今日から長女のユーは、長崎へ一泊二日の修学旅行だ。近頃、ニキビが減ったユーはイキイキしてる。
最後に一緒にフロに入ったのはいつだっけ・・・。
ま、それはさておき、最近、連日のように自殺(ジサツ)と言う文字や音が目や耳に入ってくる。スゴク悲しい。
子供の自殺っていうのは「こっち向いて」っていう子供の最終メッセージだというふうにボクは思う。
そのメッセージをうまく伝えることができなくて、自ら死を選んでしまうのは、スゴク悲しくて寂しい。
大人になっちゃうと自分が子供の頃にイロイロ悩んでいたいたことを子供っぽいことだったって頭ん中で勝手に処理しちゃって、自分の子供時代のこともろくすぽ振り返りもしないで、子供と接するオトナが多いような気がする。
そんなワケで、みんなからケチョンケチョンにされるかもしれないけど、現在、子育てに奮闘している30代~40代のオトナの子供時代について、ちょっと考えてみたいと思う。
ボクらが子供の頃って、高度経済成長マッシグラの時代だったんだよね。んで、都市部に住む多くの子供の親(父親)はサラリーマンだったと思うんだけど、今の時代とかわらず夜遅くまで働きっぱなしだったんじゃないかなぁ。
ボクの実父は、サラリーマンじゃなかったけど、いつも忙しそうにしてて、一緒に遊んだり話したりした記憶なんてほとんどない(幼児期は除く)。多くの人がそうだったんじゃないかなぁ。ボクんちなんかは、実母も働いてたから、子供の面倒はほとんど祖母さんがみてたってアンバイだ。
だからって、「寂しい」と思ったことはないけど、ホントーにそうだったんだろうかって思う。
ホントーは「寂しかった」のかもしれないけど、ボクらの子供の頃って、まわりにタクサン子供達がいて、その子供達だけの社会の中で上手くガス抜きをしていたんじゃないのかなって思う。だけど、やっぱり、親と子の関係については、ボクらは問題を残してオトナになったような気がしてならないんだなぁ。
極端かもしれないけど、一つの例を紹介しちゃう。
子供の頃、父親を亡くしたある少年は、母子家庭になって大変な苦労もあったけど、勉強もちゃんとして大学行き、その後、結婚もして社会的に立派な人物になった。だけど、夫婦生活にほころびが生じ、他所にオンナを作ったあげく、彼のムスコが高校に合格した当日「オレはいなくてもいいだろ」という言葉を残して家を出ていったそうだ。
この「オレがいなくてもいいだろ」って言葉は、「親はなくても子は育つ」って意味で使ったのかもしれないけど、その言葉の中には「オレは、父親がいなくても立派になったんだから、オマエも大丈夫だろ」っていう驕りのニュアンスもプンプンする。だけど、それを言われたムスコのほうは、果てしない「寂しさ」を感じたそうだ。ま、捨てられたって思ったワケだ。ヤケクソになったのは言うまでもない。
つまり、ナニが言いたいかっていうと、親と子の関係をちゃんと築けなかった子が親になった場合、自分の子供とちゃんとした関係(信頼関係)を築くのは非常に難しいってこと(当然、例外はあるだろうけど)。
ところで、ボクらは子供達との間にちゃんとした親子関係を築いているのかなぁ?。
ボクらが子供の頃、親が相手をしてくれなかったからといって、自分の子供たちに、相手代わりに安易にビデオやゲームを与えてはいないだろうか。
今時、公園ではボール遊びなんかが禁止(グランドゴルフはOK)されていて、子供達は公園でゲームをしているんだ。ホントーだ。
なんだかピントがずれちゃったけど、親子関係の構築(親子のきずな)が自殺予防の近道なんじゃないかなってボクは思っている。
さぁ、うちへ帰ろう。
最後に一緒にフロに入ったのはいつだっけ・・・。
ま、それはさておき、最近、連日のように自殺(ジサツ)と言う文字や音が目や耳に入ってくる。スゴク悲しい。
子供の自殺っていうのは「こっち向いて」っていう子供の最終メッセージだというふうにボクは思う。
そのメッセージをうまく伝えることができなくて、自ら死を選んでしまうのは、スゴク悲しくて寂しい。
大人になっちゃうと自分が子供の頃にイロイロ悩んでいたいたことを子供っぽいことだったって頭ん中で勝手に処理しちゃって、自分の子供時代のこともろくすぽ振り返りもしないで、子供と接するオトナが多いような気がする。
そんなワケで、みんなからケチョンケチョンにされるかもしれないけど、現在、子育てに奮闘している30代~40代のオトナの子供時代について、ちょっと考えてみたいと思う。
ボクらが子供の頃って、高度経済成長マッシグラの時代だったんだよね。んで、都市部に住む多くの子供の親(父親)はサラリーマンだったと思うんだけど、今の時代とかわらず夜遅くまで働きっぱなしだったんじゃないかなぁ。
ボクの実父は、サラリーマンじゃなかったけど、いつも忙しそうにしてて、一緒に遊んだり話したりした記憶なんてほとんどない(幼児期は除く)。多くの人がそうだったんじゃないかなぁ。ボクんちなんかは、実母も働いてたから、子供の面倒はほとんど祖母さんがみてたってアンバイだ。
だからって、「寂しい」と思ったことはないけど、ホントーにそうだったんだろうかって思う。
ホントーは「寂しかった」のかもしれないけど、ボクらの子供の頃って、まわりにタクサン子供達がいて、その子供達だけの社会の中で上手くガス抜きをしていたんじゃないのかなって思う。だけど、やっぱり、親と子の関係については、ボクらは問題を残してオトナになったような気がしてならないんだなぁ。
極端かもしれないけど、一つの例を紹介しちゃう。
子供の頃、父親を亡くしたある少年は、母子家庭になって大変な苦労もあったけど、勉強もちゃんとして大学行き、その後、結婚もして社会的に立派な人物になった。だけど、夫婦生活にほころびが生じ、他所にオンナを作ったあげく、彼のムスコが高校に合格した当日「オレはいなくてもいいだろ」という言葉を残して家を出ていったそうだ。
この「オレがいなくてもいいだろ」って言葉は、「親はなくても子は育つ」って意味で使ったのかもしれないけど、その言葉の中には「オレは、父親がいなくても立派になったんだから、オマエも大丈夫だろ」っていう驕りのニュアンスもプンプンする。だけど、それを言われたムスコのほうは、果てしない「寂しさ」を感じたそうだ。ま、捨てられたって思ったワケだ。ヤケクソになったのは言うまでもない。
つまり、ナニが言いたいかっていうと、親と子の関係をちゃんと築けなかった子が親になった場合、自分の子供とちゃんとした関係(信頼関係)を築くのは非常に難しいってこと(当然、例外はあるだろうけど)。
ところで、ボクらは子供達との間にちゃんとした親子関係を築いているのかなぁ?。
ボクらが子供の頃、親が相手をしてくれなかったからといって、自分の子供たちに、相手代わりに安易にビデオやゲームを与えてはいないだろうか。
今時、公園ではボール遊びなんかが禁止(グランドゴルフはOK)されていて、子供達は公園でゲームをしているんだ。ホントーだ。
なんだかピントがずれちゃったけど、親子関係の構築(親子のきずな)が自殺予防の近道なんじゃないかなってボクは思っている。
さぁ、うちへ帰ろう。