1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

誇り高き選挙バカ×31

2012-12-31 22:26:02 | 雑談の記録
投票所は車で10分程度の距離にある東区の支所でした。生憎、出発したと同時に雨が降り出し着いた頃には本降りになっていました。車は障害者用スペースに駐めることができました。また、おジィさんを抱えて行かなければならないと覚悟を決めたのですが、おバァちゃんが支所の入口に車椅子があることを教えてくれました。ボクは雨に濡れながら車椅子を後部座席に押して行きました。車椅子に乗せ替えるのも結構な技量が必要でした。おバァちゃんは後ろに立って傘を広げていました。そして、そのオシャレな蛇の目風の傘はグランドゴルフのときに重宝するとかなんとか喋っていました。
おバァちゃんの傘の下になって支所のエントランスを通過しました。ボクとおジィさんは通過したのですが、振り向くとおバァちゃんが傘を広げたままで狭いエントランスを塞いでいるのでした。ボクはおバァちゃんのところに戻り傘を閉じるのを手伝うのですが、二人とも焦ってしまいその小洒落た傘をなかなか閉じることができず、入口付近はちょっとした人集りになって周囲に迷惑をかけてしまいました。一方、そのときのジィさんときたら一人惚けた表情で明後日の方向を眺めているのでした。

期日前投票の手順を我々はよく理解していませんでした。
先ず、「申請書」なるもに住所氏名を書いた後に受付を済ませて投票用紙を手渡してもらうのですが、おバァちゃんは気の焦りで受付をせずに記入台へ行ってしまったのでした。そして、おジィさんはその間違いに気がついて手足をバタつかせておバァちゃんを呼び戻そうとするのでした。

いよいよ投票用紙に記入する時間となりました。
おジィさんは車椅子専用の低くなった記入台での記入となりました。
懸念していたことが勃発しました。
「これは何て書くといいとかなっ!」
おジィさんは比例代表用の用紙をヒラつかせて、しかも選挙管理の立会人さんに尋ねたものだから大変です。
「これは何かなっ!」
波状攻撃です。
おバァちゃんがやってきておジィさんに言いました。
「さっき、車の中で言ったでしょうがっ!自民党たい!」
おジィさんは納得の様子で記入したようでしたが、また、問題が発生しました。今度は最高裁判所裁判官の国民審査の投票用紙でした。やはりおジィさんは、それをヒラつかせて立会の人に尋ねるのでした。
「これは何かなっ」
立会人の方は丁寧に説明してくれました。これについては、我々も車中で予習をしていまんでした。一瞬の間がありましたが、おジィさんはやっぱり「これは何かなっ」と尋ねるのでした。
ボクは耐えきれず言ってしまいました。
「おジィさん、私はなぁ~んも書かんかったです」
理解頂けたか甚だ怪しい状況でしたが、ようやく投票の運びとなったのでした。

しかし、また問題が発生しました。
小選挙区と比例代表の投票用紙は二つ折にして投入しなければならないのですが、国民審査のそれは二つ折にしなくてよいということに、おジィさんが疑問を持ち始める一方、投票箱の細い穴に投入しようとするのですが、体を起こすことができないために一生懸命伸ばした手がプルプルと震えてしまってうまく入らないのでした。見兼ねたボクも車椅子を押して接近を後押ししたつもりですが、前の車輪で投票箱を動かしてしまいギリギリのところで投入できなくなってしまうというハプニングもあったりでした。

一行はようやく帰路につくことができました。おジィさんは少し興奮気味でその支所周辺の交通便の悪さついて話し、自分の改善案を披露したのでした。
おバァちゃんは驚きの様子でその話を聞いていました。おジィさんが話し終わるとおバァちゃんが言いました。
「ジィさんは、ボケとるとばっかり思っとったばってん、まだ、シャンとしとんなはるっ」
確かに、最初に会ったときに比べおジィさんの顔つきが変わったようでした。それまで何度も自己紹介していたのですが、ようやく、ボクが事務所のスタッフではなく木原候補の同級生であると認識されたようでした。

ボクは、ご夫妻のご家族について尋ねてみました。

子供には恵まれなかったそうで、ずっと二人で暮らしてきたとのことでした。高齢となり、後は二人で死を待つのみだが、木原候補に未来を託したいとそのようなことを話してくれました。そのとき、二人にとって木原候補は息子か孫のような存在であることを知りました。
ハンドルを握りながら溢れる涙を抑えることができませんでした。

続く、、、
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誇り高き選挙バカ×30

2012-12-31 21:13:39 | 雑談の記録
N夫妻のお宅は昭和時代に乱開発された住宅地の一角にあり、大通りから奥まった所にありました。道は大変狭く車を止めてドアを開けると、それが壁に当たるような狭さでした。
家には軽乗用車を駐める程度の駐車スペースがありましたが、最近そこに車を駐めた気配はありまんでした。そして、壁に設けられた真新しい手摺が、住人の体の不自由を主張しているようでした。
ボクはガラスに格子が入った引き戸の前に立つと呼び鈴を押しました。返事は聞こえなかったのですが、引戸の向こうには明らかに人の気配が感じられました。もう一度呼鈴を押して木原事務所から来た者だと告げたところ、すぐに返事が帰ってきてガチャガチャと忙しそうな鍵を外す音が鳴り引戸が開けられました。

目の前にオモチャのように小さいおバァちゃんとおジィさんがいました。二人は迎えが今か今かとと玄関前でスタンばっていたのではないかと思います。おジィさんは玄関に腰を下ろしていましたが、既に靴を履いていました。おバァちゃんはファーの付いた白いダウンのコートに黒のお帽子で精一杯のおめかし姿でした。

おジィさんは一人で立ち上がることが困難でした。スタンバイの時間が長かったせいかもしれません。ボクは介護の経験はなかったのですが、とにかく、このおジィさんを立たせなければなりませんでした。玄関から道路まではすぐなのですが、段差は数カ所あり、このおジィさんを抱えながらの数mが途方もない距離に思えてきました。
おジィさんは片方の手でしっかりボクを掴み、もう一方は杖でした。その全くおぼつかない足取りで体をゆっくり前に進めながら、おジィさんはしゃがれ声で念仏のように唱えるのです。
「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうぎざいます、、、」
おジィさんを車に乗せるクライマックスの瞬間も「ありがとうございます」でした。車に乗ったあともそれはしばらく続いていました。
そして、車に乗ったあと、そのおジィさんに代わって、おめかしおバァちゃんがおジィさんの体の状態を説明するのでした。車を進めると、おバァちゃんは路地の抜け方を教えながらご近所さんの話や、ここは散歩道だの、ここがリハビリの病院だの、ここがグランドゴルフの広場だの、ここが郵便局だのを一生懸命説明してくれるのでした。
ボクはこの路地に入ってきた当初、無造作に開発されたその入り組んだ住宅地について毒づいたのですが、おバァちゃんの話を聞いているうちに、この何の変哲もない町がこの老夫妻にとっては大事な世界で大事なふるさとであることに思い至ったのでした。

