1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

誇り高き野球バカ×7

2012-04-29 22:05:08 | リトルリーガーの記録
息子のケガは少なからずチームに影響を与えたように思う。早計な判断は禁物だが、息子の治癒にはかなりの時間を要すだろうことが、周囲の人間には判っていたように思う。
固定具の装着が少なくとも1ヶ月になるというような話しを聞けばなおさらであろう。また、結果的にはワールドシリーズへの道を自ら絶ったと言うことにもなるだろう。
「痛みが出はじめたとき、実際はどうだったん?」
「2、3ヶ月は投げれんと思った」
「そうか、じゃぁ、つまり2、3ヶ月したら投げれる、治るっていう期待というか確信みたいのはあるとたいね?」
「それはある」
病院の帰り道、息子は力強くキッパリ言った。昨年、踵の骨嚢腫という診断で一時絶望を味わった経験のある息子の言葉に、こちらが救われたような気がした。
また、大会から戻ってくる車中で同じことを聞いたとき、息子はこう答えていた。
「ゴローの気持ちで投げとったばい!」
その屈託のない返事に、ボクとカミさんは笑ったのだった。

それから一週間が過ぎた頃、3月いっぱいで退団したいという旨を球団に伝えた家庭が数組あることが知らされた。それはもうチームとして試合ができなくなることを示していた。そして一人、また一人と。無念と言うほかなかった。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカ×6

2012-04-28 21:43:18 | リトルリーガーの記録
基本的に、少年少女スポーツにおける怪我や障害は、親の責任だと思っている。特に有能な選手の場合はそうだ。
実のところ、子供達に選択の自由などないと思っている。彼らには自由な選択ができるほどの情報は与えられていないし、また、その情報を解釈・分析するリテラシーも備わっていない。敢えて言わせてもらえば、「大人」についても同様であるかもしれない。
我々はいつも限られた時間と限られた資源と情報の中でしか選択ができない。だから「無限の可能性」などと甘やかした言葉によって、子供や若者は後々苦しむことになるのである。このため、限られた環境の中では我々は極力自由であるべきなのであるが、子供達はその能力から、自由に選択ができている状態にはないと言いたいのである。最近、「うちは子供に任せてありますから」などとテイのいい言葉をよく耳にするのであるが、それは責任回避にしか聞こえない。あるいは怠慢だ。
有能な選手ほどケガのリスクが高いということは言うまでもない。彼らは無限の可能性などを持っているワケでなく、有限のしかもごく普通の資質を、フルパワーで使っているだけなのだ。
ここに大きな落とし穴がある。有能な選手はパフォーマンスが良いだけに、周囲からの期待も大きい。そして、そういう称賛は一種の麻薬と化し、少年少女の体を蝕んでいくのである。特に、チームプレーともなればその傾向はさらに強い。ここに選択の自由などというものはない。本人の意思のように見えて、実は他人の圧力だったりするのである。そして重篤な障害を抱え、選手生活から早々の幕引きを迫られる。

陸上記録の研究に面白いものがある。少年少女期の有能な選手が、優秀な成人選手に成長する割合についての研究である。ボクの記憶が正しければそれは10%程度である。
成人まで選手生活を全うできるようサポートすることが大人の責任であり、親の役目である。我々に問われるのは、ケガというリスクをどうのように回避し、あるいは最小にし、リスクが発現した場合にどのようなセーフティーを準備しておくのかということである。つまり、リスクをどうコントロールするのかということである。子供の身体は常に成長を続けている。だから、刻々とそのリスクが変化していくことも心得ておかなければならない。
スポーツ選手を育てるということは、かくも大変で一大事業なのである。
だから人々は熱中熱狂するのである。

話しはやや逸れるが、ここは勢いなのでブチマケておきたい。
オリンピックについてである。金メダルについてである。
オリンピックは4年に1度の国別対抗大運動会であることを忘れてはならない。であるからして、出場選手の国籍に関して細かくウルサイのである。ネコかネズミが知らないが、そのへんをわきまえていないから、ヘンなことになってしまうのである。「国籍」とはそんな簡単な話ではないのである。コノ、愚か者めが!。
もし、国籍なんか関係ない世界大運動会であれば、本当に優秀な選手達を集めてやっちゃえばいいのであるが、その場合、ネコは出られない。誰もネコなんかに期待していないのだ。しかし確かに、世界大運動会なんてものがあってもよさそうなものだが、それは盛り上がりになんか欠けそうである。敢えて言っとくがネコが出ないからではない。

