鏡の国のアリス:短評

鏡の国のアリスの本を読みながら短評をする

鏡の国では“信じる”ために必要なのは練習であって、事実である必要はない(GLASS5-14)

2008-10-05 10:38:50 | Weblog
「一度に二つのことをすることはできない!」と白の女王が言い、アリスが“泣く”のをやめさせようとして、「まずは年齢について考えよう」と“泣くのではないこと”をしようと提案する。「お前はいくつか?」と女王がたずねる。
「正確に exactly 7歳半です」とアリスが答える。「“正確に事実 exactually ”などと言う必要はない」と女王が批判し「そんなことを言わなくても私は信じることができる」と言う。
 PS1:“正確に事実 exactually ”とは不思議な言葉であるがこれは“正確に exactly ”と“事実 actually ”をひとつにした言葉で著者キャロルの造語である。彼はこうした造語を言葉遊びとしてしばしば行う。
 PS2:白の女王はなぜ「“正確に”とか“事実”とか言わなくても信じることができる」と言ったのか?その根拠は何か?彼女のこの後の発言を聞いてみよう。

 「お前に信じるべきこと something to believe を与えよう。私は101歳5か月1日である」と白の女王が言う。アリスが「そんなこと信じられません」と答える。
 PS3:女王は解くべき問題を与えるかのように、アリスに信じるべきことを与えている。これも変である。なぜだろうか?

 白の女王は「信じることができないのか?」とアリスを哀れむ。「もう一度やってみなさい。息を深く吸い込んで、そして目を閉じなさい」と言う。
 PS4:女王はまるで難しい問題を解いたり運動の技を成功するため何度か試すように、何度かやってみれば信じることに成功するかのように言っている。彼女は“信じる”ことをどのようなことと考えているのだろう?

 アリスは笑ってしまう。「もう一度やってみたってダメです。ありえないことを信じることは誰にもできません」と主張する。
 PS5:アリスにとって“信じる”ためには信じるべきことは正確に事実、存在しなければならない。日常世界ではこれは常識である。ところが鏡の国では事情が異なるようである。白の女王の言うことをもう少し聞いてみよう。

 「お前は練習が足りなかったのだ」と女王が断言する。つまりアリスは“信じる”練習が足りなかったと女王は言うのである。
PS6: 白の女王は“信じる”ために必要なのは練習だと言う。それは“嫌いなピーマンが食べられる”ようになるため、または“乗れない自転車に乗れる”ようになるため、練習が必要なのと同じである。鏡の国では“信じるべきこと”と“正確に事実、存在すること”との間につながりがないのである。練習を積んで技能に熟達すれば“信じるべきこと”を与えられたとき、いつでも信じられるのである。練習しておけば“解くべき問題”を与えられたとき解けるのと同じである。

かくて白の女王が次のように言う:「私があなたの年頃には一日30分ずつ“信じる”ための練習をしました。だから時にはなんと6つものありえないことを朝食の前に信じることもできました。」