そして、主人がどうしても木原候補に投票したいというのだが、このような状態で途方に暮れていたところに、わざわざ来て頂いてありがとうございますと感謝なさるのでした。

突然、おジィさんが思い出したように言いました。
「誰だったかね?、誰だったかね?」
おバァちゃんが言いました。
「キハラさんたい!キ、ハ、ラさん!」
「そうたい、木原さんたい、木原さん、木原さんはヨカ人だもんなぁ~、そうそう、木原さん、木原さん、、、」
そして、しばらく念仏のように「木原さん」を続けるのでした。
また、突然、おジィさんが言いました。
「何だったかね?何だったかね?」
おバァちゃんが言いました。
「自民党たい!ジィ、ミン、トーたい!」
「そうたい、自民党たい、自民党、自民党、、、」
吉本新喜劇も顔負けの真剣なボケとツッコミに、ボクは安全第一の運転を心がけました。


続く、、、
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誇り高きバカ×29

2012-12-31 20:01:02 | 雑談の記録
選挙戦は終盤に突入していきました。そして、いよいよ我々にとっての最終兵器が投入されました。東京から持ち込まれた「サヨピン」です。と言っても「サヨピン」は自らの意志で熊本にやって来たのですが、その小型犬のような可愛らしさと気さくな喋り口、そしてなんと言っても笑ったときの口元のチャーミングさから、前回選挙では先輩方のアイドル的存在でした。うちの娘の天然的性格と見た目がそっくりです。

夕刻、事務所に出向いたときのことでした。サヨピンファンクラブ会員番号No.1のN口先輩がテーブルを挟んでサヨピンと話し込んでいました。サヨピンは困惑気味の表情でした。ファン会員の無理なお願いに困っているのかと思い心配になって二人に近づきました。ところが、話を聞いてみると無理なお願いというか相談をしていたのは彼女のほうでした。

電話による支援依頼をしていたところ、投票に行きたくても主人の足が悪いために行けないがどうしたらいいだろうかという相談を受けたというのです。詳しく聞くとその夫妻はかなりのご高齢の様子で、老老介護で投票所に向かうのは困難な様子でした。
サヨピンも相談を受けたもののどうして良いか判らず、電話の向こう側の高齢女性の長い話に耳を傾けるだけだったそうです。ですが、彼女のなんとかしてあげたいという気持ちは十分伝わってきました。

ボクはその老夫妻の住所をサヨピンに聞きました。なんと、会社から車で僅か10分足らずの距離でした。
「明日なら、連れてってやれるかも、特別な予定はないし、でも、できれば午前中の早い時間、9時くらいがいいかな~、サヨピン、悪いけどそのばぁちゃんにもう一度電話してみて、、」
彼女はすぐに電話を掛けましたが、また、その話の長いこと長いこと。
何から何まで話さないと収まらないやかましいタイプの老婆だなと思うと、億劫な気持になりましたが、サヨピンの丁寧な対応に負けちゃいられないと思ったのでした。
結局、ご主人のリハビリの時間の都合で翌日の午後1時過ぎに伺うことになりました。

高齢先輩夫妻を投票所に案内したあと、自分のウォールに任務完了の知らせを投稿しました。


サヨピン!任務完了しました!
S23年卒のN先輩と奥様を期日前投票にご案内してきました!
仕事の合間をぬって車を出しただけだけど、こんなに人に感謝されたことは生まれて始めてばい!たかだか数10分の出会いだったけど、貴重な時間だったよ!
いろんなお話しができました!
奥様が、昨日、電話を取り次いでくれた女性にくれぐれもヨロシクとのことでした!
この票は重い!泣!

コメントが返ってきました。

ご苦労様です~そんな積み重ねですよね~
12月14日 15:08 〓 いいね!を取り消す 〓 4


あ~♪
昨日の先輩へのフォローをしてくれたんだね!!
さゆぴんが、すっごく優しく対応してたのと、西くんの行動力♪
素敵な仲間達に、改めて感動!!
12月14日 15:17 〓 編集済み 〓 いいね!を取り消す 〓 8


センパイ、良い表情!!充実感みなぎっておられますね☆
12月14日 15:19 〓 いいね!を取り消す 〓 8


(*^ー゜)b グッジョブ!!
12月14日 15:35 (携帯より) 〓 いいね!を取り消す 〓 7


いろんなドラマを作ってるね。頑張って!
12月14日 16:23 (携帯より) 〓 いいね!を取り消す 〓 7


さゆぴんも西くんも、さすがだなぁ…
感動して、ちょっと泣きそう(T_T)
今日は電話口で先輩方から沢山激励されて泣きそうだったのに、さらに涙腺がゆるむ…
12月14日 18:38 〓 いいね!を取り消す 〓 7

西 英典
このご夫妻はね、子供がおらっさんでね、キハラのことばね、息子か孫のように思っとらすとよ。「もう私どもは死ぬるばっかしですが、キハラさんに託したかとです」・・・泣き!・・・「今度、キハラさんと一緒に遊びに来てくださるまっせ」って・・・超泣き!
12月14日 18:43 〓 いいね! 〓 11


ちょっ、夕飯の支度中に泣くよ…(T_T)
12月14日 18:46 〓 いいね!を取り消す 〓 6


そら、ヨカ報告ばしぎゃいかなんね。
12月14日 18:46 (携帯より) 〓 いいね!を取り消す 〓 5


電話をした張本人のサヨピンです!
私のお願いを聞いてくれた西君、本当にありがとう♪
夜に事務所でミッション完了の話を聞いて、感謝、感激!とあまりの面白さで涙がチョチョギ出ました(^^)/
今日の欽ドン賞、決定!
西君、サイコー♪
12月14日 21:39 〓 いいね! 〓 6


欽ドンと来たか……オリの分も頑張って来てちょ。
12月14日 22:21 (携帯より) 〓 いいね! 〓 3


は~い(^^)d
びっ微力ですが、ガマダシます♪
12月15日 9:40 〓 いいね! 〓 2


あぁ昨日のあの話ですね。そばにいて西君の素早い行動力には驚きました。それとサユピンさんは人使いが巧みですな~。
12月15日 14:49 〓 編集済み 〓 いいね! 〓

続く、、、
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誇り高き選挙バカ×28

2012-12-31 17:18:26 | 雑談の記録
総決起大会翌日の月曜日は仕事でした。どうにか月曜日は持ちこたえることができましたが翌日は最悪でした。11月下旬から始まった連日連夜の作業による疲れがピークに達していました。

ボクの仕事は地質調査ですが、現場の工程管理から調査計画立案、協議資料作成やデータ解析、そして、それらの報告書を作成など多岐にわたります。急な相談や場合によっては見積書の作成を急がなければなりません。
仕事とは大抵そのようなものと思いますが、我々のような技術者に求められる仕事の要諦は論理性にあると思います。常に、その結論に至る過程が一貫した論理に基づいたものかどうかが問われているからです。公共事業の削減やデフレに伴った価格下落で、いかに無駄を省きつつ安全かつ経済的に構造物を作るか、時にギリギリの選択を技術者は求められます。神経を消耗することもしばしばです。
ですので、仕事では小さいながらも「判断」の連続で、この判断に誤りが生じると後に取り返しのつかないことも起こり得えるのです。