わかっている人には「イマサラ」話しになるけど、オチンピックじゃなかったオリンピックはフェアでクリーンなスポーツを建前にした4年に1度の国力順位決定戦なのである。問われるのは「金メダル」の数のみ。参加することに意義なんて無いのだ。
GDPなんかの経済指標や軍事力がその国の「力」を示しているかのように思えるが、これらの数値で我々は熱狂なんかできないのである。熱狂する意味は、そこに数値記号ではないリアルな勝ち負けがあり、順位序列があり、競争があるからである。我々は老いも若きも誰もが実は競争が大好きなのである。そして、自分が所属するコミュニティの勝利をあたかも自分の勝利のように喜ぶのである。負ける者には見向きもしないのである。見る価値すらないと思っているのである。そばに置きたくない臭いモノ第1位なのである。
そういう「仕組み」になっているのである。我々人間が、地球上でこのように繁栄を謳歌できているという理由は数多あろうが、ボクはこの「仕組み」に金メダルを与えたい。

以前、「2位じゃダメなんですか」発言で耳目を集めた女性政治家がいたが、どう見たって彼女が一番の「No.1嗜好」に見えるのである。最初、小膣じゃなかったコイツは何を言っているのかと思ったが、実は、目の前の相手を打ち負かして自分がイチバンであることを示したかったに過ぎないのではないか、ということに思い当たったのである。こんなヤツは年配者に多く、その存在確率の高さから「老害」として認知されている。ひょっとして人間は、先ず一義的に目前のリアルな勝敗にこだわってしまう生き物なのかもしれない。先の彼女は「2位」発言により、は図らずも「1番」が大事ということを我々に証明してくれたのではないだろうか。

それにしても、勝利するのは難しい。本当に難しいものである。
オリンピックにおける金メダルは個人に授与されているようであるが、私のようなデキソコナイにはそのように見えない。表彰式のとき金、銀、銅の順番に国旗が掲げられている。それがミソである。もしボクがメダリストだったら家族の写真を掲げたい、いや、カミさんの肖像なんてのはどうだろう。ただし、若くキレイだった頃の写真じゃなきゃカミさんはダメって言うだろうなぁ、たぶん、うん、そっちのほうがボクもいい。読者諸兄には申し訳ないが、なんか勝手にHAPPYな気分になってきたぞ。まぁいい。

話しを元に戻す。
確かに、メダルを獲った個人の努力は称賛に値する。しかし、個人の努力だけで金メダルが獲れるというものでは決してない。様々なサポートや環境が必要なのである。多くを述べるまでもないが、頂点を極めるためには、選手の持つハングリー精神とは対照的に、彼らを取り巻く環境にある一定の余力や金銭的余裕のようなものが必要である。また、そのスポーツ界のすそ野の広がり具合が重要である。決定的とすら言えるかもしれない。当然、すそ野は広い方が良い。そして、すそ野も強い方がいいに決まっている。すなわち、金メダルが多いということは、一国の余力や余裕を示し、その国の多様性とシステム、場合によってはテクノロジーの高さを示すということだってある。・・・・ような気がする。

・・・と、このくらいにしとこう。この「誇り高き野球バカ」シリーズは、まだ、先があるのだ。ホントは、ここらかジャイアンツを引き合いに出し、そのファン心理に触れた上で、我々野球バカたちが、その広くて強いすそ野の一部となっていることに自負を持ちつつ、強いものに否応なく惹かれてしまうことを話したかったのだ。また、少子化に相まって起こっているように見える急速な野球離れが、今後の野球界の有り様を左右する可能性が大きいことも話しておきたかったっていうか、大体話してしまった。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカ×5

