平良牧師、平尾教会の最後の礼拝説教
コリントの信徒への手紙一12章12節〜27節
一つの霊を飲ませてもらった我ら
福岡地方連合会長のK牧師は、連合の集会で説教をされるとき、そのたびごとに、「皆さんは、福岡地方連合が好きですか。私は大好きです」、といつも冒頭で挨拶されます。この挨拶を最初聞いたとき、何となく、こそばゆい感じがしました。しかし、何度もこの挨拶を聞くうちに、この会長の善良なお人柄を思う . . . 本文を読む
ヨハネによる福音書15章1節〜17節
イエス様につながり、その愛に止まる
イエス様は、まことのぶどうの木です。わたしたちは、その枝です。神様は、ぶどうの木を手入れする農夫です。イエス様につながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれます。教会にもぶどうの木があります。鉢に植わっていて、毎年、実をつけます。しかし、すべての枝がそうだというのではありません。枝の中には、幹につながっていても . . . 本文を読む
ヨハネによる福音書13章12節〜20節
まず主から受ける
イエス様が私たちを愛しているという実感は、どうやったら味わうことができるのでしょうか。何回か、そのことを説教のなかでお聞きしたことがあります。それは、文字通り、今幸せを感じられるような状況に人はあるときに、神様に愛されていることを感じることがあるでしょう。あるいは、何か奇跡的幸運な出来事に遭遇したときに、感じることがあります。
礼拝の中 . . . 本文を読む