火曜日は最悪でした。
最近酷くなりつつある老眼のせいもあると思いますが、数字の読み違いや勘違いが頻発しました。午後から出向いた橋梁建設の工事現場では持参した大事な資料を忘れて帰り、その途中では交通事故を起こしそうになりました。
夕方、K団長に電話をして「休暇」を申請しました。
そして、その日の残りの力を振り絞って近所の温泉に行き焼肉定食を喰らい、帰りに近所のスーパーで刺身と八宝菜を購入しました。そして、我が家で準備してあったハンバーグとサラダも完食し、最後はアルコール度数が9%の缶酎ハイを一気飲みして布団に直行しました。考えてみると一日一食という日もあったように思います。
とにかく、その日やるべきことは、人間活動における休息の基本事項である「食べて寝る」ことでした。

翌日の目覚めは、新たな人生を迎えたような爽快さでした。
前日とは打って変わって仕事もはかどりました。
休んだボクが元気になったとを悟ったのかもしれません。珍しく「バラバラ死体」からメールが届きました。
メールの本当の送信者はK団長で、去年の校内肝試し大会での設定を元に戻していないだけなのですが、真面目なメール文章の送信者が実はバラバラ死体である事を想像すると、なんだかいつもおかしい気分になるのでした。

バラバラ死体からの指令は、「メール作戦」の原案作りでした。
早速、一案を作成して送信したのでした。
バラバラ死体から返事が戻ってきました。
「面白いけど、、、」
バラバラ死体はボクの文面を不採用にしたようでした、バラバラ死体が偉そうに(笑)!

不採用となった腹いせに、「ネット禁止と北朝鮮ミサイル」をテーマにショートコントの脚本を自分のウォールに投稿しました。

ショートコント:ミサイル

(エンブン)
さっきミサイルの発射があったみたいだけど、どうなるんだろ?。

(メルヘン)
オマエって、そういう心配できるんだ!
ミサイルより驚きだぜ!

(エンブン)
でも、オレは思ったわけよ、

(メルヘン)
ナニガ!

(エンブン)
ヤッパ、すっかりナメられてるなって。

(メルヘン)
オマエはいつもナメられっぱなしだよ!
今頃、気がついたんか!

(エンブン)
エンブン時間がかかりました・・・。

(メルヘン) エンブンを本気で叩く!
ウルセェーよ!
さっさと言えよ、言いたいこと!
お客さん、帰ってんじゃねぇか!

(エンブン)
だからナメられてることを・・・

(メルヘン)
もうオマエが言いたいことワカッテるよ!

(エンブン)
・・・北チョンマゲ・・・・

(メルヘン) エンブンにミサイルをぶち込む!
シネッ!

(エンブン) もだえる

(メルヘン) 攻撃を止めない
ハァ、ハァ・・・

(エンブン)
ヒェー・・だ、だ、誰か、・・ボ、ケじゃなかった、ボクを守って!ヒー

(メルヘン) ミサイルでエンブンの顔面を殴打する!
まだ、言うかぁ~ッ!

(エンブン) 歯がふっとぶ!
・・・キ、キ、キヒャラさん、・・ニ、ニ、ニヒョンを、まもっへくらは~い~

ウ~、ウ~、ウ~、
どこからかサイレンの音

(メルヘン)
バッカヤロッ!選挙期間中はネットやブログで候補者名を言ったら捕まるんだぞ!

(エンブン) 泣きながら・・・
これ、ブログじゃねぇし、・・コントだし・・・

(メルヘン)
ウルセェ~!、ブロコンじゃい!
ワケワカンねぇ~しもうッ!
逃げるぞ、エンブン!

(エンブン)
まッ、へッ~~!

どうもぉ~ッ!ありがとうござしましたぁ~ッ!


メルヘンとエンブンは熊本に住む実在の芸人です。二人のキャラを知っているボク的には大変満足なデキだったのですが、以外に「いいね」が少なくボクは深く傷ついたのでした。


続く、、、
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誇り高き選挙バカ×27

2012-12-31 16:12:49 | 雑談の記録
嬉しいコメントがいくつか返ってきました。特に、東京から応援に駆けつけて来てくれるというN松の君のコメントには大変驚き、そして感動したのでした。また、その日の夕方から事務所にくる友人も増えたようでした。
どこの世界にもいろんなタイプ、いろんな性格の人がいますが、それは同級生においても同様です。ですがK団長を中心とした仲間は、どちらかというと積極性や責任感のある個性の強い集団でした。木原代議士がハンドボール部の主将であったこともその理由かもしれませんが、応援に来た殆どの男子同級生は体育会系ではなかったかと思います。文化系の美術部に所属していたのはボクぐらいですが、各言う自分も油絵などを描く一方で空手部に所属していました。

こういふうに書くと体育会系の礼賛を意図しているように思われるかもしれませんが、選挙事務所に足を運んで作業をするとなると、先ず「体力」が求められるのはまぎれもない事実なのです。
その代表がM松君だったのではないでしょうか。M村君は、ボクシング部で身長180cm、現在もトレーニングを欠かすことはなく、サーフィンやマラソンといったハードスポーツを難なくこなすスーパー43歳の通称「マッチョ」です。もちろん見た目も申し分ありません。ただ、いったん喋りだすと、お下品用語を炸裂させるために時と場合によっては周囲に大変な誤解を与えることが彼の最大の長所であるために、「選挙事務所」などには縁遠いタイプの友人かなと思っていました。ところが、OB訪問活動の最初の出撃要員にM村君が名乗りを上げてくれたときには本当に嬉しく思いました。
また、学生時代に起こした「事故」が伝説となっている寡黙な色黒ヒーローのM崎君が事務所に来てくれたときも嬉しかったです。さらに、カネと感情(勘定)でしか動かないことで有名なオトボケ宅建業のH尾君が事務所に来たときは青天の霹靂でした。そのときボクは居合わせなかったのですが、彼はおそらく作業はやっておらず、いつものオトボケトークに終始していたのでないかと思います。しかし、彼はみんなのために缶コーヒー二箱分を差し入れており、またそのコーヒーがM村君の勤務する飲料メーカーのものだったりするから憎めないのも当然です。
圧巻は、なんと言ってもT本君の登場でしょう。彼は12月8日土曜日、朝1番の飛行機で東京からやってきてかと思うと最終便で帰るという、まさに神業電撃的弾丸OB訪問活動をやってのけたのでした。彼は現在雑誌社の代表を務めるかたわら日経新聞にも取り上げられた新スポーツを主宰をするなど超多忙を極めている御仁なのですが、身につける下着にもブランド品を使うというカッコツケさかげんは、100%オッサン化したボクらの良き見本としなければなりません。ただ、彼は30代のとき大病を患い死の淵から蘇った経験の持主でもあり、人生において何が一番大事かを熟知している元高校球児なのでした。
このようなイケイケの同級生がいる一方、オドオド喋りが特徴のM上君の存在も貴重でした。保険屋らしく様々な噂話を持ち込むのですが、容量がいまいちで頻繁にK団長の愛のムチの餌食になっていました。

こうして支援の輪は急速に広がっていきました。また、熊本市東部で豪農とされるN富君の納屋から前回選挙で使用した資料が発見されたことも、その後の作業を急加速させた大きな要因でもありました。
埃をかぶった資料を前にK団長が言いました。
「・・今ごろ、持ってきてから・・」
しかし、そう言ったK団長の顔は本当に嬉しそうでした。