2012-04-27 18:35:32 | リトルリーガーの記録
ボクはとりあえず医師免許を持つ実父に連絡をとった。
父は、冷湿布と安静と圧迫の3点の処置を挙げた。
しかし、これはスポーツ障害時におけるRICE処置のうちのElevation(既に処置済み)を除く処置で、ボクだって知っていることだった。
「他には?」
父は銘柄指定である薬の服用を勧めた。

ボクは、スマホで検索した近くのドラッグストアを目指した。目的の店舗に着いた頃、大会主催者から病院を紹介したいとの連絡があったが、ボクはそれを丁寧に断った。

必要物品を購入し会場に戻ると、息子を駐車場に呼び出して、車内で施した。
冷湿布を貼り、一番楽な角度を保持した状態で、上腕から手首付近にかけて伸縮性の包帯を巻いていった。そしてチームカラーの紫のアンダーシャツを着せ、最後に三角巾で腕を吊した。
処置の途中、否が応でも息子の手に目がいってしまう。そこには努力の証があった。バット豆に、右手指先にはピッチャータコ。身長はまだまだ低いというのに、手だけはボクより大きくなっているようだった。車内で、息子は終始無言だった。グランドからの歓声が車内にくぐもって聞こえていた。
処置が終わり、
「今日の夕方には家に着く、明日、病院に連れて行ってやるけん」
「ありがとう」
息子はそう言うと、チームの試合会場へ歩いていった。時折吹いてくる北風が、グランドコートの右袖を強く揺らしていた。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカ×4

2012-04-26 23:51:46 | リトルリーガーの記録
翌朝、福岡に向かう車の中でボクはカミさんにこんな軽口を叩いて、息子の状態を楽観視していた。
「たぶん、リョウタロウは、マンガのヒーロー気取りで投げてたんじゃ」
しかし、会場の駐車場から試合会場へ向かう道すがら聞かされた息子の様子は、ボクの予想に反して相当悪いものだった。満足に食事が摂れていないとのことだった。それは心身消耗し過ぎてメシも喉を通らないというのではなく、右手が満足に使えないということだった。朝食では牛乳をこぼし、大好きな納豆をかき混ぜることができず、それを見かねた保護者が手伝ってやったとのことだった。

グランドに着いたときには、昨日のトーナメントで敗退したチームとの練習試合が始まっていた。グランドは福岡県宗像市の丘陵地にあり、その北方に面した玄界灘からはまだ冬の風が吹き込んでいた。息子はグランドコートを着て、その風に向かって文句でも言っているようにベンチから懸命に声を出していた。ボールを拾い、バット引きもやっていた。そのサバサバした様子からは、特に問題は無いように見えた。不自然に曲がった右腕を除けば。

攻守交代時に監督に挨拶をした。
監督は、申し訳ないという苦渋の表情で帽子を取った。ボクは監督の許可を得て息子をベンチの外に呼び出した。

先週の練習試合では全く問題はなかったらしかったのだが、週中くらいに右肘に違和感を感じたそうだった。ただ、試合開始時に違和感を感じつつも全力で投げれば自分の納得いくボールが投げれたらしく、そこで「全力」で行くと決心したらしかった。
「じゃぁ、ケガを覚悟で投げたんだな。」
「うん」
前日の試合を観ていた理事からは、こんな報告を受けていた。
ブルペンでのボールの走りは素晴らしく、1回は一人をフォアボールで出すも、残りは全て三振で滑り出しは上々。しかし、3回に入って突然球威が落ち、その後、ホームランを浴びて4回で肘痛のためマウンドを降りたとのこと。
息子に詳しく聞いてみた。
2回1死後の投球時に痛みが走り、その後は投げる度に痛みが増し、4回が限度らしかった。
「それで、痛みの程度はどうなんだ」
「昨日の夜よりはマシ」
「それで、今は、痛みでどっちにも動かんとや」
「どっちにも動かんね」
ということで、カミさんが持ってきた黒の綿バックを三角巾がわりにして腕を吊してやった。
「ちょっとこれでガマンしとけ」
「ワカッタ」
息子はベンチに戻っていった。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカバカバカ

2012-04-26 19:04:01 | リトルリーガーの記録
3月に始まった新シーズンの息子の背番号は「1」。
練習試合では、あわや完全試合という好投もあった。
本人も調整とフォームチェックに余念が無かった。投球日と投球数をきめ細かく決めて、無理のないような調整を実施していたし、鏡を見ながらのシャドウのほか、自分で動画を撮影してはそれを入念にチェックしていた。
この時点でチーム状況は、規定による選手不足で全日本選手権の予選には出場できないことがほぼ確定していた。それは、つまり、僕ら親子が目標としていたワールドシリーズへの道が完全に閉ざされたことを意味していた。
しかし、息子は、己が全力を尽くせば、連盟の春季大会で九州を制することができると信じていたようだった。ただ、練習に励む息子には明らかに「力み」が見られた。力を抜くよう言うべきだったが、それを受けつけないような凄みが息子にはあった。怪我だけが心配だった。

春季大会は3月10、11日に福岡で行われた。
息子は1回戦に投手として先発出場していた。しかし、その日は次女ホースケの卒業式のため、ボクとカミさんは熊本にいた。
雨で試合開始時間がずれ込んだために、昼過ぎに連絡があった。初戦敗退の連絡だったが、結果以外の内容も含まれていた。それは息子の怪我に関するものだった。
4回を投げ終えた時点で、自らもう投げることができないと監督に申し出てマウンドを降りたそうだった。その後は、守備にもつかず打席にも入らなかったとのこと。トニカク、右肘をかなり痛がっている様子とのことだった。
夕刻、息子とケイタイで話すことができた。
「痛いか?」
「痛い」
「投げれんくらい痛いとや?」
「ウン、もう投げれんね」
「トニカク、明日、そっちに行くけん、おとなしくしとけ」
「ワカッタ」
男親子の会話は素っ気ないものである。息子の声に暗さはマッタク感じられず、ボクは心配に値するような怪我ではないと思った。しかし、これはバカバカしくて誰にも言わなかったことだが、電話のあとから自分の右肘が痛み出したのだった。そして、これは後から判ることだけど、そのときの息子は投げるどころか歩くときの振動でさえ肘に激痛を感じていたのだった。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカバカ

2012-04-25 21:31:17 | リトルリーガーの記録
先週末、お別れ会が催された。三月末頃まで在籍していた選手とその保護者達が集まった。総勢40名といったところ。日程が決まったのは、その2、3日前。この僅かな時間に、ママたちは会場の手配や卒団証書作り、そしてDVDを製作していた。ボクはプロジェクターを持参するだけだった。
宴もたけなわになった頃、監督から選手一人一人に短いコメントと共に卒団証書が手渡された。監督のコメントを神妙に聞き入る選手、グジャグジャに泣いてしまう選手、微笑む選手。そして最後に新中1年生の3選手が呼ばれ、監督は額入りの証書を3人同時に手渡し、彼らを保護者側に振り向かせて並ばせると、こう切り出した。
「彼らが、自分が目指していた野球をやってくれた3人です!」
監督はあまり話し上手ではない方だが、その気持ちは十分通じた。
ボクはその時、涙が止まらなかった。あるママが作った詩が読まれたときも、DVD鑑賞のときも、・・・・。
ボクは、これまで監督とは一線を引いて接してきたように思う。それが原因で、お互いに誤解が生じたようなことがあったかもしれない。
トイレで監督と一緒になった。後に入ってきたボクが先に何か言うべきだった。しかし、切り出したのは横に並んだ長身の男だった。
「オレ、hiratakuwaさんのこと、大好きでしたよ」
ボクは便器に視線を落としたまま言った。
「言うな」
「でも、ホント・・」
「もう、言うな」
二回目はやや強く。
監督に対して、年長者としての言葉を吐いたのはこれが最初で最後だった。
涙でそれが言葉になっていたかどうか甚だ疑わしかったが・・・。

その宴の約2時間はあっという間に過ぎ去った。
これは言い伝えによるが、
「自分で立ち上げた球団なので、幕は自分で降ろす」
これが球団代表の意向。
全国大会に何度も出場し、さらにプロ野球選手も輩出し、「名門」と称される時期もあった。
しかし、シニアはこの2月から部員ゼロに。結局、リトルも入団者は無し。
しかし、我々保護者達はチーム存続に向けてやるだけのことはやった。

