場所に腰を下ろしたときは、既に3回でスコアは1-1。
ルーテルの攻撃中でマウンドに立っていたのは、梅田投手ではなく、長身(推定190cm以上)の国吉投手だった。

長身から投げ下ろす球は魅力的・・と言いたいところだけど、ボクにはあまりピンとこなかった。
なんていうか、体のバランスがボクの好みじゃなく・・・、なんていうか、下半身をもっと鍛えてもらいたいというか、でも、下半身の力はもっと抜いたほうがいいんじゃないっていうようなかんじだった。

一方、酒井投手は、記憶があやふやだけど、4回途中で四・死球がらみで2番手投手に交代してしまって、いいところを見ることができなかった。だけど2番手の井川投手の気持ちのこもった投球はよかった。井川選手は右投げで身長186cmの力投派投手といったところ。ただ、変化球のすっぽ抜けが今後の課題のような気がした。後で知ったことだけど、井川投手もKMMシニア出身だった。
さっき、昼休みにグランドに行ったら、リトルの練習をネット裏から見学している老人と遭遇。
挨拶を交わすと、ナナナントその老人は井川選手のお祖父さんだった。
あービックリした。

さて、梅田君、去年の夏季大会では準決勝の最終回でバッテリーエラーで涙をのんだんじゃなかったっけ?。秋季大会は優勝投手。
梅田君は5回からだったかな、国吉投手や井川投手を見たあとの出番だったから、かなり小柄で痩せて見えたけど、球速とキレは他を寄せつけないものがあって評判通りだった。
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立志式当日

2009-02-05 18:30:26 | ライブの記録
立志式は無事終了。

ボクは、案内状のとおり、午後3時に校長室に着いた。
校長先生と正面向かって言葉を交わすのはこれが初めて。
校長先生は今年いっぱいで退職とのこと。中体連の会長もやってるとか。学校緑のコンクールでは全国制覇に王手がかかっているとか。以前に比べ、生徒は落ち着きを取り戻し、成績が上がったとか。美術部の生徒と看板専門家に作成させた巨大壁画に自分の姿が描かれているとか。除幕式には新聞社が何社来たとか。

そんなのボクにとってはどうでもいい話。
だから、久しぶりにおべんちゃらを連射しなくちゃいけなかったけど、的を外していたかもしれない。

ま、そんなことはさておき、
立志式でのボクの励ましのことばは・・・・、それなりにウケた。

このバカブログのヘビーな読者は聞いたことがあるかもしれないけど、以前ブログで紹介したエピソードを交えてこんな話しをした。


こんにちは。
ただ今紹介頂きました保護者のhiratakuwaです。
今日は、立志式ということで何を話すべきかさんざん悩みましたが、私の中学校時代の、あまり話したくないことを、あえて、お話ししようと思います。この話しは、先生方にとっては、少々耳の痛いものとなるかもしれませんが、生徒のみなさんにとって、励ましというか、応援というか、踏み台になればいいなと思います。

さて、おじさんは、数年前、桜木東小学校でPTAの会長をやっていたのですが、先ずは、そのときの話しから始めようと思います。

PTAの役員になると年に1、2度、近隣の小中学校のPTA役員や校長先生が集まる会議に出席することがあるのですが、その情報交換の会議で、偶然、中学校のときの先生に会ったんです。その先生は、当時、理科の先生で、担任になったこともなければ授業も受けたことがなかった先生だったんで、自分のことなど憶えているはずはないと思い、その先生には、懇親会でも特にあらてめて挨拶はしませんでした。
ところが、その先生は私のことを憶えていて、その憶えていた理由をビール片手に話してくれたんですね。

その一部始終はこんなかんじだったんです。

「西君、憶えとるね。」
「は?、何のことですか?」
「君が企画した文化祭のことタイ」
「いや、あんまり覚えとらんです。ばってんですね、文化祭が終わった後のことは良く憶えとっとですよ。
「体育館でやったステージの企画のことたい、憶えとらんとね、あの企画は問題になっとよ、反対する先生も多くてね、夜遅くまで職員会議でもめたよ~」
「あっ、そうですか、それはご苦労さまでした。ですけど、私が思い出せることと言えば、そのステージが終わって、教室に戻ってきてからのことだけですよ~。」