この同級生の支援の広がりが、先輩や後輩諸君からの支援へ発展したのでした。多くの同窓生が事務所のブースに集うようになり、テーブル周辺には差し入れのお菓子や飲み物が絶えることはありませんでした。特に、平成の卒業生で組織されている後輩諸君の活動は、同級生の発奮材料となり活動全体の相乗効果を生んだのでした。
また、木原候補へのメッセージは日を追うごとに増えてゆき、その大きいメッセージ用紙は何枚も増え、ブースの壁に貼りきれなくなる勢いでした。

さらに、離れたところで暮らす同級生の女性からとんでもない連絡が入りました。支援のお願いの電話を自宅からしたいので資料を送って欲しいというものでした。K団長は大変な驚きを持ってそのお願いに感謝していました。

事務所に来てくれる同級生や後輩女性の主な活動は、電話による支援依頼でした。事務所の財政状況は逼迫し使用電話機の数は限られていたために、寒い別事務所からの電話作業だったと聞いています。電話作戦は舌力が必要です。今回1度この作業を手伝ったのですが、ボクなんか僅か1時間で舌がうまく動かなくなってしまいました。ベロがヘロヘロとういう具合です。

そうして支援の輪が着実なものとなる中、投票日の一週間前の12月9日の日曜日の夜に総決起大会が開催されたのでした。

続く、、、
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誇り高き選挙バカ×26

2012-12-31 16:02:03 | 雑談の記録
12月6日
元来、ボクは喋ることが大変苦手だけど、文章はソコソコウマイって言ってくれる人の話しを聞くと、ソレを使わない手はないなと思う今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか!。というワケで、熱く熱く書いちゃうことをお許し下さいませませ!

ハッキシ言って、政治の話しはボクにとってムズカシイです!
議論だ!論戦だ!政策だ!舌戦だ!マニフェストだ!脱原発だ!TTPだ!消費税!福祉充実!経済再生!しがらみ脱却!官僚主義打破!地方分権!云々カンヌン!
これらを考えることはスゴク大事だと思ってる!ホントにそう思ってる!
だけど、それらを一つ一つ考えて、ボクなりの解答や方向性を見つけて、どうしたらいいのかを自分の力で提案するのは困難と思ってる!ハッキシ言ってボクのキャパを越えている!
ボクは地方の一技術者に過ぎないし、デカイ子供を3人抱えて、やれ野球だ、やれマーチングコンテストだ、やれ受験だ、やれ庭の手入れだ、やれ車検だ、保険だ、クリスマスだ正月だ、そのうえ、クソみたいに入ってくる仕事だ!
だから、政治は誰かに任せるしかないと思っている。
しかも、ちゃんと任せられる人間にだ。
「まかせられる人間なんていないじゃん!」って声が聞こえてきました。
今日は敢えて反論します!
「だったら作ればいいじゃんかッ!」
「どうやって作ればいいんじゃいッ!」
教えちゃいます!
選挙事務所に来て、ボランティアをすればいいんです!
ボランティアを一生懸命すれば、本気で「日本」のことを考えていることが候補者には伝わると信じて行動してます。ボクが候補者を応援しても直接的な利益は全くありません。間接的な利益もありません。あるのは疲労だけです。しかし、ボクの本気が候補者の本気になり、それが日本のためになるのなら、いや、日本のためになってもらわんと困るワケですが、もし日本が良い方向に進むのなら、それはボクにとって大きな意味を持つことになります。
自分は大変ラッキーだと思ってます。
だって、ボクには有権者としての一票だけでなく、より良い日本を作るためのチャンス(超チッポケチャンス)が与えられているんだから!。

応援している候補者は、バカがつくほど真面目なヤツです。
無愛想だ、握手がヘタだ、御辞儀の角度が甘いなどと言われ、ボク自身「コイツは選挙に弱いタイプ」だなと思うこともしばしばです。だけど、媚びない諂わない、そういうところがボクは大好きなんです!。信じるに足る男というワケです。しかも、頭もいい、体力もある、歴史も詳しい、ラーメンが大好き・・・このくらいにしときます、人を褒めるのは超苦手。

実は、みんなの前には日本を良くするチャンスが転がってるんです。
そのチャンスを実のあるものにしたくないですか。
候補者の看板を見る度に、名前にそんな意味を感じてます。
ボクはバカでしょうか?

お手伝いできることはたくさんあります。
そのお手伝いが良い日本に繋がっていくんです。
年末で忙しい時期です。
事務所に来れるのは1回きりかもしれない。
構いません、全く、構いません。
1時間でもOK、30分でもOK、顔を出すでけでもOKです!。

選挙事務所で待ってます。
みんなの力を必要としています。
どうか、よろしくお願いいたします。



「日本を取り戻す」には、我々が一歩を踏み出すことが必要だと思います。
という事で、週末からチッポケチャンスをつかむために、そちらにお邪魔します!
12月6日 12:04 〓 いいね! 〓 9


N松くん 東京からありがとう。心強いです(^^ゞ
12月6日 12:14 〓 いいね! 〓 6


西くん、ええこと言うね。俺も同感です。
時間が空いたら、ちょっとでも顔出したいと思っとりますんで、宜しく!!
12月6日 12:28 (携帯より) 〓 いいね! 〓 9


西、お前はバカだが、言ってることは至極マトモで感心したぞ(^o^)
12月6日 12:37 (携帯より) 〓 いいね! 〓 10


西くん、ちょっと心にはいってきました。なるほど・・・って。
手に負えない、って同感。日本瀬戸際ってくらいの時代のいっこいっこの問題たち、考えても手に負えない感が。。。
だから、考えるってよりも、誰かいっしょうけんめい信じて任せる、のね。
なるほど、ちょっと発想のシフトが生じました^^
残念ながら選挙区違うけどね。週末どこかでお手伝い行けると思います。
12月6日 13:31 〓 いいね! 〓 5


西君、私も大変共感します!
ちょっと遠いので事務所にお邪魔はできませんが、また電話します。
12月6日 15:00 〓 いいね! 〓 3


続く、、、
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それは本当?

2012-12-31 14:06:41 | 雑談の記録
大掃除に年賀状、帰省や同窓会に紅白歌合戦など、年末的超多忙のことと勝手に察している今日この頃、みなさま如何お過ごしですか。
hiratakuwaはこと、バカワクシもお陰様でナントカ新年を迎えることができそうですが、現在進めている選挙バカシリーズによって己の首を絞められてもがき苦しんでいるところでございます!

始めなければよかった、、、、正直な感想であります。

しかし、しかしながらのナガシソーメン!

シリーズを恥じめた当初から、訪問者数が次第に増え、正月イブイブの昨日は、ナナナナント、訪問者数が260IP、閲覧数が1374PVとういう結果になっちゃったから驚きモモノキ参勤交代!

読者の皆様!本当に忙しいんですか!

そういうワケで、ここは個人的なバカブログであるからして、訪問者数の推移をまとめとこうと思いますが如何でしょうか?

ハハハハ、反対してもムダ毛ショリショリ!