・・・続く・・・
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誇り高き野球バカ

2012-04-24 22:57:35 | リトルリーガーの記録
先週、一つのリトルリーグが、実質的な活動に終止符を打った。
5年半に及ぶ活動は、長かったかもしれないし、短かったかもしれない。
うちの息子は、設立時の小学校1年生の秋に入団し、今年がラストシーズンとなる中学1年生にまで成長した。第1期の卒団生は現在高校3年生で、その殆どが各高校でエースや主軸として活躍している。中にはプロ注目の選手もいる。
しかし、2年前、シニアの監督交代で始まった評判低下とともに、それが悪評へと変質、さらに追い打ちをかけるように、現代版の呪術師とも言うべき自称ジャーナリストによる球団代表についての詳細な黒い噂に関するネット報道が、昨秋、明るみに出た。
退部者が続出し、財務も悪化の一途を辿った。

少年野球教室と勘違いして気軽に行ったリーグ設立時の5年半前の体験会を今でも思い出す。
ソコには「野球魂」の親子が群をなしており、ボクは直ぐさま息子の手を引いて帰りたかった。しかし、翌日の練習にも連れて行ってくれと息子がせがむ。10人くらいの大きい6年生に囲まれ、小1年生は息子一人。全て同じ練習メニューをこなし続けた。一ヶ月が経過しようとした頃、一人の熱血野球オヤジがボクに言った。
「練習着くらい買ってやんなっせ!、あんなぁ、おたくのお子さんは、野球が大好きとよ!、こりゃスゴカこととよ!」
確かに、それはワカッテいた。
しかし、その一方でその頃には、少年野球(クラブチーム)における負の側面についてもワカッテいた。カネ、ジカン、ニンゲンカンケイ。
しかし、そう言われた日の夕方、ボクは息子のために練習着を購入していた。
二人のお姉ちゃんに手伝ってもらって真っ白の練習着に身を包んだその時の顔が今でも忘れられない。
このとき、本当に、覚悟を決めたように思う。
「ワールドシリーズだ。ラストシーズンの中1年生になったときにアメリカに行く。それが目標だ。」

目標が定まれば迷いは無くなるし、方針も決めやすい。後は実現に向けて計画を立て、粛々と事を運べばいい。「今は何をどうすべきか」、それを問い直しては修正し、達成度を比較・検証する。一つ一つ階段を上るように。

問われたことは一度もないけど、ナゼ、そんな無謀?とも言える目標を掲げるのかと問われたら、こう答えるつもりでいた。
「野球が好きだからです。そして、それが野球やリトルリーグに対する敬意と礼儀であると考えるからです。だって、野球のルールって勝ってナンボでしょ。勝てばいいってものではないですけど、勝つためには個人的なたゆまぬ努力や良質なプロセス、そして、それを支える環境作りだって必要なわけだし、それらをなくして勝利は望めないというもの。言い換えれば、そのチームに関わる全ての人が与えられた場所で最善を尽くさなければ、勝利の女神は微笑まないとそういうふうに考えるからです。これは非常に困難なことであることはワカッテます。少年野球はあくまで少年野球であって利害は全く関係がない。にもかかわらず、大人が関わることで、そこには少なからず利害の衝突が起こることも承知済みなワケですが、そこは「大人」の叡智でナントカしなければならない。
つまり、大好きな野球、特に少年野球という枠組みを通じて子供達と自分(大人)達の成長を目指しているといことです。そして、その延長線上にワールドシリーズがあり、勝利の暁に、僕等が感じたことのないナニかがあり、ひょっとしたら、それが本当の意味での-「感謝」という言語表現に依らない-「感謝」という感情あるいは情動といったものがあるかもしれないと思うのです。ボクはそれを感じてみたい。」
・・・大袈裟な(笑)・・・続く
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04/09に生まれて

2012-04-09 15:17:03 | 雑談の記録
今日で43歳になってしまった。
昨日まで42歳で、今年一年何事も無くやり過ごせば、来年の今頃は44歳になるだけのことだ。
実のところ、自分の誕生日に関して特別な感慨を得ることができない。
これは世の慣わしに反している行為(限りになく無為に等しいけど)と受けとめられるかもしれない。