こんなかんじでしたぁ~。

おじさんは、当時の文化祭の実行委員長で、おそらく「ものまね大会」みたいな下らないステージショーを企画したんじゃないかな。
トニカク、体育館でのステージが終わって充実した気持ちで教室に戻ったんです。いや~面白かったね~なんて友達に言われながら帰り支度をしてたら、突然、校内放送が始まったんだ。スピーカーから聞こえてきたのは、暴力的な生活指導の先生の声。
「今から名前を呼ばれた者ぉ~、今すぐ、職員室に来なさい、・・・何年何組ナントカカントカ・・」
呼ばれたのはおじさんと仲の良かった友達ばかりで、次々に呼ばれるんだけど、呼ばれると「ア、ヤラレター」って顔をするわけ。
実は、おじさん達、その頃、学校の近所にあった人の居なくなった住宅を隠れ家にしいて、そこにマンガやエロ雑誌、ゲームとかを持ち込んで、放課後、よーく集まってたの。その場所をE地点なんて名づけていて、文化祭の放課後もそのE地点に集合ということになってたから、その日は学校に持ってきてはいけないものを持ってきていたんだけど、帰り支度をしてたら、校内放送と同時にその大事なモノが無くなってるということに気が付くわけ。

つまり、どういうことかっていうと、生徒たちがステージを楽しんでいるスキに、先生達が勝手に持ち物検査をしていたとそういうことだったんですね~。
要するにね、文化祭に反対していた先生たちの、ボクに対するアテツケだったの。放送で呼ばれた友達たちは、カーテンで外から見られないようなっている指導部屋でボッコボコにされるんですね~。

もともと、おじさんは規則ばっかの学校が大嫌いだったし、先生たちを目のカタキにしてたところもあって、とても扱いにくい生徒だったのね。

で、そのとき、おじさんは呼び出されなかったけど、楽しいはずだった文化祭を最後の最後に台無しにされてしまって、っもう、怒りにうち震えて、たぶん机かなんかを蹴り飛ばしたんじゃなかったかな。その怒りは卒業するまで続いて、誰かに感謝するとかそれどころじゃなかった。卒業してすぐに卒業アルバムやら中学校に関するものは全て捨てちゃって、要するにその学校にいた事実や記録を記憶から抹殺したかったんです。


さて、おじさんほど極端じゃないまでも、今の君たちもそれほど変わらない状況に置かれているんじゃないのでしょうか。つまり、君たちは、現在、複雑の中に生きていると思う。
学校のこと、友達のこと、勉強のこと、部活のこと、家族のこと、お金のこと、自分のこと、将来のこと。
そんないろんなことが、一度に見えてきてしまう時期で、だから、イラついたり、落ち込んだり、反発したり、意地悪してみたり、悲しんだり。騒いだり・・・。

例えて言うなら、いま、君たちは、複雑交差点に立っているのかもしれない。
複雑交差点には、いろんな方向から、いろんな車が、いろんなスピードでやってくる。もし、その複雑交差点に交通整理がなかったら、その交差点では事故がたくさん起こるよね。だから、そこでは交通整理が必要なんだけど、今の君たちはまだ初心者だからその交通整理がうまくいっていないだけ。

ひょっとすると大人になるっていうのは、その交通整理が少しだけ上手になるって、そういうことなのかもしれない。

そう考えると、今日、この日から君たちに立派な大人になれなんてともても言えない。

だけどね、君たちの交差点が、少しでもスムースに行き来できるようにとおじさんは願ってるし、先生や親の役目は、君たちの交差点に進入してくるいろんな車をほんの少しだけコントロールすることだと思っています。

いま、君たちの交差点ではたくさんの事故が起こっているかもしれないけど、交通整理が上手になってくると、だんだん事故も減っていって、それと同時に、その交差点から一本の大きな道が見えてくるようになると思います。あとは勇気を持ってその道を進めばいいと思います。

その道は平坦じゃないし、横からの飛び出しもあれば、後ろから追突されることもあるし、上から落石だってあるかもしれない。たまには、スピードを上げて前の車を追い抜かなくちゃいけないこともあると思います。また、あるときは酷い事故現場を横目にしながら通り抜けなくちゃぁいけない。