16日74IP
17日100IP
18日105IP
19日157IP
20日166IP
21日146IP
22日177IP
23日158IP
24日157IP
25日132IP 未更新
26日189IP
27日164IP
28日118IP 未更新
29日157IP
30日260IP
31日280IP
01日221IP
02日228IP
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誇り高き選挙バカ×25

2012-12-31 00:18:59 | 雑談の記録
12月4日が公示日でした。その日は健軍神社で出陣式でした。健軍神社と言えば勝負に祀ることで広く知られ「出陣」には持ってこいの神社です。過去の2回の選挙もここがスタートで、そのときはパフォーマンスの一環でボクとK団長は木原候補と共に自転車でこの神社を出発したのでした。このときは、テレビクルーにも追われたりして、ボクは少し面白半分だったように思います。しかし、今回の出陣式でそのようなパフォーマンスは無かったようでした。ボクは仕事でその日の出陣式には行けませんでしたが、出席した人達の多くから大変雰囲気が良かったという感想を聞くことができました。
また、その日の午後は済済黌高等学校近くの多士会館前での出発式がありました。K団長が学ラン破帽に裸足という出立ちで木原候補に必勝の演舞を送ったとのことでした。この鬼気迫る様子は、後に、有名な男性雑誌に紹介されるほどのものでした。
しかし、このようにして華々しい公示日を迎えることができましたが、選挙事務所の我々のブースにはいつもの10人弱の同級生を除き人が増える雰囲気はありませんでした。限られた人員でただひたすらいつ終わるともわからない作業を夜遅くまで必死でやる以外にありまんでした。

出陣式の翌日は、前月の事務所開きから休み無しで働きづめだったスタッフの慰労もあって夜の10時に事務所は閉められました。我々にとってはこれからという時間で少しでも作業を進めたいという思いもあったのですが、その日のK団長はボクらに早々と作業を終えるよう促すのでした。そして、話しがあると言ってその日集まっていた7人を近所の居酒屋に引き連れて行ったのでした。

K団長の苦渋に満ちた表情が喋るより前に我々には伝わっていました。この少ない人数で今後の選挙活動を行うことは極めて困難であることを。また、同級生の集まりが少な過ぎるという批判の声が熱心に支援をしている先輩や後輩から上がっていることもK団長から報告がありました。
「いったい、どうしたらいいとや。」
K団長は大きくため息をつきながらボクらに言いました。
様々な意見が交わされましたが、最終的には、本気になってもう一度同級生に声を掛けるしかないだろうということになりました。これを強く主張したのは、他でもない野球部エースで男性フェロモンばりばりの夜の現役エースと呼ばれるY下君でした。

いつの間にか我々の深夜会議はオーダーストップの時間になっていました。この会議には某社会人の軟式野球チームに敏腕マネージャーとして頑張っている永遠の乙女ことM下さんと、最近カルメンに凝っているという白衣の美天使ことS藤さんの同級生が二人がいたのですが、最後にお店の人に気を遣いながらもデザートを頬張るその姿に40代女性の強さを感じずにはいられませんでした。

ボクは家に戻ると自分は全力を尽くして事に臨んでいるのか自問しました。心の隅に、「これ、所詮、ボランティアじゃん」って思いがあったことは否定できません。しかし、不毛な作業を「ボランティアをやってます」というマスターベーションで覆い隠すほどの器用さはボクにはありませんでした。K団長が苦しんで頭を掻いている姿が脳裏から離れなくなっていました。

PCを立ち上げました。電話ができるような同級生は本当に限られていました。ボクができることは、書いて友人たちに思いを伝えることだけでした。深夜のうちに下書きし、翌日のお昼に投稿しました。


今日はここまで、続く、、、
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誇り高き選挙バカ×24

2012-12-30 22:47:19 | 雑談の記録
ボクがブログを始めるきっかけとなったのは、前にも書いたとおり2005年の衆議院議員選挙でした。選挙期間中に選挙戦の様子を記録しておこうと、同級生で運営していたHPに投稿したのが始まりでした。その文章を読んだ幾人かの友人に「オマエ、文才あるんじゃ」なんて言われたことに調子づいたように思いますが、選挙後に疲れ果てて、正しくは飽きてしまってその投稿シリーズは尻切れトンボになったのでした。そして、しばらくたったある日、選挙記録ではないけれど、自分記録を作るのも悪くないなと思い、2006年の11月からこのバカブログは始まったのでした。最近はめっきり更新が減りましたが、一時期は、ほぼ毎日のように更新していました。

ブロガーの多くが、自身のブログを読んでもらう、あるいは、目に留めてもらうために、ブログサイトに登録しているように思うのですが、そういうのにはなんとなく気恥ずかしさがあり、今でも多くの人に読んでもらうための特段の努力はしていません。基本的にブログはその記事を読みたいと思う人だけが読むのものであって、ボクのブログの場合、何かに役に立つことが書いてあるわけでもなく、また、広告などによる金儲けなども全く意図していないからです。
それでも訪問者数のカウンターが次第に増えて行くのは楽しく嬉しく思っていました。多い時は一日に300人以上の訪問があったように思います。そして、更新が滞りがちの昨今も100人弱の訪問を受けています。嬉しい限りです。

ただ、極稀にですが「読者です」と告白されることがあります。そのときの恥ずかしいこと恥ずかしいこと。普段のボクを知っている人は、特に酔っ払ったときのことを知っている人は、ボクが恥ずかしがるなんて信じられないかもしれませんが、よく知らない人に「読者です」なんて言われると、そのあと「ありがとうございます」以外の答えに窮してしまうのです。

また、どうでもいいことを書いてしまったわけですが、ブログを始めて丸6年の間に長短良し悪しはあるものの1400件の記事を書いています。それほど文章力が向上しているようには思えないと古い読者の方には怒られそうですが、それなりに一定の評価を周囲から頂いているのは確かです。

K団長の期待も「ソコ」にあったことは分っていました。

選挙活動には一人でも多くの協力が必要でした。特に同級生の協力無くして活動は不可能でした。ですが、同級生とは言え、普段、連絡を取り合っているような仲間は数人でした。特に、ボクの場合はK団長を中心にした関係が殆どであったため、それ以上の広がりを期待されても到底無理な相談でした。
しかし、先ずはFBを使わない手はありませんでした。同級生間には一般向けに非公開のウォールがありました。そこには、同級生の25%に相当する約100人が登録されていました。

先ずは、多くの同級生と繋がる必要がありました。自分のウォールにメッセージを投稿すると、「いいね」をよく押している同級生に向けて片っ端から「友達リクエスト」したのでした。古い言い回しですが、清水の舞台から飛び降りるような心境でした。このとき、勢いでかなり疎遠な友人にもリクエストしたように思います。

以下、そのときの投稿を掲載します。

11月26日
ボクは元来、FBで「友達リクエスト」するのは苦手なんです。
照れくさくって・・・。
だって、見ず知らずじゃなかもしれないけど、ボクのこと「こんにゃろ!」って思っている人もいると思うワケで・・・・。
そして、こんな時期に「友達リクエスト」するなんて「選挙目的だろ」って思われること間違いナシだし・・・・。