カミサンから、今夜は特別な料理をしようかと申し出があったと書けば、上品な雰囲気が醸し出されるが、「今日はなんか食べたいモノあるね?」が実情なワケである。
寝起きにムスメから「おとうさん、誕生日おめでとう」と言われ、反射的即座に深々と御辞儀をして「お陰様で本日この日に43歳を迎えることができました。ありがとうございました。」と慇懃にやってみせて笑いを取るのが関の山である。
これがリアルな43歳の誕生日の朝というものである。

「歴」というものが無かった、つまり「数」の概念が無かった、たかだか1万年前の誕生日について考えてみたい。
「歴」が無いのだから誕生日などという概念はないはずで、だから、ソレを考えること自体がナンセンスと言われればその通りなのだけど、今風に1年ごとに誕生日を気に懸けていたかどうかは甚だ疑わしいワケで、また、その度に本人が「感謝」を表明してたかどうかについては論を俟たない事柄だと考えるワケである。もし「誕生日」があったとしても、本人や家族の目下の心配事は明日のメシだったのではないかと考えるのが妥当ではないだろうか。
43歳のひねくれ論である。

そして時は流れて現代。
滅多矢鱈に「誕生日」を押しつけてくるシステムが普及してしまった。
言わずもがなである。
その徹頭徹尾の徹底的で完全無欠な代表が、FBに見られる友人のお誕生日についてのお知らせだ。
現在、ボクのFBの「友人」は40数人といったところ。FB始めたての10人くらいまでの「友人」については、オモシロ半分で「友達リクエスト」した友人だけど、その後はサッパリ。
元々の友人に「友達リクエスト」ってのも相当違和感あるし。ボクにとってはもの凄く敷居の高い行為なのである。一方、「友人」の「友人」にリクエストすることは極希ではあるけどあるにはある。
話しがソレてしまった。
そう、ボクが言いたいのは、FBがやってる「お誕生日のお知らせ」についてだ。
もし、友人が相当の数に増えてしまったらほぼ毎日のように「お知らせ」がやってくるワケだ。無機質でお節介なアプリが機械的に間違いなくピシャリと作動していることが友人の誕生日を証明しているとでも言うように。

実際、ボクは「お誕生日のお知らせ」については無視を決めている。
ボクはFBを日課にしているワケでもなく、仕事に利用しているワケでもない。
ただ、ナントナクやっているに過ぎない。無目的である。発信したい情報が無いわけじゃないけど、人に伝える価値のあるものがあれば一人占めしていたほうがいいなと考えるタイプである。ただ、ここ数年、明らかにのぼせまくっている野球のことは、伝えたいと思っている。書き捨てるだけで興味の無い人には全く無価値でしかないけど。

また、話しがソレてしまった。
「誕生日」についてである。
世界で一番多い誕生日が何月何日か知っている人がいれば紹介してもらいたいけど、日本で一番多い誕生日が9月下旬で一番少ないのが1月1日だという巷の噂をホンモノと受けとめると、最近の我々は「都合」によって生まれて、あるいは生まされているということになる。
本当は、この論の前に、「歴」における1日が全人類の誕生日の凡そ1/365に当たる旨を前置きした上で、「お誕生日のお知らせ」を無視している懺悔として、この場を借りて全人類に対して祝福メッセージを送る壮大な計画を実行するつもりだった。

しかし、最近の我々が「都合」によって産み落とされているという可能性が高いということであれば、「歴」における1日が全人類における誕生日の1/365に当たるというのは真っ赤なウソになるワケである。

であるからして、このへんを明らかにするために計画を変更したい。

FB関係者に告ぐ!。
世界で1番多い誕生日は何月何日なのか調べなさい!、今すぐに!
そしてその日を「世界誕生日デー」に制定しなさい!。

また、どうでもいいことを書いてしまった・・・。

それから本日、誕生日メッセージを送ってくれたFBユーザーの方々(連中)、お気遣いありがとうございました(連中向け:そんなもんいらんちゅーの!、だいたい43のオッサンにナニが「おめでとう」だ、一番縁遠い言葉ばい、キモッ!)。
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