もうすぐ君たちは、事故ばっかりの交差点から、自分の道へ向かって出発することになると思いますが、その道を進むにあたって、ルールを守ることが大事であることも忘れてはいけません。最初は誰はでも初心者です。人生の入口、大人への一歩なんて、そんなものです。

ただし、君たちに「人生の免許証」を交付するのは、まだちょっと早いかなって思います。

なので、この立志式を迎えるにあたりまして、おじさんは「人生の仮免許証」を君たちに交付したいと思います。

校長センセー、いいでしょうか。

FKSセンセー、YMZセンセー、生徒の代表を呼んでもらっていいですか。ま、だれでも構わないのですが、生徒会長さんとかでも、仮免許証を準備してきたんで、これをここで渡したいので・・・・、



仮免許証(人生)!
S中学校2年生 平成6年生まれ NKH君!
S中学校2年生保護者会則第100条の規定により、貴殿のこれまでの人生を称え、ここに、人生の仮免許を得たことを証する。
平成21年2月5日木曜日。
2年生保護者会指定機関 人生認定委員会 代表hiratakuwa!

おめでとう!


あ~、オレって、バカぁ~。
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定期演奏会

2009-01-10 22:45:38 | ライブの記録
今日は寒波来襲ってことで、グランドでは盛大な焚き火をやって気分はどんどやだった。
だから体中焚き火の匂いっていうか煙をまとった状態での帰宅になった。
開演1時間半前だった。

午後6時、熊本県立劇場に到着した。コンサートホール前はごった返し。
車をとめに行っていたカミさんと落ち合うと、ユーとリョー坊の四人でホールに入った。
会場の係員が1、2階はほぼ満席であることを告げ、3階へ行くよう案内した。

6時半、いよいよ公演が始まった。

創立百十周年記念 第45回 熊工定演
つまり、熊本県立熊本工業高校吹奏楽部の定期演奏会。

もう、めちゃくちゃよかった。カッコよかった。面白かった。凄かった。
なんてたって、今年は全日本マーチングコンテストで金賞を受賞してるから実力は確かななんだけど、まさか、ここまで素晴しいパフォーマンスを見せてくれるとは思ってなかった。
ハッキシ言って感動しました。
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演歌、これも縁か。

2008-11-19 20:58:07 | ライブの記録
「西岡はるみ」という超有名な地元の演歌歌手を知っている人は素晴しい人だと思う。

先々週末の日曜日、ある強権的な人物から「西岡はるみ」のコンサートチケットを託された。支払いの済んだ9枚。コンサートに足を運んでくれる人物にのみ配布するように頼まれた。コンサート日時は11月17日(月)曜、開演は6時半。

超有名な地元の演歌歌手のはずだから、チケットはスグに捌けるだろうと思っていたが・・・。
・・・それで、木原稔君の選挙事務所を訪ねた。すると翌日には5枚さばけた。残り4枚。うち2枚は校区の自治連合会長にお願いして捌いてもらった。最後の2枚、ボクとSGAオヤジの分だった。

コンサートには行った。有名な演歌歌手のステージだから感想は記録しない。コンサートでは、マッジクショーや腹話術ショーなんてのがあったけど、感想は記録しない。コンサートは「チャリティ」が冠されていて、収益の一部が2、3の団体に送られるなんていう式典みたいなもんもあって、その団体にKMMリーグも含まれていたから、SGAオヤジはステージ上で大袋3つ分の記念品をもらったりしたけど、それは有り難かった。

・・・・でも、疲れた。
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コンクール2

2008-08-18 11:57:19 | ライブの記録
気が付けば8月に入ってから一度もこのバカブログを更新してなかった。

ナニシロ、今年は暑くてさ、やってらんない状態なのネ。おまけに忙しくてさ。
そんな言いワケはどうでもいいんだけど、昨日は長女ユーの九州吹奏楽コンクールの応援に行ってきた。

早朝5:30に学校を出発し、北九州市大手町到着は7:30分。
会場は、パイプオルガンが売り物で約2000人収容のナントカ厚生年金ホール。開場は9:00で、子供達の出番は2番目の10:00だった。