だけど、これを機会に、FBの友達になれたらいいなぁ~って思うのです。
ただ、単純に、ホントに・・・。

だから、許して下さい。

そんなワケで今からリクエストします。
拒否、全然OKです。
よろしくお願いいたします。

この破廉恥とも言えるリクエストにより、友達は数十人から一気に三桁になりました。ボクみたいなデジタルによる人間関係に抵抗を感じる者にとっては驚きの数となりました。「友達」になった後、選挙のことだけを投稿するのは気が引けたので、それまであまり投稿したことのなかった自分の仕事のこと等もこの頃はよく投稿していました。正直なところ、少しでも自分に親しみを持ってもらいたいというそういう思いからでした。

続く、、、
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誇り高き選挙バカ×23

2012-12-30 20:49:45 | 雑談の記録
『命のバトン』
〈中略〉
実は、おじさん、ちょーど君たちと同じ年頃のころ、ときどき眠れない夜がありました。
自分が「死んだ」ことを想像すると眠れなくなってしまったのね。自分がこの世から消えてなくなってしまうことを考えると、もう、怖くて怖くて・・・。
だってさ、誰だってさ、生まれてきたものは、死ぬわけでしょ、絶対に死ぬでしょ、死んじゃうでしょ、死ぬことはさけられないことだよね。
でもさ、こんなこと考えると、逆に死にたくないって強く思うよね、なのにゼッタイ死んでしまう。そしてね、ゼッタイ死ぬのに、なんでワザワザ生まれてきたんだろうって考えちゃうよね。そう思わない?。
ゼッタイ死ぬなら、そんなの最初から生まれてこなきゃいいのにって。
〈中略〉
おじさんは今年で40歳になります。現在の日本人の平均寿命はだいたい80歳だから、普通に生きているとすれば、おじさんは、今、人生の折り返し地点にいると言えるよね。それで「ゴール」を「死ぬ」ってことにすれば、毎日、毎日、そのゴールに近づいているわけだから、死ぬことがどんどんどんどん自分に近づいてるって意味になるよね。こんなふうに考えると、なんだか怖くなるよね。だけど、不思議なことに今はそれほど怖いとは思わなくなったよ。

みんなぁ、目を閉じてくれるかなぁ、そして机に伏せてくれるかなぁ

今からみんなを時空の旅に招待しようと思います。

みんなは宇宙の歴史は知っているかなぁ?。
宇宙の誕生は137億年前頃だったと言われています。ビックバンと呼ばれる大爆発によって宇宙は誕生し、次々と数えきれないほどの星雲が生まれたと考えられています。
最初はチリやガスなんだけど、それが次第に集まりだしていろんな大きさの星が生まれて、今から120億年前頃に2000億個以上の星やガスが集まって銀河系ができました。
地球は太陽を中心に回っている10数個の惑星のうちの一つだけど、地球は今から46億年前に銀河系の隅っこで生まれました。
地球は生まれた最初からだいたい今ぐらいの大きさだったらしいけど、生まれたすぐの頃は、隕石がたくさん衝突していて、ぶつかったときのエネルギーでめちゃくちゃ熱かったらしいです。そして地球の上空には衝突したときに発散したガスや水蒸気が分厚い雲を作って地球を覆っていましたが、あるとき、突然、雨となっていっきに降りだしました。その雨は、雨なんて生易しいものじゃなくて、嵐にちかかったと考えられていますが、その嵐は全地球上で一度ももやむことなく1000年続いたそうです。
そして、今から43億年前に原始の海がようやく出来上がりますが、そのころはまだ生物はいませんでした。それから最初の生命体が現れるまで3億年かかり、40億年前頃になってようやく細菌程度の生物が生まれました。細菌の大きさは1ミクロン、1mmの1/1000くらいの小さな小さな生き物です。その細菌の時代は長く続きました。約30億年間が細菌や微生物の時代だったと考えられています。ですが、10億年前くらいに地球は全て氷に閉ざされる時代があって、そのときに多くの微生物は死んでしまったと考えられています。
だけど、このときに生き残った生物は、氷が解けたあとに爆発的な進化をとげて、その頃になってやっと虫みたいな生物やコケみたいな植物が生まれました。そして3億年前ぐらいになると、昆虫、魚、両生類や爬虫類などの生物たちで地球は生命にあふれました。
だけど、また問題が発生します。2億5千万年前に、シベリアで日本の面積の5倍以上のドロドロに溶けた熱い溶岩が地中からいっきに噴き出してくるという大異変が起こって、そのとき、全地球上の95%の生物が絶滅しました。だけど、生物ってのはホントにしぶとくてたくましくって、その生き残りが恐竜として、その後、地球上で大繁栄したのです。しかし、恐竜も6千5百万年前には絶滅しちゃうよね。それは隕石の衝突による環境の大きな変化が原因だったんだよね。
恐竜が絶滅してからが哺乳類の時代になるんだけど、人類の祖先が現れるのは500万年前頃。そして100万年前からはだいたい10万年を周期に氷河期と温かい時期が繰り返して、最後の氷河期が終わったのが1万年前。ちなみに、熊本では9万年前に阿蘇山が大噴火を起こして、九州の生物の多くはそのときの大爆発の熱と灰で殆どが死滅しています。

さて、ここまで駆け足で地球の歴史を旅してきたけど、どうだろう、地球の歴史ってのは実は無数の生命が生まれては死んで、生まれては死んでの繰り返しだったことに気づいてもらえたかな。
みんな目を開けていいよ。

じゃぁ、みんなに質問。地球の46億年の歴史を1年にたとえると、人間の寿命ってどのくらいでしょう。

あのね、おじさん計算してみました、答えは0.5秒、たったの0.5秒。めちゃくちゃ短いよね。地球の歴史から考えるとね、人間の寿命なんてホントに短いんだよ。生きてるか死んでるかわからないくらい短くて、どうだっていいようなものなんだよね。取るに足りないない下らないものって考えることだってできるよね。

だけどね、君たちに気づいてもらいたいことがあるの。
それは何かっていうと、僕達が、今、ここにいるのは、40億年前から始まった命のリレーのおかげなんだってこと。
今、僕達は、生きてるみんなは、その命のリレーのトップを走っているんだ。みんなはトップランナーで、40億年前からの命のバトンが、みんなに託されているってことなんだね。

おじさんが、最初に話した子供の頃の疑問を憶えてる?。
「ぜったい死んじゃうのに、なんでワザワザ生まれてきたんだろう」って。

おじさん、最近ね、命のバトンを渡すことが生まれた理由じゃないのかなぁって思うようになったよ。

自分の命は自分だけの命のように思うけど、40億年の命のリレーが今の自分の姿であることを思うと、こりゃぁやっぱり大事にしていかないといかんなぁって思うわけ。確かに、地球の歴史からすると、人間の命なんて一瞬でチッポケでどうだっていいようなものなんだけど、パッと輝いているに違いないよね。おじさんは、目を閉じて命のことを考えると、今は無数の輝きを感じることができます。その輝きは、たぶん、君たちなんだろうね。

今日、君たちは、この道徳の授業を通して命の大切さを学んだことと思うけど、おじさんは今日、君たちに命のバトンを渡せたような気がします。
次は、君たちが次の世代に命のバトンを渡してください。