結果は銅賞だった。
ボクは前日のアルコールが抜けてない状態での謹聴だったワケだけど、ホントに緊張していたのは子供達だった。
音は上滑りしてテンポも早く、超ヤバイって感じで、応援どころじゃなくってボクは頭を抱えてしまった。
それが実力というものなのかもしれない。
しかし、S中吹奏楽部として初の九州大会出場は立派なことだった。

コンクールは午前と午後の部に別れていて、表彰式も午前と午後に別れていた。だから、午前の表彰終了と同時に観客総入れ替えのために、観衆は全員退場しなくちゃいけないんだけど、結果を残せなかった子供達は失意の中で追われるようにしてエントランスを通って外に出るんだ。外は、午後からの観衆が長蛇の列を作っていて、エントランス付近はごった返し。悲愴し泣き崩れる学生とこれから演奏を控えた学生やその応援の保護者が、容赦なく照りつける夏の日差しの下をすれ違っていく。

「立派だったぞ」
それしか言えなかった。


話しはかわるけど、コンクールの前日にはチョットした会合があった。
中学校んときの同級生の集まり。
20100102、この対称数列の日に大々的?に同窓会をやることが決まったみたい。
んでもって、実行委員長だか会長だかなんだかよくわかんないけど代表を引き受けたのはボク。
どうしよう。
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コンクール

2008-07-30 12:05:05 | ライブの記録
月曜日の夕方から、子供達が保有してたウィルスに感染してしまって、約24時間に渡って38.5°以上の高体温をキープする夏風邪に罹ってしまったワケだけど、先週末の土曜日は、長女ユーの吹奏楽部のコンクールがあって、日曜日は資格試験で福岡に行ってたりで若干忙し目ではあったんだけど、その日の夜9時過ぎになってSGAオヤジからリーグ会長と飲むからって連絡があって、その晩は3時まで付き合ったんだけど、翌月曜日は、山岳橋梁の補修・補強調査のための現地視察で橋脚観察のために谷底から現場まで鉈鎌を右手にブッシュ(笹ヤブ、蔦、灌木類)と格闘しながら登攀したりして、体力をスッカラカンにしたことが致命的だったのかもしれない。

まぁ、そんなボクの悲劇はどうでもいいんことなんだけど、長女ユーのコンクールについて記録しておきたい。

長女ユーが所属している吹奏楽部が出演したコンクールの正式名称は、「第52回熊本吹奏楽コンクール」。主催は、熊本県吹奏楽連盟。そんな連盟があるなんてことは、こないだの野球大会でお世話になったOZU中の吹奏楽部のAKH先生からもらった名刺の肩書きに「「熊本県吹奏楽部連盟事務局長」ってあったことで初めて知ったことなんだけど、トニカク、この連盟主催のコンクールが、各団体にとっては一番の大舞台みないなのだ。つまり高校野球で言えば、夏の大会ってことなのかもしんない。

そういうワケで、各団体は大一番に向けて必死に練習してたことと思うけど、ボクは吹奏楽部の練習ってのは、OZU中の練習を覗き見した程度で、どんなもんがホントの練習なんだろうって想像しにくい部分が未だにあるんだけど、長女ユーの生活スタイルから想像するに・・・練習時間は強豪運動部並みかそれ以上といったところ。
入部当初、「メトロノーム」すら知らなかった音楽音痴のユーが、そんなハードな練習に付いて行けるか心配だったし、楽器は何すんのって聞いたら「トランペット」ってユーからは想像も出来ないような楽器名が飛び出してきたりして、なんでトランペットって聞いたら「パズーが吹いていたのをやってみたいから・・」ってあまりにも子供っぽい答えが返ってきて絶句したりしたものだった。