お話し聞いてくれてありがとう。

その後、命の授業を受けた子供たち全員から手紙が届きました。
その幾つかを紹介したいと思います。

西さんへ
西さん、先日は、おいそがしい中、仕事もとちゅうでやめてきて下さって、ありがとうございます。ぼくは、西さんの話の中で「命は42億年前くらいから、命のリレーがつづいている」と「人間の命は、地球の歴史を1年間でたとえると0.5秒」ということが心に残っています。西さんが「時空の旅」といって想像するのが簡単でした。ぼくも、ねながら、死んだらどうしようと思う事もたまにあります。でも、この話をきいて恐くなくなりました。
宇宙から始まり、生き物の死んだり生まれたりと命のリレーが続いていて、今度は、バトンを次にぼくたちがわたす番です。だから精一っぱい生きていきたいと思います。ぼくたちは、平均じゅみょうは80才で、あと約68年もあります。なので、自殺のような事はせず、生きていきたいと思います。西さん、本当にありがとうございました。また、よろしくお願いします。
桜木東小学校6年2組 Y・S

西さんへ
先日は、おいそがしい中、私達のためにきてくださってありがとうございました。西さんの話はとてもためになりました。
いつもは、話をしんけんにきかない私が、いつのまにか、西さんの話をしんけんに聞いていました。
私達に分かりやすく、楽しく話してくれて、話したいこと西さんの気持ちがよく伝わってきました。
私達はどうせ死ぬうんめい、もう、もどらない命、でも、その一生を大切に精いっぱい生きるということを、西さんの話で分かりました。
私も、先祖からもらった命、私の命を大切にして精いっぱい生きたいと思います。ありがとうございました。
6年2組 S・M

西さんへ
先日はお忙しい中、わざわざぼくたちのために、おいで下さり誠に有難うございました。目をとじて、時空の旅に行ったとき、西さんのお話と、宇宙の映像が合ってとてもわかりやすかったです。何十億年を1年にたとえて、人間のじゅみょうは0.5秒ということがわかりました。そして、何十億年を1年にたとえてではなく、1日でたとえてみると、0.0013698・・・・・・・とずっと続いていました。
ぼくも、時々死について考えたことがあります。「なんで生まれてきたのだろう」や「生まれてこなかったらどうしよう」などと考えてみましたが、西さんの話をきいて、「命のバトン」をつなぐために生まれてきたんだなと思いました。このたびは本当においそがしい中、本当に有難うございました。
6年2組 N・ H

涙なしでは読めませんでした。
子供たちに思いを伝えることができて本当に嬉しかったです。
ありがとう。
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誇り高き選挙バカ×22

2012-12-30 20:45:41 | 雑談の記録
『夢ふうせん』

あなたは大きく羽ばたくことでしょう
旅立つその日まで、わたしはあなたのそばにいるから

夢ふうせん あなたの想いを乗せ 飛んで行け虹色の空へ
夢ふうせん わたしの想いを乗せ 飛んで行け虹色の空へ

おぼえている?
小さな手を握り 一緒に歩いたあの春の日
あなたは 石ころひとつによこび 紋白蝶におどろき 菜の花を食べようとした
おぼえている?
小さな手を握り 一緒に歩いたあの夏の日
あなたは アスファルトの熱を忘れ 蝉のヌケガラを集め カブトムシをせがんだ

夢ふうせん あなたの想いを乗せ 飛んで行け虹色の空へ
夢ふうせん わたしの想いを乗せ 飛んで行け虹色の空へ

おぼえている?
小さな手を握り 一緒に歩いたあの秋の日
あなたは 棒っきれを振り回し 草むらに隠れる 秋虫たちと戯れていた
おぼえている?
小さな手を握り 一緒に歩いたあの冬の日
あなたは 初めて見る雪に すべってころんで 泣いてしまった

夢ふうせん あなたの想いを乗せ 飛んで行け虹色の空へ
夢ふうせん わたしの想いを乗せ 飛んで行け虹色の空へ

おぼえている?
わたしの手を握り 一緒に歩いたあの遠き日
あなたは いつも笑顔で いつもやさしく いつもそばにいてくれた

あなたに見せてあげたい 大きめのランドセル
まわりに支えられここまで歩んできたの
世間の風は冷たいことが多いけど
陽の当たる場所はちゃんとあるの

あなたは大きく羽ばたくことでしょう
旅立つその日まで、わたしはあなたのそばにいるから

夢ふうせん あなたの想いを乗せ 飛んで行け虹色の空へ
夢ふうせん わたしの想いを乗せ 飛んで行け虹色の空へ
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誇り高き選挙バカ×21

2012-12-30 20:42:46 | 雑談の記録
『卒業25周年同窓会』
〈中略〉
さて、同窓会とは同じ学校を卒業した者同士の集まりのことをいうのですが、中学校卒業の場合は、その言葉通り、同じ窓の風景を見ていた者たちの集まりという解釈のほうが私にはシックリくるように思うのです。私達は、本当に同じ風景の中で生活をしていました。同じ地域に住み、同じ言葉を使い、同じ空気を吸い、同じ学校に通っていました。

ただ、当時、多感だった十代の私達が、心の窓で見ていた風景は、それぞれ違っていたはずです。澄み切った青空を羽ばたく鳥のような気分の日もあれば、悪臭を放ちながらドブに沈む死んだ子猫のような日々だってあったに違いありません。
そして、いつの間にか四半世紀という月日が流れ、私達は40歳という年齢になりました。卒業後、私達はそれぞれが違った風景の中で生きてきました。ここに出席頂いた皆さんの多くは、各分野の第一線でご活躍のことと思いますが、ここに至るまでのご苦労も相当大変であったこととお察しいたします。折りしも、この不況、出席したくても出席できない状況にある同級生もいらっしゃったはずです。
今、心の窓に映るのは、苦しみ、悲しみ、喜びなど、様々な場面での心情模様ですが、25年という時間を経て思うのは、私の窓に映るものと皆さんの窓に映るものは同じものではないかということです。中学時代、私達は違った心情で生活を送っていました。そして卒業後は、違った学校、違った社会、違った価値観の中で生活をしてきました。ですが、皆さんも既にお判りのとおり、私達が再会した瞬間に心が通じ合うような気持ちになるのは、私達が「同じ風景」と言う名の「絆」によって結ばれているからだと思うのです。

日本の平均寿命から考えますと、40歳という年齢は、人生の折り返し地点と言えるかもしれません。本日は、その折り返し地点にささやかな休憩所を設けさせて頂きました。行き足らないところもあると思いますが、実行委員の苦労に免じてご容赦頂きたく思います。
最後になりますが、本日の同窓会を機会に私達の「絆」の発展を願うとともに、皆様と先生方のご多幸とご健勝を祈念いたしまして挨拶とさせていただきます。どうぞ、心行くまでお楽しみ下さい。どうもありがとうございました。
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誇り高き選挙バカ×20

2012-12-30 20:39:59 | 雑談の記録
『立志式』
〈中略〉
さて、おじさんほど極端じゃないまでも、今の君たちもそれほど変わらない状況に置かれているんじゃないのでしょうか。つまり、君たちは、現在、複雑の中に生きていると思う。
学校のこと、友達のこと、勉強のこと、部活のこと、家族のこと、お金のこと、自分のこと、将来のこと。
そんないろんなことが、一度に見えてきてしまう時期で、だから、イラついたり、落ち込んだり、反発したり、意地悪してみたり、悲しんだり。騒いだり・・・。

例えて言うなら、いま、君たちは、複雑交差点に立っているのかもしれない。
複雑交差点には、いろんな方向から、いろんな車が、いろんなスピードでやってくる。もし、その複雑交差点に交通整理がなかったら、その交差点では事故がたくさん起こるよね。だから、そこでは交通整理が必要なんだけど、今の君たちはまだ初心者だからその交通整理がうまくいっていないだけ。

ひょっとすると大人になるっていうのは、その交通整理が少しだけ上手になるって、そういうことなのかもしれない。

そう考えると、今日、この日から君たちに立派な大人になれなんてともても言えない。

だけどね、君たちの交差点が、少しでもスムースに行き来できるようにとおじさんは願ってるし、先生や親の役目は、君たちの交差点に進入してくるいろんな車をほんの少しだけコントロールすることだと思っています。

いま、君たちの交差点ではたくさんの事故が起こっているかもしれないけど、交通整理が上手になってくると、だんだん事故も減っていって、それと同時に、その交差点から一本の大きな道が見えてくるようになると思います。あとは勇気を持ってその道を進めばいいと思います。

その道は平坦じゃないし、横からの飛び出しもあれば、後ろから追突されることもあるし、上から落石だってあるかもしれない。たまには、スピードを上げて前の車を追い抜かなくちゃいけないこともあると思います。また、あるときは酷い事故現場を横目にしながら通り抜けなくちゃぁいけない。

もうすぐ君たちは、事故ばっかりの交差点から、自分の道へ向かって出発することになると思いますが、その道を進むにあたって、ルールを守ることが大事であることも忘れてはいけません。最初は誰はでも初心者です。人生の入口、大人への一歩なんて、そんなものです。

ただし、君たちに「人生の免許証」を交付するのは、まだちょっと早いかなって思います。

なので、この立志式を迎えるにあたりまして、おじさんは「人生の仮免許証」を君たちに交付したいと思います。

校長センセー、いいでしょうか。

FKSセンセー、YMZセンセー、生徒の代表を呼んでもらっていいですか。ま、だれでも構わないのですが、生徒会長さんとかでも、仮免許証を準備してきたんで、これをここで渡したいので・・・・、

仮免許所(人生)!
S中学校2年生 平成6年生まれ NKH君!
S中学校2年生保護者会則第100条の規定により、貴殿のこれまでの人生を称え、ここに、人生の仮免許を得たことを証する。
平成21年2月5日木曜日。
2年生保護者会指定機関 人生認定委員会 代表 西 英典
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誇り高き選挙バカ×19

2012-12-30 20:37:41 | 雑談の記録

『心の望遠鏡』
                               
夢や希望は 無いよりあったほうが たぶん いい
わかってるさ
だけど 夢や希望を見つけるには どうすればいいんだろう

知ってるよ 君たちが 特別な望遠鏡を 持っていることを
知ってるよ 君たちが 今まで大事にしまっていたことを

さぁ 取り出そう その望遠鏡を 今がそのときだ
覗いてみよう 何が見えるだろう
たぶんまだ なんにも見えないだろう
望遠鏡が 壊れてるってことじゃぁない
レンズが曇ってるってだけなんだ

さぁ 磨こう そのレンズを 今から磨こう
覗いてみよう 何かが少し見えるだろう
ぼんやりと 何かが見えるだろう
レンズを磨く 真剣にやるってことなんだ
本気でするってことなんだ マジだぜ

さぁ 磨こう そのレンズを みんなで磨こう
覗いてみよう 何かがはっきり見えるだろう
夢や希望が見えるだろう
みんなで磨く それが友情ってやつなんだ
支え合うってことなんだ


夢や希望は 無いよりあったほうが たぶん いい
わかってるさ
だけど 夢や希望を実現するには どうすればいいんだろう

知ってるよ 君たちが 特別な望遠鏡で 見つけていることを
知ってるよ 君たちが それを手離してはいけないことを

さぁ 見定めよう その望遠鏡で さぁ進もう その夢に向かって

道のりは平坦じゃぁない

悔しさの涙で 歪んで見えることもあるだろう
そのときは 涙が枯れるまで泣けばいい
怯え震えて 見失いそうになることもあるだろう
そのときは 誰かがきっと支えてくれる
苦しすぎて 目をそらしたくなることもあるだろう
そのときは 空を見上げて遠くの友を思い出そう

険しい山や酷い嵐にだって遭うだろう
干からびた大地や汚れた川も渡るだろう
疲れ果てて 漆黒の暗闇に独りになることだってあるだろう
そのときは 光りが差すまで待てばいい 暗闇も悪くない

だけど 絶対 手離しちゃぁいけない
特別な望遠鏡
大事な望遠鏡
夢への望遠鏡
心の望遠鏡

愛してる ありがとう

平成19年3月22日
熊本市立桜木東小学校 PTA会長 西 英典
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誇り高き選挙バカ×18

2012-12-30 19:26:05 | 雑談の記録
代議士との関わりの中でボク自身が大きな影響を受けたことは、前述のようなことからもお解りの通りだと思います。ただ、その影響は、政治や正義といったことに留まりませんでした。
ボクが小学校のPTA活動に参加するようになったのもその影響の一つで、また、息子の小学校時代の野球チームの運営に深く関わったことも、今となっては、その表れではないのかと思うのです。中学時代の同級生からは同窓会の会長を任せられ、昨年、活動の益金で運動会で使用する応援団旗を贈呈することができました。どの活動も周囲の方々の協力が無ければできなかったことですが、このような活動を通じて人々の思いや悩みそして社会が抱える問題を実際に肌で感じることができました。
しかし、正直言って、このような活動はメンドくさいです。本当に面倒臭いです。こういう活動には激しい感情の衝突も珍しくはありません。体力や気力を消耗しつくして肺炎を患ったこともあります。
ですが、その苦しみの先には、いつも皆さんの笑顔がありました。そして、何より、自分自身がそのことを喜び、また、皆さんともに成長をできたことに心から感謝せざるを得ない気持ちになるのでした。

このような感情を幸福感と言うのであれば、それはそれで良いと思っています。そして、このような幸福感を得るに至った背景が木原代議士、いや、キハラが政治家を志すといった「勇気」であるならば、その「勇気」に応えるのが友人としての役目ではないのかと思うのです。

話は変わりますが、今回の選挙に限らず、ボクはいろんな場面で「喋る」機会を与えられたことがあります。そんなとき、必死で考えます。
そのときに伝えたい気持ちをどのような言葉で表そうかと必死になります。また、人前で「喋る」ということは、聞いて下さる人にとっての大切な時間を頂戴することでもあるから必死にならざるを得ないのです。このブログに既に掲載されているものをいくつか紹介したいと思います。今もその時の気持ちのままです。それは、詩のようになっていることがどうも多いようです。


続く、、、
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