ユーは小学校の頃、なんちゃってバスケ部の万年補欠の幽霊部員で、その存在感の無さと言えば熊本1位ではなかったろうか。
ボクは最後の試合くらいは応援に行かなくちゃと思って見に行ったけど、それは、それは、ボクにとっては「ツライ」できごとだった。
なんちゃってバスケ部だから、指導方針も「楽しく」をモットーにしていて、それに関してボクは特になんとも思ってなかったけど、部活のあまりの不甲斐なさに保護者の一部が社会体育としてバスケットボールクラブを立ち上げたとを言えば、そのなんちゃってぶりが容易に想像できることと思う。だけど、そのなんちゃってバスケ部も最後の試合は必死に戦ってたみたいで、相手が弱かったのもあったと思うけど、前半は勝ってたもんだから応援に来てた保護者達も大騒ぎ。ところが、「楽しく」をモットーにしている部活の先生は、第3クォーターにユーを投入。
ユーはボールを受けるどころかボールから逃げる動き。幽霊以下だった。
アッという間に逆転され、万事休す。最後の試合も敗戦に終わった。
ボクはこういことも多少はあるかもしれないと思っていたから、他の保護者と離れていたんだけど、そんな試合だったもんだから、ボクは逃げるようにしてじゃなくて、ホントにその場から逃げ出したのだった。

なんていうか、この出来事は、ボクにとって一種のトラウマになった。
だから、中学になってユーには団体競技はやめてもらいたかったし、吹奏楽部も団体であるからして、入部に関して難色を示したのも事実だった。

しかし、子供の気持ちを尊重することは大事なこと。
ボクは自分の経験をもとに、こんな話しをしたことを覚えている。

「ユー、あのな、たぶんな、オマエ、一番ヘタクソだよ。だけどな、ヘタクソでもいいと。いいとよ。でもな、どうせヘタクソならな、一番練習するヘタクソになれ。おとーさんはね、一番練習したけんって、ユーが上手になるかどうかわからん。だけど、一番ヘタクソなヤツが、一番練習をするとそのチームが強くなるってことがあるとたい。だけん、そういうつもりでガンバレ・・・」

ユーは頑張っていたようだった。
だけど、学業や生活態度から「退部届」を出すように迫ったことも何度かあった。

コンクール会場は熊本県立劇場のコンサートホール。出番は、お昼の休憩の後の午後一番。演奏は課題曲1曲と自由曲1曲の会わせて2曲。演奏時間は10分といったところ。
演奏開始5分前には、会場はほぼ満席。我が家のモットーは「子供のハレ舞台は家族全員で応援」なんだけど、早めに来て正解だった。
カミさんに、声を出して応援したりしてもいいのかなって聞いたら「ダメにきまってるじゃないッ」って一喝されたんだけど、ちょうどそのとき「お静かに」というプラカードを持った大会補助員の学生が通路を通り過ぎってったのには笑えてしまった。

そんなこんなしてるうちに、ステージの左袖からS中部員が楽器を運び込み始めた。準備が整った。
指揮者はもちろんFKS先生。自信に満ちてるってかんじじゃなかったけど、どうかお楽しみ下さいという雰囲気の御辞儀だった。
ユーはファーストの位置に座って背筋を伸ばしていた。

そういうことだったのかと思った。
FKS先生が4番エースと言ったのは冗談ではなかったのだ。

ボクは、マトモに聴くことができなかったけど、その後に続いた学校と比べると音が断然綺麗だったってことぐらいは判った。だけど、圧巻だったのは、やっぱりOZU中だった。部員には男子も多く、一歩間違えればバラバラになりかねないアクロバティックな難しい曲をやり遂げたのだった。

OZU中学校の演奏を最後にホールを出たんだけど、ちょうど、出口でOZU中のAKH先生と遭遇して「スッゲーヨカッタですよ」って声を掛けたら「オワ~、ありがとうございマ~ス」ってボクに近寄ってくると両手でボクの右手をぎゅっと握りしめたりして興奮冷めやらぬかんじがなんともヨカッタ。

参加校が多くコンクールは翌日まであったため、結果発表は日曜日の夕刻だった。


知らせは、カミさんからのメールだった。福岡から熊本に戻るバスの中だった。
「九州大会出場決定!」
バスを降りると、ボクは自宅に電話をした。
「九州大会出場が決まったS中学校吹奏楽部の○○○○○です!」
嬉しそうなユーの声だった。

ちなみにOZU中も九州大会出場を決めた。
ボク的にはW受賞だった。

結果一覧
コメント
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